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第二十六話 無念無想

 今回使った技は、無念無想と呼ばれる物だ。無念無想とは、武術において最高難易度の技術だ。ただ単に無心になるなんか幼児にも出来る、極々簡単な事だと意外に思うだろう。しかし単純な事柄のいかに難しい事か。



 無念無想で大事なのは、無意識の領域だ。無意識領域は、古代の猿時代から五感を駆使してその身を危険から護ってきた。基本的に猿の生活とは喰う、寝る、犯る、遊ぶ位だろう。それ以外では闘争、逃走、盗走などの生存に繋がる事柄だけを行って来たのだ。それらは空間情報把握能力を自然に鍛え上げた。特に木の上での立体機動環境は、空間を把握する能力を更に開花させる事になった。


 そんな環境化に於いて常に脳は無意識領域下で五感を使い、様々な現状の情報を取得し続ける事に依り進化して来た。猿の遺伝子さんが仕事を開始する程に世代を重ねて幾星霜……無意識領域を空間情報把握に特化させ、知性の無い猿の為に調整された理屈抜きのイメージ情報伝達を構築したのだ。


 まあ人類が知性を得てからは、雑念(知性)が邪魔をしてイメージ情報を受け取る事が出来なくなったが。基本的に混沌である無意識領域が表層意識へ空間情報を幾ら送っても、表層意識の理屈(我)へは本来の形では伝わる事はない。人は考えるから猿の能力を使えないのだ。だから達人は心を無にしろと繰り返し主張する。猿の様に無垢の心を取り戻せとは言わないし、思っても居ないだろうが。これが我を意識から捨てると云う事なのだ。


 脳を鍛えて無意識からの情報イメージで、肉体を操作する。四千年の国の拳法では“意”と呼ばれる物だ。肉体は無意識領域支配下においては脱力で運用可能に成る。普通の人の恣意的な動作とは隔絶した動作が可能だ。無意識領域が五感で周りの空間の情報を取得して、これをイメージ(色々な種類や個人差があり俯瞰視点や未来像など)で表層意識に伝える。表層意識は何となく伝わるイメージを不思議だと思いながら、対戦相手の挙動を知る。


 F1ドライバーは車体とシンクロするという。車体からの震動、車体フレームからの軋み、タイヤと地面の接地面からの感触で、車体が自分の身体同様に感じるそうだ。メカニックでさえ超音波測定器を使って分かるフレームの見えないひびに、ドライバーは違和感を感じて気付く。これは車体の物理的情報を肌で感じ電気信号に変えて脳へ伝える事で、脳には車体だろうが肉体だろうが同じだと誤認する事によって起こる。


擬似的に車体を肉体に脳内変換出来るのならば、猿の能力を駆使すれば更に拡大して周りの空間全てを肉体として感じる事も可能だという事だ。よく言われる世界と自分が一体になる感覚とは、これを差す。この技術を人に教えるのにはかなりの困難だ。前世で現代の達人と呼ばれた人が言った言葉がある。


【なんとなく対戦相手の次の動きや力の流れや重心が分かり、どう自分が動けば良いかなんとなく分かった。周りの人が、何故自分の簡単な技術を理解出来ないのか不思議で首を捻る】


 何となくなのは無意識からイメージで届くからだ。肉体を脳から操る感覚は普通の人には中々理解出来ない。この技術は型稽古では伝えられない。筋肉や体格の話でもない。脳の意識改革が肝要なのだ。昔の達人達は、意識改革を理解して貰う為に色々な言葉で説明している。無念無想、忘我の境地、明鏡止水等々、共通しているのは我を捨てるという事だ。結局は型稽古で体感をさせて理を説く形になったが、一部の流派は理を失伝し只の踊り稽古になった所もある。前世の祖国はこれを神気とか呼んで宗教と絡めてオカルトめいた物になり廃れてしまった。まあ山伏の修験道などの古流派には残っている。この始まりと終わりを司る武術を、四千年の国の拳法として流派にまで発展させたのは驚異的な事だ。


 俺が幸運だったのは赤ん坊になり神経や脳などの接続がまだ未熟で、さらには前世で方法を知識として与えられていた事と、とある特殊な鍛練を行う膨大な時間があった事だろう。我が肉体とすら呼べない時期に普通の動作よりも先に、自然体を構築する為の下地作りが出来たのが習得時間短縮の要因だ。



 前世の天才達は何故か奇行に走り、生活面の身の回りの事すら出来ない事がある。しかし、普通の人々の常識的な感覚では理解出来ない過程を経て凄い理論を構築したり、天文学的計算問題すら一瞬で閃いて解いてしまう。そんな話をよく耳にするが、おそらく彼らは無意識領域と表層意識が混線しやすい脳を、文字通り天から授かったのだろう。


 移動に使った流水だが、摺り足と呼ばれる足を地面に擦る様な歩き方を使って移動する。この時、膝抜き(膝の脱力)と呼ばれる古式技法で地面への接し方の角度を変えて、自然と身体が傾ぐ様に調整する。そして腰に依る荷重移動で身体を操り、傾ぎながらも流れ落ちる水の様に移動する事が出来る。対して普通の筋力での移動方法は、躍動する筋肉とかメディアでキャッチコピーされるだけあって、筋肉の収縮運動を利用しなければエネルギーを発動出来ない。いわば拍子の塊で言い換えれば予備動作の塊なのだ。流水の様に移動出来れば、拍子も刻まず敵にも読まれない。無理に筋肉で動かずに、自重落下制御しながら前後左右へ移動するのだ。そして流水は身体調整の難度が極めて高い為に、身体操作の極みである無念無想で行うという条件化でのみ奥義へと至る。

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