第42話 獣王の戸惑い
数日後、ザックとリーラは、ドラゴラム帝国の皇太子宮に到着した。
白亜の宮殿は、獣人国の荒々しい石造りの城とはまったく異なる、優雅で神秘的な美しさを持っていた。
彫刻が施された柱、繊細な装飾、そのすべてが芸術品のようだ。
「ふうん、なかなか立派じゃないか」
リーラが感心したように言った。けれども、その黄色い瞳には、どこか落ち着かない色が浮かんでいる。
「でも、ちょっと綺麗すぎて落ち着かないね」
「俺もだ」
ザックが同意した。
獣人である彼らにとって、あまりにも完璧で美しいものは、かえって居心地が悪い。
本能が、ここは自分たちの場所ではないと告げている。
二人が宮殿の門をくぐると、すぐに案内の竜人が現れた。薄い水色の髪を持つ若い竜人で、その動きは優雅そのものだ。
「獣王ザック様、リーラ様、ようこそおいでくださいました。皇太子殿下がお待ちです」
「おう、案内してくれ」
ザックは気軽に答えた。
竜人の案内で、彼らは宮殿の奥へと進んでいく。
廊下には精緻な彫刻が施されていて、壁には美しい絵画が飾られている。床の大理石は磨き上げられていて、足音が静かに響く。
すべてが芸術品のようで、まるで美術館の中を歩いているようだ。
「やっぱり落ち着かないね」
リーラが小声で言った。
「同感だ」
ザックも同じように小声で答えた。
二人とも、獣人らしい率直さを好む。こういう装飾過多な場所は、どうにも性に合わない。
やがて、彼らは大広間に案内された。
高い天井、壁一面の窓から差し込む光、そこには――。
シリウスが待っていた。
銀色の髪に紫の瞳を持つ、絶世の美貌の竜人。その立ち姿だけで、周囲の空気が変わるような存在感を放っている。
そして、その隣には、赤い髪に赤い目を持つ、人族の女性が立っていた。
クリスティアナ・アキテーヌ。
ザックは、彼女を見た瞬間、口元に笑みを浮かべた。
ああ、やっぱり美しい。
前に会った時よりも、さらに輝いて見える。肌には艶があり、目には生気が満ちている。
きっと、この環境で幸せに暮らしているのだろう。
「ザック、よく来てくれた」
シリウスが穏やかに言った。
でも、その紫の瞳には、明らかな警戒の色が浮かんでいる。ザックが興味深そうにクリスティアナを見たのに気がついたのだろう。
(これだから、竜人ってやつはめんどくせぇ)
ザックは心の中で呟く。
竜人の本能だかなんだか知らないが、ちょっと見ただけで威嚇してくるなんて、心が狭いとしか言いようがない。
ザックに言わせれば、綺麗な花は愛でてこそさらに美しくなる。囲い込んだら枯れるだけだ。
「約束しただろう。手合わせをするって。それに、番どののお披露目パーティーにも招待してもらったしな」
そんなことを考えているなどおくびにも出さず、ザックは気軽に答えた。
「ようこそ、ザック様、リーラ様」
クリスティアナが優雅にカーテシーをした。その仕草は、以前よりも洗練されていて、アキテーヌの女王としての風格がある。
王国にいた時とは、まるで別人のようだ。
「おう、久しぶりだな、お姫様。随分と綺麗になったじゃないか」
クリスティアナは予想外のことを言われた、というようにわずかに目を見張った。
しばらく考えていたようだが、きっと社交辞令なのだろう、と結論づけたのがその表情で分かって、ザックは考えていることが分かりやすすぎだろ、と心の中で突っ込みを入れる。
「ありがとうございます」
クリスティアナの微笑みに、ザックは一瞬目を奪われる。
(へえ。いい顔で笑うようになったじゃねえか)
「さて」
シリウスが二人の間に割って入るように一歩前に出た。
その動きは自然だったが、明らかにクリスティアナを守る意図が込められている。
「手合わせは明日にしよう。今日は、ゆっくり休んでくれ」
「了解だ」
ザックは笑った。そして、クリスティアナをもう一度見た。
彼女は、シリウスの隣にぴったりと寄り添っている。まるで、守られるべき宝物のように。
その二人の間には、目に見えない絆が張り巡らされているようだった。
(竜人の番か。おもしれぇ。どれほどのものか、見せてもらおうじゃないか)
ザックは、内心でそう呟いた。
そんなザックを、リーラは呆れたように見ていた。
翌日の朝、訓練場には多くの竜人たちが集まっていた。
皇太子と獣王の手合わせという、滅多に見られない光景を一目見ようと、貴族から侍女まで、様々な身分の者たちが訓練場を囲んでいる。
訓練場は宮殿の中庭にあり、白い砂が敷き詰められた広い空間だった。
周囲には観客用の席が設けられていて、そこには既にクリスティアナやシャロン、アイリーンたちが座っている。
ザックは訓練場の中央に立ち、ゆっくりと首を回した。
骨が小気味良い音を立てる。
向かい側には、シリウスが静かに立っていた。その銀色の髪が朝日を受けて輝き、紫の瞳は静かな闘志を宿している。
いつもつけているジャラジャラとした髪飾りは、さすがに今日は外しているようだ。それだけで、いつもの優雅な印象とはガラリと変わって、戦士のような雰囲気になる。
(ああ、やっぱり強そうだ)
ザックは内心で笑った。
相手が強ければ強いほど、戦う価値がある。ゾクゾクするような闘志が、体の内側から湧いてくるようだ。
「準備はいいか?」
シリウスが静かに聞いた。
「ああ、いつでもいいぜ」
ザックが答えると、観客席から小さなざわめきが起こった。ザックは、ちらりと観客席を見た。
クリスティアナが、心配そうな顔でこちらを見ている。いや、正確には、シリウスを見ているのだ。
その赤い瞳には、不安そうな色が浮かんでいる。
番を心配する気持ちか。
ザックは少しだけ面白くないと思った。
「クリスティアナ嬢、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
獣人の鋭い聴力が、リーラの声をとらえる。
ザックの視線を受け止めたリーラがニイッと笑うのが見える。
(あいつ、おもしろがってやがる)
「どうせシリウスが勝つんだからさ」
(おい、そこは俺を応援するところじゃねえのか)
「でも、怪我をしたりしないかしら」
クリスティアナの声が揺れるのが分かった。
「あらあら、獣王様は無謀ですわねぇ。シリウス様に挑むなんて」
クリスティアナの隣にいる水色の髪の女が、優雅に扇子を広げながら言った。
「その通り。シリウス様は歴代随一の力を持つお方だ。獣王といえども、敵うはずがない」
試合の前に副官として紹介された竜人が、きっぱりと断言した。その声は、絶対的な信頼に満ちている。
けっ、見てろよ。
ザックは心の中で毒づいた。
確かにシリウスは強い。それは分かっている。
でも、戦ってみなければ、どちらが強いかなんて分からない。
それに――。
ザックは、クリスティアナをもう一度見た。
彼女は、シリウスだけを見つめている。その目には、愛する者への心配と信頼が混ざり合っていた。
ザックは鼻を鳴らした。
(気に入らねぇ。なんでか分からんが、気に入らねぇ)
ライオンの獣人であるザックには、妃が何人もいる。それこそクリスティアナよりも美しい女ばかりだ。
なのに、どうしてこんなに気になるのだろうか。




