第38話「お酒と甘いものって、本当に合うんですか?」
翌朝、《銀鈴の宿》の食堂で朝食を取りながら、私は昨日の《甘塩亭》で食べた《香辛果実肉》の味を思い出していた。
南共同厨房で保存食作りを手伝って千六百ゴールドを稼ぎ、昼食は支給。夜は五百五十ゴールドまでと決めていたところ、《甘塩亭》で軽麦酒、塩焼き角鶏、《香辛果実肉》、白果実酒を頼み、会計は五百二十ゴールドだったので、宿代三百を引いても七百八十ゴールド残った。
金額だけを見れば最近の中でもかなりきれいに収まった一日だったが、それ以上に印象へ残ったのは、甘い匂いがする料理だからといって甘いだけではなく、塩気や酸味、辛味が重なることで、むしろ酒に合う味になると知ったことだった。
「甘い肉は分かったんだけど」
薄パンをちぎりながら、小さく呟く。
昨日の《香辛果実肉》はおいしかったし、前の世界にも照り焼きや甘辛い肉料理はあったので、実際に口へ入れてみれば完全に知らない味だったわけではない。最初に警戒していた自分が少し恥ずかしくなるくらい白果実酒との相性もよかったのだが、それでもまだ一つだけ、私の中でどうにも納得しきれていない組み合わせがあった。
「お酒と甘いものって、本当に合うんですか?」
前の世界でも、ワインとチーズやウイスキーとチョコレートが合うという話は聞いたことがあったし、実際にそういう組み合わせを楽しむ人もいた。
けれど私自身は、居酒屋へ行けば塩辛いもの、脂っこいもの、焼いた肉や魚、揚げ物や煮込みを頼むことの方が多かった。飲んだあとに甘いものを食べることはあっても、酒を飲みながら積極的に菓子を食べる習慣はほとんどない。
「別々でよくない?」
朝食の白酪を塗ったパンは普通においしいが、これと麦酒を合わせたいかと言われたら、やはり少し違う気がする。
ただ、昨日は知らない味を名前や匂いだけで決めつけないと考えたばかりなのだから、甘いものと酒についても、食べる前から否定するのは筋が通らない。
わざわざ甘味専門の店を探すほどではないので、今日は普通に仕事をして、夜に入った店でそういう料理を見つけたら、そのとき考えてみるくらいにしようと思いながら朝食を終えた。
外へ出ると、昨日より風は弱かった。
空には薄い雲が広がっているものの、雨が降りそうな重さはなく、通りには市場へ向かう荷車がゆっくり進んでいる。ここ数日の仕事は食材関係が続いていたので、今日は少し違う仕事をしたい気分だった。
冒険者ギルドへ着き、依頼板を見る。
《西工房街・陶器箱詰め補助 報酬千四百ゴールド》
《北商業区・帳票運搬 報酬千二百ゴールド》
《南外壁・補修材運搬 報酬千七百ゴールド》
《中央市場・菓子材料搬入 報酬千五百ゴールド》
《東水路・苔除去 報酬千三百ゴールド》
「……菓子材料」
思わず目が止まる。
別の仕事をしたいと思っていた直後なのに、よりによって菓子だった。
《中央市場・菓子材料搬入》
《報酬千五百ゴールド》
《半日予定》
《内容:穀粉、乾果実、樹蜜壺、乳脂箱の搬入および倉庫整理》
《重量物あり》
《割れ物注意》
《昼食なし》
「いや、別に菓子作る仕事じゃないし」
単なる荷運びなら昨日までの共同厨房とは違うし、半日で千五百ゴールドなら条件も悪くない。私は依頼票を外して受付へ持っていった。
今日の受付は、四十代くらいの男性だった。髪はかなり短く、左のこめかみに小さな傷があり、受付台の横には湯気の立つ茶が置かれている。
「中央市場の菓子材料ですね」
「はい」
「樹蜜壺は落とさないように。割れると床が大変なことになります」
「弁償よりそっち?」
「弁償もあります」
「いくらくらいです?」
「壺と中身で一つ百八十前後」
