第九十七章 ただの楽しい夢……
俺はこの病院のベッドに横たわっていたのを覚えている。見覚えのある内装だ。まあ、これまで何度も入院してきたから、そう感じるだけかもしれないが。
医療機器の穏やかなピピピという音を遮って、看護師が入ってきた。まだすごく若い。卒業したてなんだろう、きっと。長い睫毛に縁取られた大きな青い瞳、ナースキャップに押さえつけられて慌てて整えたような明るい髪。小さく整った鼻。普通の白衣だが、かなりぴったりしていて、彼女の魅力的な体つきがよくわかる。
「あら、目が覚めたんですね! やっと!」看護師は優しい声でそう言うと、俺のところまで駆け寄ってきて、傍らの椅子に腰を下ろした。「皆さん、本当に心配してたんですよ。十日以上も意識が戻らなくて! ご自分のお名前、覚えてますか?」
「えっと、ニコ?」
眉をひそめて、彼女は言った。
「フルネームは覚えてませんか?」
「ニコライ・ヴィノグラードフ!」
険しい表情が、ぱっと明るい笑顔に変わった。
「素晴らしいわ! 他に何か覚えていることは?」
俺は言葉に詰まった。なんというか、混乱している。確かに覚えてはいるんだが、どうも今起きていることと噛み合わない。自分の体を確かめてみると、体は至って普通で、モデルを使った後のあの鍛え上げられた体じゃなかった。もしかして、本当に……? だが話し始めると、看護師が今にも泣き出しそうな顔をしているのが見えた。
「ああ、なんて夢を見ていたんでしょう! 橋のこと、事故のこと、本当に全然覚えてないんですか?」
額を掻きながら、俺はあの日のことを彼女に話した。
手を叩いて、彼女は嬉しそうに笑い、真っ白な歯を見せた。
「ほら、やっぱりあなたはヒーローじゃないですか! あんなにたくさんの人を救って、自分は死にかけて! ニュースでも取り上げられてたんですよ、地元だけじゃなくて」
どう答えていいか分からず、俺はただ肩をすくめた。
「あ、すみません、私、ターニャって言います。ずっと看病してたの、私なんです。先生呼んできますね。それで、もしかしたら退院できるかも。良かったですよね?」
俺は頷いて、女の子が出て行くのを見送った。慎重に上半身を起こし、俺から伸びるチューブやコードに引っかからないよう気をつけながら、自分の荷物を探そうとしたが、どうやら遠くにしまわれているらしい。結局、医者がターニャと一緒に来るまで、俺はただ仰向けに寝ているしかなかった。
診察の結果、退院できることになった。医療機器から外され、事故の時に着ていた乾燥済みで洗濯された服と、俺の持ち物も返してもらった。
「えっと、本当にありがとうございました」俺は見送りに来たターニャに自信なさげに言ったが、女の子は突然表情を変えて俺に駆け寄ってきた。
「あのね、あなた、すごく勇敢なんです。私、本当に感動しちゃって。だって、橋にいた人たち、誰も助けようとしなかったんですよ。みんなスマホで撮影して、ネットに上げることしか考えてなくて。誰か残ってるかもって気づいてから引き上げられたんですけど、あなた、もうかなり水を飲んじゃってて、ずっと命と闘ってたんです」
ロシアにいるんだから、一体どの金で治療したんだって聞きたかったが、ターニャは自分から続けた。
「児童養護施設の女性が来て、お金を置いていったんです。あなたの方が必要だからって。連絡取った方がいいと思います」
女の子はさっと封筒を俺に押し付けると、くるりと向きを変えて病室の中へ消えていった。
「ふむ、ありがとう。じゃあな」俺はそう空中に向かって言うと、出口へと向かった。封筒の中には俺の薬が入っていた。くそ……
お、メモも入ってる。電話番号と「ターニャ」って書いてある。ちょっと考えて、とりあえず捨てないでおくことにした。俺がもうすぐ死ぬってことは、彼女もわかってるんだろうな。
残念だが、夢は夢のままだった。
もう一度確かめるために目を細めてみたが、当然、繋がりのリストなんて目の前に現れなかった。
街はまだ春だが、曇り空に遮られて暖かい陽射しは見えない。雷雨は好きだけどな、よく言うだろ。
スマホの電源を入れると、ボイスメッセージの通知が届いていた。再生ボタンを押すと、しばらくして聞き覚えのある声が流れてきた。マリア・ヴァシーリエヴナ、そうだ、保育士さんだ。
「コーリャ、もう退院する頃よね!? おめでとう! 子供たちみんな、あなたのことすごく心配してたのよ。私なんてもっとよ! もう二度と私たちを怖がらせないで、お願いだから自分のことを諦めないで!」
最後まで説教を聞き終えて、背景で聞こえる子供たちの声に苦笑しながら、俺はフードを被って道をゆっくり歩き出した。そういえばと思い出して、プレーヤーを取り出した。おお、まだ動くじゃないか! イヤホンを耳に突っ込んで、再生ボタンを押した。
「人形のように真夜中に。今や奴はお前を操れる!」
考え込みながら、俺はマイクロバスに乗って家に向かった。嫌な予感がしたが、橋を渡ると少し気が楽になった。
問題なく家に着いた俺は、自分の部屋に転がり込んだ。シリアルを軽く食べ、シャワーを浴びてから、ソファに座って一点を見つめた。どういうことだ、まさか全部幻覚だったのか?
