第767話 檜風呂は良いぞ
「それで、フルールさんはヒノキを知らないんですよね」
「うん、知らない」
「なるほど、そうなのですね……」
美人建築士にして美人大工職人のフルールさんだが、自らが経営するフルール工務店では木材自体の販売もしている。いわばフルールさんは木のプロフェッショナル。
そのフルールさんが知らないということは――
……この世界にヒノキってないのでは?
そんな可能性が浮上してきた。まいったな。それはまいった。ヒノキがないとなると、当然檜風呂も作れない。それに加えて、ユグドラシルさんが実際にはありもしないヒノキなる木を材料に『檜風呂を作ると良いらしいぞ』とかいう、結構な妄言を吐いていることになってしまう。
ついでに今回の件とは関係ないが、ひのきのぼうも作れないことになってしまう。それはそれで由々しき事態。勇者である父が困ってしまう。
「で、そのヒノキにしたいってことは、今から浴槽を全部取り替えるのかな?」
「あ、いや、それは……」
それなんだけど、実は元々その予定はなくて……まぁそれ以前に、そもそもヒノキがなさそうなんだけどね。
「その前にお伺いしたいのですが、おそらく今の浴槽も、お風呂用の木材を使ってるんですよね?」
「うん。耐久性とか耐水性に優れていて、お風呂には定番の木材」
「ふむふむ」
そうだよね。やっぱりその辺り、フルールさんはしっかり選んで作ってくれたんだよね。
だというのに、それを今から全部引っ剥がすなんて提案はできない。なので、やはり浴槽は浴槽でこのまま使わせてもらおうと思う。
「とりあえず今考えていることとしては――ニスでどうにかならないかなと」
「ニスで?」
「上手いことヒノキっぽくなるようニスを塗れないかなと」
「ヒノキっぽいニス……?」
今まで数々のニスを作ってきた僕だ。ヒノキっぽいニスくらい作れるはず。なんなら今までに作ってきた、金属っぽいニスとか音を吸収するニスとか実際に食べられるアメっぽいニスなんかよりは、よっぽど簡単そうに思える。
というわけで、今からヒノキっぽいニスにチャレンジしようと考えているわけだが――
「どうやらヒノキも耐久性や耐水性に優れていて、何より香りが良いらしいです。とてもリラックスできるらしいです」
「へぇ? 世界樹様がそう言ってたの?」
「そう言ってました」
ありがとうユグドラシルさん。ごめんなさいユグドラシルさん。
「それで、そんな特性のニスを塗ることで、現在の浴槽をさらに強化できないかと考えていたわけです。まぁ試したことはないので、実際にはどうなるかわかりませんが……」
「ううん、きっとできるよ! アレクはすごいから!」
「いやいや、別にそんなことはないですけど……でも、ありがとうございますフルールさん」
嬉しいなぁ。ここでしっかり僕のことを褒めてくれるフルールさんの優しさが嬉しい。ここで『ニス塗布がすごいから』ではなく、『アレクはすごいから』と言ってくれるのがフルールさんの優しさ。
たぶんナナさん辺りなら、『ニス塗布だけはすごい』と言うはずだ。なんなら『ニスが本体』とまで言うかもしれない。
「じゃあさっそくやってみよう!」
「そうしましょう。やってみましょう」
「まずは浴槽に溜まったお湯を抜かなきゃなのかな?」
「そうですねぇ」
溜まったお湯かー。これも僕の能力を使えば――アイテムボックス能力を使えば楽に解決できそうなんだけどねぇ。
お湯をすべてアイテムボックスに収納して、空になった浴槽にニスを塗って、それからお湯を戻せばいいわけだ。
まぁそれはつまり、レリパパさんの残り湯をアイテムボックスに溜めるという、なんとも言えない作業にもなってしまうわけだが……。
さておき、それより何よりアイテムボックスは秘匿すべき能力だからな。たとえフルールさんと言えど明かすことはできない。
「それか、このままできないかな」
「このまま? あー、お湯を張ったままですか。どうでしょうね」
お湯を張ったままの浴槽にニスを塗る。この文章だけ見ると正気の沙汰とは思えないが――とはいえ『ニス塗布』だ。なんと言っても僕の『ニス塗布』なのだ。案外いけそうな気もする。
「試しにやってみましょうか」
「うん、やってみよう! 頑張ってアレク!」
「はい、ありがとうございます」
フルールさんの応援を受け、浴槽のすぐ近くまで移動して腰を下ろす。
「ではでは――『ニス塗布』」
浴槽の縁に触れ、呪文を唱えた。
すると――
「おぉ……? できたっぽい」
「あ、本当に? できた?」
「たぶんできたはずです」
「おー、さすがアレク!」
「いやいや、ありがとうございます」
浴槽全体にニスを施せたっぽい。さすがである。さすがは僕だ。さすがの『ニス塗布』だ。
「それで、実際の効果はどうなのかな?」
「一応今回は耐久性と耐水性とヒノキの良い香りをイメージしたのですが、そこまで強い香りではなく、ほのかに香るイメージでニスを作製したために……」
というわけで、よくわからんな。今のところはよくわからん。実際に入ってみるまでわからんかもしれない。
しかしここでフルールさんに『実際に二人で温泉に入って確かめてみましょう』なんて提案をする勇気もなくて……。
もしそうなったら、フルールさんと二人で温泉旅行という目標も達成できるんだけど、でもそれはさすがに……。実際に二人で入るだなんて……。
「――じゃあ、実際に入って確かめてみようか」
「え?」
え? 実際に入って……? え、それは……え?
◇
「アレク、どうかな?」
「ええまぁ、良いのではないでしょうか……」
そんな会話をしながら、しっかり服を着たまま湯船の近くに立つフルールさんと、水着着用で温泉に入る僕。
まぁね、こんなことだろうと思ったよ……。
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