第9話 重き身命
「小さき身で、見事」
書役が口にした一言を、久馬は書き留めなかった。
七月の末を過ぎ、二本松落城の報が書役衆控へ届いてから二日が経っていた。最初の覚えにあったのは、城下で戦があり、兵の不足から少年まで動員され、その中に死んだ者がいるということまでだった。人数も、一人ずつの年も、名も揃っていない。どこで誰が見たかを辿れない行には、その旨を添えてある。
「見事」は、到来した覚えにはなかった。
「誰の言葉だ」
久馬が尋ねると、書役は手元の写しから顔を上げた。
「大手門の番が申しておりました。会津往還から来た荷の者が、二本松ではそのように語られていると」
「荷の者の名は」
「聞いておりません」
「ならば、二本松で語られているとは書くな。大手門の番が、名を聞かなかった荷の者からそう聞いた。それが残せる限りだ」
書役は、自分が書きかけていた添書へ目を落とした。少年隊、奮戦、忠節、見事。その四つを一行へ収めようとしていた。
「死んだ者がいることは落とさぬ。少年まで出されたこともだ。だが、後から足された評を、死んだ事実と同じ行へ置くな」
「評をすべて外しますか」
「誰が何と語ったかは、別に残せ。言われなかったことにはするな」
久馬は、到来した報と、城内で聞かれた言葉を二つに分けさせた。前者には、確かめられた出来事と、確かめきれない範囲を置く。後者には、聞いた者、聞かせた者、渡った場所を記す。大手門の番の名は取れた。荷の者の名は取れなかった。二本松の死者の名は、この報からは一人も取れなかった。
名がないから死者を一つにまとめてよいわけではない。名が届いていないと記すほかなかった。
その日のうちに、「小さき身で見事」は城下へ降りた。
久馬が本丸表門を出ると、東側武家地から本町へ下る道で、二人の若者がその言葉を使っていた。一人は使いの包みを抱え、もう一人は荷車の脇を歩いていた。どちらも戦を見た顔ではない。
「二本松じゃ、オラたちより小せえのまで出たんだと」
「そんでも逃げねえで、見事に死んだそうだべ」
「なら、水枝の者が荷運びばっかりしてていいのか」
荷車を引く年かさの男が、振り返らずに言った。
「死んだ子の親ァ、見事だけで飯ァ食えんぞ。口動かす前に、そっち持て」
若者は黙って轅の反対側へ手を掛けた。言葉は止まったが、取り消されたわけではなかった。荷車が先へ進むと、道端にいた幼い子が、聞き覚えたところだけを繰り返した。
「小さくても、見事」
母親が子の肩を引き寄せた。
「おめえが言うことでねえ。帰って薪ァ入れろ」
子はなお二本松の方角を知りたがった。母親は答えず、家の方へ押し戻した。
久馬は呼び止めなかった。城から出た文だけを正しても、人の口へ移った「見事」は戻らない。誰が最初に言ったかも、すでに一人へは辿れなかった。
翌日、清倫館へ回す抜書の案が、記録奉行詰に持ち込まれた。若い読み手にも奥羽の戦を知らせたいという。文の末には、年少といえども節義を守ったこと、後進の鑑とすべきことが足されていた。
「これは二本松から届いた文か」
「いえ。回すには、意を取りやすくした方がよいかと」
「誰の意だ」
持ち込んだ者は返答に窮した。久馬は「後進の鑑」に線を引いた。
「死者の名も齢も、この報には揃っておらぬ。それを一つの鑑に作り替えるな。回すなら、少年まで動員され、死んだ者がいるところまでにせよ」
「心構えを教えることも要るかと存じます」
「ならば、子を戦へ出さねばならなかったことも教えよ。死だけを拾うな」
抜書は書き直しに戻された。久馬は、初めの案がどの口から出たかを別紙に留めた。一度は子らへ渡しかけた言葉であった。
二本松の報とは別に、白虎隊の報が届いたのは、八月も末へ近づいたころだった。
新たに運ばれた覚えには、白虎隊と呼ばれる若い隊士のうち、城下を望む場所で自ら刃を取った者がいる、とあった。城が落ちたと見たためとも記されていたが、誰がその理由を聞いたのかはない。助かった者がいるか、ほかの隊士がどこへ移ったかも、この一通だけでは分からなかった。
