第4話 八時十五分
答えた言葉は、沙江の前で止まらなかった。短い渡りの向こう、北側廊下にいる久馬にも届いていた。
久馬は近づかなかった。弦と沙江の双方から見える場所に立ち、しばらく弦を見た。
「戸ヶ崎。座敷へ戻れ。今夜は篠先生に診ていただく」
「はい、岩井様」
「いまの話は問わぬ。話せる時に、話せることだけ話せ」
久馬は北側廊下を母屋へ戻った。沙江も、空の薬の器を勝手へ戻してくると告げた。
「篠先生がお見えになるまで、横になっていてください」
「分かりました」
弦は離れ座敷へ入った。前室の衣類箱は、清倫館へ出る前と同じ場所にあった。昭和から着てきた衣は、その中に収められている。片方だけ残った木底の履物は、内納戸に移されていた。
箱の蓋には触れなかった。中を見ずとも、何が畳まれているか分かっていた。薄汚れた衣、傷んだ肩、熱に変わった色。忘れた物は一つもない。下河原で拾われてから、忘れているふりをしたこともなかった。
座敷へ戻り、借りた着物のまま腰を下ろした。清倫館から帰った直後より、耳の奥の鳴りは弱い。静かな部屋に入ると、なお細い響きが浮き出した。遠くから続く一筋の音ではなかった。柱も畳もない場所で、身体の内側だけが鳴っていた。
目を閉じる前に、縄を思い出した。
昭和二十年八月六日、広島の宇品にある旧陸軍糧秣支廠缶詰工場一階で、弦は食料箱を運んでいた。その朝、一階では食料箱を決められた置き場へ移す作業が続いていた。
江田島の海軍兵学校に在籍していた弦も、その運搬に加わっていた。ほかの生徒と並んで箱を受け取り、決められた場所へ移した。
十八歳だった。
箱は一人で抱え上げられるものもあれば、向かい合って持たなければ傾くものもあった。床へ下ろすときは角を先につけず、呼吸を合わせる。結び目が緩んでいれば、次へ渡す前に縄を締め直す。運ぶ数が重なるにつれ、手のひらには縄の筋が残った。
弦は一つの箱を受け取り、胸の前で支えた。向こう側を持つ生徒が先に腰を落とし、弦も膝を曲げた。床へ置く直前、箱の中身が片側へ寄った。板の角が手首を押し、結び目がずれた。
「待て」
二人で箱を下ろした。弦は緩んだ縄へ指を入れ、引いた。結び目だけを強くしても、箱の角にかかる二本が揃わなければ、持ち上げたときにまたずれる。いったん解き、箱の面へ沿わせ直した。
兵学校で身につけたのは、初歩の操船と海図の読み方までだった。結索も習ったが、目の前の箱は舟ではない。教わった形を見せるためでなく、次に持つ者の手から落ちないよう、縄の長さと板の角に合わせた。
指先で張りを確かめ、箱を少し浮かせる。縄が食い込み、板と板の間で動かなかった。向かいの生徒が持ち手を取り直すのを待ってから、二人で列の先へ運んだ。
置き場では、先に積まれた箱の端へ揃えた。隙間を残せば、次の箱を下ろす者が足を止める。弦は向かいの生徒へ合図し、腕の高さを合わせた。重みが床へ移ってから手を抜き、縄が緩んでいないか、もう一度だけ見た。
「これでいいか」
相手が箱の角を押して確かめた。
「ああ。次を持てる」
二人は同時に手を放した。教わった結び方を誉められるための作業ではなかった。次の者が同じ箱を持ち上げ、運び、またどこかへ渡す。その途中で落ちないことが答えだった。
弦が確かめていたのは、結び方の名ではなく、次に持つ者の手から箱が落ちないかだった。形を覚えるだけでは足りない。崩れたときに、どこを直せばまた使えるのかまで分からなければ、手順はそこで止まる。
そんな先を思えるのは、手が作業を覚えている短い間だけだった。列へ戻れば、命令どおりに動く生徒へ戻る。弦は空いた両手を一度開き、縄の跡が残った掌を閉じた。
一箱を置けば、前の場所へ戻る。戻れば次が来る。誰かが数を読み、別の誰かが短く応じていた。弦も呼ばれれば返事をした。命じられた作業を早く正確に終えることに、疑いを差し挟む余地はなかった。
窓から室内へ四、五メートル入ったところだった。窓と窓の間には煉瓦壁があり、弦が縄を結び直していた場所からは、外の一部しか見えなかった。窓へ顔を寄せる用もない。箱と、縄と、次に空ける場所を見ていた。
