第12話 海の向こう
「父母の名は」
戸籍の編製に当たる者が尋ねた。
久馬は答えなかった。
机上には、水枝で暮らす者を一戸ずつ確かめた覚えが積まれていた。名、住まい、家との関わり。書き入れる順も、以前の人別控とは異なっている。旧藩の役目や身分をそのまま移せば済むものではなく、これまで帳の外にいた者も、改めて確かめねばならなかった。
明治五年、岩井家から出した覚えの中に、戸ヶ崎弦の名があった。
その名の脇で、筆が止まっていた。
「分かりません」
久馬が答えると、相手は筆先を浮かせた。
「亡くなられたのですか」
「それも確かめておりません」
「生国は」
「分かりません」
「本人は、どこの生まれと申しておりますか」
「申しておりません」
向かいに座る者は、書きかけの一枚を見直した。戸ヶ崎弦。その下に、慶応末から水枝に居住とある。岩井家預かりとも記されているが、どの家から来た者かはない。
「これでは、どこから来た戸ヶ崎弦なのかが分かりません」
「分からぬことを、分かる形にはできません」
「岩井家で預かっておられるなら、岩井家との続柄を記せませんか」
「続柄はありません」
「家中の者として召し抱えたことにすることも」
「しておりません」
久馬は、持参した包みから三通を取り出した。
一通目は、慶応三年十一月、雪の中で倒れていた若者を岩井家へ運び入れた時の覚えだった。公へ出したものには、負傷した若者一人としかない。名は聞いたが、出所も家も分からず、久馬が載せなかった。
二通目は、その夜から翌朝にかけて取った私的な手控である。若者が戸ヶ崎弦と名乗ったこと。広島、学校と口にしたこと。出所と家は分からなかったこと。聞いた答えと、分からないところを分けてあった。
三通目は、それからの居住をまとめた覚えだった。岩井家の離れで暮らし、篠の診立てを受け、食を取り、城下と往還の救護を手伝ったこと。水枝の役へ加わった時も、戸ヶ崎弦と名乗っている。年ごとの出来事を埋めたものではない。誰が、どの場で同じ人物を戸ヶ崎弦として見知ったかを抜き出してあった。
相手は最初の一通を開いた。
「初めの公の覚えには、名がありません」
「私が外しました」
「本人が名乗っていたのに、ですか」
「はい」
「なぜです」
「当時、その名を公へ出せば、出所の知れぬ若者として取り調べられ、身を移されるおそれがありました」
「ならば、戸ヶ崎という名が正しいと、岩井殿も確かめてはいない」
「確かめておりません」
返答を曖昧にしなかった。
戸ヶ崎という家を探したことにも、父母を知っていることにもできない。弦が口にした「広島」を出生地へ移すこともできなかった。そこが生まれた土地か、暮らしていた土地か、それとも別の関わりを持つ場所かを、久馬は知らない。
「それでも、この名を置けと申される」
「本人が、この名を名乗り続けています」
「名乗りだけですか」
「初めは、そうでした」
久馬は三通目を前へ出した。
「以後は、この名で呼ばれ、この名で働き、この名で水枝に暮らしております。私一人の申立てではありません」
戸口の外で待っていた者が呼び入れられた。
最初に入ったのは篠だった。
篠は、雪の中から運び込まれた若者を診たこと、意識が戻ってから戸ヶ崎弦と名乗ったこと、その後も同じ人物の傷や熱を診てきたことを答えた。
「父母や出生地を聞いておられますか」
「聞いておりません」
「戸ヶ崎という家を御存じですか」
「存じません」
「では、この者が戸ヶ崎家の者だと確かめられますか」
「できません。私が確かめられるのは、あの夜に診た者と、その後、戸ヶ崎弦と呼ばれて水枝で暮らしている者が、同じ人だということです」
篠はそれ以上を足さなかった。
次に弥七が入った。
