第61話 偵察(リーラ視点)
宿に戻ると、ザックが部屋で待っていた。窓辺に立って、夜のイグドラシルの街を見下ろしている。
その背中は、いつもの気楽な雰囲気とは少し違っていた。
「ああ、来たか、リーラ」
ザックが振り向く。その琥珀色の瞳には、いつもの獣の鋭さが宿っていた。
「ただいま。あんたは、どうだった?」
リーラが尋ねると、ザックは鼻を鳴らした。
「あのお姫様がアキテーヌの魔女なんじゃないか、って話はもう街中に広がってる」
「そうだろうね。あたしが聞いた限りでも、かなり広まってる。宮殿の中も、街の中も、どこでも同じ噂が流れてる。誰が最初に言い出したのか、誰も覚えていない」
リーラが肩をすくめる。
「つまり、意図的に流されたってことだな」
ザックが結論づける。
「ああ。竜人至上主義者たちが、一斉に噂を広めたんだろう」
リーラが頷いた。
「でも、誰が黒幕なのかは、まだ分からない」
「そうか」
そう言ってザックは、少し考え込んだ。
「俺が街で聞いた限りでは、噂はもう止められないほど広がってる。市場でも、酒場でも、どこでもアキテーヌの魔女とやらの話ばかりだ」
リーラがため息をつく。
「噂ってのは、広がり始めたら止められないから、厄介だよねぇ。特に、人々が信じたいと思う噂は嬉々として広めていく」
「ああ。竜人たちは、人族の番を認めたくない。だから、魔女だという噂を信じたがってる」
ザックの声には、わずかな苛立ちが滲んでいた。
リーラは、ザックの横顔を見た。
やっぱりクリスティアナのことが気になってるんじゃないか。
そう思ったけれど、口には出さなかった。
「それで、どうするんだい?」
リーラが尋ねる。
「もう一度、街に出る」
ザックが即答した。
「これから?」
「ああ、夜の街なら、もっと口が軽くなる奴もいるだろう。酒が入れば、隠してることも喋るかもしれない」
「なるほどね。じゃあ、二人で行くか」
リーラが立ち上がる。
「ああ。お前の耳があれば、遠くの会話も聞き取れるだろう」
「あんたの鼻も役に立つしね」
リーラがニヤリと笑う。
獣人の嗅覚と聴覚。この二つを使えば、竜人たちが隠している秘密も、きっと見つけ出せるはずだ。
「行くぞ」
ザックが扉に向かう。
「待ってよ。あんた、その格好で行くつもり?」
リーラが呆れたように言った。
宮殿から戻ってきたザックは、いつもの豪華な衣装を着ている。
こんな服で街をウロウロすれば、獣王だと分からなくても、身分の高い獣人だとすぐに分かって警戒されてしまう。
「目立ちすぎる。もっと地味な格好に着替えな」
「面倒くせぇ」
ザックが不満そうに言ったが、それでも着替え始めた。
リーラも、自分の衣装を地味なものに変える。
そもそも獣人なので、それだけで二人ともイグドラシルでは目立ってしまうだろうが、獣王その人だと分かってしまうよりいい。
いざとなれば、随行の一人だと言ってごまかせるだろう。
二人は準備を終えると、宿を出た。
夜のイグドラシルは、昼間とは違う顔を見せていた。魔道具の街灯が石畳を照らし、酒場からは、笑い声と歌声が聞こえてくる。
街は、まだ眠っていなかった。
「さて、どこから行くかね」
リーラが尋ねる。
「まずは、竜人至上主義者たちが集まりそうな場所だ」
「そういう連中は、どこに集まるんだ?」
「さあね。でも、宮殿から離れた場所だろう。目立たない、静かな場所」
リーラが考えながら言った。
「なら、街の外れの酒場か」
ザックが提案する。
「いいね。行ってみよう」
二人は、街の外れへと向かった。
人通りが少なくなり、建物も古びてくる。街灯の光も少なくなり、暗闇が濃くなっていく。
やがて、古びた酒場が見えてきた。看板には、何も書かれていない。
ただ扉の向こうからはかすかに喧騒が聞こえてくるので、営業はしているのだろう。
「ここか」
「みたいだね」
二人は、酒場の扉を開けた。中には、数人の竜人たちが座っているが、皆、フードを被っていて、顔が見えない。
ザックとリーラが入ってくると、竜人たちの視線が一斉に向けられた。
警戒の色が、濃い。
「獣人か」
一人の竜人が、低く呟いた。
その瞬間、カウンターの奥から店主らしき男が現れた。彫りの深い顔に、険しい表情を浮かべている。
「獣人の客は、お断りだ」
店主が、冷たく言い放った。
「おいおい、酒を飲みに来ただけだぜ」
ザックが気軽に答える。
「ここは、お前たちのような者が来る場所じゃない。帰れ」
店主の声には、明確な拒絶が込められていた。周囲の竜人たちも、立ち上がり始める。
その雰囲気は、明らかに敵対的だった。
「分かった分かった。じゃあ、帰るよ」
リーラが肩をすくめて、ザックの腕を引いた。
「ここで騒ぎを起こしても仕方ないからね」
ザックも素直に従い、二人は酒場を出る。
扉が閉まる音が、背中に響いた。
「まあ、予想通りだね」
リーラが呟く。
「ああ。でも、収穫はあった」
「ふうん」
ザックが、鼻を鳴らした。
「あの酒場、変な匂いがした」
「変な匂い?」
「古い魔法の匂いだ。かなり微かだが、確かに感じた。あの酒場は、ただの酒場じゃない。何か、隠しているものがある」
ザックの目が、鋭く光る。
「なるほどね。じゃあ、また別の方法で探るしかないね」
「ああ。今夜は、これで引き上げるか」
そう言ったザックの耳が、ふと繁華街に戻る道で起こっている騒ぎを聞きつけた。
リーラも気が付いたのか、同じ方角を見ている。
二人は、興味本位でそちらに向かった。
人混みをかき分けて前に出ると、そこでは、一組のカップルが激しく口論していた。
若い、竜人の男性と女性だ。