二本松の覚えと同じ綴りへ入れようとした書役を、久馬は止めた。
「別の報だ」
「どちらも少年の忠義を伝えるものかと」
「二本松で死んだ者と、白虎隊で自ら刃を取った者を、一つの死にするな。届いた日も、出所も、死に至った事情も違う」
「では、白虎隊一隊、自刃とある風聞は」
「この覚えには、一隊すべてとはない」
書役は表題から「一隊ことごとく」を外した。
「忠義の二字もですか」
「誰がそう評した」
「城内では、皆が」
「皆の名を書けるか」
書役は答えなかった。
「自ら刃を取った者がいる。その報を受けて、忠義と語る者が城内にいる。二つを分けろ」
久馬は白虎隊の覚えを独立して収めさせた。二本松の報と並ぶのは、同じ夏に届いたからであって、同じ出来事だからではない。
表紙には「死者一同」と書かせず、氏名は報になしとした。後に名の届く者、生存が知れる者があれば、到来ごとに追う。今分からぬ一人ずつを、都合のよい一群に閉じ込めてはならなかった。
町では、二つがすぐに結びついた。二本松の小さな少年、会津の白虎隊、いずれも若くして見事に果てた。そこへ忠義と誉れが加わり、誰が命じ、どの時に戻る道を失ったかは落ちていった。
篠の手当てを手伝っていた町家の少年も、その言葉を聞いていた。
少年は湯桶を運ぶ途中、戸ヶ崎弦へ、白虎隊の者は皆死んだのかと尋ねた。弦は、届いた報にはそこまでないと答えた。少年は桶を置き、では死んだ者だけでも見事なのかと重ねた。
「死んだ方を悼むことは、誰にも止められません」
弦はそう答えたという。
「けれど、その方の死に方を、お前が次に習うことにしてはいけない」
近くにいた藩士が、その言葉を聞いた。藩士は傷ついた身内を見舞いに来ており、白虎隊の話を、会津の若者が最後まで務めを捨てなかった証しとして語っていた。
「死んだ者を臆病と申すのか」
弦は否定した。少年へ湯桶を戻し、運ぶ先を確かめさせた。藩士はなお、岩井家の客人が死者の忠義を退けた、と城へ申し立てた。
久馬は、申し立てた藩士の言葉と、篠のもとにいた者が聞いた弦の言葉を分けて取った。その記録を年寄・家老詰へ上げると、三原は弦本人から聞くと言った。
正式な評定へ入れるのではない。申し立ての相手として、取次の間で言葉を確かめる。それが弦を城へ呼ぶ用向きとなった。
弦は久馬に伴われ、取次の間の下座へ入った。三原は申し立ての覚えを脇へ置き、弦を見た。
「戸ヶ崎。おぬしは白虎隊の死に方を、次の子が習うなと申したか」
「申しました」
「死んだ者を悼むことは止めぬとも」
「はい」
「ならば、死んだ者の何を残す」
弦はすぐに答えなかった。久馬は間を埋めず、二人を見た。
「名前と、その方が生きておられた時に何をなさったかを」
「最後に務めを捨てなかったことは、残さぬのか」
「残します。ですが、それを次の少年へ、同じように死ねという言葉で渡してはなりません」
三原は膝前の覚えへ手を置いた。
「同じように死ねと、誰が申した」
「見事、忠義、誉れと続けて聞いた子は、自分もそのようにしなければ役に立たぬと思います」
「おぬしの見立てであろう」
「はい。私が恐れていることです」
三原は、弦が恐れだと認めたところを、そのまま受けた。
「私が恐れることも聞け。戦へ出され、命に従い、帰らなかった子がいる。その母へ、子の忠義は次の者を死へ誘うから語るなと申せば、母は何を受け取る」
弦の指が膝の上で動いた。
「御子息のしたことまで誤りだったと、聞こえるかもしれません」
「一度死んだ子を、今度は仕え方まで否定する。遺族を二度傷つけることになろう」
「それは、してはなりません」
「ならば、忠義を忠義と呼ぶことまで奪うな」
「三原様も、私の恐れていることを聞いてください」
弦は顔を上げた。
「死んだ方の忠義を語るうちに、死んだことが忠義の証しへ変わります。生きて帰った者は、足りなかったように見られます。次の子は、戻る時を尋ねられなくなります」
「死なねば忠義でないとは、私は申しておらぬ」