弥七は、若者を岩井家へ運び入れた夜から、離れで食を取り、眠り、起き、家の用を手伝ってきたことを答えた。初めの頃、久馬に命じられて離れの出入りを見ていたことも隠さなかった。
「一度も水枝を離れておりませんか」
「用で往還や町へ出たことァあります。けんど、どこぞの家へ戻ったことは、オラァ見てねえです」
「ほかの名を使ったことは」
「聞いてねえです。戸ヶ崎弦様で通ってます」
「岩井家の親類では」
「違います」
「奉公人ですか」
「それも違います」
弥七は、久馬の方を見なかった。
「岩井家におる戸ヶ崎弦様です。それより先ァ、オラァ知りません」
知らぬところを揃えるために呼んだのではなかった。三人が同じ作り話を重ねれば、空欄は埋まる。だが、それでは弦の名を置くために、弦とは別の人間を公へ作ることになる。
篠と弥七が下がると、戸ヶ崎弦本人が入った。
弦は久馬より一歩後ろへ座った。慶応三年の冬より身体は大きく変わっていない。だが、初めて岩井家で名を問われた時の、息を継ぐたびに意識を失いかけていた少年ではなかった。
「名を」
編製に当たる者が言った。
「戸ヶ崎弦です」
「父の名は」
「お答えできません」
「母の名は」
「お答えできません」
「生まれた場所は」
弦は答える前に、膝上の指を一度閉じた。
「お答えできません」
「広島ではないのですか」
久馬は口を挟まなかった。
「広島にいたことはあります」
弦が答えた。
「生まれた場所としては、お答えできません」
「水枝へ来る前、どこで暮らしていたのです」
「それも、今の私の来歴として申し上げられません」
「申せないのか、覚えていないのか」
「覚えています。ですが、今の私の来歴として裏づけていただけるものがありません」
相手の筆は動かなかった。
「戸ヶ崎弦という名だけは、確かですか」
「私は、その名で生きてきました」
「岩井殿」
向かいの者が言った。
「初めの覚えへ名を載せなかったのは、其許の判断です。いまになって、その名を公へ置くことも、其許が求めている」
「はい」
「前の判断を誤りだったと改めますか」
「改めません」
久馬は答えた。
「あの時、名を外したことで、弦を取り上げられずに済みました。出所の知れぬ若者の名が、疑いを集める時でした。私がしたのは、名を捨てることではなく、外へ出さずに預かることでした」
「では、いまも外へ出さず、岩井家の覚えに留めればよいのではありませんか」
「いま、それを続ければ、戸ヶ崎弦は水枝に暮らす者として数えられません」
久馬は、机上の一枚を見た。
「道直しの帰着を見届け、救護の荷を運び、清倫館で子らへ渡す手順を考えた者が、岩井家の内にだけ記される。父母を作らぬために名まで外せば、分からぬ来歴だけでなく、水枝で暮らした年月まで消えます」
「父母も生国も分からぬ者を、どう受け取ったかと、後から問われます」
「その時は、分からぬものを分からぬまま受け取ったと答えます」
「其許が責を負うと」
「私が確かめた範囲については」
久馬は弦を見なかった。
「戸ヶ崎という家があることも、父母も、出生地も請け合いません。慶応三年の冬から水枝に居住し、本人が一貫して戸ヶ崎弦と名乗り、私、篠、弥七が同じ人物として確認している。その事実に、私の名を置きます」
相手は三通をもう一度、順に見た。
最初の公の覚えでは、負傷した若者一人。
同じ時の私的な手控では、戸ヶ崎弦と名乗った若者。
その後の覚えでは、岩井家の離れに居住し、複数の者が戸ヶ崎弦として知る一人。
空いたところへ架空の父母を入れれば、見かけは整う。出生地を広島とすれば、問答も短くなる。岩井家との続柄を作れば、どの家の者かという問いにも答えられる。
久馬は、そのいずれにも同意しなかった。
長い間を置いて、編製に当たる者が別の一枚を引き寄せた。
「確認できない父母と生国は、こちらで補いません」
「はい」
