第11話「これ、ポテトサラダじゃないよね?」
朝、《銀鈴の宿》の食堂へ下りると、昨日まで続いていた雨はすっかり上がっていて、開け放たれた窓から少し湿った風が入ってきていた。石畳はまだ濡れているらしく、通りを走る荷車の車輪が水を跳ねる音が時々聞こえてくる。
朝食は黒パンと薄い野菜スープ、それから塩を振った小さな焼き卵だった。昨日の《止まり木》では一人で静かに飲み、予定していた八百ゴールドを使い切らずに百四十残せたので、財布の中身には少しだけ余裕がある。
「だからって今日は使っていい日、とはならないんだよね」
黒パンを千切りながら、自分へ言い聞かせる。飲み代を残せた翌日に、その分まで上乗せして使っていたら節約にはならないし、前の世界でも昨日コンビニを我慢したから今日は少し良い昼ごはんでもいいだろうと考え、その日の夜には結局いつも以上に使っていたことが何度もあった。
そういう意味では、財布の扱い方も世界が変わった程度では簡単に成長してくれないらしい。それでも今日の稼ぎが良ければ話は別なので、まずは夜のことより依頼を選ぶところから始めるしかない。
「今日は千ゴールドくらい欲しいなぁ」
朝食を食べ終え、腰へ短剣を差してから冒険者ギルドへ向かう。
雨上がりの街はいつもより少し明るく見え、軒先から落ちる雫を避けながら歩く人が多かった。露店の商人たちは濡れた布を干したり、泥の跳ねた木箱を拭いたりしていて、昨日までの雨が街のあちこちへまだ残っている。
ギルドへ入ると、依頼板の前は相変わらず混んでいた。私は人の後ろから依頼書を眺め、昨日は倉庫で数字ばかり見ていたこともあって、今日は戦闘系より採取系を先に確認する。
《北西林縁・白根草採取。最低十五束。基礎報酬八百五十ゴールド。規定数超過分は一束につき四十ゴールド。品質不良は換算外》
「白根草か」
名前だけなら薬草の一種だろう。
最低十五束という数字は少し気になるが、雨上がりなら植物も見つけやすいかもしれない。報酬八百五十に超過分がつくなら、二十束くらい集めれば千ゴールドを超える計算になる。
ただし、それもちゃんと見つかればの話だった。
私は以前、薬草採取で一日苦労した挙げ句、最低数ぴったりしか見つからなかった経験がある。
「最低十五束なら、前よりは少ないし……いけるかな」
依頼書を剥がして受付へ持っていく。
今日はいつもの受付嬢ではなく、細身の若い男性が座っていた。明るい茶色の髪をきれいに撫でつけ、机の上へ何種類もの判子を並べている。
「白根草採取ですね」
「はい。雨上がりだと増えたりします?」
「増えるというより、見つけやすくなります。葉の表面が白く浮くので」
「名前の白根って、根が白いんじゃないんですか?」
「根も白いですが、採取するときは葉で見分けます。似た草があるので注意してください」
「似た草?」
「《灰根草》です。こちらは葉裏が灰色で、煎じるとかなり苦いだけなので薬草としての価値はほとんどありません」
「苦いだけ?」
「胃薬に混ぜるところもありますが、ギルドでは買い取りません」
「間違えたら悲しいやつですね」
「よくあります」
受付の青年は机の下から乾燥させた二種類の葉を出してくれた。
白根草の葉は細長く、中央に薄い白線が入っている。灰根草は形がほとんど同じだが、裏返すと確かに灰色が濃かった。
「葉の表面だけじゃ駄目ですか?」
「濡れていると光って見分けづらいので、必ず裏も見てください」
「分かりました」
「それと、根まで全部引き抜かないようにお願いします。地上部と根の上半分だけ採って、下を少し残せばまた生えます」
「採り方まで決まってるんですね」
「薬草なので」