「三原様が申されなくても、子は短い方を覚えます」
「見事の二字だけを、か」
「はい」
「亡くした母が、我が子は立派であったと申すことも止めるか」
「止めません。その方の悲しみの中で、御子をどう呼ぶかは、他の者が奪うことではありません」
「同じ言葉を、藩が用いるのは違うと申すか」
「その母は、失った一人の名を呼びます。藩が子らに聞かせれば、次に務める者へ向けた言葉になります」
「では、藩は死んだ者を称えてはならぬのか」
「その方が何を守ろうとしたかを伝えてください。死ねたことを、その証し一つにしないでください」
三原はしばらく弦を見た。
「おぬしは、次の子が死へ向かうことを恐れる」
「恐れます」
「私は、死んだ子の務めが恥へ変わることを恐れる」
「はい」
互いの言葉を聞き取っても、どちらも退かなかった。三原は弦へ、申し立てについて咎めを加えぬと告げたが、死者の忠義を語るなとの沙汰も出さなかった。弦も、自分の言葉を取り消さなかった。
白虎隊の報が城下を巡るうちに、旧暦は九月へ入っていた。その間に、会津口の戦局は大きく動いた。これまで早坂が運んできたのは、奥羽・列藩同盟側からの要求だった。いま会津方面へ進んでいるのは、官軍・新政府軍側の兵である。
官軍側の使者が先に大手門へ入り、水枝が奥羽側へどのような返答をしたか、その記録を求めた。久馬は年寄・家老詰で、福島の同盟軍事局へ宛て、早坂へ渡した拒否回答の控えと、三原が後から出した追認文の控えを、別文のまま示した。
一通目には、「外征へ出せる余剰人員なし」とする岩井久馬の回答と署名があり、若い個人名は一人も添えられていない。藩議前、上様の裁可前に発送した事実も隠さなかった。二通目には、最初の回答を回収せず、三原が藩印を用いて水枝の政策として追認したことが残っている。
二通は、水枝が奥羽側へ兵も若い名も出さなかった証にはなった。だが、それは新政府へ恭順した証と同じではなかった。水枝は徳川譜代であり、高森家は会津初代保科家と遠縁にある。会津攻撃へも加わらず、城と武具蔵には武装を保っている。官軍側の使者は、二つの文書の順と、誰が何を決めたかを書き取り、大手門から退出した。
それから数日後、取次の外で急使の到着を告げる声がした。久馬は三原とともに書役衆控へ向かった。
大手門で受け取られた包みには、官軍・新政府軍側で会津方面を担当する軍監、寺村の名があった。
寺村は、水枝の武装の数と所在、奥羽・列藩同盟側からの要求へどう答えたか、若い個人名を提出しなかった経緯について、説明を求めていた。先の回答と追認の順を分け、久馬の裁可前発送と三原の追認を別々に挙げている。奥羽側へ加わらなかったことだけで、新政府への恭順を立てたとは認めていなかった。
奥羽側にも会津攻撃にも兵を出さず、なお武装を保つ非交戦中立を、誰の決定として負うのか。その問いに続いて、期限と要求が一行で置かれていた。
「翌日申刻までに、藩主に代わる重き身命一名を差し出し、恭順の証を立てよ」
その後には、武具の扱い、具体的な処分、恒久の武装解除条件、水枝を恭順と認めるかどうかは、先鋒本営の決裁を経て別に達する、とあった。それだけで武具の扱いも、その後の処分も決まるとは書かれていない。
三原は文を末まで読むと、年寄・家老詰へ戻った。久馬も続き、そこに留めてある先の二つの控えを改めて開いた。
午の刻を過ぎ、早坂右近へ渡された拒否回答。署名は岩井久馬。藩議前、裁可前。
その後、申の刻に発送された追認文。決定者は三原主膳。藩印を用い、先の回答を回収せず、水枝の策として追認したもの。
二通は一つに綴じられていない。追認によって最初の署名が消えたことにも、最初から家老の命で出したことにもなっていなかった。
寺村の通達は、「若い名を提出しなかった経緯」と「同盟側への回答」を問うている。最初に名を外へ出さぬと決め、回答へ署名した者として、久馬は出頭の対象から外れない。
二通の控えをそれぞれ元の場所へ戻すと、久馬は記録奉行詰へ移った。
久馬は新しい料紙に、自分の名を書いた。
