第四十話 森羅万象
俺が佇んでいると、俺の周りをギャロップが回り隙を探り始めた。
しかし、俺は奴の挙動を無視して佇んだまま振り向かないでいる。
何故なら何となく分かるのだ。
全ての奴の挙動が。
ならば後ろから飛び掛かられ様とも平気である。
後ろから、奴の左手が俺の左肩を狙って高速で伸ばされる。
俺は右腕を背中に廻して右手で奴の左手首を掴む。
掴んだ瞬間には既に極めている。
極めたら既に転身で振り向いている。
奴は勢い余って、つんのめって来た。
ギャロップは、またもや回転して床に飛び込み叩き付けられる。
2度目は流石に観衆も耐性が出来たのか、俺の技がこの事態を引き起こしていると認識出来た為に本当の驚愕に襲われている。
「闘神のシグマ……か、正しく闘神という二つ名に相応しい闘いだな。
素人の俺らじゃアイツが何をやったのか、サッパリ分からねぇ」
静けさが満ちる観衆の中で、冒険者であろう男が呟いている。
ギャロップは流石にタフなのか、よろめきながらも再び立ち上がる。
「お前……目玉が後ろにも付いてんのかよ。
それに今度こそは何をされたのかが分からなきゃ、おかしい筈だった。
だが、今度も何も分からねぇ。
どうやらシグマよう、お前は天秤流すら凌駕するかもしれない何かを会得してんのかもな。
だけどよぉ、俺の創った天秤流を全て出し切った訳じゃあねぇ。
奥の手、出さして貰うわ」
「おお、出せ出せ。
正面から叩き潰してやるよ」
俺が返事をした瞬間、またもや飛び込んでくるかと思いきや、ギャロップはがっちりと腰を落とした。
少しばかり不本意な顔でギャロップが述べる。
「天秤流奥義、不動。
この技を使う羽目に成るとはな。
体重や体格に差がある俺とお前じゃ、もう覆す事は出来んぜ。
楽しみが減っちまったが、勝ちに行かせて貰うわ」
成る程、前世のお家芸でも体重、体格、筋力で相手よりも優っていればそれを活かした戦術を用いていた。
大抵は無闇に相手に飛び付いたりせず、まずは摺り足で移動するか待ちに徹して軽い体重の相手に潜り込まれない様にする。
そして手の届く範囲に相手が入ったら、何処でも良いから掴む。
そうすれば後は簡単だ。
引き寄せて揺らし崩す、すると軽い体重の相手の方が先に根を上げる。
そして体重を活かした技で、巻き込んで終らせる。
地味だが、確実で間違いの起こらない戦法だ。
蟻と象作戦とでも名付けたい。
蟻では象には敵わないと云う事だ。
だが、俺相手にはそんな小細工は効果がない。
俺は無造作にギャロップに近付いて、掴もうと伸ばしてくる奴の手首を掴んで極める。
ギャロップは膝から崩れ落ちて、最後には俺に俯せに倒された。
「なっ! はぁっ? 何故なんだよ。
奥義がこんなアッサリ破られた!? 分からねえ、畜生め! 掴めさえすれば俺の独壇場な筈なのによぉ」
流石に信じられないのか、ギャロップの泣きが入る。
「そうなのか? 組めば何とか成るんだな? なら組もうじゃないか」
抑えて倒していたギャロップを放してやり、立ち上がったギャロップと左奥襟と右袖をガッチリと組み合う。
組むのを促した時は呆然としていたギャロップだが、組み合った瞬間にその目付きは餓狼のそれに変わった。
「貰ったぁ! 幾ら何でも油断し過ぎだシグマ!」
嬉しそうにその強大な体格から繰り出された筋肉の舞踏は、膨大な勢いへと変換されて俺に向かって放たれたのだろう。
だが次の瞬間、観衆もギャロップも予想出来ない事態が3度重なる事になる。
ギャロップが、まるで側宙飛びをかました様に真横に吹っ飛んだのだ。
そして、奴の袖を掴んだ俺の左手がそのまま奴の身体を床に叩き付ける。
前世では、まるで空気で足腰を跳ねた様に見えるとも言われた技だ。
どちらかと言えば、床で足腰を跳ね飛ばしたと言う方が正しいとは思うが。
もう観衆は黙ってしまっている。
分かったのだろう。
投げ技のパイオニアである天秤流創始者のギャロップよりも、俺の方が遥かに上回る領域に達している事に。
ヨロヨロと立ち上がったギャロップは、不屈不当が信条なのか目にまだ力があった。
「ギャロップ、今度は俺の小指と闘ってみてくれ。
どうやら実力に差が有り過ぎる様だ。
ほら、掴んで捻ってぶち折ってみてくれ」
俺は小指をギャロップに差し出した。
しかし、これには流石に遣られっぱなしのギャロップとはいえ、馬鹿にされているとでも思ったのか吠えかかって来た。
「シグマ! 流石にそこまで舐めた口を叩かれちゃあ頭に来るぜ。
