第九十三章 何者か
ずきずきと脈打つ痛みが少しずつ引いていった。代わりに執拗な思念が押し寄せてくる。まるで誰かが俺を呼んでいるようで、耳元で囁きかけてくる声から逃れられない。
壁をぶち抜いて、気がつけばどこかへ走っていた。やたらと速い。まるで常時加速のエンチャントがかかっているみたいだ。
容赦ない豪雨が身体を叩きつけ、黒い服は完全に濡れ透って、火照った肌を心地よく冷やしてくれる。水の流れが泥で汚れた甲殻をすぐに洗い流していく。
森に駆け込んで、細い幹を縫うように器用に走り抜ける。身体に慣れていないせいで何本か木をなぎ倒したが、大して気にならなかった。
そもそもどこへ向かっているんだ? だが、ほどなくして、黒い粘液に覆われた大地に辿り着いていた。その上には胞子の霧が立ち込めている。なんとも心地よい光景だ。
粘液の上を慎重に歩きながら、ハイヴへと近づいた。声がはっきりと聞こえてくる。
「死すべき者よ……キルハイヴが汝を待っている。取るに足らぬ人間どもとその哀れな争いを忘れ、戦士たちを率いて不相応な者どもを喰らうのだ! ハイヴは汝を待っている、勝利と共に来たれ」
俺はまるで間抜けみたいに素直に頷いて、建物に向かって軽く頭を下げた。
背後でカチカチと音がしたが、繋がりなしでもよく分かった。
「侵入者、直ちに排除せよ!」
賛同のカチカチ音が響き、朝の出会いで馴染みになった化け物どもが俺に向かって突進してきた。
背筋を伸ばすと、駆け寄ってきた戦士たちと比べて俺は巨大に見えた。インセクトイドたちは俺の一メートル手前で急停止し、へりくだるように頭を垂れて跪いた。
「何だこれは、一体どういうことだ」という遠くからのカチカチ音が聞こえた。土砂降りの中、脈動する肉の傘に覆われた少女のシルエットが近づいてきた。マハはよく見て、息を呑み、羽を震わせた。
「パパ、どうしてこんなことに!?」喜びと驚きが入り混じった声で、娘が普通の言葉で叫んだ。
「あいつの言うことを聞くな! ハイヴの命令を遂行しろ、気を逸らすな!」
痛みが俺を貫き、舌打ちしながら頭を抱えた。
心配そうなマハは本館へと駆け出し、端末で何かを素早く操作し始めた。
「あいつを殺せ、邪魔しようとしている!」
この恐ろしい考えに抗おうとしながら、俺は自分でも気づかないうちに、ゆっくりと少女に近づいていた。傘を投げ捨て、少女はメニューで何かを素早く入力していた。ふわふわの髪が顔に張り付き、触角は水流で頭に押しつけられ、小さな羽根は力なく垂れ下がっている。そして彼女は、余計な音を立てないよう一歩一歩慎重に足を運びながら近づいてくる俺に気づいていなかった。
◇◇◇
セフィーナたちはすぐに屋根裏へと辿り着いたが、大して役には立たなかった。何の痕跡もなく、ただ破壊された壁があるだけで、それもすでに現地のナノロボットが修復を始めていた。
「どうすればいいのよ、にゃ!? 何が起きたっていうの?」セフィーナは不安そうに辺りを見回し、何をすべきか分からずにいた。「痕跡はもう雨で流されちゃったわ」
そしてよりにもよって、壁をぶち抜いたものがどこへ向かったのか尋ねられる人間が近くに誰もいなかった。
どうやらその不在は見過ごされなかったようで、セフィーナ、ジェシー、エンディスのもとへケルとフロルガが合流してきた。
ジェシーは考え込んでから推測した。
「たぶん、原因は神の石材から出た新しい変異体か、それともコンバーターのどっちかだと思う。他にそれらしいものはないでしょ?」
少し考えて、他の面々も同意した。
ケルは穴の縁まで近づくと鼻をひくつかせ、それからまだ修復されていない縁に指を這わせた。
「んー、ニコ、あんたって本当に素敵ね」スコーピオン娘がうっとりと呟いた。