重き身命の候補と書いたのではない。寺村の求めに対し、拒否回答を裁可前に発送した者として出頭し、説明を求められる者、岩井久馬、とした。明朝までに、記録奉行詰を預ける者を定め、人別控の未成稿を完成させず、内部役目表の封を外さぬことも命じた。
自分が拘束された場合にも、若い名を補って差し出すな。その命は、残る書役へ口頭でなく、久馬の名を付した一枚として渡した。
預かる書役には、別に三つを確かめさせた。片倉元信一名で止まった人別控は、その位置から進めない。反故として落とさず、清書と呼び替えもしない。封じた内部役目表は文庫に置き、久馬不在を理由に開けない。
「寺村方から、今すぐ人数だけでも出せと催されたら」
「この通達には、明日申刻とある。新たな文が来れば、刻と渡し先を取り、返答は上へ伺いを立てよ。おぬしの判断で名を付け足すな」
書役は三つを復唱した。久馬は人別控の箱も内部役目表の封も、その場では手に取らなかった。出る支度のために、名の置き方を変えることはできなかった。
次に、出頭を命じられた時に携えるものを確かめた。自分の印、役職を示す覚え、すでにある拒否回答の控え。一件の全部を新たに編み直すことも、外へ出す別の写しを作ることもしなかった。寺村の通達自体も城の文として留めた。
出立の衣を特別に替える支度はせず、平素の登城の身なりで出ると決めた。供を求めず、大手門から先の引き渡しを受け持つ者だけを一人定めた。
そこまで終えると、久馬は年寄・家老詰へ自分の名を持っていった。
三原は久馬の一枚を読んだ。
「岩井。おぬしが出る支度をしたことは分かった」
「署名は私がいたしました」
「追認は私だ」
「追認は後でございます。私が先に、上様と三原様の御判断を塞ぎました」
「順を替えるつもりはない。おぬしの越権は、おぬしの責として残る」
三原は一枚を返さなかった。
「だが、『重き身命』は、最初に筆を走らせた者を指すだけではない。水枝の外向きを藩の策として引き受けた者も問われている」
「三原様」
「明朝、上様へ上げる。おぬしも来い」
三原はそれ以上を、その場では言わなかった。
戸ヶ崎弦が寺村の通達を知ったのは、日が傾く前だった。
久馬は岩井家へ戻ると、書きつけの間へ弦を呼んだ。沙江は湯を置いて下がり、父の手控へ触れなかった。
「三原様が、先の話の続きを聞くと申された」
久馬は通達の一行を、そのまま弦へ告げた。
「重き身命とは、命を差し出せということですか」
「そう読まねばならぬ」
「岩井様が行かれるのですか」
「私は行く支度をした」
「三原様も」
「追認した責は自分にあると申されている」
弦は先に、三原が「私は、死んだ子の務めが恥へ変わることを恐れる」と言ったのを思い返した。あの時、三原は自分の死を論じてはいなかった。
いま、その「重き身命」は三原自身へ向いていた。
弦の記憶には、昭和二十年八月六日の午前八時十五分までしかなかった。白い閃光の後に国がどうなったかも、宇品で箱を運んでいた同年代が生きたかも知らない。あの光の正体も分からなかった。
知っているのは、その朝までに教えられていた言葉だった。
帰らぬ覚悟。命を惜しまぬ働き。若い者が口にすれば褒められ、大人が命じれば断る場所を失わせるもの。
弦は英吉利の言葉を教える者になりたかった。生徒が誤ったところまで戻り、別の答えを探せる時間を渡したかった。だが、自分が生徒であった場所では、戻ることより、戻らない覚悟を先に求められていた。
宇品の作業場で見た若者たちも、死ぬために箱を運んでいたのではない。縄を締め、次の者へ渡す荷を落とさぬよう働いていた。弦自身も同じだった。もし帰らなければ、後から何と呼ばれるのかを、弦は知っていた。
「三原様は、なぜ私をもう一度」
「お前は先に、死に方を次へ渡すなと申した。三原様は、上にいる者が自分の身で責を負う時も、同じことを申すのかと聞いておられる」
弦は返事をしなかった。
「城へ入る用向きは、それだけだ。評定へ加わるのではない」
「参ります」