その小指、ぶち折ったらぁ!」
俺の小指を折ってやろうとギャロップが小指を掴んで力んだ瞬間、またもやギャロップの身体は小指を中心に宙を舞った。
もう驚かない筈だった観衆や投げられ続け疲弊したギャロップですら、小指1本で投げられてしまうとは思いもよらなかったのだろう。
もうギャロップは呆然自失に陥ってしまい、天秤流創始者としての誇りも木っ端微塵に粉砕された様に見える。
「シグマ、もう俺の負けでいい。
疲労困憊の俺とお前じゃ、勝敗は明らかだろうぜ」
負けたと認めたギャロップの顔は、悔しいと云った感情ではなくて何処か納得した表情を浮かべている。
まあ、小指1本で投げられたらそうかもな。
実際は小指の力だけで投げた訳じゃないが。
柔術とは相手の関節などを極めて円運動で力を逸らし(化勁)、転身などで螺旋を発生させ相手へ捻り返す技法だ。
間合いや拍子が重要である。
体外から足腰で直接的に投げ飛ばすのではなく、脱力により発生する体重を利用した力(勁)で相手を体内から投げ飛ばすのが柔術なのだ。
外家ではなく、内家の技術であると云えよう。
そして龍気術とは、天の気と地の気を合わせて森羅万象と一体化すると云う事だ。
俺が前世でまだ子供だった時に、広い芝生のある公園へ行った事がある。
俺が芝生の上を駆けて行くと、不思議な事が起こる。
俺が足を芝生に下ろすたびに、俺の足に地面から反発が起こり足の裏を叩くのだ。
この現象は、実は芝生が緩い登り坂だった事にある。
しかし、芝生が綺麗に敷き詰められていた為、俺は遠近感を失い芝生を平地だと思い込み平地を走るフォームで登り坂を走っていただけの話だ。
途中に石でも転がっていれば坂に気付いただろう。
そして緩い登り坂とはいえ斜面に水平に駆け込んだ俺は、斜面に蹴りをかましたのと同じ事をしていたのだ。
従って足の裏の反発は反作用でしか無い。
しかし当時子供であった俺は、不思議な現象から逃れる為に更に加速して走り出した。
すると踏み出した右足の裏に強く反発が起こり持ち上がり、俺はその場で後方宙返りに近い尻餅をついてしまう。
これは当然事で時間当たりの俺の傾斜取得量が増大するのだから、斜面の反作用は加速に伴い増大するのだ。
俺は不思議な現象が緩い斜面によって起こされた事が分かり、下り坂や坂を横切ったらどうなるかを確かめた。
すると下り坂では右足がストンと落下し前方宙返りになる。
坂を横切った場合では右足が落下、左足が浮き上がり右側転宙返りをしてしまう。
逆向きでも試したが右足が浮き上がり左足が落下して左側転宙返りになるだけだった。
つまり俺は、現実の世界と俺の意識上の世界のギャップに躓いた事になる。
この現象を、龍気術では相手に起こさせる。
相手の意識上の世界と現実の世界の地面の傾斜を、極小で良いのでズラす事が出来れば良いのだ。
ズレが極小でも相手の力が大きければ、緩い傾斜で加速した俺の様に相手は転ぶ。
体格、体重に関係無く作用し、むしろ相手の力が強ければ強い程崩しが発生する。
後は飛んでいく相手の力の流れを操れば、片手でも相手を投げ飛ばす事が出来る。
しかし、相手の意識上の地面だけを傾ける事など超能力者でなければ出来ない。
相手の意識上の地面を現実に反映させているのは、相手の脳からの電気信号を忠実に再現する肉体である。
相手の意識上の地面を維持している肉体へ、柔術を使い干渉して歪める。
相手の重心には干渉せずに、あくまで相手の肉体の正しい姿勢の情報だけを自然体で読み取り極小だけ歪める。
地面を平らに保つ為の電気信号が相手の脳から肉体に伝達されるが、相手の肉体の伝達経路を歪めている為に相手の抗いは全て相手の重心に作用してしまう。
相手の重心を揺るがし崩すのは相手自身の仕事で、こちらが相手の仕事を盗ってはいけないのだ。
龍気術の崩しは、相手自身の力を用いて自滅的な崩しとして行う。
こうすれば相手は地面と喧嘩する事になり、必ず自滅する。
昔から達人達は、口を揃えてこう言っている。
相手の重心を揺るがして、投げ飛ばしてやろうと考えては上達しない。
あくまでも相手が、勝手に飛んでいくのを促しているだけなのだと。
これが天の気(重力)と地の気(地面の存在力)を合わせて森羅万象(世界の理)と一体化すると云う事だ。
この様に龍気術とは、己の力を使わずに体格、体重、筋力などに左右されずに相手を投げ飛ばす事が出来る武術なのだ。




