第49話 私だけを見つめて
会場に満ちていたざわめきが少しずつ戻りつつある中で、私はただ、シリウスの隣に立ち尽くしていた。
美しく飾られた天井のシャンデリアは、変わらず淡い光を放っている。
けれど、その光すら、ほんの少しだけ、冷たく感じられる。
私の手は、わずかに震えていた。
周囲に視線を向ければ、誰もがそれぞれの会話に戻っているけれど、目の端にはまだこちらをうかがう気配が残っている。
笑みを浮かべていても、その奥にある感情――それは、好奇心だったり、困惑だったり、あるいは……あからさまな嫌悪だったりするのかもしれない。
そっと隣にきたシャロンが、私に寄り添うようにささやいた。
「気になさらないでください、クリスティアナ様」
彼女の声は、柔らかく包み込むような慈愛に満ちていた。
「さきほどの方は、竜人至上主義なのです。血統だけを尊ぶ、もう古びた考えに縛られた人。まるで動物の交配を語るように、血筋だけを重視するのです」
どことなく棘のある言い方に、私は思わず、シャロンの横顔を見た。
「竜人の世界には、人間の国のような爵位は存在しません。その代わり、竜の血の濃さが階位に直結します。それはもう、本能のようにわかるもので……だからこそ、血を重ねて『濃く保つ』ことを良しとする考えが、いまだに根強く残っているのです」
丁寧な説明に、私はようやく理解しはじめていた。
あの年配の竜人は、ただ私個人を否定したかったわけではない。
人族であるというだけで、私の存在そのものが彼らの「理想」に背いてしまうのだ。
それが伝統であり、論理であり、根拠のある正しさ――なのだとしたら、私はどうすればよかったのだろう。
私の存在が、この帝国の秩序を乱しているのではないか。
そんな考えが、再び心に影を落としかけたけれど……。
隣にいるシリウスの手が、そっと私の手に触れた。
私は無意識にその手を握り返していた。
その温もりは、私の手から胸の奥へと伝わって、ささくれだった心をゆっくりと鎮めてくれる。
彼の紫の瞳が、私を覗き込む。
心配と、優しさと、……深い、愛情がそこにあった。
「大丈夫よ、シリウス様」
私は微笑んだ。かすかに、声が震えてしまったけれど。
「このくらいは覚悟していたから」
シリウスの手が、私の手を強く握り返す。
その仕草だけで、すべてを伝えようとしてくれているようだった。
「すまない、クリスティアナ。こんな不快な思いをさせて」
その言葉に、私の胸の奥にあった不安が少しずつ消えていくのを感じていた。
それに、味方になってくれた人たちは他にもいる。
「ザック様、リーラ様……ありがとう」
そう言った私に、ザックが面倒くさそうに鼻を鳴らし、口の端を吊り上げた。
「礼なんていらねぇよ。俺はただ、気に食わなかっただけだ」
リーラも同じように、肩をすくめる。
「そうそう。あんな連中の言葉なんて、気にする価値もないよ。あんたは、あんたらしく堂々としてればいい」
その瞳は、まっすぐで、どこまでも優しかった。
獣人の二人が、何の打算もなく、私の味方でいてくれることが、何よりも嬉しかった。
今、この広い会場の中で、私を守ってくれる人がいる。
ただ守られるだけじゃない。
それぞれの想いで、私を「仲間」だと認めてくれている。
それが、どれほど心強いことか。
ゆっくりと音楽が戻りはじめる。
緊張に包まれていた会場の空気が、再び和やかに流れ出した。
シャンデリアの光が、今度は少しだけ温かく感じられる。
優雅な旋律が、会場の空気を静かに包み込むように流れはじめた。
弦楽器の柔らかな音色が高く澄み、ピアノの低音が静かに拍を刻む。
きらめくシャンデリアの光が、音に合わせて揺れているように見えるほど――空間全体が音楽に染まっていく。
すでに何組かのカップルが、自然な流れで舞踏の輪に加わっていた。
竜人の女性たちの、エキゾチックで優雅なドレスの裾がふわりと広がり、男性たちの衣装がその間を流れるように動く。
その中心に招かれるようにして、私は不意に名前を呼ばれた。
「クリスティアナ」
その声は、音楽よりも静かで、けれどまっすぐ心に届いた。
視線を向けると、シリウスが私に手を差し伸べていた。
その瞳は、ただ私一人を映している。
「踊ってくれるか?」
彼と踊る――それはきっと、この夜の中で最も特別な瞬間になる。
これまでにあった不愉快な時間をすべて、シリウスで塗り替えられる。
「もちろん、喜んで」
手を伸ばすと、ぴたりと合わさった指先から、微かなぬくもりが伝わってきた。
会場の中央へと導かれると、人々の視線が集まっているのが分かる。
けれど、それはもう怖くなかった。むしろ、誇らしかった。
彼の手が私の腰に添えられ、もう一方の手を握ったまま、ステップを踏み始める。
旋律が緩やかに変わり、ふたりの動きが自然に音楽と調和していく。
シリウスのリードは、とても穏やかで確かなものだった。
一歩ごとに、彼の動きが私の動きとなって、私の呼吸が彼のリズムに溶けていく。
私の赤い髪と、シリウスの銀の髪が、ターンするたびにわずかに触れ合う。
「……きれいだ」
小さくささやかれた言葉が、音楽よりも甘く響いた。
心が、そっと揺れる。
「舞踏会の夜には、誰もが綺麗に見えるものよ」
そう返すと、彼はくすりと微笑んだ。
「いいや、君だから、そう思うんだ」
言葉がうまく返せなかった。
息が詰まるほどの喜びが全身を駆け巡る。
私たちは、ただ踊り続けた。
周りの視線もざわめきも、もう気にならなかった。
この一瞬は、私と彼だけのもの。
シリウスの腕の中で、私は「番」としてではなく、一人の女性として見つめられているのだと感じた。
そして、そう思えたことが、なによりも幸せだった。