翌朝、弦は久馬とともに水枝城へ向かった。
年寄・家老詰へ通されたのは久馬だけだった。弦は取次の間で待ち、三原から呼ぶとの言葉が届いてから中へ入った。席には三原と久馬のほかに誰もいなかった。評定の場ではなく、三人の言葉を確かめるための呼び入れだった。
三原は、先の申し立ての覚えを弦の前へ置かなかった。
「戸ヶ崎。先の話を、私の身へも当てるか」
「三原様が御自身で責を負われることを、若い者へ負わせることと同じとは申しません」
「ならば、何を止めに来た」
「御死にになることです」
三原の顔は動かなかった。
「ならば岩井を出せというのか」
「申しません」
「別の者を出せというのか」
「それも申しません」
「生きて、寺村へ説明してください」
「通達は説明する者だけを求めておらぬ」
「死ねば、恭順が認められると書いてあるのですか」
「書いてはおらぬ」
「では、三原様が死んでも、水枝の問題が終わる保証はありません」
「分かっておる。解決するから死ぬのではない」
三原は久馬の出頭の一枚へ手を置いた。
「岩井は裁可前に文を出した責を負う。私はそれを許しておらぬ。だが、後から藩印を用い、非交戦中立を水枝の策として引き受けたのは私だ」
「岩井様も、御自分が出ると決めています」
「知っておる。岩井の越権は消えぬ。されど、政策の責まで岩井一人へ移せば、私の追認は藩印を押しただけの飾りになる」
三原はそこで一度言葉を切った。膝へ置いた手の指が曲がり、戻った。
「私も死にたいのではない。生きて上様に仕え、水枝の先を見届けられるなら、その方がよい。それでも筆頭家老だけが、自分の命を惜しんで責から退くことはできぬ」
「その死も、後から見事な死へ変えられます」
弦は言った。
「御自身がそう望まなくても」
三原はすぐには返さなかった。
「それは、否定し切れぬ」
弦の指が畳をつかんだ。
「子らが覚えるは、死にようではない」
三原の目が久馬へ移り、また弦へ戻った。
「岩井が残す。おぬしの言葉もだ。されど、私は退かぬ」
弦は次の理屈を探した。口に出せるものは、もう残っていなかった。畳をつかんだ指だけが解けなかった。
取次の間へ戻るよう告げられ、弦は立った。敷居を越える前に振り返った。
「御死ににならないでください」
「その願いも聞いた」
三原は受け入れるとは言わなかった。
久馬は弦が退出したあと、年寄・家老詰に残った。
机上には、重き身命を誰へ負わせ得るかを検討するための札があった。初めに置かれたのは、拒否回答を清書した書役、回答を早坂へ運んだ者、評定に加わる年寄の一人、岩井久馬だった。内部役目表にある若い者の名は、一つも置かれていない。
三原は書役の札を取った。
「命じられた文を清書した。回答を決めておらぬ」
脇へ外した。
運んだ者の札も取った。
「封じた文を渡しただけだ。中を定めておらぬ」
年寄の札へ移った。
「追認の場におらず、藩印を用いると決めてもおらぬ」
三枚目も外れた。
岩井久馬の札は残した。
「これは外せぬ。藩議前に書き、署名し、発送した」
「はい、三原様」
三原は新しい札へ、自分の名を書いた。
三原主膳。
「私は発送後に知った。だが、回収せず、藩印を用い、水枝の策として追認した」
二枚の札を並べた。
「岩井。おぬしの責を私の名へ移すのではない」
「承知しております」
「私の責を、おぬしの先の越権へ隠すこともしない」
「ならば、二人で寺村殿へ出るべきです」
「寺村が求めている重き身命は一名だ」
「一名を死なせれば、残る一名の説明が軽くなるわけではありません」
「その通りだ。おぬしには残って説明してもらう」
三原は久馬の札を、重き身命の列から外し、隣に「出頭・説明」と記した場所へ移した。久馬の札には、なおその二字が残った。
「三原様の名だけが残るよう、札を動かしたのではありませんか」
「違うという言葉だけでは、おぬしは退かぬな」
「退きません」
「では、上様の前で申せ」
御用之間で、義政は寺村の通達を自分で読んだ。