一瞬夢想に浸った後、彼女はすぐに我に返ると、仲間たちの方に振り向いてこう言った。
「ニコはインセクトイドに変異したんだと思う。だからキルハイヴ以外に行くはずないわ」
旦那がどんな兵科モデルにでも変異する可能性があることは皆分かっていたが、ミュータントになったという知らせも、その結果も、誰も喜べなかった。
「待って、じゃあこいつが……!?」
だがケルは考え込む暇もなく、急いで階下へ駆け下りた。テレポートに飛び込んで「故郷」の基地へ向かうためだ。
そして彼女の到着はまさに絶妙なタイミングだった。建物から素早く飛び出したケルの目に映ったのは、マハが父親の窒息するような抱擁から必死に逃れようとしている光景だった。ニコの上半身はまだ人間らしさを残していたが、下半身は巨大な蜘蛛と化していた。硬い剛毛に覆われた太くて黒い脚、そこから続く分厚い胴体、そして様々な瘤や爪のような突起で覆われた大きな腹部。
ケルは前へ飛び出すと、鋭い尾の一撃をニコの脇腹に叩き込んだ。バランスを崩したニコはよろめき、掴んでいた手を緩めた。マハは走り出し、端末での作業を完了させるべく駆けていった。その間、ケルは牙を剥き出しにして、自分の上に覆いかぶさる夫と向き合った。
「しっかりしてよ、ニコ。一体何なのよ、これ……?」少女はそうつぶやきながら、脚による鋭い攻撃をかわした。
「エンセファインペリウムがそのまま残ってるのよ、理由は知らないけど!」マハが遠くから叫んだ。端末の上で指を踊らせながら。
「なるほど、そういうことか!」もう一撃がかすめたが、ケルがかわしたところでニコは第二の脚で打ち込み、彼女を横へ吹き飛ばした。
シャーッと威嚇音を上げながら、ケルは毒針をキチン質の腹部に突き刺し、表面の装甲を貫いた。
ふらつきながら、ニコは脚を持ち上げて立ち上がり、ケルに向けて糸を放った。そしてすぐさま攻撃に転じ、いくつかの脚をギザギザの突起で覆う。鋭い一撃が振り下ろされ、少女の腹に深い真紅の裂傷が刻まれた。傷口を押さえながら、ケルは飛び退き、もう一撃を尾で弾き返した。
残りのインセクトイドたちが新たなリーダーの加勢に飛び出そうとしたが、ニコが警告のカチカチ音を鳴らすと、怪物たちは遠くから見守ることしかできなくなった。
脚を引き寄せて、ニコは急激に跳躍し、少女の背後に着地すると、後ろから彼女を抱え込んで身動きを封じた。
「荒っぽい遊びじゃない、ダーリン? こんな喧嘩するくらいなら、もう一回ヤってた方がマシだったわ……」ケルは掠れた声でそう言いながら、強力な拘束から抜け出そうともがいた。
「今よ!」マハが叫ぶと、大きな破裂音が雨音を通してかすかに聞こえ、幼虫培養器から一匹の異様な姿の幼虫が飛び出してきた。前端には細く鋭い突起があり、針のようだった。
ケルは弱々しく微笑み、力を込めて自分の窒息を引き延ばそうとし、同時にニコの気を逸らそうとした。
幼虫は巧みに蜘蛛の脚に飛び乗り、小さな足で上へと滑り込むと、ニコの無防備な皮膚に食い込んだ。予期せぬ痛みに、彼は思わず鋭い悲鳴を上げた。
その隙を突いて、ケルは拘束を振りほどき、遠くへと跳び退いた。夫の皮膚の下では異物が這い回っていた。表皮を引き裂き、肉を噛み砕きながら、幼虫は首元まで到達し、そこで止まった。
蜘蛛の脚が崩れ落ち、ニコは粘液の中に倒れ込んだ。
◇◇◇
「稼働中のモデルに変更が加えられました。エンセファインペリウムを抽出。保存……完了」
悪夢のような痛みが引いていくにつれて、頭がはっきりしてきた。もう耳元で囁く悪魔の助言者はいない。雨が降り注いでいるが、俺はまともに何も覚えていない。ハイヴ、何かの任務……悪い夢みたいなものだ。それで、一体全体俺の体はどうなってるんだ!?
