第28話「白い煮込みなら、クリーム味だと思うじゃない」
朝、《銀鈴の宿》の食堂へ下りると、昨日まで続いていた雨はきれいに上がっていた。
窓の外にはまだ濡れた石畳が光っているものの、屋根を叩く音はなく、通りを歩く人たちも今日は外套の襟を閉じていない。昨日は南倉庫区の雨漏りで荷物を移し、冷えた身体のまま《雨鍋》へ入り、温麦酒と《根菜と白豆の雨煮》を食べたので、朝になっても乳白色の汁と湯気をなんとなく思い出していた。
今日の朝食は黒パン、薄い豆の煮込み、それから茹でた白い根菜だった。
豆の煮込みを口へ運びながら、昨日食べた《雨煮》の白っぽい汁について考える。
最初に見たときは乳を使った煮込みだと思ったが、実際には《白実乳》という木の実から取る白い液体が少し入っていた。前の世界なら豆乳やナッツミルクに近いものなのかもしれないが、味はもっと淡く、濃厚なクリームとはかなり違っていた。
「白いからって、牛乳とは限らないんだよなぁ」
こちらでは山羊乳もあれば、木の実から取る白実乳もあり、料理に使う白い液体が一種類ではない。少しずつ分かってきたつもりでも、見た目から前の世界の料理へ当てはめてしまう癖はなかなか抜けなかった。
昨日は千三百ゴールドを稼ぎ、昼食百二十、宿代三百、《雨鍋》で四百四十使ったので、その日の報酬から四百四十ゴールド残っている。食べたいものを食べたうえでこれだけ残ったなら悪くなく、今日は多少報酬の低い仕事を選んでも財布には余裕がありそうだった。
もっとも、そう考えた日に限って予想外の出費が起きることも覚えている。
「今日は普通に働こう」
結局いつも通りの結論になり、朝食を食べ終えると冒険者ギルドへ向かった。
雨上がりの街は昨日とまったく違って見えた。
店先では濡れた布を干している人が多く、路地では箒を持った店員が泥を外へ掻き出している。荷車もいつもよりゆっくり進んでいて、大きな水溜まりを避けるたびに少しずつ蛇行していた。
ギルドの依頼板にも、雨上がりらしい仕事がいくつか追加されている。
《西住宅区・屋根瓦片づけ補助 報酬千三百ゴールド》
《東農道・ぬかるみ確認および杭立て 報酬千四百ゴールド》
《北市場・濡れ布乾燥場への運搬 報酬千二百ゴールド》
《南牧区・乳製品工房配送補助 報酬千五百ゴールド》
「乳製品工房……」
昨日の《白実乳》を思い出した直後なので、少し気になる。
依頼票を取って内容を見る。
《南牧区・白乳工房》
《内容:白角山羊乳、白実乳、保存用乳脂の容器運搬および納品補助》
《報酬千五百ゴールド》
《半日予定》
《注意:容器を横倒しにしないこと。白角山羊乳と白実乳の札を混同しないこと》
「ちょうどいいかも」
山羊乳と白実乳が両方出てくるなら、昨日気になった違いも少し分かるかもしれないし、報酬も千五百なら十分だった。
依頼票を持って受付へ行くと、今日対応してくれたのは二十代後半くらいの男性だった。短い黒髪をきっちり横へ撫でつけ、細い金属枠の眼鏡をかけている。
「《白乳工房》ですね」
「はい。これって昨日みたいな木の実の乳も扱うんですか?」
「白実乳ですか? 扱いますよ。白角山羊乳とは保管温度も用途も少し違います」
「見た目似てますよね」
「容器に入るとかなり似ます。なので札を見てください」
「また札」
「最近多いですか?」
「三日くらいずっと見てる気がします」
「間違えるよりいいでしょう」
「それはそうなんですけど」
受付員は少し笑いながら依頼票へ印を押した。
「工房責任者はフェルダさんです。南牧区の入口から三本目の道を右へ行くと白い石壁の建物があります」