朝から暑かった。額へ出た汗を腕で拭うと、縄の毛羽が肌に触れた。作業の手を止めるほどではない。箱の位置を揃え、次を受け取るため振り返ったとき、柱時計が目に入った。
長針は三を指していた。短針は八を少し過ぎている。
午前八時十五分。
時刻を見たのは、何かを待っていたからではなかった。次の作業まで、あとどれほどあるかを考えたわけでもない。振り向いた目の先に時計があり、針の位置を読んだ。教室で時刻を尋ねられたときと同じほど、何の構えもない動作だった。
弦は英語の教員になりたかった。
知らなかった英文が読めれば、遠い土地にいる人間が何を考えたかへ手が届く。その面白さを、自分だけのものにせず、教える側へ回りたかった。生徒が誤った答えを口にしても、正解だけを押しつけるのでなく、どこで道を違えたのか一緒にたどれる教師になりたかった。
だが昭和二十年の夏、弦は教壇へ向かう学生ではなく、海軍兵学校の生徒だった。英語を学ぶことも、教える側へ戻る願いも捨てたつもりはない。ただ、それをいつ実現できるかと問える余地は、周囲から失われていた。
帰還を前提としない話を聞くことが増えていた。戻らぬ覚悟を先に求め、それを立派とする空気があった。十八歳の者が口にすれば勇ましく聞こえ、大人が語れば逃げ道のない命令に近づいた。弦は命じられた一日の作業を続けた。縄を締め、箱を落とさず運ぶ。先を考えずに済む間は、目の前の手順へ従えた。
柱時計から目を戻した。
白かった。
太陽の色ではなかった。窓から差す朝の明るさとも違った。白いものが外から入ってきたというより、見えていた一切が、形を失うほど白くなった。
弦は何が起きたか考えるより先に目を伏せた。
熱が来た。
光と熱の間を数える余裕はなかった。顔の一部と、縄へ伸ばしていた前腕が、突然あぶられたように熱くなった。衣の下ではなく、煉瓦壁から外へ出ていたところへ直に食いついた。息を吸うと、喉まで熱が入ったように感じたが、呼吸はできた。
身体の多くは、窓と窓の間の煉瓦壁に隠れていた。弦自身には、そのとき遮られたとは分からない。ただ、白さの中でも壁のあった側だけ形が残り、顔と腕へ走った熱が全身を包まなかった。
手を上げようとした。前腕の皮膚が引きつり、指が縄から離れた。足元の箱へ身を寄せる。近くにいた生徒へ伏せろと言おうとしたのか、自分でも判然としない。口は動いたが、自分の声を聞いた覚えがない。
白さのあとに、短い間があった。
その数秒を、弦は後になって何度も思い返した。何もなかった時間ではない。熱を受けた腕を抱え、身を低くしようとして、身体が命令に追いつかない時間だった。箱の上へ片手をつき、頭を庇う場所を探した。すぐそばの床も煉瓦壁も確かにあるのに、どちらへ伏せればよいか決められなかった。
圧力が来た。
空気が押したのではなかった。工場の内側そのものが一度に縮み、弦の身体を箱へ叩き込んだようだった。胸から息が抜け、肩が板の角へ当たった。頭を守ろうと上げた腕も押し戻された。
その直後、爆風が通った。窓のガラスが砕け、細かな破片が飛んだ。肩に熱とは違う鋭さが走った。箱が動き、弦の身体も床へ落ちた。腰と背を打ち、どこを下にしているのか分からなくなった。
音は、最初から聞こえたのではない。圧力に押し潰されたあと、巨大なものが耳の中で割れた。高い響きが残り、ほかの物音を覆った。何かを叫ぶ口が見えた気がしたが、声は届かなかった。
弦は反射的に頭を抱えた。指の間へ細かなものが当たり、肩から温かい筋が流れた。耳にも濡れた感触があった。触れた指に血が少しついた。立とうとして床を蹴ったとき、木底の履物が片方、足から外れた。
探すことはできなかった。
箱の端へ手をかけた。床へ膝をついた。熱を受けた顔と腕、切れた肩、打ちつけた身体が、別々の場所から危険を告げていた。目は見えた。息もできた。けれど耳鳴りの向こうに何が起きているか、確かめる前だった。
