第48話 ザックの怒り
飲み終わったグラスをシャロンに返したザックが、不意にライオンの耳をピクリと動かし、会場の一角を鋭い目で見る。
リーラも同じように、黄色い瞳を細めていた。
何かあったのかしら?
私には何も聞こえなかったけれど、聴覚が鋭い彼らには何か聞こえたのかもしれない。
「……リーラ」
「ああ、聞こえてるよ。馬鹿な連中だね。あんたどうする?」
リーラが冷ややかに答える。彼女の声には、不快感が滲んでいた。
「黙っていられるがわけないだろ」
ザックがそう言って、グラスをテーブルに置く。
「おい」
おそらく威圧も込めたのだろう。ザックの声は驚くほどよく通った。その琥珀色の瞳には、怒りの炎が燃えていた。
「今、何て言った?」
威圧を向けられた、会場の隅にいた年配の竜人を中心とした一団が、瞬時に顔色を変える。
「あ、あの……獣王様……」
「もう一度聞く。今、何て言った?」
ザックが一歩ずつ、彼らに近づく。
竜人といっても、それほど力のあるほうではないのか、ザックの威圧に気おされて、知らず知らずに後ずさっていた。
「番が人族だから何だって? もっと相応しい相手がいただろうだと? 下等な者との婚姻が帝国の恥だと?」
低く唸るような声が、空気を裂いた。
それはまるで、猛獣が咆哮する寸前のような声だった。
黄金の髪を逆立てた筋肉の塊のような獣王が、ゆっくりと竜人たちに歩み寄る。
空気が、明らかに緊張した。
「……え? ザック様、どうして」
私は思わず声をこぼし、そして気づいた。
ザックは、あの竜人たちが陰口を叩いていたのを聞きつけて、私のために怒ってくれている。
「し、失礼いたしました……。その……決して番様のことを言っていたわけではなく、一般論でして、その……」
老人といってもいいような年齢の竜人がうろたえて言い訳を始めるが、ザックは鼻で笑った。
「名前を言わなきゃ何を言ってもいいってのか? どう聞いたってお姫様のことだろうが」
彼が一歩近づくだけで、空気が震えた。獣人の王の名は伊達ではない。
その闘気は、見せ物ではなく、本物だった。会場に集まっていた者たちが一斉に言葉を失い、視線が集中する。
「番ってのは、魂が選ぶものだろ。それを、血統がどうとか、人族がどうとか……ふざけるな」
ザックの怒声が、広間に響き渡る。誰一人、口を挟めなかった。
「あんたたちみたいな連中が、一番価値がないんだよねぇ」
ザックの隣に立ったリーラが、肩で笑った。
灰色の短髪をくしゃりとかき上げ、冷たい目で竜人たちを見る。
「竜人ってのは、もっと誇り高い種族かと思ってたんだけど。とんだ見込み違い。血ばっかり見て、心の目が節穴じゃ、笑えない冗談だよ」
正面から突き付けられた正論に、竜人たちは慌てて頭を下げた。
「ご無礼を……獣王様、そして……獣人の方……誠に……」
けれど、その謝罪が許される空気ではなかった。
今度は、誰よりも静かに、けれど確実に怒りを抱いた声が、広間を包んだ。
「ザック、リーラ」
ゆっくりと歩み出たシリウスの声は淡々としている。
だがそれが却って彼の怒りを表していた。紫の目が、氷のように冷たく竜人たちを見据えている。その瞳孔は、縦に割れていた。
「その者たちは、私が処罰する。お前たち、今すぐこの場から立ち去れ。二度と私の前に現れるな」
「し、しかし殿下……それはあまりに……」
「聞こえなかったのか? 出て行け」
その一言で、全てが決まった。
叱責された竜人たちは、青ざめた顔で頭を下げ、足音を忍ばせながら会場を去っていった。
静けさが戻る。けれども、その沈黙は安堵ではなく、別の重さによるものだった。
私はそんなシリウスを見る。
守られたことは嬉しい。
けれど、その「守られる」立場に、自分がいなければならないことが、胸に重くのしかかる。
私は、誰かの助けなしには、ここに立てないのだろうか。
シリウスにとって、私は重荷なのではないだろうか。
胸が、ぎゅうっと締めつけられた。
誇り高き竜人たちの中で、人族である私が「番」として生きるには、覚悟だけでは足りないのかもしれない。
――それでも。
私は、逃げたくない。
この夜に、月として寄り添うと決めたから。
この手を差し伸べてくれた彼と、同じ空に立ちたいと、願ってしまったから。