「結構する」
「乳脂箱は溶かさないこと。日向へ置かず、倉庫の奥へ」
「了解です」
「あと、店先の商品は勝手に食べないように」
「またその注意あるんですか?」
「この依頼、菓子屋なので」
「前にもいた?」
「いました」
「確認ですって?」
受付の男性が少し笑う。
「似たようなこと言ってました」
「どこにでもいるなぁ」
手続きを終え、中央市場へ向かう。
目的地は市場の南寄りにある《白房菓子商会》という卸兼製造店だった。
店先には小さな焼き菓子が並んでいるが、依頼の作業場所はその裏にある倉庫らしい。裏口へ回ると大きな荷車が二台止まっており、袋や箱、壺が大量に積まれていた。
「ギルドの人?」
声をかけてきたのは、五十代くらいの男性だった。
名前はロッシュ。薄い灰色の髪を後ろへ撫でつけ、腹の辺りまである白い前掛けを着けている。右手には小さな帳面を持っていた。
「ミサキです」
「ロッシュ。今日はこの二台を全部中へ入れてもらう。種類ごとに置き場所違うから、勝手に積まないでくれ」
「分かりました」
「穀粉は左、乾果実は奥右、樹蜜は棚下、乳脂は地下」
「地下?」
「涼しいから」
「なるほど」
一台目の荷車には、大きな穀粉袋が積まれていた。
「重いです?」
「持てば分かる」
「最近本当にそればっかり」
ロッシュが笑う。
「何?」
「いろんな仕事先で言われます」
「じゃあ今日も覚えて帰れ」
持ってみると、確かに重かった。
飼料袋ほど詰まってはいないものの、一袋を胸の前へ抱えると腕へずっしり重さがかかる。袋には《白麦粉》《黄麦粉》《黒殻粉》と札が付けられていた。
「菓子で黒殻粉も使うんですね」
「使うよ。香ばしい焼き菓子になる」
「甘い菓子に?」
「甘くない菓子にも」
「菓子って全部甘いわけじゃないんだ」
「何を今さら」
甘い菓子の材料ばかりだと思っていたのに、仕事を始めて早々、《菓子は全部甘い》という思い込みを一つ外されることになった。
穀粉袋を倉庫左側へ積んだあと、乾果実の木箱を運ぶ。
箱を開けると、赤、紫、黄色といろいろな色の干した実が並んでいた。
「これ全部菓子用?」
「菓子にも酒にも料理にも使う」
「酒にも?」
「漬ける」
「果実酒?」
「それもあるし、蒸留酒に香り付けることもある」
「へぇ」
ロッシュは赤い乾果実を一つつまんで見せる。
「これは《灯実》。甘いけど皮が少し苦い」
「そのまま食べるんです?」
「刻んで焼き菓子か、酒煮」
「酒で煮る?」
「菓子に入れるならな」
「もう酒出てきた」
「菓子と酒なんて昔から一緒だろ」
「そうなんです?」
私が聞くと、ロッシュは少し不思議そうな顔をした。
「果実を酒で煮る、酒粕を焼く、甘い乳脂菓子に強い酒を添える。普通だろ」
「私の普通とは違うなぁ」
「どこの生まれだ?」
「遠いところです」
「遠いところは菓子食いながら飲まないのか」
「飲む人はいましたけど、私はあまり」
「じゃあ今日覚えるかもな」
「何を?」
「菓子は甘いだけじゃないってことを」
昨日と似た話になっている気がする。
午前中の前半は穀粉と乾果実を運び、その次に樹蜜壺へ移った。
丸い陶器壺は見た目以上に重いうえ、中身の樹蜜が歩くたびに揺れるため、普通の木箱よりずっと運びにくかった。
「これ一人で二個持つなよ」
ロッシュが言う。
「持てそうですけど」
「持てるかどうかじゃなくて、ぶつけると両方割れる」
「一個ずつですね」
「そう」
昨日までなら「一度に多く運んだ方が得」と考える話につながりそうだが、今日は単純に壺が高いので慎重になる。
同じ作業をしていた若い男性が、隣で一つずつ壺を運んでいる。