もう二度と会えないのか? 体を縮こまらせて、余計に辛くなるだけの考えを振り払おうとした。ただ、楽しいおとぎ話として覚えておけばいい。それだけだ。
リモコンに手を伸ばすと、激痛が俺を貫いた。体を折り曲げ、堪えきれずに床に倒れ込んだ。ウィンドブレーカーまでなんとか這っていき、封筒を開けて錠剤を二粒口に放り込むと、バスルームの方へ這っていった。
どんなに頑張っても、蛇口まで辿り着けなかった。だから、花の水やり用に用意してあった淀んだ水をそのまま飲んだ。
タイルが不快なほど体を冷やしたが、もうどこかへ動く力は残っていなかった。丸くなって温もろうとしながら、体を貫く痛みから流れる涙を抑えようとした。涙のせいで余計に寒かった。
一時間苦しんだ後、俺は慎重に起き上がり、スマホを取り出して医者に電話をかけた。
「イーゴリさん、こんにちは。ニコライ・ヴィノグラードフです。覚えていらっしゃいますか」
数秒の沈黙の後、元気な声が響いた。
「おお、コーリャか、もちろん覚えてるとも。まだ生きてたのか?」
素晴らしい医者だ、本当に10点満点中10点だな。
「ええ、先生もお元気で」
「まあまあ、そう言うなよ。間違ってなければ、お前は今、人生を楽しむべき時期だろう? 悲しみに浸って何になる?」
「伺ってもいいですか? もう少し正確な期限を知りたいんです」
面会の約束を取り付けると、イーゴリは電話を切った。クソみたいな医者だ、何も言うことはない。だが俺の診断結果じゃもうどうでもよくて、だからこんな奴を回されたんだろう。
感覚を研ぎ澄ませると、俺は素早く服を着て部屋を出た。そんなに遠くまで行くわけじゃないのに、もうこれがストレスになり始めていた。あの頭でっかち共は最初から俺を検査できなかったのか? そもそも、保育士のカネのために瀕死の病人を回復させることに何の意味があったんだ?