ただ見つけたものを全部持って帰ればいいわけではなく、次に採る人の分まで残す必要があるらしい。前の世界でも山菜やきのこの採取には似たような考え方があった気がするが、自分が実際にそれを仕事としてやることになるとは思わなかった。
「北西門から出て、林沿いを一時間ほど進んだところが多いです。昨日の雨で足元が滑るので気をつけてください」
「ありがとうございます」
依頼票を受け取り、街を出る。
北西の林までは歩いて一時間ほどだった。雨上がりの道はところどころ柔らかく、靴の裏へ泥がつくので、晴れていれば真っ直ぐ歩けるところでも水溜まりを避けるたびに少し遠回りしなければならない。
「外の仕事選んだ日に限ってこれだよ」
昨日の倉庫なら濡れずに済んだのに、今日は自分から外仕事を選んでいる。それでも濡れた土と草の匂いは嫌いではなく、前の世界では雨上がりの朝に会社へ向かっても、駅までの道で靴を濡らさないことしか考えていなかった気がする。
今は林の匂いそのものを気にする余裕がある。
もちろん、仕事中だから気楽な散歩ではない。
林縁へ到着すると、私は受付でもらった見本を思い出しながら白根草を探し始めた。白根草は背丈が膝より少し低く、細い葉が地面から放射状に伸びるらしいので、林の奥へ入り込みすぎず、日当たりのある境目を中心に歩いていく。
最初の一束を見つけるまでに、二十分ほどかかった。
「これかな」
葉の中央に白い線がある。
裏返して確認すると灰色ではなかったので、根元の土を小さな採取用ナイフで少し掘り、受付で教えられた通り根を途中まで残して切った。白い根には少し甘いような土臭い香りがあり、見た目だけなら細い大根にも似ている。
「これで一束目か」
一束見つかれば、その近くにもあることが多いと聞いていたので周囲を探すと、確かに少し離れたところへ二株、さらにその先にも一株見つかった。ただ、そのうち一つは葉裏が灰色だったので、受付で教えてもらっていなければ普通に採っていたと思う。
「危ないなぁ」
見た目だけなら、本当にほとんど同じだ。
それでも最初の一束を見つけてからは少しずつ数が増え、五束、八束と集まり、午前中のうちには十一束まで採ることができた。
「あと四束ならいけるでしょ」
そう思ったのがよくなかった。
そこから急に見つからなくなった。
林沿いをさらに進み、草むらを一つずつ確認する。似た葉を見つけるたびにしゃがみ込み、裏側まで見ては灰根草だったと分かって立ち上がる作業を何度も繰り返し、三回続けて外したあたりでだんだん腹が立ってきた。
「似すぎなんだよ」
誰に文句を言っているのか、自分でも分からない。
魔物なら見つけた瞬間に戦えばいいけれど、薬草はそこに生えていても正しいものか確認しなければ仕事にならない。しかも間違った草まで持ち帰れば袋が重くなるだけで、報酬は増えない。
前の世界の仕事でも、似た名前のファイルを開いて違う資料だったときに、似たような気分になったことがある。
「白根草と灰根草、名前まで似てるのやめてほしい」
十二束目を見つけたのは、それから二十分ほど後だった。十三束目はすぐ近くにあり、十四束目も少し離れた場所で見つかったので、最低数まであと一つというところまでは来ている。
「あと一つかぁ」
こうなると、最後の一束が急に遠く感じる。
最低十五束という数字が頭にあるせいで、十四では帰れない。しかも超過分が一束四十ゴールドなので、十五を見つけたら見つけたで「あと一束くらい」と考え始めるのは分かりきっていた。
「まず十五。欲張るのはそのあと」
自分へ言い聞かせ、林の縁をさらに進む。
昼近くになった頃、ようやく白い葉脈の入った株を見つけた。慎重に裏側まで確かめると、今度は灰色ではなくきれいな白だった。
