第18話「骨まで食べられるって本当?」
朝、《銀鈴の宿》の食堂へ降りる途中で、昨日《尾灯亭》で食べた小川魚のことを思い出した。
頭からそのまま齧っても骨がほとんど気にならず、炭火で香ばしく焼かれた身と一緒にぱりぱり食べられたのが意外に美味しかった。魚の骨というと、前の世界では喉へ刺さらないよう慎重に外すものという印象が強かったので、昨日のあれは小さいながらも妙に記憶へ残る発見だった。
食堂の朝食は黒パン、白豆と青菜の薄い煮込み、それから小さな焼き卵だった。昨日のように魚が出てくるわけではなかったので、私は黒パンをちぎりながら、なぜか余計にあの小魚を思い出してしまう。
「骨ごと食べられる魚、他にもあるのかな」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、昨日使った金額を頭の中で確認する。流木処理の追加報酬まで含めて千五百ゴールドを稼ぎ、昼食に百十、宿代に三百、《尾灯亭》で六百四十使ったので、昨日だけで四百五十ゴールド残せた。
今日はそこまで稼がなくても困らないけれど、夜に五百から六百くらい使うなら、やはり千ゴールド以上の仕事を選んでおきたい。昨日は朝からずっと魚の気分だったものの、今日は特に食べたいものが決まっているわけではないので、仕事が終わってから店を探せばいいだろうと思っていた。
「昨日かなり魚食べたしね」
そう言いながらも、頭の中には小川魚を噛んだときの、骨までぱりっと崩れる食感が残っていた。
朝食を終えて短剣を確認し、冒険者ギルドへ向かった。
依頼板の前では朝から何人かの冒険者が紙を見比べていて、条件のいい依頼が出るたびに誰かが剥がして受付へ持っていく。人気の仕事は迷っているうちになくなることもあるので、今日は千から千三百ゴールドくらいを目安に、半日から昼過ぎまでで終わりそうなものを探すことにした。
東側農地の害獣追い払いが千百、南倉庫区の木箱整理が九百五十、北街道の短距離護衛が千四百だった。体調は悪くないのでどれでも受けられそうだが、今日は丸一日拘束される護衛より、昼過ぎには自由になれる仕事の方がありがたい。
そこで目についたのが、
《中央工房区・石灰袋搬入および灰籠交換補助。報酬千二百ゴールド。半日。防塵布貸与》
という依頼だった。
石灰袋という言葉には少し嫌な予感がしたものの、半日で千二百ゴールドなら報酬としてはかなり悪くない。仕事内容も魔物相手ではないので、昨日とはまったく違う一日になりそうだった。
依頼票を持って受付へ行く。
今日は短い赤茶色の髪を耳へかけた若い女性が担当だった。
「工房区の搬入ですね」
「これ、重いです?」
「石灰袋は一袋二十斤前後です」
「前に穀物袋運んだときより軽い」
「ただし粉が出ます」
「防塵布ってそのため?」
「はい。口と鼻へ巻いてください」
「服は?」
「白くなります」
「それ、依頼票に書いてほしい」
「書いてありますよ」
「どこ?」
受付員が依頼票の下を指す。
《汚れてもよい服装推奨》
「小さっ」
「読んでください」
「酒の強さと一緒で、重要なことは大きく書いてほしいなぁ」
「何の話です?」
「最近学んだことです」
受付員は少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞かず、依頼票へ受付印を押した。
「現地責任者はボルンさんです。灰籠の交換もあるので、火傷だけ注意してください」
「火もあるの?」
「陶器工房と石工房の共同炉を使う区画です」
「石灰袋だけじゃなかった」
「依頼名に灰籠交換って書いてあります」
「そこも見えてました」
「なら大丈夫ですね」
「大丈夫かなぁ」
依頼を受けたあと、工房区へ向かう途中で昼食用の黒麦パン、薄切りの塩肉、小さな白チーズを合わせて百二十ゴールドで買った。いつもの簡単な昼食より少し高いが、今日は身体を使う仕事なので、昼くらいはしっかり食べておいた方が夜まで楽だろう。