検査を済ませると、俺は結果を待った。全部正しければ、もう節約する必要もない。スピード勝負だ。
黄ばんだ口ひげを生やした五十歳くらいの太った男、イーゴリが、眉をひそめて大量の紙に目を通していた。
「コーリャ、コレーニカ、コリューシャ。うーん、何と言えばいいか、これは全部明白だよ。俺が思うに、せいぜいあと二日ってところだな。もしかしたら今日かもしれん。もちろん、こんなストレートな言い方で俺を責めてもいいが、遠回しに言う意味が見えないんだ。お前ももう大人なんだから、自分で分かるだろ」
「ああ、それだけでもありがたいよ」
薬局に駆け込んで薬を手に入れると、俺は家に向かったが、途中の公園で降りた。
くしゃくしゃの紙切れを取り出すと、俺は番号をダイヤルした。少女は電話を待っていたかのように、すぐさま明るい声で答えた。
「はい!?」
「やあ、これは……」
「ええ、コーリャ、こんにちは」早口でそう言うと、彼女は黙り込んでしまった。
そうだよな、まだ仕事中のはずだ……
考え込みながら、俺はずっと言葉を選んでいたんだが、それでもなんとか絞り出した。
「なあ、やっぱりやめた方がいいんじゃないか。だって、俺はもうほとんど……」
「ダメ! 何も言わないで! 全部知ってるわ。だから……私から一歩踏み出したの。たった一日でも、一時間でもいい。ちゃんと意味のある時間を過ごしましょう、ね?」彼女は勢いよく、はっきりとそう宣言してきた。思わず、悪くないかもな、と俺は考えてしまった。
「わかった。じゃあ、夜に会おう。場所と時間は後で送る」
優しい声が囁いた。
「分かった、待ってるよ」
電話を切って、俺は少しずつ花開いていく自然の景色を楽しみながら、ベンチの間を歩いた。時間に余裕があると、どうでもいい細かいことに気づき始める。鳩の歩き方が妙に面白かったり、ありふれた雑草の色が心地よかったり、すれ違う女の子たちがそれぞれの小さな仕草で可愛く見えたり。
前を歩いていた、ぴったりしたジーンズを履いた魅力的な体型の女の子が、突然つまずいて袋を落としてしまった。予期せぬ衝撃で破れた袋から、リンゴがアスファルトの上を転がっていく。女の子はカツカツとヒールを鳴らしながら不器用にリンゴを拾い集めようとしたが、袋がないことに気づいて、絶望的に立ち尽くした。
リュックをゴソゴソ探って、俺は袋を取り出し、白馬に乗った王子様みたいな顔で見知らぬ女の子に近づいた。
「ほら、これ使ってください!」と、俺はさりげなく言って立ち去ろうとした。ナンパみたいに見えちゃうからな。でも、女の子がこっちに顔を向けた瞬間――「セフィーナ!」思わず大声が出てしまった。驚きで固まる俺。
女の子は恥ずかしそうに俺の手から袋を受け取り、こっそりと青い瞳でちらりと見上げた。
「どうして、私の名前を……?」
「え、えっと、つまり、本当にそういう名前なんですか?」
女の子は不満そうに俺を見ると、収穫作業で忙しいふりをした。俺もどうせここに残ったんだからと、手伝い始めた。とはいえ、彼女が興味津々なのは見え見えだったが。
「これ、あたしのハンドルネーム。レーナって呼んで。あたしたち、ご近所さんなんだよ。まあ、気づいてなかったかもしれないけど」
ふむ。覚えてないな。まあ、隣人と特に交流したことなんてなかったし。それに早朝に出勤して、帰りは遅いし、本当にすれ違う暇もなかったんだ。
「よろしく。俺はコーリャ」
「こちらこそ」レーナはそう言って、媚びるようにウインクした。
「それで、その耳は……」ふと思ったんだが、気づいたら声に出してしまっていた。
まさか俺の妄想が、チラ見程度にしか見たことのない隣人を勝手に描き足して、しかも何の脈絡もなくネコ耳娘にしちまったのか?
レーナはゆっくりと、耳の先まで真っ赤に染まった。
「あの……私の配信、見てくれてたんですか?」恥ずかしそうに少女がつぶやきながら、バッグから猫耳カチューシャを取り出した。それを頭につけると、まさにあの時そのまんまの姿になって、さらに可愛らしく「にゃん」なんて付け加えやがった……
「ああ、多分ネットで見たかも」俺は呆然とつぶやいた。「厚かましくてすみません。よかったら荷物持ちましょうか? ほら、ご近所さんですし」
少し考えてから、セフィーナは頷いて、俺に袋を手渡すと、ゆっくりと隣を歩き始めた。ジャケットに身を包みながら。
「普段は何してるんですか?」俺は会話を続けることにした。「あと、よかったらタメ口でいいですか?」