「重い物あります?」
「乳缶は一人で運べるものと二人用があります。無理に持たないでください」
「最近それもよく言われます」
「よく言われるなら守ってください」
「はい」
最近よく言われていることだけに返す言葉もなく、私は素直に頷いた。
ギルドを出る前に、昼食用として薄麦パンに角鶏肉と酢葉を挟んだもの、それから小さな焼き豆袋を買った。合わせて百三十ゴールドで、水はいつものように宿から持ってきた。
南牧区へ向かう道は、昨日の雨でまだところどころ泥が残っていた。
以前、白角山羊の飼育場で働いたときにも通った道なので、見覚えのある柵や牧草地が増えていく。ただし今日の目的地は牧場そのものではなく、集めた乳を加工したり各店へ回したりする工房だった。
《白乳工房》は説明通り、白っぽい石壁の平屋だった。
建物の裏には荷車が二台止まり、入口横には大きさの違う金属缶と陶器壺が並んでいる。近づくと、乳の甘い匂いだけでなく、木の実を砕いたような香ばしい匂いも混ざっていた。
「ギルドから?」
入口から出てきたのは、四十代後半くらいの女性だった。
名前はフェルダ。濃い金茶色の髪を後頭部で丸くまとめ、白い上着の上から厚手の青い前掛けを着けている。腕は細く見えるが、金属缶を片手で動かす動作には慣れがあった。
「ミサキです」
「今日は運び中心ね。まず中見て」
工房へ入ると、右側に金属缶、左側に陶器壺が並んでいる。
金属缶には白い札。
陶器壺には薄茶色の札。
「白が山羊乳?」
「そう。茶が白実乳」
「容器も違うんですね」
「間違い減らすため。白実乳を山羊乳だと思って白酪仕込んだ新人がいてね」
「どうなったんです?」
「固まらなかった」
「そりゃそうか」
「逆に山羊乳を白実乳だと思って煮込み屋へ送ったこともある」
「それは?」
「店主が怒った。値段違うから」
「味じゃないんだ」
「味も違うけど、まず金だよ」
味の違いより先に値段の話が出てくるあたり、かなり現実的だった。
フェルダは作業台の上から小さな木杯を二つ取った。
「飲んでみる?」
「いいんですか?」
「違い知らないと運んでても面白くないでしょ」
「そういう理由なら喜んで」
一つ目は白角山羊乳だった。
口へ含むと、以前食べた白酪にもつながる独特の乳の香りがあり、脂もそれなりに感じる。前の世界の牛乳より少し草っぽい香りがあるが、慣れてしまえばむしろ甘みの方が強く感じられた。
二つ目の白実乳は、見た目こそよく似ているが、香りから違っていた。
「こっち、木の実っぽい」
「材料が木の実だからね」
「当たり前でした」
口へ含むと、山羊乳よりさらさらしていて脂の重さはかなり弱く、その代わり噛んでいないのに炒った木の実のような香ばしさがあり、最後に少しだけ渋みが残った。
「昨日、煮込みに入ってました」
「白実乳?」
「はい。《雨煮》ってやつ」
「汁物に合うよ。山羊乳より軽いから」
「白い煮込みでも全然違うんですね」
「材料違うんだから違うよ」
「分かってるんですけど、見た目でつい」
「なら今日は覚えて帰りな」
今日の仕事が始まった。
最初は金属缶六本を、工房の奥から荷車へ積む作業だった。
一人用の小さい缶でも中身が入るとかなり重く、持ち手を両手で掴んで身体へ寄せて運ぶ。二本目までは問題なかったが、三本目を持ったところで、以前より自分が重さへ慣れてきたことに気づいた。
以前なら一度に二本持てるか試したかもしれないが、最近は無理をして仕事を増やす方が面倒だと分かってきたので、一個ずつ確実に運ぶことにした。
「一個ずつでいいからね」
フェルダが言う。
