第761話 ゆっくりでいい
「あーん」
「あー」
――妹の食事である。
椅子に座る妹アンナに、ご飯を食べさせていた。
食事をスプーンですくい、妹の口元へ運ぶ。あむっと妹がスプーンを咥えて、僕がスプーンを引き抜くと、それからもぐもぐして、ごくんと飲み込む。
飲み込むまでゆっくり待つ。焦らせるのもよくない。妹が食べている姿をゆっくり見守る。
――ゆっくりだ。ゆっくりでいいのだ妹よ。兄を見習うのだ。
「美味しいかい、妹よ」
「だー」
「そうかそうか。それは何より。たくさん食べて大きくなるんだよ」
「だー」
大きく成長してほしい。そしていつかは兄を超え、立派なエルフに成長してほしい。
……いや、兄の方はあんまり立派なエルフになれなかったとか、別にそういう意味ではない。
「あーん」
「あー」
いろんな想いを込めつつ、再びスプーンで食事を運ぶ。
ちなみに今日のメニューはパンのお粥。パン粥である。
できたら妹には、セルジャンパンで作ったお粥を――セルジャン粥を食べさせてあげたいところではあった。
しかしセルジャンパンは未だ開発途中。今はまだ提供できない。デロデロにとろけたセルジャンパンというのも、それはそれで趣があるものだったろうに……。
まぁ仕方がない。普通のパン粥ではあるものの、妹的に不満はないようなので、引き続き召し上がっていただこう。
「はい、あーん」
「あー」
そんなこんなで作業を繰り返し、やがて妹の食事が終わる。
「うんうん、しっかり食べられたね。さすがは我が妹」
「だー」
赤ちゃんは食べるのが仕事。そういう意味で、素晴らしい働きだったと言えよう。
それからしばらく妹と一緒に遊ぶ。妹はお気に入りのセルジャンガラガラ3号を楽しげに振るっている。ちなみに妹が座っている椅子も、僕が作ったセルジャンベビーチェアだったりする。
そんなこんなで、しばらくすると――
「うー……」
「もうお休みかな?」
なんか眠そうだ。食べてすぐ寝るのは赤ちゃんにもよくないと聞いたことがあるが、食事をしてからかれこれ三十分ほどは経過している。もう問題ないだろう。寝かせてあげよう。
というわけでセルジャンチェアから妹を抱き上げて移動し、ベッドに寝かしつける。
「さぁお休み妹よ。なにせ赤ちゃんだからね。寝るのが仕事だ。しっかり働くのだ妹よ」
「だー……」
そのうち妹はスヤスヤと眠りについた。
寝る子は育つ。その言葉通り、すくすくと育っていってほしい。
「――お疲れ様、アレク」
「あれ? 母さん?」
妹の働きっぷりを温かい兄の眼差しで見守っていると、いつの間にか現れた母に後ろから声を掛けられた。
「見てたの? なんだか恥ずかしいな。もしかして赤ちゃん言葉で話したりしてなかった?」
別に赤ちゃん言葉が悪いってこともないんだけど、その姿を傍から見られるのはちょっと気恥ずかしい。
「むしろ妙に堅い言葉で話し掛けていたわ」
「え、そうなの……?」
そうなのか。自分では意識していなかった。妙に堅苦しい言葉だって? 赤ちゃんに対して、何故そんな言葉遣いを……。
もしかしたら無意識のうちに、兄としての威厳を示そうとしたのかもしれない。あるいは今の段階から、兄としての威厳を保てるか不安になっているのかもしれない……。
「それにしてもアレクはアンナの世話をよく見てくれているわね」
「うん? ああ、それはそうともさ。なにせ妹のお世話という観点で言えば、僕は五ヶ月も遅れているからね。頑張って遅れを取り戻さないと」
僕が旅から帰ってくると妹が生まれていたわけで、しかも妹は生後五ヶ月だったそうで、つまりは五ヶ月分の遅れ。結構な遅れだ。人から遅れることには慣れっこの僕だけど、だからと言って諦めるのもよろしくない。自分のできる範囲で頑張っていこう。
「――もしかして、初めての言葉を狙っているのかしら」
「んん? 初めての言葉?」
「アンナが初めて喋るとき、いったい何を喋るのか。『ママ』なのか『パパ』なのか、それともアレクやナッちゃんやイチゴちゃんの名前なのか」
「あー、つまりは妹が初めて覚える言葉か。……いやでも、そんなことは気にしていなかったけど」
それは重要なのだろうか。家族全員で争うプライドマッチなのだろうか……。
「でも確かに呼ばれたら嬉しいかもね」
「そうでしょう? アレクもアンナから『お兄ちゃん』と呼ばれたら――」
「『兄』と呼んでもらえたら嬉しいね」
「兄なのね……」
実際妹の前では自分のことをそう呼んでいるし、僕は妹を妹と呼び、妹は兄を兄と呼ぶ。それでいいと思う。
「アンナもアレクの影響で、『パパ』じゃなく『父』と呼んだりしそうね」
「あー、もしかしたらそういうこともあるかもねぇ」
「なんなら『セルジャン』と呼ばれるかもしれないわ」
「確かにそれもありそう……」
妹の周りはセルジャングッズであふれてるからね……。
「――あ、ちなみに僕はどうだったんだろう? 僕が最初に喋った言葉はなんだった?」
僕自身も覚えていないけど、我が子の初めての言葉に重きを置く母なら覚えているかもしれない。
果たして、僕の初めての言葉は――
「『あ、はい』だったと思うわ」
「……そうなんだ」
なんともいえない言葉だな……。初めての言葉として、だいぶ適切ではないような……。
でもまぁ、気持ちはわかる。さすがにママとかパパとかは恥ずかしくて呼べないよね……。
「やっぱり普通は『ママ』とか『まんま』なのかな。確かレリーナちゃんも『まんま』って言葉を繰り返していたらしいし、もしも妹の初めての言葉が『まんま』だった場合は――」
「それは私の勝利ね」
「ご飯を意味する『まんま』の可能性もありそうだけど……」
とかなんとか、眠る妹の様子を見ながらしばらく母と雑談を交わしていたわけだが、そのうちに母が僕に対して――
「さて、あとは私が見ているから、アレクは自分のことをしていてもいいわよ?」
「あ、そう? ありがとう母さん」
妹の面倒を代わってくれるらしい。じゃあそうしようか。母の言う通り、何か別のことをしようかな。
「といっても、今日はこれといって予定もないし、どうしたものか」
「そうなの? なんだか最近は忙しそうにしていたけれど? なんて言ったかしら、何かリストを作っていたわよね。確か――未来予測リスト?」
「次回予告リストだよ母さん」
似ているけど微妙に違う。そんな胡散臭い予言書っぽいリストは作っていない。
あと、僕が未来を予測したところで、全部逆フラグになって全部外れそうな気がする。
「まぁその次回予告リストを進めていて、確かにちょっと余裕のない日々を送っていたかな。――でも、もう大丈夫。ユグドラシルさんに良いアドバイスを貰ったから」
「ユグちゃんが? どんなアドバイスかしら」
「言葉にしちゃうと単純なんだけど――『アレクのペースで進めればいい』って、ユグドラシルさんがそう言ってくれたんだ」
「そう。ゆっくりとしたペースで進めるつもりなのね」
「……うん」
……えぇと、確かにそうなんだけどね。
でも僕は、『アレクのペース』と言っただけで、『ゆっくりとしたペース』とは言っていないのだけど……。
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