「十五!」
最低数へようやく届いた嬉しさで思わず声が出て、誰もいない林の中なのに一人で少し喜んでしまった。これで最低報酬八百五十ゴールドは確保できたので、普通ならここで帰ってもいい。
ただ、周囲を見ると、その少し奥に同じような葉が二つ見えていた。
「……見えるんだよなぁ」
見えてしまったものは仕方がない。
確認すると片方は白根草でもう片方は灰根草だったので、これで十六束になり、超過分の四十ゴールドを加えれば報酬は八百九十ゴールドになる。
「あと一束なら九百三十で、もう一束なら九百七十、その次で千十……」
そこまで計算した時点で、完全に欲が出た。
「千ゴールドは超えたい」
昼食を食べる前に、もう少し探すことにする。
幸い、そのあとは午前中より見つかりやすく、十七束、十八束と増えていき、十九束目を採ったところで腹がかなり減ってきた。
「あと一束で千十かぁ」
昼を食べるか、先に探すか迷う。
それでも空腹で集中力が落ちて灰根草を大量に採ったら意味がないので、私は少し開けた場所を見つけて腰を下ろした。
「ご飯にしよう」
今日は宿を出る前に昼食を買っていなかったので、林へ来る途中の露店で黒パンと硬いチーズ、それから小さな赤い実を合わせて百二十ゴールドで買っていた。水は宿で汲んできた分がある。
黒パンは昨日の店で食べた料理のような楽しさはないけれど、外で食べると妙に美味しく感じる。硬いチーズには塩気が強く、赤い実を一緒に噛むと甘酸っぱさが加わって、口の中が少し楽になった。
「これ何の実だっけ」
買うときに名前を聞いた気がするが、もう忘れた。
前の世界でも、コンビニで新商品を買って名前を覚えないまま食べることはあったので、大した違いではない。
昼食を食べ終え、残りの水を少し飲んでから採取を再開すると、二十束目は驚くほどあっさり見つかった。
「さっきあんなに探したの何だったんだろ」
十九束のまま昼食を取った自分が少し馬鹿らしくなる。
それでもこれで報酬は千十ゴールドになり、さらにもう少しだけ探した結果、最終的には二十二束まで集めることができた。最低十五束の八百五十ゴールドに、超過七束分の二百八十を加えれば、合計は千百三十ゴールドになる。
「十分」
これ以上続けると帰る時間まで遅くなりそうだったし、採取袋もそれなりに膨らんでいるので、今日はここまででいい。
街へ戻る途中、同じ採取袋を持った二人組の冒険者とすれ違った。
「白根草?」
一人の女性が聞いてくる。
「はい」
「何束?」
「二十二です」
「すごい。こっちまだ十二」
「林の奥より縁の方がありましたよ」
「灰根草ばっかじゃなかった?」
「めちゃくちゃありました」
「だよねぇ」
少し話して、私は見つけやすかった場所を教える。
女性の隣にいた男性が、疲れた顔でため息をついた。
「午前中、俺が採ったの半分灰根草だった」
「確認してって言ったじゃん」
「表から見たら同じなんだよ」
「裏見ろって受付で言われたでしょ」
「いちいち裏返すの面倒なんだよ」
「だから報酬にならないんでしょ」
あまりにも分かりやすい会話だったので、笑いそうになった。
「お互い頑張りましょう」
「そっちはもう終わりだろ」
「帰るまでが依頼です」
「真面目だな」
軽く手を振って別れる。
街へ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
ギルドへ入り、受付へ採取袋を出す。
朝の青年が中身を一つずつ確認し、束数を数えていく。
「二十二束ですね。状態も問題ありません」
「灰根草、混ざってません?」
「大丈夫です。一つもありません」
「よかった」
「かなり丁寧に見ました?」