「最近、持てるからって多く持つなって何回も言われてるので」
「いい教育されてるじゃない」
「身体で覚えてます」
「身体壊す前に覚えたなら上出来」
荷車の前では、もう一人の作業員が受け取った缶を固定していた。
名前はタス。三十代前半くらいの男性で、短い淡茶色の髪に、顎へ少しだけ無精髭がある。腰には太い布帯を巻き、缶同士がぶつからないよう間へ藁を挟んでいた。
「その白札はこっち」
「山羊乳ですよね」
「そう。茶札は次の荷車」
「一緒に積まない?」
「行き先違う」
「どこへ?」
「山羊乳は白酪工房と菓子屋。白実乳は煮込み屋、パン屋、酒場」
「酒場でも使うんだ」
「汁物とか甘い酒とか。店による」
「気になるなぁ」
「仕事終わってからな」
「顔に出てました?」
「かなり」
言われてしまった。
午前の前半は、工房から荷車へ積み込むだけでなく、近くの牧場から届いた山羊乳を受け取る仕事もあった。
乳缶の蓋を確認し、札をつけ、搬入数を帳面へ記録する。
一方で白実乳は工房の裏にある加工室で作られていた。
休憩前、フェルダに呼ばれてその部屋へ入ると、大きな木桶の中に砕いた白い木の実が入っている。そこへぬるい水を加え、長い棒で混ぜたあと、厚い布を使って搾るらしい。
「これが《白実》?」
「そう」
一粒見せてもらう。
大きさは前の世界の胡桃より少し小さく、外皮を剥いた中身は白っぽい。指で押すと硬いが、爪を立てるとわずかに油がにじんだ。
「結構脂あるんですね」
「あるよ。でも水で伸ばして使うから乳にすると軽い」
「そのまま食べられる?」
「煎れば食べられる。生だと少し渋い」
「酒のつまみになりそう」
「何でも酒につなげるね」
「最近よく言われます」
作業員が布袋を絞ると、白い液体が桶へ流れ落ちた。
見た目だけなら確かに乳そのものだった。
「これ、前の世界でも似たのあったなぁ」
「前の世界?」
「故郷です。木の実とか豆から白い飲み物作ることがあって」
「じゃあ珍しくないじゃない」
「でもこっちのは味違います」
「そりゃ実が違えば違うでしょ」
「みんな正論しか言わない」
午前中の積み込みが一段落したところで、昼休憩になった。
工房の裏手にある軒下へ座り、薄麦パンの角鶏肉と酢葉挟みを出す。雨はもう降っていないが、地面が濡れているので風は少し冷たかった。
隣にはタスが座り、木箱から自分の昼食を出した。
平たいパンと、白い汁の入った蓋付き木椀だった。
「それ何です?」
「白実乳の豆煮」
「今日それ持ってくるんだ」
「昨日の残り」
「味見していい?」
「自分の昼飯あるだろ」
「一口だけ」
「図々しいな」
言いながらも、タスは小さな木匙へ少しだけすくってくれた。
「ありがとうございます」
「感想言えよ」
白い汁の中には潰れかけた豆が入っている。
一口食べると、昨日の《雨煮》に似た軽さがあるが、こちらは塩気が強く、刻んだ香草も多い。
「やっぱりクリームっぽくない」
「くりーむ?」
「故郷の食べ物です。乳をもっと濃くしたみたいなやつ」
「山羊乳脂に近い?」
「そっちの方が近いかも」
「白実乳は濃く煮てもそこまで重くならないぞ」
「ですよね」
見た目だけなら白い煮込みなので、ついクリームシチューのような味を想像してしまうが、口へ入れれば豆の甘みと木の実の香ばしさが中心で、乳脂肪の濃厚さはほとんどない。
「白い煮込みだからって、クリームとは限らないよね」
「知らんけど、たぶんそうだな」
「私だけ納得しました」
「なら返せ」
「ありがとうございました」
昼食を食べながら、タスが今日の配送先について教えてくれた。