二十代半ばくらいで、茶色い髪を短く刈り、鼻の上に細かなそばかすがある。名前はユノ。
「前、一回二個やったやつがいた」
「割った?」
「一個ぶつけて、驚いてもう一個落とした」
「最悪の連鎖」
「床も靴も全部べたべた」
「掃除大変そう」
「三日くらい甘い匂い残った」
「それはちょっと嫌だな」
「最初はいいんだよ。二日目から気持ち悪くなる」
「昨日一日甘い匂いで結構満足しました」
「なら分かるだろ」
樹蜜壺を全部棚下へ入れたあとは、最後に乳脂箱を地下へ運ぶ。
箱自体はそこまで重くないが、中には白い固形乳脂が陶器容器に詰められている。
「乳脂って菓子にかなり使うんですね」
「使う。焼き菓子、練り菓子、蜜菓子」
「酒のつまみにも?」
「塩入れればな」
「何でも塩入れれば酒に合うみたいに言う」
「大体合う」
「本当かなぁ」
ロッシュが笑った。
地下倉庫は確かに涼しく、石壁に触るとひんやりしている。奥にはすでに乳脂の箱だけでなく、細長い酒瓶まで置かれていた。
「ここ酒もあるんですね」
「菓子用」
「料理酒みたいなもの?」
「香り付け用が多い。火蜜酒、果実酒、樽香酒」
「火蜜酒まで?」
「少量入れると香り出る」
「強いやつですよね、それ」
「飲む量を入れるわけじゃない」
以前飲んだ強い火蜜酒を思い出すと、あれを菓子へ入れるというのは少し想像しづらかった。
「甘いものに強い酒かぁ」
「苦手?」
「まだ分からないです」
「なら分からないままでいいだろ」
「え?」
「食う前から嫌う必要もないし、無理に好きになる必要もない」
「それはそうですね」
「菓子なんて嗜好品だ。好きなら食えばいい」
「酒も似たようなものです」
「じゃあ相性いいな」
「理屈が強引」
ロッシュは楽しそうに笑った。
午前の作業が一段落したところで、荷車の荷はほぼ片づいた。
半日予定なので、残っているのは棚の整理と空箱の回収くらいだった。
「休憩入れ」
ロッシュに言われ、裏口横の長椅子へ座る。
昼食支給はないので、水だけ飲んでいると、隣へユノも腰を下ろした。
「腹減りましたね」
「俺はあとで店の余り食う」
「働いてる人の特権だ」
「毎日だと飽きるぞ」
「甘いものでも?」
「甘いから飽きる」
「やっぱり?」
「朝から晩まで匂い嗅いでるからな」
ユノは水を飲んでから、少し遠くを見る。
「俺、ここ入る前は菓子好きだったんだけど」
「今は嫌い?」
「嫌いじゃない。ただ、毎日欲しいとは思わなくなった」
「仕事にすると変わるんだ」
「でも酒飲むと、たまに食いたくなる」
「何で?」
「甘いの一口入れると、強い酒の苦さが変わるから」
「やっぱり酒と甘いもの合わせるんだ」
「普通にやるよ」
「どんな酒?」
「俺は樽香酒」
「甘い?」
「むしろ辛い」
「甘い菓子と辛い酒?」
「食えば分かる」
「最近そればっかり言われるなぁ」
休憩が終わると、午後はロッシュが言っていた通り、ほとんど棚札と在庫を相手にする作業になった。
穀粉や乾果実は同じような袋や箱が多く、札を見ないと取り違えやすい。《灯実》と《赤蜜実乾燥片》も見た目はかなり似ている。
「間違えるとそんな変わります?」
私が聞くと、ロッシュが即答した。
「変わる。灯実は苦みあるから量多いと菓子が苦くなるし、赤蜜実は酸味強い」
「甘い材料にも個性あるんですね」
「甘いで全部まとめるな」
「昨日も似たこと言われました」
「学習途中か」
「かなり途中です」
棚整理を終え、空箱と麻袋を裏口へまとめたところで仕事は終了した。
ロッシュが完了票に印を押す。
「これでいい。助かった」
「思ったより菓子そのもの触らなかった」
「材料運ぶ依頼だからな」
「それはそう」
「食いたかった?」
「少し」