中央工房区へ入ると、朝からいくつもの音が路地の間を飛び交っていた。金槌で金属を叩く音、木材を削る音、陶器を積み替える乾いた音が場所ごとに違って聞こえ、空気には炭と乾いた土、それから石を削った粉の匂いまで混じっている。
指定された共同炉の前には、すでに荷車が一台止まっていた。
「ギルドか?」
声をかけてきたのは四十代後半くらいの男性だった。
名前はボルン。短い灰色の髪に太い眉、革の前掛けをつけ、左腕には細かな白い粉が何本も筋になって付着している。
「ミサキです」
「今日は袋運びと灰籠。先にこれ巻け」
渡された薄い布を鼻と口へ巻き、後頭部でしっかり結ぶと、思った以上に息がこもった。
「息苦しい」
「外すともっと嫌になる」
「そんなに?」
「昼には分かる」
「怖い言い方するなぁ」
石灰袋は荷車に三十袋積まれていた。指定された倉庫まで距離は短いが、一袋ずつ運び、棚へ積み直さなければいけないらしい。
「三十全部?」
「全部」
「半日って書いてあったんですけど」
「終われば半日」
「終わらなかったら?」
「午後もやる」
「それ半日じゃない」
「急げば昼まで」
「急げばって言う仕事、大体急いでも終わらないんですよね」
ボルンが笑う。
「よく分かってるな」
袋を持ち上げる。
二十斤前後なので持てない重さではないが、中身が細かな粉だからなのか、身体へ沿わず少し扱いにくい。肩へ担ぐと布越しにざらついた感触が伝わり、力そのものより袋を安定させる方に気を使った。
最初の数袋は順調で、倉庫の棚へ一段ずつ積み、荷車へ戻る作業を繰り返していく。距離が短いぶん、以前南倉庫区で穀物袋を運んだときより身体への負担は少なかったが、五袋目を置いたあたりで袋の隙間から白い粉がふわっと舞い、仕事の面倒さが重さとは別のところにあると分かった。
「うわ」
「吸うなよ」
「もう少し早く言って」
「布してるだろ」
「してても嫌」
手袋にも袖にも白い粉が付き、十袋運ぶ頃には自分の腕まで灰色っぽく見え始めた。
「これ、帰る前に払っていいんですよね?」
「外でな」
「宿の部屋でやったら怒られそう」
「絶対怒られる」
「でしょうね」
十二袋目を運んだところで、もう一人の作業員が合流した。
二十代後半くらいの男性で、濃い金髪の袖を肘まで捲り上げている。名前はユードというらしく、共同炉へ駆け込んでくるなりボルンへ頭を下げた。
「遅れました」
「遅い」
「朝、工房長に捕まって」
「言い訳は袋運びながらしろ」
「はい」
ユードが荷車へ近づきながら私を見る。
「ギルド?」
「はい」
「石灰初めて?」
「分かります?」
「まだ顔白くないから」
「これからなるんです?」
「なるよ」
「嫌な予告ばっかり」
二人になったおかげで作業速度はかなり上がった。一人が荷車から下ろし、もう一人が倉庫へ積む形にすると無駄が少なくなり、途中で役割を交代しながら進めていくと、二十袋を超えた頃には朝の冷たさが嘘のように身体が温まっていた。
「こういう仕事、毎日?」
私が聞くと、ユードが袋を棚へ押し込みながら首を振った。
「俺は陶器の方。今日は人足りないからこっち」
「本職じゃないんだ」
「焼き窯の火見たり、土こねたり」
「陶器作る人?」
「見習い」
「じゃあこれも修行?」
「違う。人足不足」
「夢がない」
「工房仕事なんてそんなもんだよ」
前の世界でも、本来の担当ではない仕事を「今日だけお願い」と振られることはよくあった。今日だけと言われたものが一週間続いたり、気づけば自分の仕事として定着したりするところまで思い出してしまい、私は袋を置きながら少し笑った。
「見習いって大変そう」
「雑用九割」
「私の前の仕事でも、新人に『勉強になるから』って雑用増えることありました」
「勉強になった?」
「コピー機には詳しくなりました」
「何それ」
「説明難しい」
そんな話をしながら最後の袋まで運び、三十袋を積み終えたところでボルンが棚の状態を確認した。
「よし。次、灰籠」
「まだあるんだった」
「依頼読んだろ」
「読んだけど、袋で終わった気になってました」