途中で咳が出たが、近侍に続きを読ませなかった。息が整うと、重き身命の一行へ戻り、末にある先鋒本営の決裁事項まで読み終えた。
「一人を出せば、恭順が認められるとはない」
「ございません」
久馬が答えた。
「武装の扱いも、その後の処分も残る」
「はい、上様」
義政は三原を見た。
「それでも、一名を出すと申すか」
「要求へ応じれば解決するからではございません。水枝が選んだ策の責を、下へ移さぬためでございます」
「軽い家から出して、重き身命と呼ぶことは許さぬ」
義政は明瞭に言った。
「若者を出すことも、責のない者を身代わりにすることも許さぬ。家を残すため、別の家の命を買うこともならぬ」
三原は頭を下げた。
「その御命に従い、候補から外しました」
「岩井」
「はい、上様」
「おぬしはなぜ出る」
「人別控を止め、裁可前に拒否回答へ署名して発送いたしました。最初に決めたのは私でございます」
「三原の追認がなければ」
「私文として退けられたかもしれませぬ。されど、私が上様の御判断を先に塞いだことは変わりませぬ」
「三原」
「岩井の越権は、岩井が負います。私はそれを許しておりませぬ。されど、回収せず、藩印を用いて政策としたのは私です。徳川への責、会津との縁、高森家を守る責、非交戦中立を藩の向きとして保つ責は、筆頭家老が負うべきものにございます」
「高森家と会津の縁を、おぬし一人の縁と申すな」
「申しません。高森家が会津初代保科家と遠縁であることを、家老として背負っております」
義政は二人を見た。
「岩井を出せば、三原は残る。三原を出せば、岩井の越権が消えたように見える。どちらも違う」
「はい」
二人の返事が重なった。
「三原の死を、水枝の忠義の手本とすることも許さぬ」
三原は顔を上げた。
「上様」
「おぬしが何を負うかは聞いた。だが、おぬしの死をもって水枝が正しかったとも、救われたとも記すな。寺村が受けるかどうかも、先鋒本営が何を命じるかも決まっておらぬ」
「承知いたしました」
「岩井。三原の申出を許す。おぬしの出頭の支度は解くな。署名の責は残る」
久馬は畳へ手をついた。
「上様。御再考を」
「考えた上で申しておる」
「私を先にお出し願います。三原様が追認されたのは、私がすでに文を外へ出した後にございます」
「順は記録へ残せ。だが、先に誤った者を死なせれば、後から政策とした者の責がなくなるわけではない」
義政は咳を堪え、言葉を続けた。
「私は、責のない者を出すことを禁じた。責を負うと申した三原を、病の私に代わる飾りにもせぬ。筆頭家老として実際に選んだことを、三原の名で残せ」
義政は三原の申出を許したまま、評定を終えた。
御用之間を出ると、三原は年寄・家老詰へ戻った。久馬はそこで、官軍側の寺村方へ出す正式回答を起こした。
本文には、新政府への恭順の証として寺村が求めた「藩主に代わる重き身命一名」に、筆頭家老三原主膳を立てると明記した。久馬が先に出した回答と、三原が藩印を用いて追認した順も付した。
恭順が認められたとも、恒久の武装解除へ同意したとも書かなかった。武具の扱いと具体の処分は、寺村の通達どおり先鋒本営の決裁に残した。
義政の裁可を記し、藩印を付した原文は午の刻を待たず、大手門で使者へ渡された。久馬は渡した刻と宛先を取り、控えを年寄・家老詰に留めた。その時点で、寺村方からの返書はなかった。
申の刻までには、なお間があった。
三原は朝の評定と同じ身なりで、評定前控へ入った。切腹のために新しい場所は設けず、華美な支度もさせなかった。立会人へ残す品も、読み上げる文もなかった。
室の中央に三原が座り、久馬と立会いの年寄一人が左右に位置を取った。入口寄りに医師が控え、もう一人の年寄が三原の斜め後ろで介錯の役に就いた。誰も少年を呼ばず、若い書役も入れなかった。
立会人たちは互いの位置を確かめ、座った後は動かなかった。衣が畳を擦る音までが、普段より近く聞こえた。医師は両手を膝上に置き、三原の呼吸から目を外さなかった。