主要な圧力波と飛散物が通り過ぎた、その直後だった。
床が消えた。
沈んだのでも、割れたのでもない。白さが戻ったのでもなかった。箱へ置いたはずの手から板の硬さがなくなり、膝の下から床がなくなった。
次に触れたのは、凍えた土だった。
弦は市街へ出ていない。燃える広島を見ていない。空から降るものにも濡れていない。白い閃光と熱を受け、遅れて来た圧力とガラスに打たれ、その直後に工場一階から断ち切られた。
宇品にいた最後の姿勢のまま、慶応三年十一月の水枝、下河原へ倒れた。
冷たさは、熱を受けた皮膚へ刃のように触れた。吸い込んだ空気が夏の工場とは違い、胸の奥まで冷えた。片方の足には木底の履物がなく、直接冷えが上がった。耳鳴りは続いていた。顔の一部と前腕は焼けるように痛み、肩からの血が衣へついた。打った腰と背は動かすたびに痛んだ。
弦はそこで意識を保ち続けられなかった。
岩井家で目を覚ましたとき、傷は手当てされていた。顔の片側と前腕の浅い熱傷、肩の軽い切創、打撲、耳から出た少量の血。篠が一つずつ確かめた。重い傷ではないと分かっても、耳の奥の響きだけは消えなかった。
宇品で途切れた感覚と、岩井家で診られた傷の位置は食い違わなかった。
身体を動かせるようになるにつれ、傷は別々の速さで薄れた。腕を上げれば熱を受けた皮膚がつれ、肩を回せば切れた場所が先に痛んだ。打ちつけた腰と背の痛みは先に薄れたが、横になって耳を塞いでも鳴りは消えなかった。傷が治っていくほど、宇品でどこへ何が当たったかは、かえって身体の中で分かれて残った。
前室の衣類箱には、あの日の衣が置かれた。内納戸には、下河原まで来た木底の履物が一つだけ残った。どちらも誰かへ来歴を証明するための品ではない。ただ、宇品で途切れた自分と、岩井家で目を覚ました自分の間に、同じ衣と履物が残っていた。
何より、爆風の直後と凍った地面の間に、運ばれた時間の感覚がなかった。箱へ置いた手の硬さが消え、次に触れたのが冬の土だった。真夏の汗が残る衣のまま冷気へ落ち、片足だけが直接凍った地面に触れた。その間に誰かの手や声、道の揺れを挟んだ記憶は一つもない。
夢だと思おうとした夜もある。だが、目覚めた先では傷が同じ順で治っていった。肩の切れ目は塞がり、顔と前腕の赤みは薄れ、打った場所の痛みも引いた。それでも耳鳴りは残った。夢だと考えても、その鳴りが続くたびに宇品の朝へ引き戻された。
久馬に名や広島を問われた時も、答えられなかったのではない。答えないと決めて口を閉じた。父母や家のことを尋ねられた時も同じだった。何を口にすれば自分だけでなく岩井家まで巻き込むか、それを選んでいた。
弦は記憶を失っていなかった。
自分の名も、広島も、学校も覚えていた。英語の教員になりたかったことも、江田島で習ったことが初歩の操船と海図、結索にすぎないことも、昭和二十年八月六日の朝に宇品へいたことも、柱時計の針も覚えていた。
白い閃光が何であったかだけは分からなかった。
通常の爆撃と同じものとは思えない。ひとつの光が、宇品にまで熱を届かせ、数秒後に工場を押し潰す圧力を送った。そのようなものを弦は学んでいなかった。兵学校にいたからといって、兵器のすべてを知るはずもない。上空を見た記憶も、何かが落ちるところを見た記憶もなかった。
だから名をつけられなかった。
分からないものを知ったふりはできなかった。まして、それがどうして弦を下河原へ移したかは、考えても手がかりがなかった。門をくぐった覚えも、眠りから目覚めた覚えもない。宇品の床が途切れ、その次に冬の土があった。それ以上の説明は、弦自身にもできなかった。
岩井家で耳にした出来事の名が、先に年代を教えた。
大政奉還。
王政復古。
初めは、自分の知る歴史の名を、熱と打撲で混乱した頭が聞かせているのだと思った。けれど久馬も沙江も、その報を現在の出来事として受け取っていた。紙は新しく、話し方も、衣も、家の造りも、弦のいた昭和とは違っていた。
