第58話 星をいだく赤
その夜、私は完成したリキュールを、二人きりで味わいたくて、シリウスを自分の部屋に招いた。
部屋の窓からは、夜空に輝く星々が見える。月明かりが、部屋を柔らかく照らしていた。
テーブルには、二つのグラスと、琥珀色に輝くリキュールの瓶を置いた。
燭台の炎が、瓶の中の液体をきらきらと輝かせている。
扉がノックされ、シリウスが入ってきた。
いつもの華やかな髪飾りは外していて、銀色の髪が肩に流れている。その姿が、いつもより柔らかく見えた。
「待たせたか?」
シリウスが優しく微笑む。
「いいえ、ちょうど今、準備が整ったところよ」
私は、少し緊張しながら答えた。
シリウスの前で、自分が作ったものを披露するのは、何度やっても緊張してしまう。
彼に喜んでもらえるだろうか、美味しいと言ってもらえるだろうかと考えてしまうのだ。
シリウスが、テーブルの前に座る。私も向かい側に座った。
「これが、竜蜜のリキュールなのか」
シリウスが、瓶を見つめる。その紫の瞳には、興味と期待が浮かんでいた。
「ええ。帝国への道中で、一緒に食べた竜蜜の飴を覚えている?」
「もちろんだ。あの時、君と一緒に食べた竜蜜の飴は、とても美味しかった」
その言葉に、胸が温かくなった。シリウスも、あの時のことを覚えていてくれたのだ。
「あの味を、リキュールにしてみたの。きっと、あなたに気に入ってもらえると思って」
私がそう言うと、シリウスの目が柔らかくなった。
「君が、私のために作ってくれたのか」
「ええ」
私は頷いた。
シリウスに喜んでもらいたくて、ただ、それだけを思って作った。
「ありがとう、クリスティアナ」
シリウスが、私の名前を優しい声音で呼ぶ。
私は、リキュールをグラスに注いだ。
琥珀色の液体が、グラスの中でゆっくりと揺れる。竜蜜の甘い香りが、ふわりと広がった。
「では、どうぞ」
私がグラスを差し出すと、シリウスは受け取って、まず香りを嗅いだ。その表情が、驚きに変わる。
「これは……素晴らしい香りだ」
「気に入ってもらえるかしら」
私が緊張しながら尋ねると、シリウスは一口、リキュールを含んだ。
しばらく、味わうように口の中で転がしてから、ゆっくりと飲み込む。
「……美味い」
シリウスが、心から感動したように言った。
「竜蜜の甘さと、蒸留酒の力強さが完璧に調和している。それでいて、まろやかで優しい味だ」
その言葉に、私は思わず笑顔になった。
「本当に? 良かった……」
「ああ。君が作ってくれたものは、いつも素晴らしい」
シリウスが、優しく微笑む。
その笑顔を見て、胸がいっぱいになった。
嬉しい。本当に、嬉しい。
シリウスに喜んでもらえて、私は心から幸せだった。
私も、自分のグラスに注いで、一口飲んだ。確かに、美味しい。でも、シリウスと一緒に飲むからこそ、もっと美味しく感じる。
こんなに穏やかで、幸せな時間があるなんて。
シリウスが、もう一口リキュールを飲んだ。
「クリスティアナ」
「何かしら?」
「このリキュールに、名前はつけたのか?」
その問いに、私は少し考えた。
「まだ、つけていないの。何かいい名前があるかしら」
シリウスは、グラスを見つめながら、少し考えた。蝋燭の光が、彼の美しい横顔を照らしている。
「星をいだく赤、というのはどうだろう」
「星をいだく赤……?」
私が聞き返すと、シリウスは頷いた。
「ああ。君の赤い髪と、アキテーヌの星。そして、私たちの絆。それを表す名前――ステラルージュ」
その名前を聞いた瞬間、私の胸が高鳴った。
星をいだく赤。ステラルージュ。
それは、まるで私のための名前のようだった。
「素敵ね……」
私が呟くと、シリウスは優しく微笑んだ。
「君が気に入ってくれて、嬉しい」
シリウスが、私の手を取る。その温もりが、心地よかった。
燭台の炎が、私たちを優しく照らしている。窓の外の星々も、まるで祝福してくれているかのように輝いていた。
「クリスティアナ」
シリウスが、私の名前を呼ぶ。