切腹の手順そのものは、久馬にも分かっていた。しかし、長い間戦場から遠かった水枝で、実際に人の身へ刃を下ろした者は少ない。久馬は、介錯役の年寄が人を斬った場を知らなかった。
その年寄は、これまで三原と同じ評定に座り、その指図に幾度も頭を下げてきた。いまは、その上役の死を自分の刃で成り立たせねばならない。柄へかけた指を一度緩め、すぐに握り直すのが、久馬から見えた。やり直しのない役であった。
介錯役の右膝が、ごく小さく前へ出て、戻った。刀を抜くのが早すぎれば、三原に処分を急かせる形になる。遅れれば苦痛を長引かせる。そのどちらも避けねばならない役が、一人の両手に握られていた。
九月に入っても、部屋には昼の熱が残っていた。三原は両手を膝に置き、一度浅く息を吸い、ゆっくりと吐いた。こめかみに汗が浮いていたが、手はそこへ上がらなかった。
「岩井。寺村殿へ出した文に、私の名はどうある」
「藩主に代わる重き身命一名として、筆頭家老三原主膳を立てるとございます」
「原文は出たか」
「はい。すでに寺村方へ向かっております。先鋒本営の決裁と、寺村方の返書は届いておりません」
「おぬしの名は」
「裁可前に回答を出した署名者として残っております」
「それでよい」
三原はそれ以上、藩務の言葉を口にしなかった。
用意された刃は、三原の手が届く場所に置かれていた。三原はそれを見、それから久馬へ視線を移した。口が開くまでに、一呼吸ぶんの間があった。
「……水枝の夏ァ、昔っから暑ぇな」
誰も答えなかった。
医師が目を伏せた。介錯役の肩が呼吸に合わせて一度上下した。久馬は膝の上で手を開いたが、指の跡が掌に残った。
三原の視線が久馬から外れた。もう一つ、間が落ちた。それから三原は、刃へ手を伸ばした。
久馬は見たくなかった。三原に立ち上がり、そのままこの部屋を出てほしかった。しかし目を背ければ、後に残せるのは他人の言葉だけになる。三原がどの時点まで自分の声で確かめ、自分の手を動かしたかを、久馬は受け取らねばならなかった。
この場へ筆は持ち込んでいない。久馬は、三原が確かめた文言、最後の一言、刃へ手を伸ばした順を、頭の中で繰り返した。三原の呼吸がまだ聞こえるうちから、その順を覚えようとしている自分に気づき、喉が乾いた。だが、聞いた順を崩さなかった。
三原が刃を取った。指が一度強く締まり、息が止まった。短い息が漏れ、三原主膳は切腹した。
久馬の目は、刃の動きではなく、畳へ置かれた三原の手を追った。指が表をつかむ。久馬の喉の奥も締まったが、顔を伏せることはできなかった。
背後で鞘が鳴った。刀が抜かれる音のすぐ後に、介錯役の年寄が膝を動かした。握り直した両手で刀を保ち、一度だけ身体を進めた。刃が下りた。
介錯役が刀を下ろしても、誰も終わったとは言わなかった。医師が進み出て、三原の脈と呼吸を順に確かめた。久馬には、その時間が切腹そのものと同じほど長く感じられた。
やがて医師が死を告げ、確認した刻を続けて申した。その刻が告げられて、初めて三原の死は立会いの事実になった。
立会いの年寄の一人が、その後で言った。
「御見事であった。三原様の刃は、秋水のごとし」
誰も言い返さなかった。久馬も、その場では筆を取らなかった。
久馬は医師に刻を復唱させ、評定前控を出ると追報を起こした。重き身命一名として正式回答へ名を置いた三原主膳が、水枝城内で自裁し、医師が死亡を確かめたこと。その二つと刻だけを記し、寺村方へ使者を出した。
追報が大手門を出ても、寺村方から受理も恭順認定も返っていなかった。武装と具体の処分は、先鋒本営の決裁に残っていた。
久馬は記録奉行詰で、先に奥羽側へ出した二文書の順と責任、義政の裁可、正式回答の発送、立会人、介錯役、医師が告げた死亡の刻を公式記録へ置いた。末尾に、寺村方の受理と先鋒本営の処分はいまだ未決と添えた。見事、誉れ、秋水は書き入れなかった。
別の証言記録には、三原の最後の一言を発言者の名とともに記した。その下へ、死亡確認後に年寄が口にした評を、発言者と刻を分けて残した。
「御見事であった。三原様の刃は、秋水のごとし」