「じゃあこれやる」
ロッシュが小さな包みを一つ差し出した。
「え?」
「割れた焼き菓子。売り物にならない端」
「もらっていいんです?」
「一個だけ。昼飯代わりにでもしろ」
「ありがとうございます」
包みを開くと、手のひら半分ほどの茶色い焼き菓子が入っていた。
表面には細かな黒い粒があり、端が欠けている。
「何味です?」
「《黒殻蜜焼き》。黒殻粉、樹蜜、乳脂、塩少し」
「塩入ってる」
「甘いだけじゃないって言ったろ」
「ここでもか」
店を出たあと、市場近くの水場へ移動して食べる。
一口かじると最初は樹蜜の甘さが来るが、そのあと黒殻粉の香ばしさとわずかな苦味があり、最後に塩が味を締めた。
「これなら酒に合うかも」
まだ酒はないのに、少しだけ分かる気がする。
甘いだけの菓子ではなく、香ばしさと塩気がある。前の世界なら塩キャラメルや、塩を利かせたクッキーに近い感覚だろうか。
結局、焼き菓子一つでは昼食として足りず、屋台で豆入りの焼き薄パンを九十ゴールドで買ったので、菓子は昼飯というより仕事終わりのおまけになった。
ギルドへ戻り、報酬千五百ゴールドを受け取る。
昼食九十、宿代三百を引けば千百十ゴールド残る。今日は夜予算を五百五十にするつもりだったので、全部使ったとしても五百六十は残せる。
「昨日よりちょっと少ないけど十分」
財布へ報酬をしまう。
一度《銀鈴の宿》へ戻って休み、夕方になってから街へ出た。
今日の仕事は半日だったので疲れは軽く、腕に少し荷運びの張りがある程度で腹も普通に減っている。
「今日は普通にしょっぱいもの食べようかな」
朝から甘いものと酒について考え、仕事でも菓子材料を運び、昼には焼き菓子まで食べたので、夜は肉か魚で落ち着きたい。
ただし、もし酒と甘いものを合わせる店があったら、一度くらい試してみてもいい。
その程度の気持ちで中央市場から北西へ歩いた。
一軒目は串焼き中心でかなり混んでおり、二軒目は煮込みの匂いがよかったものの酒が少し高く、三軒目は店先に大きな菓子皿が並んでいたので思わず足を止めた。
「まさかね」
看板を見る。
《蜜杯屋》
「……完全にそれじゃん」
看板には、小さな酒杯と丸い焼き菓子が並んで描かれている。
入口の品書きを確認する。
《軽麦酒 九十ゴールド》
《樽香酒 百四十ゴールド》
《薄赤果実酒 百三十ゴールド》
《火蜜酒 百六十ゴールド》
《塩乳脂焼き 九十ゴールド》
《灯実蜜焼き 百ゴールド》
《黒殻菓子 八十ゴールド》
《乳脂蜜包み 百二十ゴールド》
《燻し肉薄切り 百三十ゴールド》
《塩豆 六十ゴールド》
《酒香果実煮 百十ゴールド》
「本当に甘いもの多いな」
ただ、肉も豆もあるので甘味専門というわけではなく、甘い料理と酒を合わせることを売りにしている店らしい。朝から考えていたことを試すには、これ以上分かりやすい店もなさそうだった。
「入るか」
店内は思ったより静かだった。
カウンターが九席あり、奥には二人掛けの小さな卓が五つほど並んでいる。照明は少し暗めで、壁には果実を干している絵や酒樽の絵が掛かっていた。
「いらっしゃい」
店主は四十代前半くらいの女性だった。
名前はリシェ。淡い栗色の髪を肩の下で一つにまとめ、濃紺の上着に白い前掛けを着けている。声は静かだが、目はよく客を見ている感じがした。
「一人です」
「どうぞ。初めて?」
「分かります?」
「看板見て少し悩んでたから」
「見られてた」
「甘いもの苦手?」
「嫌いじゃないです。でも酒と一緒っていうのが、まだよく分からなくて」
「じゃあ試してみる?」
「おすすめあります?」
リシェは少し考え、品書きを指す。
「軽いところなら《樽香酒》と《黒殻菓子》」