「形態適用――インセクトイド・ロイヤルアラクニッド。
ボーナス:
極めて高速な再生能力
圧倒的な力
増強された速度
限定的な長距離跳躍能力。
あらゆる表面への移動。
糸の生成。
上位昆虫体のオーラ。
クリスタライトの欠片を構造に織り込んだキチン質の刃。
ロック中――(進化エンセファルが必要)。
ロック中――(進化エンセファルが必要)
カオスポータル感知――発動中
大陸間ポータル感知――ロック(感覚神経節が必要)」
ドラコニドより強力で生命力も高いが、戦術的な選択肢は少ないようだ。だが、何より重要なのは、ポータルを感知できる能力――しかもカオスポータルだけじゃない……これで移動手段が手に入ったわけだ。
周りを見回すと、ケルが笑顔で俺を見ていた。両手は血まみれで、腹の深い傷を押さえている。くそ、他に何をやらかしたんだ、俺は。
指輪を探り当て、インセクトイドを解除してケルに駆け寄り、治癒をかけた。
「ごめん、ごめん!」
「あら、ニコ、大丈夫よ。結構楽しかったわ。でも次はもうちょっとだけ優しくしてくれると嬉しいわね、刃物で斬りつけるのはなしで」ケルは悪戯っぽく微笑んで、俺の目を見つめながら囁いた。
濡れた髪に手を滑らせながら、何と言えばいいのか分からなかった。初対面で俺を殺した女が、こんなに何度も窮地で側にいてくれるなんて、誰が想像できただろう。感謝の笑みを浮かべて彼女が立ち上がるのを手伝うと、傷がもう塞がりつつあるのが分かって嬉しくなった。
マハが駆け寄ってきて、みんな無事だと確認すると疲れたように息を吐き、濡れた羽をばたつかせた。そうだ、何かしてくれたのは彼女だ。俺はただ、彼女を握り潰していたことをぼんやりと覚えているだけだ。
娘にも謝ってから、みんなを部屋の中に案内しようとしたんだが、結局そのまま死すべき者の館まで行くことになった。他のみんなにも、もう大丈夫だって知らせるためだ。
全員が席に着くと、マハはケルと視線を交わしてから言った。
「つまりね、標準的な改造インセクトイドには、基本的に追加器官――エンセファインペリウムっていう変異が組み込まれてるの。ほとんどの場合、幼虫培養器の建造の段階で再構成が必要なんだけど、この器官はもともとキルハイヴ、つまり主ハイヴとの繋がりで、プロエリアに来る前はこれで制御されていたのよ。こっちに来て派閥システムができてからは、主ハイヴが遠く離れた別大陸か島のどこかに残ってるから、兵士たちを特定のロートクに紐付ける必要が出てきたわけ。でも、ニコは標準的な方法で変異したわけじゃないから、誰も制御できなくて……まあ、ちょっと暴走しちゃったってわけ」
なんだか俺のせいみたいで申し訳ない気分になってきたんだが、別に悪気があったわけじゃないんだけどな。
「一番大事なのは、無事に終わったってことよね」エンディスが嬉しそうに言うと、他のみんなも同意するように頷いた。
「それでも、お騒がせして申し訳ない。一分たりとも何かが起きないってことがないな」
「もう慣れたわよ」フロルガが手を振りながら言った。実際、色々などうしようもない出来事のせいで俺たちの会う約束が何度も延期されてきたことを考えれば、彼女が一番慣れてるのかもしれない。
全員が黙り込んだとき、沈黙を破ったのはケルだった。
「なあ、ニコ、話してくれよ。カオスポータルを感じ取れるか? わざわざ触手を生やしたんだ、理由があるんだろ?」
「多分、できると思う。まだ試してないけど、できるはずだ」
「そうか、それならいい」サソリ女は無関心な口調で答えた。俺が何のためにこんなことをしたのか、明らかに理解している様子だった。
「それで、結婚式はどうするんだ?」話題を変えようと、俺は急いで言った。
「ああ、そうね、行きましょう。みんな、私たちがいなくて困ってるでしょうね」セフィーナは地元のシェフという肩書きによる優越感を感じながら、図々しく言った。
俺のせいで手が止まってしまったんだから、みんなで急いで手伝いに向かった。だが、途中でブレンに捕まった。目を覚ました破壊工作員の尋問に成功したと話してくれた。
◇◇◇
集中して、ウルカストは自分にどれだけ魔力が残っているか見積もろうとした。だが、どうやらこの世界では全てがスタミナで測られるらしく、それはかなり主観的なものだった。