「午前中、間違えかけたので」
「最初に一度間違えそうになると、その後は慎重になりますよね」
「似すぎです」
「薬草採取の初心者がよく言います」
青年は報酬を計算する。
「基礎報酬八百五十ゴールドに、超過七束で二百八十。合計千百三十ゴールドです」
「千超えた」
「狙ってました?」
「途中から」
「分かります」
硬貨の入った袋を受け取る。
今日は昼食に百二十ゴールド使っているので、そこから宿代三百を引けば残りは七百十ゴールドになる。昨日までの残りやそれ以前の貯えは別にあるので、夜に五百ほど使っても問題はない。
「今日の予算は五百五十かな」
千百三十稼いだ日に五百五十。
半分近いけれど、宿代と昼食を考えれば使いすぎではないはずだ。
「……たぶん」
自分で言って少し不安になる。
それでも五百五十に決める。
今日は外を歩き回り、しゃがんでは立つ作業を繰り返したせいで、思った以上に腰と太腿が疲れていた。宿へ戻って少し休み、採取に使った小さなナイフを拭いてから、夕方になるのを待つ。
夜になり、五百五十ゴールドを小袋へ移して街へ出る。
今日はあまり遠くへ歩きたくなかった。
昼間だけで十分歩いたので、《銀鈴の宿》から北へ二本ほど通りを進み、その周辺でまだ入ったことのない店を探す。
一軒目は焼き肉の匂いが強く、かなり惹かれた。ただ、品書きを見ると肉料理が三百ゴールド以上のものばかりで、予算五百五十だと酒を二杯飲むのが難しい。
「今日は違うかな」
二軒目は麦酒が安かったものの、客が多すぎて入口まで声が響いていた。
三軒目は小さな木の枝を束ねた看板が下がっていた。
《灯枝亭》
「ここ、前通ったことあったかな」
少なくとも入ったことはない。
入口には木板の品書きが出ていた。
《麦酒 百二十ゴールド》
《白果酒 百四十ゴールド》
《香草湯割り酒 百六十ゴールド》
《白芋と香草の和えもの 百三十ゴールド》
《焼き木茸 百ゴールド》
《角兎の薄切り燻し 百七十ゴールド》
《豆皮焼き 九十ゴールド》
《塩漬け青菜 七十ゴールド》
《薄焼きパン 五十ゴールド》
「白芋と香草の和えもの……」
そこで少し目が止まった。
白芋を使った和えものという名前だけなら、かなり見覚えのある料理に近い。前の世界で居酒屋へ行けばかなりの確率で頼んでいたポテトサラダは、じゃがいもを完全に潰す店もあれば形を残す店もあり、玉ねぎや胡瓜、ベーコン、卵、黒胡椒などで少しずつ個性が変わるので、安いのに店ごとの差が出やすい料理だった。
「ポテトサラダっぽいなぁ」
それだけで、入ってみる理由としては十分だった。
扉を開ける。
「いらっしゃい」
店内は思っていたより明るかった。
壁には何本もの細い枝を組み合わせた灯りが取りつけられ、その先端に小さな光石が埋め込まれている。火を使っていないのに橙色の柔らかな光が出ていて、店名の《灯枝亭》はそこから来ているらしい。
客席は四人掛けの卓が四つと、奥の壁沿いに六席ほどのカウンターがあった。
店主は五十歳前後の男性で、頭頂部の髪が少し薄く、口元には短い白髭がある。体格は小柄だが肩幅は広く、左手で鍋を混ぜながら右手で注文を取っていた。
「一人です」
「カウンター空いてるよ」
端から二番目へ座る。
隣には四十代くらいの女性が一人で麦酒を飲んでいて、反対側には少し年上の男性が豆皮焼きを食べていた。
「麦酒ください。それと、白芋と香草の和えもの」
「はいよ」
麦酒は百二十、料理が百三十なので、最初の注文は二百五十ゴールド。予算五百五十からなら、まだ三百残る。
「ちょうどいい」
まず麦酒が出てきた。
色は明るい金色で泡は少なめ。香りには麦だけでなく、少し甘い草のような匂いが混ざっている。