「午後は南通り三軒と、東側一軒」
「全部白実乳?」
「白実乳三、山羊乳一。今日は雨上がりで注文多い」
「何で?」
「煮込み増えるから」
「雨終わったのに?」
「昨日仕込めなかった店が今日仕込む」
「ああ」
「それに朝冷えたから、昼と夜は汁物出る」
「店って天気見て注文変えるんですね」
「変えるよ。ただ困るのは、みんな同じこと考えること」
「白実乳足りなくなる?」
「そう。で、工房に『あと一壺だけ』って言ってくる」
「出た、あと一つ」
「朝の注文に入れろって話だ」
タスがパンをかじりながら愚痴をこぼす。
「昨日なんか閉める直前に酒場から来て、『明日の朝一番で二壺』って言われたんだぞ」
「急ですね」
「しかも『いつもの倍だけど簡単だろ』」
「量が倍なら簡単じゃない」
「そうなんだよ」
「最近どこでも同じ愚痴聞くなぁ」
「仕事ってそういうもんだろ」
前の世界でも、急ぎの依頼ほど「ちょっとだけ」と言われることが多かった。
少し直してほしい、少し追加してほしい、すぐ終わると思うからと言われても、実際にやる側からすれば、その「少し」を入れるために別の作業を止めることになる。世界が変わっても、そのあたりは本当に変わらない。
午後は白実乳の陶器壺を荷車へ積み、実際に南通りの店へ届けることになった。
一壺は山羊乳缶ほど重くないが、陶器なので割らないように気を遣う。壺を藁で包み、紐で固定し、道の水溜まりを避けながら荷車を押した。
一軒目はパン工房、二軒目は小さな食堂、三軒目は酒場だった。
酒場の厨房口で白実乳を渡すと、中から料理人らしい男性が出てくる。
「一壺だけ?」
「注文は一壺です」
「追加できない?」
タスが無表情になる。
「いつまで?」
「今日の夜まで」
「無理」
「半壺でも」
「朝頼め」
「朝は足りると思ったんだよ」
「みんなそれ言う」
昼に話していた通りのやり取りだった。
荷車を押しながら、私は笑いを堪える。
「笑うなよ」
「本当に来ると思わなくて」
「毎日だぞ」
「大変ですね」
「冒険者も似たようなのあるだろ」
「依頼人の『ついでに』ならあります」
「同じだな」
「同じですね」
最後に山羊乳を菓子工房へ届け、空いた缶と壺を回収して《白乳工房》へ戻った。
フェルダが数を確認し、割れや漏れがないことを見てから依頼票へ完了印を押した。
「問題なし。今日は終わり」
「白実乳の追加注文来てましたよ」
「どこ?」
「南通りの酒場」
「断った?」
「タスさんが」
「よし」
「作れないんです?」
「作れないことはないけど、それやると明日の分が減る」
「やっぱりそういうことか」
「一軒だけ助けると、他が困るからね」
「店も工房も配分なんですね」
「何でもそうだよ」
最近、その言葉をよく聞く気がする。
食べる量も、仕事の力も、時間も、品物も、結局どこへどれだけ使うかを考えないとうまく回らない。
完了票を持ってギルドへ戻り、報酬千五百ゴールドを受け取った。
昼食百三十、宿代三百を引けば、今日の報酬から自由に使えるのは千七十ゴールドある。昨日は四百四十しか使わなかったし、前日の残りもあるので多少余裕はあるが、使えるから全部使うという考え方は危険だから、夜予算は八百ゴールドに決めた。
今日食べたいものは、もうほぼ決まっている。
白い煮込み。
ただし、昨日の《雨煮》とは違うもの。
今日一日、山羊乳と白実乳を比べたせいで、「白い煮込みにもいろいろある」ということをもう少し確かめたくなっていた。
一度《銀鈴の宿》へ戻り、泥のついた靴を拭いてから少し休む。
夕方になると空は薄い橙色に変わり、雨雲は西へ流れていた。