敵側からの積極的な動きが今のところないのを見て、兵士は集中し、数分間待った。緊張しながら周囲を見回す。
少し休んでから、彼は建物の端まで近づいた。戦車は命令待ちだったから、むしろ都合がいい。手から長いマナの刃を伸ばし、ウルカストは器用に機体の上に飛び降りると、その上を駆け抜けながら戦車を綺麗に二つに切り裂いた。数瞬後、兵士が十分離れたところで弾薬が誘爆し、戦車は見事に吹き飛んだ。
ヘリコプターを使おうとする者は今のところいなかったので、ウルカストは再び屋上に身を隠した。足の力が抜けていくのを感じたが、幸いこの建物は外壁伝いでも登るのが簡単だった。窓が頻繁に並んでいて、高さもそれほどなかったからだ。
この間を利用して、兵士は送信機のチャンネルを切り替えてみた。どうやらニコは急いで連絡を取ろうとはしていないらしい。というか、そもそも連絡してこないかもしれない。まあ、それほど怖くはない。敵の数も減ったし、やり過ごすのも問題ない。それに、ここは片付いたんだから、別の地点に向かってもいいわけだ。人数が少ない方が、石だか試練だかの面倒事もさっさと終わって、家に帰れる。
この世界が恐ろしく悪いというわけじゃない。ただ、ウルカストはここで自分が異物だと感じていた。過去には明確な目標があったのに、ここではすべてが抽象的すぎる。あの男自身も何が起きているのか分かっていないような感じだ。それに、家族も置いてきてしまった。
だが今は郷愁に浸っている場合じゃない。どうやら敵は侵入者を完全に無視して、止めようとするのをやめたらしい。立ち上がったウルカストは素早く周囲を見回し、近くの建物の間に誰もいないのを確認すると、慎重に下へ飛び降りた。そしてヘリポートに向かって素早く走り出した。
回転翼機の中に手榴弾を放り込むと、兵士は素早く開けた場所から離れ、近くの遮蔽物の後ろに身を構えた。フィルターをカチカチと切り替えて、ウルカストはサーマルビジョンでたった五つの目標を発見した。全員が大きな建物の一つ、おそらく司令部に立てこもっている。
障害物もなく目的の建物まで駆け抜けると、ウルカストは中に飛び込み、罠がないか周囲を警戒しながら前進した。だが、どうやら襲撃があまりにも不意打ちだったため、テクガンの連中がそんなに素早く対応する時間はなかったようだ。
必要な階に近づいたウルカストは、そこまで上らず、下の階を進んだ。互いに並んで配置された、おそらく遮蔽物の後ろにいるらしいシルエットを見つけると、兵士は床の厚さを見積もり、ライフルを構えると空いた手でマナの刃を作り出し、素早く円を描くように天井を切り裂いた。
轟音と共に切り取られた部分が下に落ち、その後フレムテックのライフルが静かに囁いた。数秒のうちに最後の生き残りたちは蜂の巣にされ、揃って床に倒れ込んだ。
もう一度すべてを確認すると、ウルカストはライフルを背中に固定し、出口へと向かいながら、再び通信チャンネルを確認した。十ほどのチャンネルをカチカチと切り替えていると、電子音声が聞こえてきた。
「フェリ、聞いてるよ!」
「一体誰だ、畜生……」
だが見知らぬ相手は止まらず、こう言った。
「フェリはお友達になりたいな!」
まったく、繋がりは最高だな。ウルカストは額を手で叩き、通信を切った。
さて、一息ついて旅を続けるとしよう。配給食料を見つけると、ウルカストは食べ始めながら、自分がどれほど疲弊しているか実感していた。クエーサーと一緒にいた頃は、タイタンの肉体のおかげで神にでもなったような気分だった。まあ、あっちの敵も相応に強かったが、いずれにしても昔の軍隊時代に戻るのも悪くない。こっちの連中の大半はあまりプロフェッショナルとは言えないけどな。もしかしたら、これは氷山の一角に過ぎないのかもしれない。でなければ、こんな弱っちい連中がどうやって魔術師たちを恐怖に陥れていたのか、すごく変な話だ。
食事を終えると、ウルカストは乗り物を探しに出かけた。無傷の車両はあったものの、どれもこれもスキル不足だというメッセージばかりだった。
苛立ち始めたウルカストは、全部くそくらえだと吐き捨てて徒歩で向かうことにした。制限された状態でも、かなりのペースで何時間も走り続けられる自信があったからだ。