「いきなり酒強そう」
「樽香酒は強くない。香りが濃いだけ」
「甘い?」
「酒は甘くない。菓子は甘さ控えめ」
「それならいけそう」
「あと腹減ってるなら燻し肉も付けた方がいい」
「それは安心する」
今日の夜予算は五百五十ゴールドで、樽香酒百四十、黒殻菓子八十、燻し肉薄切り百三十なら合計三百五十となり、まだ二百残る。
「じゃあ、その三つお願いします」
「はい」
最初に出てきたのは樽香酒だった。
色は濃い琥珀色で、量は麦酒より少ない。
香りを嗅ぐと、乾いた木と少し甘い果実のような匂いがある。
一口飲む。
「思ったより飲みやすい」
「樽で寝かせてるけど度数は高くないよ」
リシェが答える。
最初は軽い酸味があり、そのあとに麦の甘みと木の香りが残る。苦味は弱く、余韻だけが長い。
次に燻し肉が出てきた。
薄く切られた赤角豚らしい肉で、脂は少なめ。塩気がかなりしっかりしており、表面に黒い香辛料が振られている。
「これは安心する味」
「甘いの来る前に逃げ道作った?」
「ばれました?」
「分かりやすい」
燻し肉を一枚食べて樽香酒を飲むと、肉の煙の香りと酒の樽香が似た方向に重なって、口の中へ同じ香ばしさが続く。これは考えなくても分かるくらい、素直に相性がよかった。
そこへ《黒殻菓子》が運ばれてきた。
小さな四角い焼き菓子が四切れ並び、表面は濃い茶色で黒い粒が散っている。
「今日昼にも似たの食べました」
「どこの?」
「《白房菓子商会》の端菓子」
「じゃあ仕入れ元同じかもね」
「本当に?」
「黒殻粉はあそこから取ってる」
「また昼と夜つながった」
私は一切れ持ち上げる。
香りは香ばしく、樹蜜らしい甘い匂いは弱い。
「これを酒と?」
「まず菓子だけ食べてみて」
口へ入れる。
昼に食べたものより少し固く、表面がさくっとしている。甘さは控えめで、黒殻粉の香ばしさと苦味が強く、最後にほんの少し塩気が残った。
「思ったより甘くない」
「酒用だから」
「酒用の菓子ってちゃんとあるんだ」
「あるよ」
「じゃあ次は酒?」
「そう」
口の中にまだ菓子の香ばしさが残っている状態で、樽香酒を飲む。
「……あ」
さっき単独で飲んだときより、酒が甘く感じた。
「味変わった」
「菓子の塩と苦味があるからね」
「酒が甘くなった感じする」
「逆にもう一回菓子食べてみて」
一切れ食べると、今度は菓子の甘さがさっきより少しはっきりした。
「こっちも変わる」
「合わせるって、片方が片方を引き立てるだけじゃないから」
「両方変わるんだ」
「そういう組み合わせもある」
私はもう一度、菓子と酒を交互に口へ運ぶ。
確かに合うのだが、前の世界で私が勝手に想像していた「甘いケーキを食べながらビールを飲む」ような組み合わせとは全然違った。
甘さ控えめの焼き菓子に香ばしさと塩気を持たせ、そこへ樽香のある酒を合わせることで、菓子と酒の両方が少しずつ違う味へ変わっている。
「これなら分かる」
「何が?」
「甘いものと酒」
「今まで嫌だった?」
「嫌というより、別々でよくない?って思ってました」
「別々でもいいよ」
「そこは否定しないんですね」
「好きなように飲めばいいから」
「強い」
「ただ、合わせると違う味になるってだけ」
「なるほど」
隣の席から声がした。
「甘いものは食後って決めてる人、多いよね」
見ると、五十代くらいの男性が座っていた。
髪は短く、かなり白いものが混じっている。濃い茶色の上着を着ており、指先には黒っぽい染みがあった。
「仕事で?」
私が聞く。
「染み?」
「これ? インク」
男性は笑う。
名前はセド。帳簿や契約書を扱う代書人らしい。
「甘いもの好きなんです?」
「好き。酒も好き」