私は昨日とは反対に、南側の細い飲食通りを歩くことにした。
一軒目は揚げ物中心で白い煮込みはなく、二軒目には山羊乳煮込みがあったものの、大鍋から取り分ける定食屋らしく酒の種類が少ない。三軒目は煮込みを何種類か出していたが、入口に「本日満席」の札があった。
「意外と難しいな」
もう少し歩くと、通りの奥に白い丸皿を描いた小さな看板が見えた。
店名は《白椀亭》。
入口横の品書きを見る。
《軽麦酒 百十ゴールド》
《白果酒 百五十ゴールド》
《香草酒 百三十ゴールド》
《白実乳と角鶏の白煮 二百四十ゴールド》
《山羊乳脂の濃白煮 二百八十ゴールド》
《白豆と茸の淡煮 百八十ゴールド》
《焼き薄麦パン 六十ゴールド》
《酸葉と赤根の小皿 七十ゴールド》
《本日の白小皿 九十ゴールド》
「二種類ある」
白実乳と山羊乳脂。
今夜の目的にはちょうどよすぎる。
「ここにしよう」
扉を開けると、店内は名前の通り白っぽい陶器が多かった。
カウンターは七席で、奥に二人掛けの卓が三つ。壁際には浅い白皿と深い白椀が重ねられ、厨房では小鍋から細い湯気が上がっている。
「いらっしゃい。一人?」
「一人です」
「空いてるところどうぞ」
店主は四十代前半くらいの男性だった。
名前はリド。灰茶色の短髪で、顎が細く、白いシャツの上に薄灰色の前掛けを着けている。話し方は穏やかだが、料理を盛る手はかなり速い。
「白い煮込みが多いんですね」
「店名が《白椀亭》だからね」
「全部乳です?」
「いや。白豆だけのもあるし、白実乳も山羊乳脂も使う」
「今日ちょうど両方運びました」
「工房?」
「《白乳工房》です」
「じゃあうちにも来てるかもね」
「南通りの店に配ってたので」
「今日の白実乳、昼過ぎに来たやつならそうかも」
南通りの店へ配っていたなら、今日自分で運んだ白実乳がこの店に届いている可能性もあり、最近は仕事で触れた食材をその日の夜に食べる流れが妙に続いている。
「最初は何にする?」
品書きを見る。
白実乳と角鶏の白煮が二百四十。
山羊乳脂の濃白煮が二百八十。
両方頼めば五百二十で、酒を足しても予算八百には収まる。ただ、煮込み二皿は量が分からない。
「一皿って大きいです?」
「これくらい」
リドが空の白椀を見せる。
昨日《雨鍋》で食べた皿より一回り小さい。
「二つ食べる人います?」
「食べる人もいるけど、最初から二つ頼まなくてもいいんじゃない?」
「その助言、最近すごく大事なんですよね」
「何かあった?」
「串を十本頼んで九本で止めました」
「それは十分食べてる」
「みんなそこ言うなぁ」
まずは一皿だけにする。
「じゃあ白実乳と角鶏の白煮。それと軽麦酒ください」
「三百五十ね」
夜予算八百から残り四百五十。
軽麦酒が先に出てきた。
色は淡い金色で、泡はそれほど多くない。一口飲むと麦の香りは軽く、苦味も弱めだった。
「煮込み用です?」
「白い煮込みに濃い酒合わせると、味消えるからね」
「昨日の店もそんな感じだったな」
「煮込み屋は軽い酒多いよ」
少しして、白実乳と角鶏の白煮が運ばれてきた。
白い陶器椀の中には、角鶏肉、白い根菜、薄緑の葉、それから小さな黄色い豆が入っている。汁は名前通り乳白色だが、昨日の《雨煮》より少しだけ濃く見えた。
湯気を嗅ぐと、乳の甘い香りというより、炒った木の実に近い匂いがする。
「もう分かるかも」
「何が?」
「白実乳の匂い」
「今日工房いたなら分かりやすいだろうね」
匙で汁をすくって口へ入れると、最初に感じるのは角鶏の出汁と塩気で、そのあとから白実乳の軽い香ばしさが広がった。見た目は前の世界のクリームシチューにかなり近いのに、口の中ではまったく別物だった。
