空から垂れる糸
誰も見えないはるか上空に、一つの青い炎がフワッと浮かび上がる。炎なのだから、感情などそれが持っているかなど傍目から見てわかるはずもないのに、何故かそれは恍惚とした雰囲気を醸し出していた。
その火の玉が見下ろす、巨大な少女。
灰色で、静かに佇むその姿は石像のようだ。
そんな彼女が見下ろすのは、アメシティーオーズ魔法学園。
かつて彼女が死に、そして幾度となく彼女を苦しみに陥れた因縁の地。
クスッと笑い声が聞こえる。
はじめこそその笑い声は密かに抑えるようにして発せられていたが、次第にどんどんと堪え切れないと言うように大きくなっていく。
『あぁ……なんて哀れな』
果たしてそれは、音になっていたのか。
そもそも誰も聞きはしないのだから、聞こえなくてもいいのかもしれない。
その火の玉は、それはそれは満足そうに嗤っていた。
上空にいる彼は、少女が放つ魔法の影響がどの土地にまで及んでいるのか瞬時にわかる。まもなく、オルデナ帝国もこの霧の中に包まれることだろう。
一つの国が滅ぶこと、まずはそれで及第点だ。
正直言って少女の魂がそこまで保つのかという懸念点もまだあるが、ここまで大きくなれば充分だろう。
火の玉はクルクルと廻る。
そしてミラ・スカーレットレイクを通して見ていた人間たちのやりとりを思い出しながら、また笑い出すのだった。
『あーぁ、本当に面白いよね。“ありえない”ってだけで、ありとあらゆる可能性をなくし、目の前で起こっていることを自分たちの常識だけで考えようとするなんてさぁ……。まぁ、それも仕方がないことだけどね』
僕だって、この世界の理に脱して初めて魔法の使い方とやらを理解できたんだから。
赤、青、緑、闇、光……いや、今は紫、白と称されているんだったっけ?
人間たちが自分の使える魔法を属性魔法と称するこの考え方は、僕が人間だった頃からあった。もっと滑稽なのは、赤魔法を攻撃に適していると考えたり、青を防御魔法に適していると考えたりすることだ。
その考え方が決して間違っているわけではないが、初めから攻撃だとか防御だとかだけで魔法の使い方を当て嵌めるのが酷く滑稽だ。
魔法はイメージ。
自分の使える魔法と、そして何よりそれを扱える力量さえあればなんでもできる。人を幻の世界に閉じ込めることだって、時間を戻したりすることだってね。
しかし問題なのは、生身の体の不自由さ。
生まれながらにして扱える魔法が決まるという魔力量がランダムなのも不便だし、やはり使える魔法の傾向が決まっているのも面倒くさい。
だからといって魂だけの存在で何かができるのかと聞かれれば、そうでもない。やはり実体がなくては、世界に何を起こそうとしても起こせない。
だから僕は、僕の依代となる存在を探し続けていた。
僕の願いを叶えるのにぴったりな力を持った人間の魂を預かり、その力を使わせてもらう。その人物の思いの力が強ければ強いほど、威力は増す。
感情の中でも、怒りや憎しみは壮大な力に成り替わる。
ミラ・スカーレットレイクは、理想的な媒体だった。
彼女には“扱える魔法の傾向”という概念がなく、何より魔力量が他者より遥かに凌いでいた。まさに、僕の願いのために生まれてきた存在。
セレナ・オルディナリウスに胸を貫かれ、死に絶えようとしていたミラが願ったのは『誰かに愛されたい、必要とされたい』というものだった。
——それならば、僕が誰よりもミラを愛している。
ミラ、君の力は誰よりも愛おしい。
僕の願いに何よりも必要だ。
だから彼女の怒りの炎が消えないよう、僕がずっと灯し続けてあげよう。
『ッフ……、アハハハハハハ!!』
もしこの者に体があったなら、今頃地面を転げ回りながら笑っていたのかもしれない。それか、涙をこぼして乾いた地面を微かに濡らしていたか。
しかしそんなことはできない、何故なら彼は火の玉だから。
ふと、その火の玉が一人の少女の姿を捉えた。
その少女は、彼が作り上げた巨大な少女の石像と瓜二つ。
違うのは大きさくらいだろうか。
『タカハシナナ……いや、残り滓が……』
そこでようやく、火の玉は不機嫌になる。
ここまで得意げに笑っていた彼にも誤算がいくつかあった。それを思い出してしまったのだ。
はじめの誤算は、ミラの魂があまりにも脆く砕けやすいことだった。彼女の恨みの感情を育てるには、何度かの時間のループが必要。しかしもとよりミラの傷付いた魂は、恨む前に悲しみによって崩れ落ちてしまうような儚さがあった。
そこで、火の玉は別の魂を融合することを考えた。
しかし簡単に融合に使う魂を見つけ出すことは出来ない。
何しろ時間が巻き戻るということは、その時間内で死んだ人間が生き返り、その時間内で生まれた命が消え去るということだからだ。もちろんその体にも、魂は存在している。
そこらへんに飛んでいる魂を勝手に使ってもいいが、その魂が仮に誰かの体に戻る魂であったのなら、どのようなことが起きるか。
本来決まった魂が入るはずだった体に、別の魂が入り込むことで、全く別人のようになる。それはつまりその時間軸に今までと違った影響が及ぼされる可能性がある。
簡単にいうと、これまでのループではミラを虐めていた者が、次のループではミラを救う人になってしまう可能性があるということだ。
あまりにも極端な例だが、時間のループとは同じ時間のやり直しでは決してない。誰かの気まぐれが、全く別の展開を引き起こすことさえあるからだ。
火の玉が簡単に融合する魂を選び取らなかったのは、これを恐れたからだ。つまり、この世界にもともと存在しなかった魂が彼には欲しかったのだ。
それが、異世界から来た魂。
その魂を見たとき、彼はどれほど喜んだことだろう。
天啓とさえ思ったのかもしれない。何より、そんな魂が三つもこの世界に迷い込んでいたのだから!
本来ならば起こりえない奇跡に出会った彼は、その魂から無作為にミラの魂と融合する魂を選び取り、残りを無視した。すると選ばれなかった魂は、ミラが時間を巻き戻す前に死んだ人間の体に入り込んでしまった。
そのうちの一人が『ルナ』というミラが憎み続ける少女であったため、火の玉は一瞬焦ったが……そのときにはミラの体の制御はほとんど操れていたため、問題はなかった。
ミラがルナという少女を前にすると、もう怒りの感情は制御できなくなる。その人物の中身が、かつて彼女が憎んだ者と違ったとしていても。
けれどもけれども……ここでもう一つの誤算が。
融合のために選んだ魂は、ミラの魂とよく馴染んだ。
…………馴染みすぎてしまった。
彼女たちは本当に一つの魂になってしまった。
それは、火の玉の制御にいっとき外れてしまうくらいに。
所詮ただの残り滓と侮っていた彼女たちの小さな願いは、火の玉の願いとは真逆のものだった。
火の玉はその少女を見下ろす。
今度は酷く冷たいものだった。
『…………まぁ、いいさ。もう何もできないだろうしね』