一口飲んでみると苦味は弱く、麦の甘さが少し強めで、後味には乾いた香草の香りが残る。ただ、《黒麦房》で飲んだ香麦ほど主張は強くなく、料理と一緒に飲みやすい味だった。
「飲みやすい」
「うちは飯食いながら飲む人が多いからね」
店主が言う。
「料理に合わせてるんですか?」
「酒だけ目立ってもしょうがないだろ」
「店によって考え方違うなぁ」
「酒屋じゃないからな」
前にも似たような話を聞いたことがある。
酒を主役にする店もあれば、料理を食べるために軽い酒を出す店もあり、同じ麦酒でもその店が何を一番大事にしているかで味まで変わるのが面白い。
しばらくして、白い浅皿が目の前へ置かれた。
「白芋と香草の和えもの」
「おお……」
見た瞬間、かなり期待した。
白っぽい芋が粗く潰され、その間に細かな緑の葉と赤い実の欠片が混ざっている。表面には白いものが絡んでいて、見た目だけなら前の世界の居酒屋で出てきたポテトサラダにかなり近かった。
「これ、ポテトサラダじゃないよね?」
思わず口から出た。
店主がこちらを見る。
「ぽてと?」
「あ、いえ。前にいたところの似た料理です」
「白芋の和えものなら、割とどこでもあるぞ」
「何で和えてるんですか?」
「《凝脂》と塩、それに香草」
「凝脂?」
「山羊乳から取るやつ」
「乳製品なんだ」
少し驚いた。
見た目が白いので、完全にマヨネーズを想像していた。
木匙で一口分をすくうと、白芋は完全には潰されておらず、小さな塊が残っている。表面を薄い白色のものがまとっているが、マヨネーズのような艶はなく、もう少し重そうに見えた。
一口食べる。
「……あ、全然違う」
思っていた味とはまるで違った。
芋そのものはじゃがいもに少し似ていてほくほくしているが、甘みはかなり強く、栗と芋の中間のような香りもある。そこへ絡んでいる凝脂は酸味が弱く、ヨーグルトより濃く、クリームチーズより柔らかい。
山羊乳らしい独特の香りが少しあるものの、塩と刻んだ香草が入ることで重さは抑えられている。
「マヨネーズじゃない」
「まよ?」
「前の料理に使ってた白い調味料です」
「似てるのか?」
「見た目はかなり。でも味は全然違います」
赤い実の欠片も一緒に食べてみると、少し酸味があり、噛んだ瞬間だけ軽く辛い。
「この赤いの何です?」
「《酸針実》。生だと酸っぱいけど、塩漬けすると辛味出る」
「漬物みたいなものか」
「酒飲みは好きだな」
もう一口食べる。
前の世界のポテトサラダを期待して食べると違和感があるけれど、白芋と山羊乳の凝脂を使った別の料理だと思えばかなり美味しい。白芋の甘さと凝脂の乳っぽいコクへ、香草の青い香りと酸針実の刺激が入ることで味がぼやけず、麦酒のつまみとしてもちゃんと成立している。
麦酒を飲むと乳製品の脂っぽさが軽く流れ、白芋の甘みだけが少し口に残る。
「これ、麦酒合うなぁ」
「だから置いてんだよ」
「そうですよね」
店主が少し笑う。
前の世界でも、ポテトサラダを酒のつまみとして頼むと「炭水化物で酒飲むの?」と言われることがあった。でも私は、塩気の強いポテトサラダとビールの組み合わせがかなり好きだった。
こちらでも似た見た目の料理と麦酒を合わせている。
ただし、味は別物だ。
「こういうの面白いなぁ」
似ているからこそ、違いがよく分かる。
隣で飲んでいた女性がこちらを見た。
「その料理、珍しい?」
「私にはかなり」
「白芋の和えものだよ?」
「前にいたところに似た料理があったんです。でも、違う材料でした」
「へえ」
「白いところが卵と油で作る調味料で」
「卵と油?」
「混ぜると白っぽくなるんです」
「気持ち悪そう」
「言われるとそうですね」