「やっぱり違う」
「何と?」
「故郷に、こういう白い煮込みがあったんです。でももっと乳っぽくて、濃くて」
「山羊乳脂の方が近いかもね」
「あとで頼むかもしれません」
「腹と相談しな」
「店主さんまで言う」
角鶏肉を食べると、煮込みなのに肉は柔らかくなりすぎず、噛むとしっかりした弾力が残っていた。白実乳が軽いので脂っこさはなく、薄緑の葉の少し青い香りもよく分かる。
「これ、白実乳どのくらい入ってるんです?」
「汁全部じゃないよ。角鶏の骨と香味根で取った出汁に、最後の方で足す」
「最初から煮ない?」
「長く煮すぎると香り飛ぶから」
「へえ」
白実乳だけで煮ているわけではなかった。
見た目が白いから、つい乳そのものが汁の中心だと思ってしまう。前の世界でも、料理名だけ見て中身を勝手に想像し、実際に食べて違った経験は何度もあるが、こちらでは材料そのものが違うので、その頻度がさらに高い。
隣の席では、二人組の男性が食事をしていた。
一人は三十代後半くらいで、腰に細い木槌を下げている。もう一人は二十代後半ほどで、袖に白い粉がついていた。
「だから『白く塗っといて』だけじゃ分からねえって」
「壁なんだから白だろ」
「白が四種類あんだよ」
「そんなある?」
「灰白、乳白、骨白、石白」
「全部白じゃねえか」
「依頼人に言えよ!」
思わず匙が止まった。
「白にも種類あるんですね」
私が口を挟むと、木槌の男性がこちらを見る。
「あるよ。しかも依頼人が『少し暖かい白』とか言う」
「暖かい白?」
「俺も聞きたい」
「今日ずっと白いものの違い見てたので、ちょっと分かる気がします」
「何の仕事?」
「山羊乳と白実乳運んでました」
「ああ、それも白だな」
「見た目似てるけど中身全然違いました」
「だろ? 白って一個じゃねえんだよ」
男性は急に味方を得たような顔をした。
「なのに親方が『白なら何でもいいだろ』って」
「じゃあ何でもいいんじゃ?」
もう一人が言う。
「納品して怒られるの俺なんだよ」
「それは嫌だ」
「だろ?」
今日の私には妙に響く愚痴だった。
白いものは全部同じではなく、料理でも塗料でもそのあたりは変わらないらしい。
最初の白煮を半分ほど食べたところで、軽麦酒も少し減っていた。
ここまで三百五十ゴールドなので、夜予算八百から四百五十残っており、腹にもまだかなり余裕がある。
山羊乳脂の濃白煮は二百八十で、頼んでも合計六百三十だから残りは百七十。
「よし」
リドを見る。
「濃白煮もください」
「食べられそう?」
「今なら大丈夫です」
「じゃあ小さめにする?」
「値段変わる?」
「二百二十で少なめにできる」
「そんなのあるんですか」
「食べ比べしたい客用」
「それください」
食べ比べだけしたい私には、その少なめサイズがかなりありがたかった。
少なめの山羊乳脂の濃白煮二百二十を追加し、合計五百七十。夜予算から二百三十残る。
「最初から書いておいてほしい」
「頼む人少ないから」
「聞かないと分からないやつ多いなぁ」
「聞けばいいんだよ」
「正しい」
しばらくして、二つ目の白い椀が来た。
見た目は最初の白煮よりさらに白く、汁にも少しとろみがある。具は赤角豚の薄切り、白根、茸で、上に細かな緑の香草が振られていた。
「こっちは山羊乳?」
「山羊乳そのものじゃなくて、乳脂を少し伸ばしてる」
「脂なんだ」
「そのままじゃ重すぎるから、出汁と混ぜる」
一口食べると、白実乳の煮込みとは明らかに違う濃さが舌へ広がった。