「後から確かな証しが出れば、その時に改めます」
「それで結構です」
「居住については、慶応末から。岩井家で預かり。本人の申立てに加え、岩井久馬、篠、弥七の確認あり、とします」
「篠と弥七が話した範囲を越えぬようにしてください」
「同じ人物が水枝に住み続けたことまでです」
「はい」
筆が下りた。
戸ヶ崎弦。
名の後へ、慶応末からの居住と、確認した者が記された。父母も出生地も、新しく作られなかった。
書き上げた一枚は、その場にいた別の者へ渡された。その者が読み返した後、水枝の者を編む帳へ移された。戸ヶ崎弦の名は、岩井家の手控でも、封じた完全記録の中でもない場所へ入った。
「本人にも確かめさせます」
帳が弦の前へ向けられた。
弦は自分の名から、その後に続く文まで読んだ。「広島」が出生地とされていないこと、岩井家との血縁が作られていないことを見た。
「違いはありますか」
「ありません」
「この名でよろしいですね」
「はい。戸ヶ崎弦です」
久馬は、確認した者として自分の名を記した。
以前、公へ出す一枚から弦の名を外した時も、自分の名で行を閉じた。その判断を消さず、今度は同じ手で戸ヶ崎弦を公の帳へ置いた。
編製に当たる者が帳を閉じ、次の一戸の覚えを手元へ寄せた。
戸ヶ崎弦の名が公の帳へ入ってからも、父母と出生地の空白はそのままだった。後から埋められる証しは現れず、久馬も弦も、空白を別の答えへ直さなかった。
弦はその名で五年を過ごした。道直しの帰着を見届け、救護の荷を運び、清倫館で教える手順を考えた。公へ名が置かれても、別の者になったわけではない。ただ、用の先で名を問われれば、岩井家の手控へ戻らず「戸ヶ崎弦」と答えられるようになった。
明治十年、その名で聞いたのは、昔とよく似た死の誉め方だった。
「若い身ながら、国のため見事に果てた」
読み上げた男は、そこで刷物を膝へ下ろした。
明治十年、西南の戦を伝える文が水枝へ入るたび、戦った者の数と死傷の知らせに、忠勇、名誉、壮烈という言葉が添えられた。誰がどこで見たかの分からない風聞だけではない。新しい政府の側から出た知らせにも、若くして退かなかったことを称える文があった。
男の周りには、荷を運ぶ途中の者や、道直しから戻った者が集まっていた。元信より若い者が、読み終えた箇所を覗き込んだ。
「こっちの世になっても、立派に死んだ者は立派なんだな」
誰もすぐには答えなかった。
沙江は少し離れたところで、救護に回す布の受取を確かめていた。弦は包みを抱えたまま、刷物にある一行を見ていた。
読み手が次の段へ移ろうとすると、弦が言った。
「亡くなった方のお年は、書かれていますか」
「何人かはある。若いのもいる」
「戻るよう命じられた者がいたか、退く道が残されていたかは」
「そこまではねえな。戦の知らせだ。誰が退いたかまで、いちいち書かんだろう」
弦はそれ以上尋ねなかった。
若い者は、国のため見事に果てたという初めの一行をもう一度読んだ。戻る命や退路が書かれていないことには、目を留めなかった。
白井が人垣の外から声を掛けた。
「道直しの帰着は終わったか」
集まっていた者が散った。刷物を持つ男も立ち上がり、元の持ち場へ戻った。白井は刷物を取り上げず、若い者を咎めもしなかった。
「戸ヶ崎殿。先ほどの問いを、向こうでも忘れぬことです」
「はい」
「ただし、問いだけでは人は戻りません。誰が止め、何刻まで待ち、戻らぬ時に誰を出すか。決め方まで学ばなければ、水枝で作ったものを言葉のまま運ぶことになる」
弦は抱えていた包みを持ち直した。
「白井様は、向こうでそれを学ばれるのですか」
「学ぶのは、制度と運営です。教える者をどう定め、学んだ者をどう戻し、続けるための費えをどう支えるか。水枝だけを見ていては、足りぬところが見えません」
