第60話 それぞれの思惑(リーラ視点)
リーラは、ドラゴラム帝国の宮殿の廊下を歩きながら、小さくため息をついた。
獣人特有の鋭い聴覚が、あちこちから漏れてくる噂話を拾い上げる。竜人たちは、人族の番のことで持ちきりだった。
面倒くさい。
本音を言えば、こんな面倒なことに関わりたくない。でも、ザックがこの事件が解決するまでは帰国しそうにないのだ。
あの馬鹿は、クリスティアナに未練があるのか、それとも単に面白がっているのか――多分両方だろう。
だから、リーラも手伝うしかない。ザックの側近として、それが仕事だから。
(まったく、あたしがいなきゃ、あいつは何もできないんだから)
リーラは心の中で毒づきながら、宮殿の中を歩き続けた。
こういう時は少しでも楽しいことを考えるしかない。
楽しみといえば、今頃、獣人国では、ガレンスがいい仕上がりになっているんじゃないだろうか。
あの筋肉馬鹿を、リーラの部下たちに預けてきた。
愛人候補だと言ってあるから、きっとしごきにしごかれているだろう。
人族にしては良い体格だったから引き取ったけれど、それで潰れるようならそれまでだ。
仕方がない。獣人国では、弱い者は淘汰される。それが自然の摂理だ。
そして、デイモンド。
あの鼻っ柱の高い元王子は、今頃どうしているだろうか。
リーラは、口元をニヤリと歪めた。
デイモンドは今、王子らしい扱いをされて、安心しきっているはずだ。
でも、それも長くは続かない。
リーラは、じっくりと時間をかけてデイモンドを愛人扱いまで落として、その鼻っ柱を折る予定だった。
プライドの高い男が、屈服していく様を見るのが、リーラの趣味だ。
あの反抗的な目が、いつか懇願する目に変わる日が来る。その日が楽しみで仕方がない。
(ふふ、いいねえ。考えただけでゾクゾクするよ)
リーラは、そんなことを思いながら、廊下の角を曲がった。
でも、今はそんなことより、仕事だ。
ザックから頼まれた調査――誰が最初に「番は魔女だ」と言い出したのか、その噂の出所を探る。
それが、リーラの今の任務だった。
リーラは、宮殿の侍女たちが集まる部屋の近くで立ち止まった。扉は少し開いていて、中から声が漏れてくる。
リーラは、獣人特有の鋭い聴覚を研ぎ澄ませて、会話を盗み聞きした。
「本当に、番様は魔女なのかしら」
「だって、そういう噂じゃない。赤い目は邪眼だって」
「でも、誰が最初に言い出したの?」
「さあ……でも、確か、最初に聞いたのは……」
侍女たちの会話が、そこで途切れた。
リーラは、眉をひそめた。誰が最初に言い出したのか、侍女たちも知らないらしい。
噂というのは、そういうものだ。
気がつけば広がっていて、誰が最初に言い出したのか、誰も覚えていない。
でも、リーラは諦めなかった。噂には必ず発信源がある。それを見つけ出すのが、リーラの仕事だ。
リーラは、侍女たちの部屋から離れて、宮殿を出た。
宮殿の中だけでは、情報が限られている。街に出れば、もっと様々な情報が手に入るはずだ。
特に、騎士たちがよく行く酒場なら、酒に酔った連中が口を滑らせるかもしれない。
リーラは、イグドラシルの街を歩いた。
白亜の建物が立ち並ぶ美しい街だが、リーラにとっては落ち着かない場所だ。あまりにも綺麗すぎて、獣人の本能が居心地の悪さを訴えてくる。
それに街の上に島が浮かんでいるなんて正気じゃない。落ちてきたらどうするつもりなんだろう。
でも、仕事だから仕方がない。
夕暮れ時、リーラは騎士たちがよく通うという酒場に入った。『竜の牙』という名前の酒場で、宮殿の騎士たちが仕事帰りによく立ち寄る場所だという。
扉を開けると、酒と料理の匂いが混ざり合った熱気が押し寄せてきた。店内は既に賑わっていて、多くの竜人たちが酒を楽しんでいる。
リーラは、カウンターに座って、酒を注文した。
「獣人国の蒸留酒を」
店主が少し驚いた顔をしたが、すぐに酒を用意してくれた。
リーラは、グラスを傾けながら、周囲の会話に耳を澄ませた。
獣人の聴覚は、人族や竜人よりもはるかに優れている。店内の喧騒の中でも、特定の会話を拾い上げることができる。
「それにしても、皇太子殿下の番は大変だな」
「ああ。毒が仕込まれていたらしいじゃないか」
「本当に、魔女なのだろうか」
騎士たちの会話が、リーラの耳に入ってきた。
リーラは、さりげなく隣に座っている騎士に話しかけた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
リーラが軽い調子で言うと、騎士が振り向いた。獣人の女性に話しかけられて、少し驚いた様子だ。
「な、何だ?」
「番様のこと、どう思う?」
リーラがストレートに聞くと、騎士は少し警戒した様子で答えた。
「それは……俺たちが口を出すことじゃない」
「まあまあ、固いこと言わないでよ。あたしは獣人国の者だから、あんたたちの内情に興味があるだけさ」
リーラが肩をすくめる。
騎士は、酒を一口飲んでから、小声で言った。
「……正直、分からない。番様は、悪い人には見えないが……」
「でも?」
「でも、魔女だという噂もある」
「その噂、誰から聞いたの?」
リーラが鋭く尋ねると、騎士は少し戸惑った。
「誰から……と言われても、気がついたら広まっていた」
「誰が最初に言い出したか、覚えてない?」
「いや……覚えていない」
騎士が首を横に振る。
リーラは、小さくため息をついた。
やはり、誰も覚えていない。でも、それが逆に不自然だとも言える。
噂が広まるには、必ず最初の発信源がある。それが分からないということは、意図的に隠されているということだ。
リーラは、酒を飲み干して、別の席に移った。そして、また別の騎士たちに話を聞く。
でも、誰もが同じように答えた。
「気がついたら、噂が広まっていた」
リーラは、少しずつ噂の流れを逆算していった。
誰が、いつ、どこで、その噂を最初に聞いたのか。
細かい情報を集めて、パズルのように組み合わせていく。
そして、ある一つの共通点に気づいた。
噂が広まり始めたのは、ある時期の後だった。
それは、竜人至上主義者たちの動きが活発になった時期と重なっている。その時期から、急速に噂が広まり始めたのだ。
(なるほどね。そういうことか)
リーラは、口元を歪めた。
誰かが、意図的に噂を流した。
竜人至上主義者たちが集まる場所で、誰かが「番は魔女だ」と言い出し、それを参加者たちが広めた。
だから、誰が最初に言い出したのか、誰も覚えていない。皆が同時に、同じ噂を広め始めたからだ。
リーラは、酒場を出た。夜の街は、ランタンの光で照らされている。
冷たい空気が、頬を撫でた。
リーラは、集めた情報を頭の中で整理しながら、宿へと戻っていった。
(さて、これをザックに報告するかね)
リーラは、小さく笑った。
まだ確証はないけれど、噂の流れは見えてきた。
あとは、ザックと一緒に街に出て、さらに情報を集める必要がある。
リーラは、夜の街を歩きながら、次の行動を考えていた。
石畳の道が、月明かりを受けて白く輝いている。
獣人の影が、その上を滑るように進んでいく。
この調査、まだまだ続きそうだ。
そう思いながら、リーラはザックは宿への道を急いだ。