共同炉の裏へ回ると、鉄製の大きな籠が三つ並び、炉から出た灰や燃え残りが入っていた。完全に火は消えているらしいが、近づくだけでまだ少し熱を感じる。
「この三つを外の灰捨て場へ。空籠持って戻る」
「重さは?」
「一つ二人で」
「一人で持たなくていいんだ」
「腰壊すぞ」
「急に優しい」
「壊されると仕事止まる」
「現実的」
ユードと二人で籠の持ち手を掴む。石灰袋とは違って今度は重さが真下へ引っ張り、中身の灰が動くたびに重心までずれるので、足並みを合わせなければ持ちにくかった。
「せーの」
二人で持ち上げた瞬間、腕だけではなく腰にまで重さがかかった。
「重っ」
「言ったろ」
「聞くのと持つのは違います」
灰捨て場まで運び、決められた穴へ中身を落とすと、乾いた灰が風に乗って一気に舞い上がった。
「うわっ」
慌てて顔を背ける。
「だから布外すなよ」
「今日は白くなる日なんですね」
「そういう日」
二つ目、三つ目も同じように運び、空になった籠を炉へ戻す。作業が終わった頃には昼を少し回っていたので、私は布越しに息を吐きながらボルンを見る。
「半日?」
「半日だろ」
「ぎりぎり」
「午後まで行ってない」
「こういうのを半日って言うんですね」
「働く側はそう思っとけ」
「雇う側の理屈だ」
ボルンが笑う。
工房区の外へ出る前に、服と髪についた粉を専用の刷毛で落とすことになった。思った以上に全身が白くなっていて、袖を叩くたびに細かな粉が舞う。
「ユードさん、顔すごいですよ」
「そっちも」
互いの顔を見て笑いながら防塵布を外すと、口元だけ粉が少なく色が違って見えた。
「これ、鏡見たくないなぁ」
「見ない方がいい」
「帰る前に洗います」
「共同井戸あるよ」
井戸で手と顔を洗い、ようやく人間らしい色に戻ったところで昼食にした。
工房区の端にある石の腰掛けへ座り、朝買っておいた黒麦パンと塩肉、白チーズを食べる。身体を動かしたあとだからか、いつもより塩肉の塩気が強く美味しく感じられ、白チーズのわずかな酸味も乾いた口にはちょうどよかった。
ユードも隣で昼食を食べていた。
「今日の報酬いくら?」
「千二百」
「いいな」
「半日でなら悪くないです」
「こっちは工房の給金だからなぁ」
「毎月?」
「十日ごと」
「仕組み違うんだ」
「ギルドは日払いだろ?」
「基本そうですね」
「その日稼いだ分、その日に飲めるの羨ましい」
「その日働かなかったらゼロですよ」
「それは嫌」
「私も最近そこは思います」
自由に仕事を選べるのは楽だが、休めば収入も止まる。工房のように定期的に給金が出る働き方にはそれなりの安心があり、好きな日に仕事を選べる今の暮らしにも別の良さがあるので、結局どちらにも面倒なところはあるのだろう。
「でも今日は飲むんだろ?」
「飲みます」
「迷わないな」
「そのために働いてるところあるので」
「強い」
昼食を終え、ギルドへ戻る。
依頼票を提出すると報酬の千二百ゴールドが支払われ、昼食の百二十と宿代三百を引けば、今日の稼ぎから自由に使えるのは七百八十になる。
「夜は六百かな」
昨日も七百まで使える状況だったけれど、今日はそこまで豪華にしなくてもいい。何か気になる店を探して、その場で食べたいものを決めればいいと思っていたのに、金額を考え始めると昨日の小川魚のことがまた頭へ浮かんできた。
「骨まで食べられるやつ、もう一回食べたいかも」
結局、朝から気になっていたところへ戻ってきた。
一度宿へ戻って仕事着を替え、髪や首筋に残った白い粉まで洗い落とす。洗っても鼻の奥に乾いた匂いが残っているような気がしたので、水を多めに飲んでしばらく休み、夕方になってから街へ出た。
昨日は川荷揚げ場だったので、今日は反対側の北寄りを歩くことにした。大通りではなく住宅街と職人街の境目にある細い道を選び、一軒目は煮込み中心で重そうだったので通り過ぎ、二軒目は酒が安いものの肉の脂の匂いがかなり強かったため見送った。三軒目は店先に魚籠が置かれていたので近づいてみたが、品書きの中心が干物と塩漬けばかりだったので、今日欲しいものとは少し違う。