実際、説明だけ聞けば少し奇妙だ。
生卵と油を混ぜたものを芋へ絡めると言われたら、こちらの人には不思議に聞こえるだろう。
「でも美味しいんですよ」
「こっちのは?」
「こっちも美味しいです」
「じゃあいいじゃない」
「その通りです」
昨日も似たようなことを考えた。
似ているからといって同じである必要はなく、むしろ知っている料理に見えるのに食べると違うという瞬間が、最近は少し楽しくなってきている。
白芋を半分ほど食べたところで、店内の奥から大きなため息が聞こえた。
卓席に座っている三人組の一人が、額へ手を当てている。
「また値上がりだってよ」
「何が?」
「灯油石」
「先月も上がっただろ」
「雨続いたから運び遅れたんだと」
「うちの工房、あれないと夜仕事できねぇぞ」
三人とも職人らしい。
壁の灯枝に使われている光石とは違い、灯油石というものは熱を出す燃料なのだろう。
「材料上がる、燃料上がる、でも納期はそのまま」
「親方に言えよ」
「親方も同じこと言ってた」
「じゃあ客に言え」
「客は値上げするなって言う」
「詰んでるな」
聞いていて妙に懐かしい。
前の世界でも、原材料費や運送費、人件費が上がったと言いながら、納期だけはなぜか短くなっていくことがあった。
「どこの世界も大変だなぁ」
「何が?」
隣の女性に聞かれた。
「材料費上がっても仕事は減らないところです」
「そりゃそうだろ」
「そうですよね」
世界が変わっても、働く人の愚痴はかなり似ている。
私は白芋の最後の一口を食べ、品書きを見直した。
現在二百五十ゴールドで、残りは三百。麦酒をもう一杯飲めば百二十増え、さらに角兎の薄切り燻し百七十を頼んでも合計五百四十なので、予算五百五十以内にはきれいに収まる。
「ぴったり近いなぁ」
かなり良い組み合わせだった。
ただ、今日の白芋は思ったより腹に溜まっているので、角兎まで頼むと少し重い気もする。
「豆皮焼きって何です?」
店主へ聞く。
「豆を潰して薄く伸ばして焼いたやつ。九十」
「軽い?」
「肉よりは」
「じゃあそれと、麦酒もう一杯ください」
「はいよ」
予定では角兎を頼もうとしていたのに、結局別のものを選んだ。
麦酒百二十と豆皮焼き九十を追加して、合計四百六十ゴールド。予算からは九十残る。
少しして出てきた豆皮焼きは、薄い円形の生地を四つに切ったような料理だった。表面には焼き色がつき、端は少し反っていて、見た目は薄焼きの煎餅にも似ている。
「これ、豆だけですか?」
「豆と少し白麦粉。あとは塩」
一切れ持ち上げる。
薄いけれど、完全な煎餅ほど硬くない。噛むと外側はぱりっとしているのに、中には少しだけ柔らかさが残り、豆の香ばしさが強く出たあとから小麦の甘さが追いかけてくる。
「おつまみっぽい」
「そういう料理だよ」
「何かつけます?」
「そのままでもいいし、白芋残ってるなら乗せてもいい」
「それ先に聞きたかった」
皿を見ると、白芋の和えものが木匙一杯分だけ残っている。
豆皮焼きの上へ乗せて口へ運ぶ。
「なるほど、これ好き」
ぱりっとした豆皮焼きへ柔らかい白芋と凝脂がよく合い、単体では少し重く感じていた乳の風味も、焼いた豆の香ばしさが入ることでかなり軽く感じられた。
「こうやって食べるものなんですか?」
「うちだと多いね」
「最初からセットにしたらいいのに」
「別々でも売れるから」
「商売ですね」
「店だからな」
店主は当然という顔をした。
隣の女性も豆皮焼きを一枚頼み、自分の塩漬け青菜を乗せて食べ始める。
「何でも乗せるんですね」
「合えば何でもいいよ」
「自由だ」
「食べ方なんてそんなもんでしょ」
確かにそうだ。
