第768話 親子で湯口
というわけで、温泉の浴槽にヒノキっぽいニスを塗ってみてから、実際に入ってみた。
残念ながら一人である。僕一人で入ることになってしまった。
「ほのかに良い香りがします。リラックスできます」
「おー。じゃあ成功だ」
「成功したみたいですねぇ」
ほのかに良い香りがして、リラックスできるニスをイメージしたところ――ほのかに良い香りがして、リラックスできるニスが完成した。
さすがの『ニス塗布』である。今さらながら、もはや僕の『ニス塗布』は空想具現化能力と呼べるほどの領域に迫りつつあるような気がしないでもなくて――
まぁそんなことより今の僕は、『フルールさんと一緒に温泉かと思ったのに……』という思いが感情の大部分を占めているわけだが……。
「じゃあ後で、女湯の方もお願いね」
「あ、そうですね。そっちもやっておかないと」
そうか、次は女湯で作業か。それはちょっとドキドキするね。いや、別に変な意味じゃなくて、そういうわけではなくて。
「それはそれとして、もうひとつの改築案も進めていきましょうか」
「もうひとつと言うと――」
「――湯口です」
だいぶ早い段階から構想を練っていた湯口の改築計画。いよいよこの計画に着手する時が来た。
というわけで、温泉の中をざぶざぶ進んで湯口に近付く。
「こう見ると、今の湯口も良いんですけどね。風情があってとても良いです」
「そう? ありがとうアレク」
四角い箱型の湯口で、すべり台のようにせり出した吐き出し口から、お湯がさらさらと流れている。シンプルだけど、良い湯口だと思う。
……普通にこのままでも良いな。
そんなふうに思った。このまま余計な手を加えないことが一番良いような気もしてきて……いや、でも僕の方でもいろいろとアイデアを考えたからな。フルールさんに聞いてもらおう。
「それで僕のアイデアですが――そうですね、まずは簡単に紙に描いて説明しましょうか」
「紙?」
「ええはい、紙に――」
紙が……。紙とかなかった。というか、温泉に入っていた。あんまり紙に何かを書けるような状態ではなかった。
「とりあえず出ますかね……」
「そう? もういいの?」
「ええまぁ……」
別に今は、温泉でのんびりすることが目的ではないので……。
まぁフルールさんと一緒に温泉なら、温泉でのんびりすることを目的に切り替えることもやぶさかではないのだけれど……。でもまぁ、一人だしな。一人でのんびりしてもな……。
◇
温泉からあがり、水着から普段着に着替えて、その間にフルールさんには女湯を確認してもらって、それから入口に『改築中』の張り紙を貼って、その後に僕も女湯へ向かい、浴槽にヒノキニスコーティングを施して、作業が無事に済んだところで女湯を退出した。
――うん。なんかちょっとドキドキしたね。いや、別に変な意味じゃなくて、そういうわけではなくて。
さておき、作業が終わって温泉を出た僕とフルールさんは、近くのベンチに腰掛けて、次の改築案について話し合っていた。
「それで湯口のアイデアですが、まずひとつ考えているのが――大シマリスのフルフル君です」
「フルフル君? フルフル君をどうするの?」
「ちょっと待ってください。紙に描いて説明します」
このベンチにはテーブルもセットで備え付けられているので、テーブルに紙を置き、サラサラとイラストを描いていく。
「こんな感じで、フルフル君の口からお湯が流れる仕組みです」
「口から……。それは……どうなんだろう。どんな感じになるのか、実物を見てみないとわかんないな……」
ふむ。わかりやすくベタなアイデアを一番最初に紹介したつもりが、この時点で軽く疑問を持たれてしまった。
不安な滑り出しである。これ以降に紹介していくアイデアがどう思われるか、今からちょっと不安。
「そして第二案としては――父ですね」
「セルジャンさん?」
「同様に、父の口からお湯が流れる仕組みです」
「…………」
別の紙を取り出して、父の口から何かが流れてくるイラストを描いていく。
そしてイラストをフルールさんに見せるが――うん、やっぱりちょっと引いているかもしれない。
「これはさすがに……」
「ダメですか?」
「うん、さすがに……」
「いやでも、鼻から出るよりは、口から出た方がよくないですか?」
「えぇ……? えぇと、そう言われると、それは口からの方がいいと思うけど……」
「ふふふ」
「え、何……?」
見事に決まった。これぞ――肯定的ダブルバインド。
父には防がれてしまったけれど、フルールさんには上手く決めることができた。個人的には満足。
「そして第三案として――世界樹様です」
「――あ、これは良いね! これは普通に良いと思う!」
ユグドラシルさんが持った水瓶から、お湯が流れてくる湯口。こちらはフルールさんも高評価。これ良いよね。デザインとしても良いと思う。
「あとは第四案として――この人も良いのではないでしょうか」
ここへ来て、ふと思い付いたことがあったので、新たな案としてイラストを描いてみた。
「ん、これは? なんか私に似てるような――」
「正解です。フルールさんですね。第四案はフルールさん」
「え!?」
デザイン的にはユグドラシルさんと同じ構図だ。フルールさんが水瓶を抱えていて、そこからお湯が流れている。
「一から一人で温泉を作り上げたフルールさんの功績を称えて、その偉業を後世に語り継ぐためにも、フルールさんの姿を湯口として残す案を僕は推したいと思います」
「えぇ……? いや、私は別にそんな……。というか、それだと温泉を作った人が、その温泉に自分の像を設置したことにならない……?」
「あぁ……。それはまぁ……」
やり方を間違えると、だいぶ自己主張が激しい人だと語り継がれてしまう可能性があったりして……?
「――じゃあアレクは? アレクも檜風呂を作って、湯口もアレクが作るんだから、アレクの湯口にしたっておかしくはないよね!?」
「え、僕ですか……?」
「それにほら、アレクとか至宝だし、エルフ界でも有名だし、私なんかよりも全然アレクの方が良いんじゃないかなって……!」
なんかフルールさんが僕を巻き込もうとしてくる……。
まぁ最初にフルールさんを巻き込んだのは僕であり、そのことを思うと何も文句は言えないけれど……。
「……では、一応僕の湯口もアイデアとして記しておきましょうか」
そこまで言うなら、一応僕も候補にしておこう。
というわけで、僕の湯口イラストもさらさらと描いていく。
「……アレクも口からなの?」
「ええまぁ」
僕の口から何かがダバダバと流れている。そんなイラスト。
とりあえず鼻から流れるよりは良いだろうし、小便小僧よりはこっちの方が良いだろう。
「女の人は水瓶で、男の人は口からなの……?」
「ええまぁ、なんとなく」
別にそういう分け方に決めていたわけでもないのだけれど、なんとなくそういうデザインになった。
そしてなんとなく――僕のイラストと、父のイラストを並べてみた。
「湯口を二つにして、僕と父の親子二人で並べてみるのも面白いかもしれませんね」
「怖いと思うな……。二倍怖いと思う……」
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