「あ、こっちだ」
「故郷のに近い?」
「かなり」
白実乳の煮込みと比べると口当たりが明らかに重く、舌へまとわりつくような濃さがあり、乳の甘みも強い。赤角豚の脂と合わさるとさらにコクが増し、前の世界のクリームシチューやホワイトソースに近い方向へ寄った。
ただし、山羊乳特有の草っぽい香りがあるため、まったく同じではない。
「クリームっぽいけど、やっぱり違うなぁ」
「またそのくりーむ?」
「故郷の乳料理です」
「そんなに似てる?」
「見た目はかなり。でも味は少し違う」
「なら別の料理だね」
「そうなんですよね」
似ているから同じだと思いたくなるけれど、材料も作り方も違うなら、別の料理として食べた方が面白い。
赤角豚を口へ入れると、脂が多い肉なのに乳脂の煮込みと合わせても嫌な重さにはならず、強めに入った香草が後味を切ってくれる。
「これ二杯目の酒欲しくなるな」
「濃白煮なら白果酒も合うよ」
「百五十ですよね」
「そう」
現在五百七十なので、白果酒を頼めば七百二十になり、予算八百から八十残る。
「……ください」
「はいよ」
二杯目は白果酒にした。
淡い黄色の酒を口へ含むと、少し酸味があり、甘さは控えめだった。以前飲んだ白果酒よりも軽く、濃白煮のあとに飲むと口の中の乳脂をきれいに流してくれる。
「こっちの酒の方が合う」
「濃い料理に軽い酸味は強いよ」
「勉強になるなぁ」
「飲みたいだけじゃない?」
「それもあります」
否定はしない。
白実乳の白煮と山羊乳脂の濃白煮は、見た目だけならどちらも「白い煮込み」でまとめられるが、実際には軽さも香りも合う酒も違った。料理の色だけ見て味を決めつけるのは、かなりもったいないのかもしれない。
濃白煮を半分ほど食べたところで、カウンターの奥に小さな白い皿が並んでいるのが目に入った。
「それ何です?」
「本日の白小皿」
「九十の?」
「そう。《白実搾り粕焼き》」
「搾り粕?」
「白実乳取ったあとの実」
「また余ったもの使う料理だ」
「捨てる店もあるけど、うちは買ってる」
「どんな味?」
「香ばしい。少し塩入れて焼いてる」
かなり気になったものの、現在七百二十ゴールドなので、予算八百から残っているのは八十だけだった。
「九十なんですよね」
「九十」
「十足りない」
「予算?」
「はい」
「ならやめときな」
「迷いなく止めるんですね」
「十くらいなら、ってやると予算決めた意味なくない?」
「正しい」
最近、店主に正論で止められることが増えた。
今日は見送ろうと思った、そのときだった。
隣の二人組の男性のところへ白小皿が運ばれてきた。
四角く焼いた薄いものが三枚乗っていて、表面には焦げ目がついている。
「……おいしそう」
「見ない方がいいんじゃない?」
リドに言われる。
「見えちゃったので」
「八十しかないんでしょ」
「そうなんです」
「じゃあ無理」
「分かってます」
白果酒を飲んで気を紛らわせる。
予算を十ゴールド超えてまで食べる必要はない。昨日も予算をかなり残したし、財布全体には余裕があるので十ゴールドくらいなら出せるのだが、そういう問題ではなく、今日は八百と決めたのだからその中で終えたい。
ところが、濃白煮を食べ終えるころ、リドが厨房から小さな欠片を一つ持ってきた。
「これだけ味見する?」
「え?」
「焼くとき端が割れた」
「無料?」
「一口分だけね。売り物にはならないし」
小さな欠片は、指二本ほどの大きさだった。
「じゃあ……いただきます」
予定外の一品というほどの量ではないが、味見には十分だった。