「最高ですね」
「でも若い頃は一緒に食べなかった」
「私と同じだ」
「酒は塩気、甘いものは茶って決めてた」
「分かります」
「ある日ここで食って、別に分ける必要ないって気づいた」
「やっぱりそういうものなんだ」
セドの前には、薄赤果実酒と《乳脂蜜包み》が置かれている。
「それ甘そう」
「甘いよ」
「酒も果実酒ですよね?」
「でも酒は酸っぱい」
「なるほど」
「甘いものに甘い酒合わせるだけじゃないんだよ」
リシェが頷く。
「甘さと酸味、甘さと苦味、甘さと香り。何を合わせたいかで変える」
「料理と同じですね」
「菓子も料理だからね」
「確かに」
考えてみれば、私は甘いものだけを別の箱へ入れていたのかもしれない。肉や魚なら塩気や酸味、香草、酒との相性まで考えるのに、菓子となると「甘いかどうか」だけで見ていたのだから、昨日、甘い香りがする《香辛果実肉》を警戒したのとほとんど同じだった。
「また決めつけてたなぁ」
「何を?」
セドが聞く。
「甘いものは酒と別って」
「別でもいいだろ」
「店主と同じこと言う」
「正解一つじゃないからな」
「大人だ」
「五十過ぎてるからな」
「そういう意味じゃないです」
黒殻菓子をもう一切れ食べる。
四切れしかないので量としては小さいが、樽香酒と交互に食べると一切れずつゆっくり味わうことになるので、不思議と物足りなさはなかった。燻し肉も残っており、甘い菓子、しょっぱい肉、香りのある酒を順番に口へ入れると、それぞれの味が一度戻ってくるようで面白い。
「これ、ずっと食べられそうで危ない」
リシェが笑う。
「だから小皿」
「量少ないと思ったけど、これでいいのか」
「甘いものは腹より口が満足することあるから」
「分かる気がする」
最初の注文は三百五十ゴールドで、夜予算五百五十からはあと二百使える。
品書きを見る。
《灯実蜜焼き 百》
《乳脂蜜包み 百二十》
《酒香果実煮 百十》
《塩豆 六十》
朝から気になっていた「酒と甘いもの」は、黒殻菓子でかなり納得できた。もう一種類試すなら、どうせなら今まで食べたことのないものがいい。
「酒香果実煮って何です?」
「乾燥果実を酒と蜜で戻して煮たもの」
「酒を使った甘い料理?」
「そう。今日は《灯実》」
「昼に見ました」
「白房?」
「はい」
「本当に同じ流れで来てるね」
「私もびっくりしてます」
「頼む?」
百十ゴールドを追加しても四百六十で、夜予算からはまだ九十残る。
「お願いします」
「はい」
予定外の一品として出てきた《酒香果実煮》は、小さな白い器に赤茶色の果実が四つ入っていた。
表面には薄く蜜がかかっている。
香りを嗅ぐと、甘い果実の奥に樽香酒とは違う、少し強い酒の匂いがあった。
「何の酒です?」
「火蜜酒」
「強いやつだ」
「煮てるから酒気は少し飛んでる」
「少し?」
「少し」
「そこ強調しないんだ」
一個食べると、乾燥果実だったとは思えないほど柔らかく、中には水分がしっかり戻っていた。噛むと濃い甘酸っぱさが広がり、そのあと火蜜酒独特の熱いような香りが鼻へ抜けていく。
「これ、菓子なのに酒感強い」
「火蜜使ってるからね」
「でも嫌じゃない」
むしろ果実の甘さが強いぶん、火蜜酒の刺激がちょうどよかった。昼に見た《灯実》は皮に苦味があると聞いたが、その苦味も少し残っており、全体が甘くなりすぎない。
「前の世界だと、ラム酒漬けのレーズンとか近いかも」
「何それ?」
「乾燥果実を強い酒に漬けるやつです」
「あるんじゃん」
「ありますね」
「遠いところも同じこと考えるな」
「本当に」
セドが横から笑う。
「結局、嫌いだったんじゃなくて知らなかっただけか」
「今その結論に行きそうです」
