光に満ちた空間 ー3ー
“私のかわいいぼうや……”
子守唄の合間に、母が溢した言葉を思い出す。
……これが、どうでもいい?
本当に私がそんなことを言ったの?
『確かに、赤ん坊の頃の記憶なんて覚えているほうが珍しいわよね。それに相手に無関心になれば、それに関する記憶だって自然と頭から抜けてしまうわ』
「………………」
『でもあなたは覚えていた。まだ愛を求めていたから』
「は、母親の愛情を求めるなんて……それこそ幼い子どもじゃないんだから……」
ミラの表情は、凪のように穏やかだ。
『ずっと勘違いしているようだから教えてあげる。あなた、自分で思っているほど素敵な人生を送れていたわけではないのよ?何も変わっていなかったの。変わることを諦めてそのまま高橋奈々としての人生に幕を閉じたの』
「さっきから……、何を言っているの?」
『ナナ……、あなたは電車に撥ねられて死んだのよ。階段から落ちたのではない、自ら線路へ落ちたの』
私の脳裏に、とある記憶がフラッシュバックする。
——————
深夜、終電間近。
ノロノロとした動きで、階段をゆっくりと降りていた。
頭の中で、同僚達から言われ続けている言葉を繰り返し再生して、明日のことを考えて……。
頭上で快速列車のアナウンスが流れたんだ。
——————
「………………」
そのときの私、何も考えていなかった。
何も考えず足を動かして、それで私の身体が落ちたとき悲鳴が聞こえて……悲鳴が、聞こえて……心の中で少しだけ“私”が思った。
どう考えても、今の状況は人の迷惑にしかならない。そんな死に方を選んでしまってごめんなさいって。
『あなたが克服したと思っていた行為も、本当はできていない。こうなったらいいなっていう夢だけを見ていて、あなたは他に何もしなかった。今のあなたは、そういう夢ばかり見ていた高橋奈々という存在なの』
幼くて、“誰かから愛される自分”に夢見ているあなた。
『だから、あなたではないナナが言っていたわ。“私の中に邪魔な存在がいるって。それのせいで、楽になれない。だから、あいつを利用してそれを私から取り除く”って』
「“私”は、自分からいらない存在だと思われていたの……?」
『私ではなくて、“私たちは”よ』
ミラはそれでも微笑んでいた。
そうか……目の前にいるミラも、自分からいらないカケラだと思われている存在なんだ……。
『私はね、もうどうでもいいの。あと少しで学園は幻覚に包まれて、そこにいる人たちは現実に戻れなくなる。それが学園に留まらなくなって、世界中を混沌に陥れたとしても……それが果たされなくなったとしても……どうでもいい』
よく見れば、ミラの瞳には光がない。
彼女の紫色の瞳は、深海のようにどこまでもどこまでも静かに佇んでいる。
…………でも、
「それは嘘じゃない?」
『え……?』
ミラが初めて私を“見た”。
彼女は私の発言にとても驚いている。表情が無表情だったとしても、それだけはすぐにわかった。
「だって、もし全てを諦めて無関心でいるのなら、海の色を知りたいとは思わない。子守唄を歌ったりなんかしない。あなたはいろんなことに未練があるから……、いろんなことを知りたいと思ってるから、私に質問したんでしょ?」
『…………ええ、そうよ。でもあなた、海になんて全く関心なかったから、あなたから知識を得ようとしても意味がなかったの。私があなたの記憶を覗くには、あなたにとって思い入れのあるものではないといけないから』
……つまり、私にとって子守唄は思い入れのあるものだったんだ。そりゃそうだ。思い入れがなかったら、“嫌い”なんて答えない。
「……お願いミラ。私に力を貸して。あなたがいないと、私は一つの魂として存在できないみたいだから」
『一体、何をする気なの?』
「私とミラを止めるの。あの変な火の玉にいいように利用されている私たちを止めて、学園に掛かった魔法を解く」
目の前にいる少女は、目を細めた。
そんなことができるわけないと思っているらしい。
『相手は気が遠くなるくらいの時間を重ねて、恨みを蓄積し続けた“私”なのよ。その私に力を貸し与えている存在も、桁違いの力を持っていて、それに加えて異世界から来たあなたの魂の大部分まで取り込まれているの。無理よ』
「ミラ・スカーレットレイクの願いは世界を滅ぼすことなの?」
『……そう、ね。そして私は、全ての苦しみから解放されたいと願ったミラよ』
なるほど。
あの火の玉は、世界にとって脅威的な存在になりたいとかなんとか言っていた。だからミラ・スカーレットレイクの願いに目をつけたんだ。
あれ、それだと少しおかしいか?
それならどうして、あいつはミラに復讐の力を与えるのではなくてやり直しの機会を与えたの?
ミラの魂が欲しかったから?時間を巻き戻すには魂の一部が代償だって言ってたけど、でもそのためにミラがやり直しをして、それでミラが幸せを掴んだらどうしたんだろう。
「……つまり、あなたの最初の願いは違うものだったってこと?」