鳥羽・伏見で戦が始まったとの報が届いたとき、疑いは残らなかった。
昭和二十年の広島から、慶応三年十一月の水枝へ来た。
教科書で知っていたのは、大きな流れだけだった。大政奉還があり、王政復古があり、鳥羽・伏見の戦いが続き、やがて明治になる。いつ、どの藩が、何人を、どの道へ出すのか。誰と誰がどのような文を交わし、どこで何を決めるのか。水枝という藩がどうなるのか。弦は知らなかった。
先を知る者になったのではない。年代の違う場所へ、身体ごと放り出されたにすぎなかった。
だが、話せば済む話でもなかった。
昭和という元号を口にし、百年近く先の広島から来たと言えば、信じる者がいるだろうか。白い光を受けたあと、冬の河原へ落ちたと話せば、傷を負って正気を失った者と思われる。町方へ渡されるかもしれない。出所の知れない間者と疑われれば、岩井家にも累が及ぶ。
久馬が公の覚えから弦の名を外したと聞いたとき、その判断が自分を守るだけでないことは分かった。久馬は、確かめられない名を自分の責任で公へ置かなかった。弦が奇異な来歴を語れば、その責任へさらに重いものを載せる。
だから黙った。
だが黙れば、昭和へ続いた道を、同じように歩ませるのではないかという恐れが残った。
幕末から昭和までのすべてを知っているわけではない。水枝の一つの判断が、どこへ届くのかも分からない。弦が何かを言ったために、別の者が傷つくこともある。善いと思った介入が、かえって若者を急がせるかもしれない。
その恐れは、清倫館で現実になった。
元信たちは、役を与えられず待たされていた。戦が始まり、敗報が届いても、自分たちに何をさせるのか示されない。会津往還へ出れば役に立てると思う者を、弦は愚かだとは思わなかった。何も命じられないまま座っていろと言われれば、十八歳の焦りは行き場を失う。
弦にも分かった。命じられた作業に手を動かしている間だけ、先を考えずに済んだ朝を知っている。役を求めること自体を、臆病な場所から責める資格はなかった。
それでも、帰還を前提としない支度を、若い者に立派と言うなと告げた。
軍略を知っていたからではない。鳥羽・伏見以後の戦いを詳しく覚えていたからでもない。元信たちが会津往還へ出たら、どこで誰に会い、どうなるかを予言できたわけではなかった。
帰らない覚悟を先に求める、その空気を昭和で知っていたからだった。
生きて戻る方法を教える前に、死を受け入れる姿を教える。戻らなかった若者へ、あとから誉れを与える。本人の恐れも迷いも消し、立派な最期として残された者を納得させる。その並びを弦は知っていた。
清倫館の館生と、宇品で箱を運んでいた生徒たちは、同じ姿ではなかった。着るものも、話し方も、仕える先も違う。けれど、自分が役に立つことを示したい焦りと、死を恐れぬ者であろうとする硬さは、弦の目に重なった。
だから身体が先に固まった。肩が上がり、息が浅くなり、手が動かなくなった。大きな物音へ備えるときとは違った。次に来る圧力を恐れたのではない。若い者が、自分から帰る場所を捨てる言葉へ近づくのを恐れた。
理由を話せなかった。
元信は弦を臆病者と呼んだ。間違ってはいない。弦は恐れていた。狂人と見なされることも、間者と疑われることも、自分の話が届かず笑われることも、自分が動いたために別の死が生まれることも恐れていた。
清之助に、何を見てそう言ったと問われても答えなかった。八時十五分の柱時計から話し始めなければ、本当の理由には届かない。話し始めれば、昭和二十年の広島まで明かすことになる。
答えずに止めようとすれば、命を惜しむ者の説教と受け取られてもおかしくなかった。
元信は、その日は出なかった。翌日の城の答えを待つと言っただけで、出奔を捨てたわけではない。弦が介入したために留まったのか、小原の言葉によるのか、それすら分からない。
今度会えば、さらに怒らせるかもしれなかった。理由を明かせないまま同じことを言えば、臆病者が執拗に妨げていると受け取られる。逆に、危険を強く言いすぎれば、若者たちは城より先に動く必要があると思うかもしれない。