前の世界でもクラッカーへチーズを乗せたり、パンへポテトサラダを挟んだりしていた。こちらでは豆を焼いた薄い生地へ白芋を乗せるだけで、考え方そのものはそれほど違わない。
二杯目の麦酒を飲むと、今度は豆皮焼きの香ばしさが強く残っているせいか、一杯目より麦の甘みを感じた。
「同じ酒なのに違うなぁ」
「食べてるもので変わるよ」
店主が言う。
「それ、最近すごく分かるようになってきました」
「酒だけ飲んでるより、飯と合わせた方が面白いだろ」
「私はその方が好きです」
「じゃあ飲み屋向きだ」
「褒められてる?」
「たぶんな」
ここまでで四百六十ゴールド使っているので、予算五百五十から残るのは九十。豆皮焼きをもう一皿頼めばぴったり使い切れる計算だが、今ので十分だった。
「……やめとこう」
今日はもう二杯飲んだし、腹も満たされている。
九十ゴールドを使い切る理由はない。
隣の女性が笑った。
「何か我慢した?」
「豆皮焼きもう一皿頼むと、予算ぴったりなんですよ」
「腹減ってるの?」
「もう大丈夫です」
「じゃあいらないじゃない」
「昨日も同じこと言われました」
「学んだ?」
「たぶん」
自分でも少し笑う。
予算は使っていい上限であって、使わなければいけない金額ではない。頭では分かっているのに、端数がきれいに消えると妙に気持ちよく感じてしまう。
「会計お願いします」
「四百六十」
「はい」
五百五十ゴールド入れていた小袋から支払い、九十を残す。
「白芋、どうだった?」
店主が聞く。
「美味しかったです。見た目は前に食べてた料理にすごく似てたんですけど、味は別物でした」
「どっちがうまい?」
「それ聞かれると困ります」
「何で?」
「食べたい日が違うから」
自分で言って、少し納得した。
前の世界のポテトサラダを食べたい日もある。
でも今日みたいに、白芋の甘さと山羊乳の凝脂、それに香草と酸針実を麦酒と一緒に食べたい日もある。
どちらか一つを選んで、もう片方を偽物だと思う必要はない。
「じゃあ、うちのもまた食えばいい」
「そうします」
店を出ると、雨上がりの夜は少し涼しく、昼間歩き回った脚には気持ちよかった。
今日の報酬は千百三十ゴールドで、昼食に百二十、夜の飲食に四百六十、宿代に三百使う。今日だけの差し引きなら二百五十ゴールド残り、夜の予算五百五十からも九十を持ち帰れたので、金額としても悪くない一日だった。
それでも今日一番印象に残ったのは、やっぱり白芋の和えものだった。
見た瞬間には、前の世界で何度も食べたポテトサラダと同じような味を勝手に想像した。ところが実際に口へ入れてみれば、芋はもっと甘く、白い部分はマヨネーズではなく山羊乳から作った凝脂で、香草と酸針実まで入っていた。
見た目は知っている料理に似ているのに、実際に食べればまったく違う。少し前までの私は、醤油でも味噌でも麦酒でも、前の世界で知っていたものと違う部分を見つけるたびに、どこか物足りなく感じていたのかもしれない。
でも最近は、違うなら違うで、その料理がこの世界でどう食べられているのかを知る方が面白くなってきている。
白芋は凝脂と和えられ、麦酒のつまみになり、余った分は豆皮焼きへ乗せて食べる。それは前の世界のポテトサラダとは違うけれど、今日の私にはちゃんと美味しい酒の肴だった。
「これ、ポテトサラダじゃないよねって聞いたけど……別にポテトサラダじゃなくていいんだよなぁ」
口に出してみると、当たり前のことだった。
知らない料理へ、知っている名前を無理につける必要はない。白芋と香草の和えものは白芋と香草の和えもので、それを麦酒と一緒に美味しく食べられたなら、今夜はそれで十分だった。
まだ少し湿った夜道を歩きながら、私は《銀鈴の宿》へ戻った。