「私は、君と出会えて本当に良かった」
その言葉に、涙が出そうになった。
嬉しくて、愛おしくて。
「私も……あなたと出会えて、本当に良かった」
私が答えると、シリウスは立ち上がって、私の前にしゃがみ込んだ。そして、私の手を両手で包み込む。
「君は、私の宝物だ。どんなことがあっても、君を守る」
その紫の瞳が、真剣に私を見つめている。その眼差しに、深い愛情が込められていた。
「シリウス様……」
私が彼の名を呼ぶと、シリウスは優しく微笑んだ。
そして――。
彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
私の心臓が、激しく鼓動する。
シリウスの唇が、私の唇に触れた。
優しく、甘く、愛おしいキス。
私は、目を閉じて、その感触を味わった。
竜蜜のような、甘い甘いキス。
キスが終わって、シリウスは私の額に自分の額を寄せた。
目を閉じて、ただ、お互いの温もりを感じる。
「愛している、クリスティアナ」
「私も……愛しています、シリウス様」
その言葉を交わして、私たちはしばらくそのままでいた。
グラスの中の琥珀色のリキュールが、月明かりを受けて輝いていた。
この甘い時間が、永遠に続けばいいのに。
そう願いながら、私はシリウスの温もりを感じていた。
やがて、シリウスがゆっくりと顔を離した。
「もう、遅い時間だ。君は休まなければ」
シリウスが優しく言う。
「でも……もう少し、一緒にいたい」
私が正直に言うと、シリウスは困ったように微笑んだ。
「私もだ。でも、このリキュールの開発をするために、かなり無理をしただろう? 今日はしっかり休んでほしい」
その言葉に、私は少し寂しくなった。
でも、シリウスが私のことを心配してくれているのは嬉しい。
「分かったわ。でも、また明日ね」
「ああ、もちろんだ。明日も、明後日も、ずっと一緒だ」
シリウスが約束してくれた。
そして、もう一度、私の手にキスを落とした。
「おやすみ、クリスティアナ」
「おやすみ、シリウス様」
私が答えると、シリウスは名残惜しそうに部屋を出ていった。
扉が閉まる音が聞こえたけれど、私はその場に立ち尽くしていた。
まだ、唇に彼の温もりが残っている。
手に、彼のキスの感触が残っている。
すべてが、夢のようだった。
私は、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて、小さく叫んだ。
嬉しくて、恥ずかしくて、幸せすぎて。
どうしていいか分からない。でも、とにかく幸せだった。
私は、胸元の白銀の鱗に手を触れた。
シリウスの想いが、ここにある。
そして、私の想いも、彼に届いている。
星をいだく赤、ステラルージュ。
その名前が、胸の中で響く。
それは、私とシリウスの物語。これからずっと続いていく物語。
こんなに幸せでいいのだろうか。
こんなに愛されていいのだろうか。
そう思うと、涙が出そうになった。
シリウスと出会えて、本当に良かった。
ふと、王国での日々が脳裏をよぎる。そういえば、デイモンドやニーナは、今頃何をしているのだろう。
あんなにひどい仕打ちを受けたのに、こうして幸せに満たされている今、彼らのことを思い出すのを忘れていた。
デイモンドは、獣人国へ送られたと聞いている。ニーナは、北の修道院へ。
二人とも、きっと辛い日々を過ごしているだろう。
でも、私は彼らを憎んではいない。
あの時、婚約破棄されて前世の記憶を思い出したからこそ、今の私がある。
あの屈辱がなければ、シリウスと出会うこともなかっただろう。こうして心から愛する人と幸せになることもなかった。
だから、彼らにも幸せになってほしい。
それぞれの場所で、自分の罪と向き合って、いつか心穏やかに生きられる日が来るといい。
そう思えるほど、今の私は幸せだった。
私は幸せな気持ちで、眠りにつく。
できれば、見る夢は、シリウスと一緒にいる夢を。
そう思いながら、そっと目を閉じた。