何も言わない方が、弦自身には安全だった。
けれど安全な沈黙の先に、帰らなかった同年代がいた。
弦は目を開けた。
離れ座敷の天井があった。耳鳴りは続いている。前室の衣類箱も、借りた着物も、冷えた畳も、慶応四年のものだった。
昭和二十年八月六日の午前八時十五分は、終わっていなかった。柱時計の針が動いているかどうかも見ずに、弦だけがそこから消えた。元の時代の者が自分をどう探したかは分からない。工場に残った者がどうなったかも知らない。
戻れば確かめられると思っていた。
下河原へ来てから、光と圧力が再び起これば帰れるのではないかと、考えたことがある。根拠はなかった。似た時刻を待てばよいのか、同じ場所に立てばよいのかさえ分からない。宇品と下河原に共通するものを探しても、傷と自分の身体以外には何もなかった。
それでも、戻る可能性を捨てなければ、ここで何もしない理由にできた。
この時代のことを知らない。余計なことを言えば歴史を違える。いずれ元の場所へ帰る者が、水枝の人間へ深く関わるべきではない。そう考えれば、黙って岩井家に守られ、帰る時を待つことができた。
だが帰る時を待つことは、何も選ばないことではなかった。
元信たちが出ていくのを見送る側へ、自分を置く選択だった。
前室から衣擦れがした。予告のない大きな物音ではない。弦は身構えずに顔を上げた。
沙江が湯を持って戻ってきた。空の薬の器はなく、両手で盆を支えていた。
「横になっていなかったのですね」
「すみません」
沙江は責めず、盆を置いた。
「耳は」
「先ほどより、弱くなっています」
「篠先生がお見えになれば、もう一度お伝えください」
「はい」
沙江は湯を弦の前へ寄せたあと、すぐには立たなかった。先ほどの問いを言い換えることも、重ねて尋ねることもせず、少し離れたところへ座った。
弦は湯へ手を伸ばした。器の熱さは分かっていた。白い閃光のあとの熱とは違う。持つ前からここにあると知ることのできる熱だった。
「沙江様」
「はい」
「先ほどのことですが」
沙江は返事を急がせなかった。
「帰らなかったところを、私は見ました」
これ以上言えば、何を見たのかという話へ進む。弦はそこで言葉を止めた。
「戸ヶ崎様も、そこへ帰らなければならないのですか」
帰らなければならない。
そう答えることはできた。広島には自分の時代がある。宇品の床から消えた自分が、そこへ戻りたいと思うのは嘘ではない。
だが、その答えを口にすれば、また待つ者へ戻る。
弦は湯から手を離した。
「戻る道はありません」
沙江は弦を見た。驚いて問い返すのではなく、しばらく黙ったまま弦の返事を待った。
「広島へ、帰れないのですね」
その言葉から、弦には、沙江が自分を広島へ帰る手立てを失った者として見ているように思えた。それは弦の事情とは少し違っていた。
宇品へ戻る仕組みを確かめたわけではない。二度と帰れないと断定する根拠もない。ただ、帰る時が来るまで何も選ばず待つ生き方は、ここでやめる。
その意味で、弦にはもう、待つだけの道へ戻るつもりがなかった。
その違いを説明すれば、昭和も、八月六日も、白い閃光も話さなければならない。そこだけを切り離して伝えることはできなかった。
「はい」
弦はそれ以上、言い足さなかった。
沙江は、そうですか、とだけ答えた。慰めも、ここを故郷と思えという言葉も置かなかった。湯の器をもう一度、弦の手が届くところへ寄せた。
やがて篠が来た。
弦は座敷で診察を受けた。篠は向かいに座り、沙江は湯の脇、久馬は座敷と前室の境にいた。
肩の傷は塞がっている。頬と前腕の赤みも薄れ、清倫館まで歩いたことで悪くなった様子はない。篠は耳の具合を確かめ、大きな音がなくとも鳴りが強くなることはあると告げた。
「今夜は休みなさい。明日も歩けぬ身体ではないが、続けて無理をすれば、音への備えが戻る」
「はい」
「聞こえぬものを聞こうとして疲れるな。聞こえる声まで遠くなる」
