第67話 浮島の異変
浮島が落下している。
それは、ただの異変ではない。
イグドラシルという都そのものに降りかかる天災だ。
「落下の兆候を確認! 各塔へ伝令を!」
シリウスの命令によって近衛が走り、侍女が青ざめて祈るように手を組む。
その様子を見て、拘束されているクロスが楽しそうに笑った。
「いやあ……こんなに早く来るとは思いませんでした。まだ、もう少し猶予があると思っていたのに」
シリウスが、私を抱きしめたままクロスを見下ろした。
「お前は、知っていたのか」
「もちろん。私はアキテーヌの研究者ですからね」
クロスは肩をすくめた。手枷が鳴る。
その、どこか得意げな様子に異常さを感じる。
もしあの浮島が落ちてしまったら、首都イグドラシルの中心部は押しつぶされてしまうのに。
「なぜ浮島が落ちる?」
「……それを教えたら、見逃してもらえます? あ、いや、無罪放免にしろって言っているわけではなくて、研究室さえあれば一生そこから出なくても構わないんで」
シリウスの目が、氷よりも冷たくなった。
「今、帝都の何万もの命が危機に瀕している。取引の時間はない」
その声には、容赦のない威圧が込められていた。
クロスは一瞬だけ怯んだが、すぐに口を開いた。
「わ、分かりましたよ。説明します」
クロスが、諦めたように息を吐く。
「浮島を支えているのは、アキテーヌの遺物です。でも、その神力は枯渇しつつあります。だから――」
「父上が魔力を注いでいたのか」
シリウスが、クロスの言葉を遮って言った。クロスは驚いた顔をした。
「ご存知だったんですか?」
「いや。だが、浮島が急に落ち始めたということは、供給源が途絶えたということだ。そして、父上の体調が悪化していることも知っている」
そう言うシリウスの目には、深い悲しみが宿っていた。
「さすが、シリウス様。察しがいいですね」
クロスが感心したように言った。
「歴代皇帝は、長年、浮島に魔力を注いでいました。でも、それは延命にしかなりません。神力そのものが枯れていくので、いつかは落下すると思われていました」
クロスが説明する。
「竜化できるほどの魔力でなくても、遺物に魔力を注いで延命はできます。でも、長期に安定供給できるほどの魔力量と適性を持つ者が少なく、近年は皇帝陛下がかなり無理をして魔力を供給していたんです」
「なぜ、私に手伝えと言ってくれなかったんだ」
シリウスの言う通りだ。
シリウスは竜化できるほどの魔力を持っている。二人で魔力を注げば、皇帝の負担を減らすことができたはず。
「一度魔力を登録すると、書き換えるまで一人で魔力の供給をしなければいけないんです。つまり、シリウス様が書き換えたら、ずっと装置に縛られてしまうってことです。ですから陛下は、起きている時間はほぼ装置に魔力を注いでいらっしゃるんですよ。いやぁ、親心ですねぇ」
「父上が……」
まだ一度も会ったことがない、シリウスのお父様。
もしかしたら人族の番ということで嫌われているのかもしれないと思っていたけれど、そうではなくてずっと装置に魔力を注いでいただなんて。
皇帝が、一人で帝都を支えていた。その重圧は、どれほどのものだっただろう。
「私の一族は、魔力を注がなくても浮島が落ちないようにするにはどうするかという研究をしていました」
クロスが続ける。
「実は、この研究は極秘で、私の一族だけが許されていたんです。後継者一人だけが、歴代の研究したノートを見ることができる。私が、その後継者です」
クロスが誇らしげに言って胸を張った。
「研究の成果はどうなっている?」
「いやあ、なかなか難しいですね。なにせあれはアキテーヌの遺物ですから。そして初代竜王の遺跡でもある。粉々に壊してしまうこともできない」
そうだ。あそこには初代竜王の墓標がある。かつて、竜王になる者が墓標の前で祈りを捧げ、竜族の守護を誓った場所。
シリウスは何も言わず、ただ、窓の外を見つめていた。
浮島が、ゆっくりと落ちてくるのが見える。