「惜しい」
さらに歩いて角を曲がると、細い煙が上がっている店を見つけた。
店先には小さな鉄板が置かれ、その上で何か丸いものを焼いている。看板には《骨灯屋》とあり、その名前だけでも朝から骨のことを考えていた私には十分気になった。
品書きを見る。
《麦酒 百十ゴールド》
《薄白酒 百三十ゴールド》
《骨焼き小魚 百四十ゴールド》
《骨煮角兎 百八十ゴールド》
《白豆香草煮 百ゴールド》
《焼き根菜 九十ゴールド》
《薄麦餅 六十ゴールド》
《本日の皿 百五十ゴールド》
その中でも《骨焼き小魚》という名前は、完全に今日の気分へ向けて書かれているように見えた。
店へ入ると、中はかなり小さく、カウンターが七席、二人掛けの卓が二つだけだった。壁には乾燥させた香草や小さな魚籠が掛けられ、奥の焼き台から香ばしい匂いが漂っている。
「いらっしゃい」
店主は六十歳前後の女性だった。
短い白髪を耳の後ろで揃え、紺色の布を頭へ巻いている。身体は小さいが、焼き台の前で魚を返す手は速かった。
「一人です」
「そこ空いてるよ」
カウンター中央へ座る。
「骨焼き小魚と麦酒ください」
「百四十と百十。二百五十」
「お願いします」
夜の予算六百から二百五十を引けば、まだ三百五十残る。最初から二杯目や追加料理を決める必要はないので、まずは朝から気になっていた骨ごとの魚を食べてみることにした。
先に麦酒が出てきた。
色は薄い金色で泡はほとんどなく、一口飲むと最初に軽い酸味があり、そのあとから麦の甘さと弱い苦味が続く。これまで飲んだ麦酒の中でもかなり軽い方だった。
「軽めですね」
「骨魚が塩強いからね」
「魚用?」
「うちはそう」
「昨日の店でも似たこと言われました」
「魚屋の酒は魚に合わせるもんだよ」
「やっぱりそうなんだ」
店によって酒の味が違うことにはもう慣れてきたけれど、料理に合わせて最初から仕入れまで変えているという話を聞くと、居酒屋ごとに酒も一つの料理のように選ばれているのだと分かる。
少しして、骨焼き小魚が出てきた。
昨日の小川魚より一回り大きく、指二本分くらいの長さがある魚が四匹並んでいる。表面は濃いきつね色で、頭から尾までしっかり焼き色がつき、粗い塩と黒い粒の香辛料が散っていた。
「これ、本当に骨まで食べられるんですか?」
「食べられるよ」
「頭も?」
「頭も」
昨日も《尾灯亭》でほとんど同じことを聞いた気がする。ただ、今日の魚は昨日より明らかに大きいので、本当に同じように食べていいのか少し不安だった。
「昨日、別の店でも小さい魚を骨ごと食べたんですけど、今日の方が大きいので」
「火入れ違うから大丈夫」
「どう違うんです?」
「一回蒸して、それから焼く」
「蒸してるんだ」
見た目だけでは一度蒸しているとは分からない。
一匹持ち上げ、まず頭側から齧ってみると、表面はぱりっと硬いのに、中へ歯が入ったところで骨の感触が想像よりずっと柔らかく崩れた。
「ほんとだ」
「だろ」
頭の周りには少し苦味があり、身は塩気が強めで、黒い粒の香辛料が噛むたびに軽い刺激を出す。昨日の小川魚が炭火の香ばしさをそのまま楽しむ料理だったのに対し、こちらは一度蒸したことで骨まで柔らかくし、そのあと表面だけを焼き戻して香ばしさをつけているらしい。
「これ、骨が邪魔じゃない」
「骨食う料理だからね」
「骨食う料理って言い切るんだ」
「残すところ減るし」
「そこなんですね」
「小魚は身だけ取ったら食うとこ少ないだろ」
「確かに」
前の世界でも、小魚を丸ごと食べる料理は珍しくなかった。煮干しやししゃも、小魚の唐揚げのように骨ごと食べるものはいくらでもあったのに、異世界で見ると急に特別な食文化のように感じていた自分がおかしくなる。
ただし、料理法はやはり少し違う。一度蒸して骨を柔らかくしてから焼き、表面の香ばしさを戻すというやり方は私にはあまり馴染みがなく、実際に噛んでみれば、外側がぱりっとしているのに骨だけが邪魔にならない理由にも納得できた。
「これ何の魚です?」