篠は新しい薬を増やさなかった。傷へ当て布を戻すこともなかった。
診察が終わると、久馬は篠を母屋側へ送る前に、弦へ向き直った。
「明日、また清倫館へ行くつもりか」
弦はすぐに答えなかった。決めたことを見抜かれた驚きより、何を理由に止められるかを考えた。
「行きたいと思います」
「何を話す」
「まだ、決めていません」
「ならば、決めてから出ろ」
久馬の言葉は許しでも命令でもなかった。
「お前がどこで何を見たか、私は知らぬ。知らぬことを、知っているとは書けん。だが、話せなかったことまで、話したことにするな」
「はい、岩井様」
「館生は、お前の答えぬところを疑っている。もう一度行けば、疑いが深くなることもある」
「分かっています」
「分かっておらぬ顔だ」
久馬はそう言ったが、行くなとは告げなかった。
夜、弦は横になってから、元信へ何を言うかを考えた。
未来を知っているとは言えない。元信たちがどこで死ぬとも、そもそも死ぬとも断定できない。戦へ行くなと命じる立場でもない。水枝の選択を決める知識も権限もなかった。
言えるのは、自分が臆病者であることを否定しないということだった。
恐れぬ者のふりをして説得すれば、昭和で聞いたものと同じになる。死を恐れるなと教えた者たちの反対側から、別の正しさを押しつけるだけになる。
元信が怒った理由を、弦なりに考えた。役を与えられず待たされる中で、会津往還へ出れば役に立てると口にした。その道だけを弦が塞げば、待てという城の側に立つことになる。
だから、止めるだけでは足りなかった。
何をさせるべきかまでは、弦には決められない。小原が城へ答えを求めると言ったことを、弦は覚えていた。明日の回答が何であるかも知らない。それでも、答えが来る前に命を差し出す必要はないと、もう一度言うことはできる。
その言葉で元信が留まる保証はない。
清倫館での短いやり取りを順に思い返す。元信は、また待てと言うのかと小原へ返していた。小原は、待たせるなら何をさせるかまで城へ答えを求めると約した。弦はその脇で、帰らなかった若者の話だけをした。覚悟を侮ったと取られてもおかしくはない。
もう一度会うなら、昨日の言葉を正しかったと言い張ることから始めてはいけない。臆病者と呼ばれたことを取り消させるためでもない。役を求める理由を聞き、その答えの中に、生きて帰ることが残っているかを確かめる。そのうえで、帰らない覚悟ばかりを先へ置くなと告げる。
もし元信が、死を恐れて何が悪いと問い返したなら、弦は悪いとは言わない。恐れているからこそ、帰る道を求めるのだと答える。死を恐れぬことと、役を果たすことを同じにするなとも言う。それ以上は、元信の返答を聞かなければ決められなかった。
かえって弦を退け、自分たちだけで動くかもしれない。清之助も同じ道を選ぶかもしれない。弦が見張るように現れたと思えば、相談を隠すようになる。いま見えている危険を、見えない場所へ追いやることもあり得た。
介入には、その損失があった。
黙っていれば、失敗は弦の責任にならない。出奔しても、止める言葉を持たなかったと言える。だがそれは、責任を負わないための沈黙だった。
弦は、教える側へ戻りたかった自分を思った。
答えを言い渡すだけでなく、誤ったところまで戻り、別の道を一緒に探せる教師になりたかった。いまの自分は、元信たちをどこへ導けば必ず生きて帰れるのかという答えを持っていない。
だからこそ、元信の答えを先に決めず、聞かなければならなかった。
死んだあとに誉れを与えられても、選び直す時間は返らない。
その一点だけは、昭和で見たものから離れなかった。
夜半を過ぎても、弦はもうそれ以上の答えを作らなかった。
弦が明日持っていけるのは、帰ることを捨ててから役を求めるな、という一点だけだった。死ぬ覚悟を示す前に、生きて戻る道を求め、その道を誰が用意するのか問え。未来を知っているからでも、戦を裁けるからでもない。制度も手順も作れない弦が、そこまでを言って、あとは元信の返事を聞く。
