狂気にとらわれた人 ー1ー
夜中、私は喉の渇きを感じて目が覚めた。少しチクチクとした違和感を覚え、もしかしたら風邪の引き始めかと考えていると視界の端で何かがキラリと光った。
寝惚けながらそちらに視線を動かすと、暗闇の中人が立っていた。
まさか人がいるとは思わなくて、心臓がドクンッと勢いよく跳ね上がった。反射的に身体が動いて、ベッドから転がり落ちそうになる。
「だ、だれッ?!」
相手は何も喋らない。ただ、グスグスと鼻を啜るような音を出しているだけだ。
その人の手に持つ何かがキラリと光っている……。
(――包丁!!)
月明かりがギラギラとその包丁を反射させているのだ!!
その正体が分かった途端身体が凍ったように動かなかなった。頭の中では逃げたほうがいい、逃げろ逃げろと警鐘がなっているが、ぴくりとも動かない。まるで思考と動作が切り離された感じ。
「――さい、――さい」
「え?」
目の前にいる人物は、何かをぶつぶつと唱えるように喋っている。その音を聴き取ろうとするように、自然と聴力が研ぎ澄まされる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんないごめんなさいごめんなさい」
あ、謝ってる。誰に?
「あ、あなた……誰なの?!な、なんでここに」
「ごめんなさい、ごめんなさいお嬢様!わたし、わたし、あそこには帰りたくないんです!だ、だからッ――」
「こ、こないで!」
相手は私を殺したくないと言うように泣きじゃくっているが、それでも刃物を構えている。
「た、助けて!誰か!!」
精一杯声をあげるけど、誰かに届いているのかわからない。だってこの部屋は廊下の奥の方にあって、公爵達に聞こえるとは到底思えない。
逃げ出す……と言っても、扉は相手の後ろにある。どうにか相手の挙動を見切って――なんてできるわけがない!
窓から外へ飛び出してみる?この下はどんな床をしていた?芝生?土?コンクリート?地面が柔らかかったら、どうにか助かったりしないだろうか。
そうこう考えているうちに、相手はジワリジワリと近付いてくる。そこそこ距離が近づいて、ようやくその人物が誰なのかわかった。
「あ、あなた……私の部屋から本を持ち出したって自白した使用人ね。どうしてこんなことをするの?私、あなたに何かしてしまったのかしら」
恐怖で声が震えて、口の中がカラカラになる。
けどここで私が取り乱したら、彼女を刺激してしまうかも…………。まずは冷静に理由を聞かなければ。
「ごめんなさい……お嬢様は何にも悪くありません。でも、今の私にはこうするしか……」
「どういうこと?じ、事情があるなら、一回話してみませんか?」
刃物を持った使用人はただならぬ様子であるが、それは殺気に満ち溢れているとかそういうものではない。どちらかというと彼女も何かに怯えて、追い詰められているみたいだ。
なんとか宥めたいけど、私も同じく恐怖で震えているからどこまで彼女を安心させられるかわからない。
「あなた、たしか最近新しく雇われた新人さんよね?」
「…………そうです」
「もしかして、仕事がうまくいかないとかなのかしら」
大広間で見たとき、若い人たちは新人さんばかりだと思っていたから、目の前の彼女もそうだと思ったのだ。
仕事がうまくいかなくて、というのはただの会話の切り口として出したけど、本当にそうだったらどうしよう。全く私に関係なさすぎてフォローのしようがないし、「頑張って」なんて今の私に言われたら、お前に何が分かるんだって逆鱗に触れる可能性もある。
「なんで私ってこうなんでしょう……。グズでノロマで、生きている価値なんてない役立たず。ごめんなさい、生きていてごめんなさい。でも、でも私、あの場所にはもう二度と戻りたくない……」
使用人はそう言った途端、刃物を握りしめて勢いよく私に突進してくる。奇跡的にスレスレで避けて、扉へと駆け出すが何故が開かない。
(外から押さえつけられてる?!)
