第43話 ザックとシリウスの手合わせ
「では、始めよう」
シリウスの声が、訓練場に響いた。
その瞬間――。
シリウスの姿が消えた。
いや、消えたのではない。あまりにも速く動いたから、目で追えなかっただけだ。
ザックは本能的に横に跳んだ。
次の瞬間、彼が立っていた場所に、シリウスの拳が叩き込まれた。
白い砂が、爆発したように舞い上がる。
速い!
ザックは驚きを隠せなかった。
(こいつの強さは噂以上だ。だが)
ザックの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
(だからこそ、戦い甲斐がある)
獣王としての血が、熱く滾り始めた。
「さあ、楽しませてもらうぜ、竜人の皇太子」
ザックは咆哮を上げて、シリウスに向かって突進した。
訓練場に、激しい戦いの音が響き渡った。
ザックの拳が、空気を切り裂いてシリウスの顔面に迫る。
だが、シリウスは紙一重でそれを避けた。
その動きは流れるように優雅で、まるで踊っているかのようだ。
ザックは即座に蹴りを繰り出す。獣人の脚力は、人族の比ではない。その一撃は、石柱すら砕く威力を持っている。
しかし、シリウスはその蹴りを片手で受け止めた。
「ほう。なかなかやるな」
シリウスの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「お前もな!」
ザックは受け止められた足を軸に、もう片方の足で回し蹴りを放つ。
シリウスは身を低くして避け、同時にザックの足元を払った。
ザックは空中で体をひねり、後方に跳躍する。着地と同時に、再び突進した。
拳、肘、膝――。
ザックの攻撃は、まるで嵐のように途切れることがない。一撃一撃が、殺意を込めたものだ。
いや、殺意ではない。純粋な、戦いへの渇望だ。
しかし、シリウスはそのすべてを捌いていく。
避け、受け流し、時には受け止める。その動きには、一切の無駄がない。
まるで、ザックの動きをすべて読んでいるかのようだ。
(くそ、化け物め!)
ザックは内心で叫んだ。だが、その表情は笑っている。
楽しい。
こんなに楽しい戦いは、久しぶりだ。
ザックは一度距離を取った。荒い息を吐きながら、シリウスを見る。
シリウスは、まったく息を乱していなかった。むしろ余裕すら感じられる。
「どうした? もう終わりか?」
シリウスが挑発するように言った。
「ふざけるな!」
ザックは再び突進した。
今度は、フェイントを混ぜる。
右拳を振りかぶって見せて、実際には左の肘打ちを放つ。
だが、シリウスは、そのフェイントに騙されなかった。左手でザックの肘を受け止め、そのまま投げ飛ばす。
ザックの体が、宙を舞った。
空中で体勢を立て直し、着地する。
白い砂が、足元で舞い上がった。
ザックは、シリウスを睨んだ。
強い。
本当に強い。
これが、竜化できるほどの力を持つ竜人か。
ザックの目が、さらに鋭くなった。
まだだ。まだ、本気じゃない。獣人の本当の力を、見せてやる。
ザックは、低く唸った。その声は、まるで獣のものだった。
そして。ザックが、再び咆哮した。
「ガアアアアアッ!」
その咆哮は、訓練場全体を震わせた。観客たちが、思わず身を竦める。
これは獣人が持つ特殊能力――咆哮による身体強化だ。
ザックの体から、闘気が溢れ出す。筋肉が膨張し、瞳が鋭く輝く。
速度、力、反応速度――すべてが跳ね上がる。
獣王としての本気だ。
「ほう、本気か」
シリウスが興味深そうに言った。そして、その瞳孔が縦に割れた。
竜人の本性が、表に出始める。
「では、こちらも本気を出させてもらおう」
シリウスの体から、膨大な魔力が溢れ出した。
空気が、ビリビリと震える。
観客たちが、思わず息を呑んだ。
これが――。
これが、竜人の本気か。
ザックは、思わず笑った。
最高だ。こんな相手と戦えるなんて。
本当に、最高だ。
「後悔するなよ!」
そして、ザックが動いた。
さっきまでとは、比べものにならない速さだ。
シリウスの懐に潜り込み、拳を振るう。その一撃は、空気を爆発させた。
シリウスは後ろに跳んで避けるが、その頬をかすめた風圧だけで、一筋の傷が走る。
一滴の血が、白い砂に落ちた。
「やるな」
シリウスの目が、さらに鋭くなった。
二人は、同時に動いた。
拳と拳が、正面からぶつかり合う。
ドォン、という轟音が響き渡った。
衝撃波が、周囲の砂を吹き飛ばす。
観客たちが、悲鳴を上げた。しかし、二人は止まらない。
拳、蹴り、肘、膝。
あらゆる攻撃が、光の速さで交錯する。もはや、普通の目では追えない速度だった。
訓練場には、ただ轟音だけが響き続けた。
ザックの拳が、シリウスの顔面を狙う。シリウスはそれを避け、カウンターの蹴りを放つ。
ザックは腕でガードするが、その威力に吹き飛ばされそうになる。足を踏ん張り、そのまま前進する。
渾身の右ストレート。
シリウスは左手で受け止め、同時に右の掌底をザックの胸に叩き込む。
ザックの体が、わずかに浮いた。だが、空中で体をひねり、蹴りを放つ。
シリウスは腕でガードし、後方に跳躍する。
二人は、再び対峙した。
両者とも、荒い息を吐いている。
いや、ザックだけが荒い息を吐いていた。シリウスは、まだ余裕を残している。
くそ、まだ上があるのか。
ザックは歯噛みした。
しかし、その目はまだ輝いている。
まだ終わらない。
まだ、戦える。
ザックは、もう一度咆哮した。
闘気が、さらに高まる。
限界まで、力を引き出す。
そして――。
最後の一撃。
ザックの拳と、シリウスの拳が、再び正面からぶつかり合った。
次の瞬間。
ザックの体が、後方に吹き飛ばされた。訓練場の端まで飛ばされ、壁に激突する。
ドスン、という鈍い音が響いた。
「……っ」
ザックは、壁に背中をつけたまま、ゆっくりと立ち上がった。
体中が痛い。でも、折れている骨はない。シリウスは、手加減していたのだ。
ザックは、訓練場の中央に立つシリウスを見た。
シリウスは、静かに立っていた。その姿には、一切の乱れがない。
完璧な勝利だった。
「参った」
ザックは、素直に認めた。
「お前の勝ちだ」
「獣王の力、確かに見せてもらった」
シリウスが静かに言った。
ザックは、口元に笑みを浮かべる。
負けたけれど……悔いはない。全力を出し切った。そして、シリウスの強さも確認できた。
これで十分だ。
観客たちから、大きな歓声が上がった。
ザックは、その歓声を聞きながら、ゆっくりと訓練場の中央へと歩いた。
シリウスが、手を差し伸べてくる。ザックは、その手を取った。
二人の手が、固く握り合わされる。
戦士同士の、敬意を込めた握手だった。