それを口にすれば、また臆病者と呼ばれるだろう。
今度は、その名から逃げない。
元信に認められたいのでも、沙江に自分を理解してほしいから行くのでもない。沙江の問いが、隠してきた記憶を表へ近づけたのは確かだった。だが、離れを出る理由は、昭和から身体に残っているものの側にあった。
午前八時十五分の柱時計。食料箱の縄。帰還を前提としない話を聞きながら作業していた同年代。教える側へ戻れないまま、床から消えた自分。
それらを、元の時代へ帰る日まで箱へ納めておくことはできなかった。
弦は夜のうちに答えを完成させなかった。何を言えば届くかは、元信の顔を見て、彼が何を求めているかを聞かなければ決められない。先に答えを作って持って行けば、昨日と同じように、相手の話を聞く前に自分の恐れを置くことになる。
離れから出れば、岩井家の客人として守られているだけでは済まなくなる。清倫館で騒ぎを広げれば、久馬が名を預かってくれたことまで疑われかねない。元信たちが弦の来歴を城へ問うこともあり得る。広島、学校、その先を答えないたび、怪しさは増す。
守られていることを、何もしないためには使えなかった。久馬が負ったものを軽くする方法は、離れに隠れ続けることではない。語れないことを語ったふりにせず、自分がした言動の責任だけは自分で引き受ける。
先に話すのでなく、先に聞く。
そのうえで、自分が答えられないところを知っているふりはしない。帰らなかった若者を見たことだけは、嘘にせず置く。昭和の事情を明かせなくても、自分が見たものを別の話へ作り替える必要はなかった。
それが元信を止められるかは分からなかった。城の答えが何であるかも、元信がもう一度話を聞くかも分からない。だが、届く保証がないことを、何も言わない理由にはしない。
弦は分からないまま、目を閉じた。
翌朝、耳鳴りは消えていなかった。起き上がるときに目が回ることはなく、肩の傷も開かなかった。顔を洗い、借りた着物を整えた。
前室の衣類箱は、昨夜と同じ場所にあった。弦は蓋に触れなかった。
昭和から着てきた衣が中にあり、肩の裂けたところも、熱を受けた跡も残っていると分かっていた。
内納戸にある片方の木底の履物も取り出さなかった。
それらを捨てるのではない。元の時代を忘れた印にするのでもない。自分がどこから来たかを示す品を置いたまま、この時代の一日へ出る。
弦は家の羽織を借りた。外へ出るための草履は、清倫館へ行ったときと同じく、弥七が出したものだった。履き慣れない形ではなくなっていたが、自分のものではないことは、足を入れるたびに分かった。
母屋側から久馬が来た。前夜と同じく、弦の顔と立ち方を見た。
「篠先生には、歩けぬ身体ではないと言われました」
「歩けることと、行ってよいことは別だ」
「はい」
「それでも行くか」
「行きます」
久馬はしばらく弦を見た。
「供はつけぬ。お前が自分で言いに行くことだ」
「はい、岩井様」
「帰って来い。話が届かなくともだ」
その言葉に、弦はすぐ返事ができなかった。
帰ることを教えぬ支度を、若い者に立派と言うな。
昨日、自分が清倫館で告げた言葉が、別の向きから戻ってきた。
「はい。帰ります」
沙江は勝手から包みを持って来た。中身を説明せず、弦へ差し出した。
「途中で具合が悪くなったら、無理をしないでください」
「ありがとうございます、沙江様」
「戸ヶ崎様」
呼び止められ、弦は沙江を見た。
沙江は昨夜のことを問い直さなかった。
「帰るところは、ここにもあります」
弦は、その一言へ広島の代わりを求めなかった。岩井家を故郷と呼ぶ約束にも受け取らなかった。
ただ、戻って来いと言う者が二人いることを、今朝の事実として受け取った。
「はい」
清倫館へ行けば、元信の怒りは残っている。臆病者という名も消えない。理由のすべてを話さずに向き合う以上、疑いも解けない。
もう、ただ待つだけの者ではいない。
弦は借りた草履で敷居を越え、清倫館の若者たちにもう一度会うため、岩井家の離れを出た。