まさか2人いるのか?誰?ここまでするか?と頭の中で思考が急速に流れていく。
命を狙われるくらい、他人から嫌われるなんて!ミラは何をやったんだと考えずにはいられない。
「あなた!もしかして誰かから脅されているんじゃない?だから、そんなに怯えながら私と対峙しているのね」
「……!」
「どこの誰か知らないけど、人殺せって言ってくる奴に従うなんて愚かなことだわ!」
「でも……」
「何を悩んでいるのか、あなたが言ってくれないからわからないけど、私に出来ることがあるなら協力するわ。今回のことも、誰かに脅されたのなら――」
「無理です。たかが小娘になにができるというのです?」
先程まで開かなかった扉が、キィと音を立てて開いた。
その瞬間後ろから覆い被せられ、口を覆われた。
「さぁ、その刃物でこいつを刺しなさい!」
声の主には聞き覚えがあった。メイド長だ。
必死に抵抗するが、全体重をかけてられているため全くもって身体が動かない。
「何しているの!さぁ、早く!」
メイド長は苛立ったような声を上げながら、使用人に指示する。怒鳴られた彼女は、先ほどまで私に襲いかかっていたのが嘘のように萎縮して、ガタガタと震えている。
「いいの?ここで私の言う通りにしないと、私はお前を助けない。そうしたら、またあの家に逆戻りね」
それを聞いた使用人の身体が、びくりと震える。
彼女は暗い目をして、私を見据えている。
「痛ッ!――小娘がァ!!」
こんなところで死んでたまるかと心の中で強く思い、私はメイド長の指に噛みついた。渾身の力を込めて噛んだためあまりの痛さにメイド長が拘束の手を緩めたが、怒りを買って、私は平手打ちをくらった。
あまりの衝撃に、私の身体が転がった。
「グッ――」
「ほんッとに苛つくわね!お前があのお方の娘を名乗るのも!アイツの面影がちらつくのも!オーティス様やアドミールおぼっちゃまに気にかけてもらっているのも!!全部全部目障りなのよ!」
「メ、メイド長が全て仕組んだんですね……そこにいる彼女を脅して」
「違うわ。彼女は要領が悪かったから、雇われたばかりだっけど解雇されそうになっていたのよ。でも実家に戻りたくないって言うから、私のお願いを聞いてくれたら私から口添えしてあげると情けをあげたの」
「その願いが、窃盗と殺害ですか?」
「殺害なんてとんでもないわ。私は、“掃除“をしようとしているだけ」
「掃除、ですって?」
「そうよ!聡明で麗しいオーティス様のため、私がここの屋敷を管理しているの。彼と、そして私が過ごすのに相応しい場所にするために」
先ほどまでに怒っていたのが一転して、メイド長は恍惚とした表情になった。
「私は、あの人の素晴らしさを知っている。私は、彼の隣で支えるのが生き甲斐。そしていつか、彼が私を愛してくれることが運命!!」
彼女の様子は一転二転どころか五転くらいに変わりながら、喋り続けている。それに不気味さを考えながらも、私は魔力を練り出した。
しかし、痛みと恐怖が加わって魔力が定まらない。
「それなのに、彼は他の能無し女に目移りしてしまい、アイツが死んだと思ったら、容姿が似ているお前を連れて帰ってきた。…………お前を見るたびに思うわ。汚れってなかなか落ちないものなのねって」
本気でヤバい人だ。
言葉が通じないやつ。
「ほら、早く殺しなさいよ。このままだと……わかっているわよね」
メイド長がギロリと怯える使用人を睨む。
睨まれた彼女は、ヒッと声を上げた。
「待って、よく考えて!ここで私を殺したら、あなたの罪が重くなるだけ!メイド長があなたのことを庇えるはずがないわ!」
使用人の彼女は、うろうろと視線をさまよわせている。メイド長が彼女を助ける気がないなんて私でもすぐに気がつくけど、追い詰められている彼女は、どっちに従うべきかまだ悩んでいる。
「それに、思い出しなさい!大広間であなたを追い詰めたのは誰?メイド長は早々に見切りをつけたわ。そんな人があなたを守ってくれるはずがない!」
「……いいえ?そんなことありませんよ。私は“あの家に帰さない“と約束しました。――――あの子がここでお嬢様を殺せば、死刑になるでしょう。そうしたら、彼女はもう二度とあの家には戻らないし、何にも怯える必要がなくなるわ」