「何でもそれだな」
「最近ずっとそうなんです」
ただ、全部の甘いものを酒と合わせたいかと言われれば、それは違う。朝に食べる白酪パンへ火蜜酒を合わせたいとは思わないし、甘い菓子を食べるなら茶がいい日もあるので、「甘いものと酒は合わない」と最初から一つに決めていたのは、自分の経験が少なかっただけらしい。
樽香酒を飲み切り、残った酒香果実煮も食べる。
会計は樽香酒百四十、黒殻菓子八十、燻し肉薄切り百三十、酒香果実煮百十で、合計四百六十ゴールドだった。
「四百六十ね」
「はい」
夜予算五百五十から九十残った。
もう一杯軽麦酒を頼めば五百五十ぴったりだったが、今は酒も料理も十分だった。
「軽麦ならちょうど予算なんだけどな」
思わず言うと、リシェがこちらを見る。
「飲みたい?」
「いや、数字がきれいだなと思っただけです」
「じゃあやめときな」
「ですよね」
少し前なら、予算ぴったりという理由だけで頼んでいたかもしれないが、今日は黒殻菓子と樽香酒の組み合わせも、火蜜酒で煮た灯実も試せたのだから、朝から気になっていたことはもう十分確かめられている。
「今日はここで終わりにします」
「ありがとう」
セドが杯を上げる。
「甘いものと酒、どうだった?」
「合うものは合う、ですね」
「無難な答えだな」
「でも、それが一番正しい気がする」
「まあな」
私は会計を払い、席を立った。
今日の稼ぎは千五百ゴールドで、昼食に九十、宿代三百、夜に四百六十使ったので、差し引きで六百五十ゴールド残る。昨日の七百八十より少ないが、それでも十分に残っており、何より朝から引っかかっていた疑問を一つ自分で確かめることができた。
店を出ると、夜風が少し冷たかった。
中央市場から少し外れた通りは人が減り、店じまいを始める音が遠くで響いている。
私は歩きながら、今日の《黒殻菓子》と樽香酒を思い出した。
菓子だけなら甘さ控えめで香ばしい焼き菓子、酒だけなら木の香りが残る軽い樽香酒なのに、一緒になると菓子の塩気と苦味で酒の甘みが強く感じられ、酒の香りによって菓子の甘さまで少しはっきりする。
どちらか片方が主役で、もう片方がただ添えられているわけではないらしい。
朝に「お酒と甘いものって、本当に合うんですか?」と疑っていた自分を思い出して少し笑いながら考えてみると、答えは、全部が合うわけではないけれど、合わせることを考えて作られたものならちゃんと合う、ということなのだろう。
考えてみれば当たり前かもしれない。
魚なら何でも白果実酒に合うわけではないし、肉なら何でも麦酒が正解というわけでもない。甘いものだけを特別扱いして、「酒とは別」と決めていた方がおかしかったのだろう。
前の世界でも、チョコレートとウイスキー、ドライフルーツとワインという組み合わせを聞いたことはあった。その頃の私は、わざわざ酒を飲むなら焼き鳥や唐揚げの方がいいと思っていたし、今でも多分、普段ならそちらを選ぶ。
けれど、普段自分が選ばないことと、その組み合わせ自体が合わないと決めつけることは別で、今日はその違いを一つ知ることができた。
甘いものが欲しい夜には甘いものを頼めばいいし、しょっぱい肉が欲しい夜には肉を頼めばいい。そのうえで酒を合わせれば、今まで知らなかった味に出会えることもある。
「毎日じゃなくていいけど、たまにならありだな」
それくらいが、自分にはちょうどいい。
財布には予定より九十ゴールド多く残り、腹も満たされている。
私は火蜜酒の香りが残った甘酸っぱい《灯実》の味を思い出しながら、今日は肉より菓子の方を思い出している自分が少しおかしくて、静かなリーベルの夜道を笑いながら歩いていった。