このままでは、帝都に激突してしまう。
「まだ落ちないと思っていたんですけどねぇ。予想より早かった」
クロスが、まるで他人事のように言った。
「止める方法はあるのか」
シリウスが尋ねると、クロスは即答した。
「ええ、もちろん。私なら、浮島を浮上させることができます。私は、アキテーヌ研究の第一人者ですから」
「方法を言え」
「その前に、条件があります」
クロスが、シリウスを見つめた。
「さっきはいい返事をもらえなかったですけど、私を死刑にはしないでください。塔に閉じ込めるのでもいいですから、研究させてください。それに、私のノートは暗号化しているので、私しか読めません。私を殺したら、浮島を浮上させる方法は永遠に失われますよ」
その言葉に、シリウスの目が鋭くなった。
「お前は、人の命を何だと思っている」
「研究の対象です」
クロスが、あっけらかんと答えた。
その言葉に、シリウスの拳が震えた。でも、シリウスは感情を抑えて、冷静に答えた。
「分かった。お前の命は助けよう。だが、二度と外には出さない。一生、塔で研究に没頭するがいい」
「それで十分です」
クロスが満足そうに頷いた。
その言葉に、シリウスは小さくため息をついた。そして、テオを見る。
「それと、テオも正気に戻せ。アダム、こいつが余計な真似をしないように見張っていろ」
「分かりました」
拘束を解かれたクロスがテオに近づいて、ポケットから懐中時計のようなものを出した。それを目の前で揺らす。
「目覚めよ」
やがて、テオの目にゆっくりと光が戻っていく。
「それもアキテーヌの遺物か?」
「違うって言っても無駄なんでしょうね。……はあ、分かりましたよ」
さっさと渡せとばかりにアダムが出す手に、クロスは渋々懐中時計を載せる。
こんな風に暗示をかけられる物騒なものなんて、すぐに取り上げないと危険で仕方ない。
「貴重なものなんですからね。壊さないでくださいよ」
「いっそ壊した方がいいかもしれないが……」
そう呟いたシリウスに、クロスは慌てて懐中時計を取り返そうとするが、すぐにアダムに拘束されてしまった。
「……こ、ここは?」
やっと正気に戻ったテオが、困惑した様子で周囲を見回す。
「テオ、気づいたか」
シリウスが、静かに言った。
「殿下……俺は、一体……」
「お前は暗示をかけられていた。だが、もう大丈夫だ」
いたわるようなシリウスに、テオは、涙を浮かべる。
「も、申し訳ございません……私は、番様に……」
「お前のせいではない。お前も被害者だ」
シリウスが、テオの肩に手を置く。その優しさに、テオはさらに涙を流した。
シリウスは、再びクロスに向き直った。
「さあ、浮島を浮上させる方法を教えろ。時間がない」
「もちろんですとも! 実は、番様がドラゴラム帝国に来たのは、まさに運命なんですよ!」
クロスが、興奮した様子で言った。
その言葉に、私は眉をひそめる。
「どういうこと?」
「番様は、神力を持っています。その神力を直接浮島に注げば、私の計算だと、また三千年くらいは魔力を注がなくても浮いているはずです。これは、まさに神の導きですよ! アキテーヌの末裔が、アキテーヌの遺物を救う! なんて素晴らしいんでしょう!」
クロスの興奮ぶりに、私は少し引いてしまった。
でも、その言葉の意味は理解できた。
私の神力が、浮島を救うことができる。帝都を、救うことができる。
「分かったわ。やってみる」
私が決意を込めて言うと、シリウスが私を見た。その紫の瞳には、心配と、そして信頼が宿っていた。
「ティアナ、無理をするな。君の身の方が大切だ」
「でも、イグドラシルの人々を見殺しにはできないわ」
私がシリウスを見つめると、彼は少し考えてから頷いた。
「……分かった。だが、私も一緒に行く。君を一人にはしない」
「ええ」
私は、シリウスの手を握った。
この手があれば、何も怖くない。
二人で、浮島へ向かうのだ。
ドラゴラム帝国の首都イグドラシルを、救うために。