「いいよ」セフィーナは微笑んで答えた。「今は学生。五年生」
「へえ、まあ学生ってのはわかったけど、趣味は?」
「アニメとか、配信とか、もうわかってると思うけど」少女は言った。それから俺に近づいて、レーナは囁いた。
「あと――弓道!」
なぜかそんなことを思った。たぶん俺には何かしらの超能力的な素質があったんだろう、きっと。
「なかなか珍しいな。弓を撃つ猫耳娘、ぜひ見てみたいもんだ」
恥ずかしそうに、セフィーナは顔を背けた。
「いつか、ね」と小さく呟いたが、それ以上は何も言わなかった。もう玄関のドアまで来ていたからだ。
彼女は俺のことを聞いてこなかったし、俺も黙っていた。今は仕事すらしていないんだしな。
黙って必要な階まで上がると、彼女が俺の向かいの部屋に住んでいることがわかった。俺の手から荷物を受け取ったセフィーナの唇に「入る?」という言葉が浮かんだが、声には出さなかった。沈黙が流れる中、俺は手を振って自分の部屋へと向かった。
彼女がくれたリンゴを二つ洗って、物思いにふけりながらかじっていると、ドアのチャイムが鳴った。
ちょっとした期待を抱きつつ急いでドアを開けたが、そこにいたのは「宗教勧誘」の二人組だった。エホバの証人か何かだろう。
「いや、いや、結構です!」俺は慌てて言うと、すぐにドアを閉めようとしたが、隙間にはもうチラシの束が押し込まれていた。
「若者よ、我らが神についてお話しする時間もございませんか?」皺だらけの老人が修道服のようなものを着て、隙間から突き出ているチラシに加えて、さらに束を俺に押し付けてきた。
「わかった、読んでおくから、また今度話そう」俺はそう言い放つと、招かれざる客の鼻先でドアをバタンと閉め、同時に不要な紙切れを部屋の外へ押し戻した。いや、待てよ、一枚だけ中に入り込んでしまったな。
狂信的な文句が並んでいたが、俺の中で何かが引っかかった。表面には、よくある宗教のシンボルではなく、顔のない男が両手を広げて全てを抱擁しようとしている絵が描かれていた。
◇◇◇
「やっぱりうまくいかないと思ってた!」ケルが唸るように言った。赤い楕円が一点に収縮した瞬間だった。
「でも、ニコは全部コントロールできてるって言ってたじゃない。リターンがあるって……」ジェシーが自信なさげに反論しようとしたが、まだ時計を見つめたままだった。
「そうよ、でも彼がどこにいるのか分からないじゃない! これが普通だと思う!?」
ケルは地面に横たわるセフィーナを指差した。少女はまるで人形のように動かず、瞬きもせず、濁った目で空を見つめていた。かすかな胸の動きだけが、彼女がまだ生きていることを示していた。
何も言わずに、ジェシーは慎重に猫ちゃんを持ち上げて、ぐったりとした体を抱え直すと、拠点の方へ歩いていった。
セフィーナを死すべき者の館のソファに寝かせると、少女たちはクリオシタ・キューを探し始め、すぐに見つけた――少女は不自然な姿勢で立ち、どうやら脳内を弄っているらしい。ブレンは近くに座り、飲んだ酒の影響で甘い欠伸をしていた。
何が起こったのかを手短に話すと、全員で居間に戻った。霧がキューの体を出るのを待ち、ブレンはフレムテックの女を掴んだ――彼女はまだ制御コードの影響下にあったからだ。囚われの猫ちゃんから一番遠い「牢屋」に少女を連れて行き、狼っ子は戻ってきた。残りの者たちはその間、ただ緊張した面持ちで固まったセフィーナを見つめていた。やがて霧が体を離れ、上の階に閉じ込められた自分の体の方へと飛んでいった。
その動きを追って、少女たちはエルフを出すために扉を開けた。翼を羽ばたかせると、クリオシタは伸びをした。
「おぅ、リビが消えて、あ……イェーイ、みんな、バンバン、ガウディ・イン・ザ・ハウス!」
気づかれないようにため息をつくと、ジェシー、ケル、ブレンは天使ちゃんを期待するように見つめた。
「おぅ、まあ、昏睡みたいなものだね。だけど意識は生きてて活発に働いてる。誰がこんなことをできたのか、正直言えないんだ、ごめんね」エルフは申し訳なさそうに肩をすくめ、悲しそうな顔を作った。「だけど、私自身も気になってきちゃったよ、これが何なのか」
下の階に降りると、全員が空いている場所に座り、黙り込んだ。
「ニコがなかなか戻ってこないわね」ジェシーが口を開きかけたが、他のみんなはさらに眉をひそめるばかりだった。どうやら同じことを考えていたらしい。
「戻ってくるわ」ケルが目を閉じて、自信たっぷりに言った。「あいつは強いもの」