「《白骨魚》」
「名前からして骨食べる用?」
「違う。骨が白いから」
「普通だった」
「川下の浅瀬に群れる。大きくならない魚」
「このくらいが最大?」
「もう少し大きいのもいるけど、大きいのは煮る」
「同じ魚でも料理変えるんですね」
「骨の硬さ変わるから」
大きくなれば同じ焼き方では骨まで食べにくくなるので、その場合は煮込みへ回すらしい。魚の種類だけではなく大きさまで見て調理方法を変えるのは当たり前のことなのだろうが、こうして店で聞くと、普段何気なく食べている一皿にもちゃんと理由があるのだと分かる。
麦酒を一口飲むと、魚の塩気が強いせいか、最初に感じた酸味が今度は爽やかに感じた。
「合うなぁ」
「だからその酒」
「昨日も同じこと言われた」
「学習しな」
「してます」
その頃、隣に三十代後半くらいの男性が座った。茶色い作業着の胸元には細かな木屑がついていて、席へ腰を下ろすなり迷わず注文する。
「麦と骨魚」
「はいよ」
どうやら常連らしい。
「それ美味しいですよね」
私が言うと、男性がこちらを見る。
「初めて?」
「はい」
「ここ来たらそれだよ」
「やっぱり人気なんだ」
「安いし腹に溜まる。骨まで食うからな」
「店主さんにも同じこと言われました」
「みんな同じ理由で食ってるからな」
男性は近くの木工所で荷箱を作っているらしく、麦酒が届くと一口飲んでから、今日の仕事について愚痴をこぼし始めた。
「今日なんて朝から箱二十個追加だぞ」
「元々何個だったんです?」
「三十」
「五十になったの?」
「しかも夕方まで」
「報酬は?」
「月給だから変わらん」
「きつい」
「依頼主が『魚の荷が増えた』って言いやがってな」
「魚?」
「川荷揚げ場の箱」
「昨日私そこ行きました」
「じゃあ見たかもな。青い印の魚箱」
「いっぱいありました」
「今日それの追加」
昨日見た荷揚げ場から、今日この男性が作った箱へ話がつながった。
「魚が多いと箱も増えるんですね」
「当たり前だろ」
「そうなんですけど、食べる側からだと箱まで考えないので」
「箱ないと運べん」
「ですよね」
前の世界でも同じだった。店へ並ぶ魚を見れば漁師や市場くらいまでは想像しても、その魚を入れる箱を誰が作っているかまで考えたことはほとんどなく、昨日から少しずつ、料理の後ろにいる人たちまで見えるようになった気がする。
「箱って使い捨て?」
「魚箱は何回か使う。割れたら薪」
「最後まで使うんだ」
「木は高いからな」
「食べ物だけじゃなくて箱も無駄にしないんですね」
「使えるもん捨ててどうすんだ」
男性が当然のように言うのを聞きながら、骨焼き小魚をもう一匹食べた。
現在の会計は麦酒百十と小魚百四十で二百五十ゴールド。予算六百からは三百五十残っているので、もう一杯飲んでも二百四十残り、本日の皿百五十を追加しても予算内に収まる。
「本日の皿って何です?」
店主へ聞く。
「《骨豆焼き》」
「また骨?」
「魚骨粉混ぜた豆焼き」
「本当に骨の店だ」
「店名見なかったの?」
「見ました」
「なら驚くな」
「骨粉って食べられるんです?」
「焼いた魚骨を細かくしてる」
「味する?」
「少し香ばしい」
本当は二杯目の麦酒だけにするつもりだったのに、骨を食べることが朝から気になっていた日に、魚骨を粉にして使った料理まで出てきたら無視するのは惜しい。
「気になるので、本日の皿ください。あと麦酒もう一杯」
「はいよ」
追加は二百六十ゴールドなので、合計五百十。夜の予算六百からは九十残る。
運ばれてきた骨豆焼きは薄い円形の焼き物で、見た目は以前食べた豆を使った薄焼きにも少し似ていた。ただ、表面には細かな茶色い粒が混じり、香りも豆だけではなく、焼いた干物のような香ばしさが重なっている。
一切れ食べると、外側は少しぱりっとしているのに中は柔らかく、豆の穏やかな甘さのあとから魚の香ばしさが追いかけてきた。
「骨っぽくはない」
「粉だからね」
「もっとじゃりじゃりするかと思った」
「そんなもん出したら客来ないよ」
「確かに」