白実乳を搾ったあとの実をまとめて焼いているので、口へ入れると最初に香ばしさが来て、そのあと少しざらついた食感が残る。豆の粉を固めたものにも似ているが、もっと木の実らしい脂と甘みがあった。
「これ九十なら、別の店で似たの見たら頼むかも」
「うちには来ないんだ?」
「同じ店にはあまり来ないようにしてるので」
「変わってるね」
「新しい店探すのが好きなんです」
「じゃあ味覚えときな」
「覚えます」
再訪するつもりはないが、この味を知っていれば、別の店で白実の搾り粕料理を見つけたときに頼む理由になる。
白果酒を最後まで飲み終えた。
会計は軽麦酒百十、白実乳と角鶏の白煮二百四十、少なめ濃白煮二百二十、白果酒百五十で、合計七百二十ゴールド。夜予算八百から八十残しだった。
「会計お願いします」
「七百二十ね」
「今日はちゃんと止まりました」
「十足りなかっただけでしょ」
「止まったことが大事なんです」
「自分で言うんだ」
「最近そこを褒めてくれる人少ないので」
「じゃあ偉い偉い」
「雑」
硬貨を渡す。
今日の報酬千五百ゴールドから昼食百三十、宿代三百、夜七百二十を引けば、三百五十ゴールドが残る。
昨日より夜の出費は増えたが、その分二種類の白い煮込みと二種類の酒を試せたので、満足度は高かった。
「ごちそうさまでした」
「白いものの違い、分かった?」
「かなり」
「じゃあ工房仕事した意味あったね」
「夜まで含めて仕事だった気がします」
「それは違うでしょ」
「ですよね」
《白椀亭》を出ると、雨上がりの空気は少し冷たかった。
昼間まで残っていた雲はほとんど消え、濡れた石畳へ店の灯りが映っている。
私は歩きながら、今日食べた二つの煮込みを思い出した。
白実乳の白煮は軽くて香ばしく、角鶏や青い葉の味がよく分かった。山羊乳脂の濃白煮はもっと濃厚で、赤角豚の脂まで包み込むような重さがあり、白果酒の酸味が欲しくなった。
同じ「白い煮込み」なのに、かなり違う。
「白い煮込みなら、クリーム味だと思うじゃない」
朝までの私なら、たぶんそう言っていた。
でも今なら、白いというのは味ではなく、ただ見た目の一つにすぎないと分かる。
白実乳でも、山羊乳脂でも、白豆を潰しても料理は白くなり、この街にはきっとまだ別の白い料理がある。
前の世界の料理へ似ているものを見つけると安心することはある。知らない世界で、知っている見た目や香りに出会えば、それだけで少し身近に感じられるからだ。
ただ、似ているから同じだと決めてしまえば、その料理が本当はどんなものなのかを見落としてしまう。
今日の仕事でも、白い容器の中身を見た目だけで判断せず、札を確認しろと言われた。
夜の料理でも同じで、見た目だけなら似ていても、中身まで同じとは限らない。
今日は千五百ゴールドを稼ぎ、昼に百三十、宿に三百、夜に七百二十使って、三百五十ゴールド残った。昨日より少し贅沢したものの予算は守れたし、腹も苦しくない。
何より、クリームシチューのようなものを食べたかったはずなのに、終わってみれば「同じじゃなくてよかった」と思っている自分がいた。
この世界へ来たばかりのころは、前の世界に似たものを見つけるたびに安心していたが、今は似ているのに少し違うものを見つける方が面白い。
それはたぶん、この街の食べ物に少しずつ慣れてきたということなのだろう。
濡れた石畳を避けながら歩いていると、どこかの店からまた白い湯気が上がっているのが見えた。
何の料理かは分からないけれど、もう見た目だけで味を決めつけるつもりはなく、私は少しだけその匂いを確かめてから、そのまま夜の通りを歩いていった。




