あの頃のこと
やっとの思いで宿屋に転がり込むと、手足がかじかんで、まともに動かずにいる。宿屋の主人は深夜に突然訪れた客に対して嫌な顔一つせず、湯を沸かしてくれた。
「いやぁあ、痛い! すごく痛いのね!!」
「冷えてしまいましたからね、少しずつ慣らしていきましょう」
「セシルも浸かって、痛いから!」
「いえ、アメリア様の苦悶の表情は見物ですので」
「いじわる!」
ジルは若者達の元気のよさに辟易し、ため息をついている。アメリアはさっきまでグッタリとしていたのに、毛布に包まれてからすぐに調子を取り戻していた。もういいだろうと、ジルは部屋を出ていこうとする。
「さ、村までは送り届けてやった。後は自分たちで何とかするんだな」
「待って! ねぇ、本当に聞かないの……?」
「聞きたくないね。国同士のいざこざなんてまっぴらだ」
「お父様から、あなたは戦友だと聞いていました。あなたが挙げた功績も知っています。どうして逃げるのですか……!」
アメリアの言葉に、ジルは扉のドアノブに掛かった手を止めた。
「若い女と同じ部屋で過ごせるか」
そう言い放ち、部屋を出ていった。手足はまだ冷え切ったまま、宿屋も出ていく。もう家には帰れず、かと言って行くところもない。ひとまず暖が取れる場所へと、酒場に向かった。
もうほとんど人はおらず、広い店の中で数人ジョッキを煽っていた。麦酒を頼み、暖炉に近い適当な席に座る。程なくして、注文した酒ともう余っているからと軽食を出された。
ぼんやりと暖炉の火を眺めながら酒を煽る。一人になり、ようやくアメリアの言葉を頭の中で反芻した。王が死んだと、何度も同じ言葉が脳裏で繰り返される。
「お前らばっかり先に行きやがって。俺が残ってどうすんだよ……」
天井を仰ぎ、歯をぐっと噛みしめる。頭をテーブルに叩きつける勢いで突っ伏した。もう何も聞きたくはない。これは、自分への罰だと思えてならなかった。もう寒くはないのに、身体の震えが止まらなかった。
翌朝、呑んだくれがいるという噂を聞きつけたセシルが来た。ジルの名を呼んでも目を覚まさず、肩を何度か叩いてやっと目を覚ました。彼女の顔は侮蔑に満ちているかと思ったが、憐れみの印象の方が大きかった。
「昨晩は、お気遣いいただきありがとうございました」
セシルの誠実な言葉をよそに、大きなあくびと伸びをして、頭をかきながら言う。
「メドリードに行きたいんだったか。街道を行ったらすぐにやられる。西のアルミヤ山脈を越えるんだ」
「……険しい道のりですね」
「早く出ないと、すぐに追っ手が掛かるぞ」
「ジル様は……?」
ジョッキに残った酒を見つめ、それを一気に飲み干した。
「……親父の頼みじゃ、仕方ねえ」
ジルは立ち上がり、酒場を出る。昨晩と打って変わって、今朝は青空だった。