骨粉は、一度よく焼いた魚の骨を石臼で細かく挽き、豆の生地へ混ぜているらしい。塩味を足すだけではなく魚の旨味も少し加わるので、職人や荷運び人が腹を満たすためによく頼むという。
「捨てるところ少ないですね」
「魚は頭も骨も使えるから」
「昨日の店も、小さい魚をまとめて一皿にしてました」
「川の店なんてそんなもんだよ」
店主は特別な工夫を説明するというより、当たり前のことを話している口調だった。
前の世界でも魚のあらや骨から出汁を取ることはあったし、頭や皮を食べる料理もあった。それでも、こちらでは食材を無駄にしない工夫が店の品書きにそのまま見えているので、私には新鮮に感じられる。
二杯目の麦酒を飲むと、骨豆焼きの香ばしさともよく合った。
隣の男性が自分の骨焼き小魚を食べながら、こちらを見る。
「骨食うの珍しいか?」
「前の世界でもありました。でも、今日は何か気になって」
「骨なんて食えるやつは食う、食えんやつは煮る。それだけだぞ」
「単純」
「料理なんてだいたいそうだろ」
「店の人が聞いたら怒りません?」
「婆さんは怒らん」
「誰が婆さんだ」
焼き台から店主の声が飛んできたので、男性は一瞬だけ肩を縮めた。
「聞こえてた」
「耳はいいんだよ」
「すみません」
男性が笑いながら頭を下げるのを見て、私もつられて笑った。
骨焼き小魚を食べ切り、骨豆焼きも最後の一切れまで食べた頃には、かなり腹が満たされていた。合計は五百十ゴールドなので、夜の予算六百からは九十残っている。
品書きを見ると、焼き根菜がちょうど九十だった。
「焼き根菜、九十ですよ」
店主が私の視線に気づく。
「そうなんですよね」
「食べる?」
「もうお腹いっぱいです」
「ならやめときな」
「今日は勧めないんですね」
「腹いっぱいの客に出しても美味くない」
「それ、いいですね」
「当たり前だろ」
最近、予算がぴったり余るたびに「使い切るかどうか」を考えている気がする。でも、財布に合わせて腹を動かすのではなく、腹に合わせて財布を閉じればいいだけなのだろう。
「会計お願いします」
「五百十」
麦酒二杯で二百二十、骨焼き小魚百四十、本日の皿百五十で合計五百十ゴールドだった。夜の予算六百から九十残せたので、朝に考えていたよりもしっかり食べた割には悪くない。
「ごちそうさまでした」
「骨、食えただろ」
「食べられました」
「明日は何食う?」
「まだ分かりません」
「それでいい」
店を出ると、夜の職人街は昼間ほど音が多くなかった。それでも少し離れた工房からは木を削る音が残り、道端では昼の仕事で出た木片を集めている人がいる。
今日、工房区で石灰袋を運びながらユードが「雑用九割」と言っていたことや、夜に会った木工職人が魚箱を二十個追加されたと愚痴っていたことを思い出す。料理そのものだけを見ていれば分からないけれど、一匹の魚が店へ届くまでにも、船で運ぶ人がいて、箱を作る人がいて、その箱を何度も使い、壊れれば最後には薪にする人までいるらしい。
今日の報酬は千二百ゴールドで、昼食に百二十、宿代に三百、夜に五百十使ったので、今日の稼ぎからは二百七十ゴールド残った。朝は昨日食べた小川魚の骨が気になっていただけなのに、夜には骨まで食べられる《白骨魚》を食べ、さらに魚骨を粉にして混ぜた豆焼きまで食べることになったのだから、一日というのは何が食卓へつながるのか分からない。
「骨まで食べられるって本当? って思ってたけど、骨を食べるための料理まであるんだなぁ」
前の世界にも似た料理はあったはずなのに、この世界で改めて見ると、知っているつもりだったものまで少し違って見える。魚を食べたら骨を残す日もあれば、骨まで全部食べられる日もあり、さらに食べにくい骨なら粉にして別の料理へ使うことまでできる。
最初から「これは食べるところ」「これは捨てるところ」と決めるのではなく、その食材に合った使い方がちゃんとあるのだろう。まだ口の中に残る焼いた魚の香ばしさを感じながら、私は昼間とはすっかり静かになった職人街をゆっくり歩いた。