「私は、英語と教材を」
「それに初歩の航海です。舟を出すなら、戻る場所を陸の道より先に決めねばならぬ」
二人が海の向こうへ渡る支度を進めていることは、すでに久馬と沙江も知っていた。行き先は米国で、白井は教育を続ける仕組みを、弦は英語と実学の教材を学ぶ。ニューイングランド、マサチューセッツ周辺というところまで聞いていた。
西南の戦が始まったから急に渡るのではなかった。白井は以前から、水枝の内だけで作った運用が別の土地でも通じるか試したいと、久馬たちへ話していた。弦も、小原とのやり取りの中で、英語と実学の教材を学び直したいと口にしていた。
その支度のさなかにも、新しい政府の側から、若い死を誉れへ結ぶ文が届いた。旧藩の忠義だけを改めれば済む話ではなかった。
沙江はその日の夕刻、岩井家の書きつけの間で、外へ出す記録を選び始めた。
机の右には、公へ引き渡すものがあった。旧藩の武具を封じて提出した数、米を渡した上限、道路修繕の履行、監視役を受け入れた範囲。戸ヶ崎弦の名を公へ置いた時の記録も、必要な箇所だけがそこへ加えられている。すでに公の用へ出したものと、今後も公の側で保つべきものだった。
左には、完全記録を納めた文箱があった。
三原の死。清之助の死。元信の無断出立と藤吉への傷害。清倫館を閉じたこと。久馬が裁可前に回答を発送したこと。沙江が父の許しを待たず、清之助一人分の記録を母へ渡したこと。誰がどの順で判断し、誰が傷つき、誰が負うべきものを負わなかったかまで、原本には残っている。
その箱を開く鍵は、沙江の帯の内にあった。
中央には、白井と弦が外へ持ち出す運用抄本の案が置かれていた。
久馬ではなく、沙江が選ぶよう命じられていた。
最初に作られた案には、帰る刻限、撤退条件、交代、帰着確認、未帰還時の捜索、損耗の報告が簡潔に並んでいた。楢木宿への輸送、道路修繕、救護の荷、城門を開いた後の受入れ。そのいずれも、水枝で実際に用いられたものだった。
失敗は短くされていた。
清倫館を閉じたことは、閉門後に役を整えたという一行へまとめられている。清之助の死は、帰還中の損耗一名となっていた。三原の死は、上位者が責任を負った事例とだけ記され、その後に元信が刃を抜いたことへは頁が続いていなかった。
沙江は、その案を運用抄本にはしなかった。
帯の内から鍵を出した。文箱を開く前に、別の一枚へ刻と目的を記す。米国へ持ち出す運用抄本の選別のため、完全記録のうち、清倫館閉門以後の運用、清之助の死亡、三原の自裁、元信の抜刀と藤吉傷害に関わる箇所を開く。
末へ岩井沙江と記した。
錠を外し、蓋を開いた。
完全記録から原本を出したが、机上へすべてを広げなかった。必要な綴りを一つずつ取り、読み終えるたびに元の位置へ戻した。
清倫館を閉じた記録には、館生を家へ帰した後、正式な役を示せなかったことがある。閉門は戦から若者を遠ざけたが、何をして生き残るかを渡さず、元信らを無断で往還へ出した。後から帰る役を作ったことだけを抜けば、閉じた者の失敗は消える。
沙江は、運用抄本の初めにその順を戻した。
清倫館を閉じた。館生を帰した。戻した後の役を示さなかった。館生が命に背いて往還へ出た。仮橋と荷車の事故が起きた。その失敗の後、救護、運搬、道と橋の確認、帰着の役を定めた。
成功した手順だけでなく、何が足りず、その手順が必要になったかまで書き戻した。
次に清之助の記録を開いた。
新田清之助。楢木宿までの薬と暮らしの食を運ぶ輸送組。撤退の命に従い、帰る列の中で銃弾を受けて死亡。射手と所属は確認できず。
沙江は、損耗一名という案を消した。
清之助の死を、撤退条件が正しかった証にはしなかった。命に従っても帰せなかった者がいる。その時、誰が死亡を確認し、所持品を戻し、遺族へ何を伝えたか。帰る手順を作っても帰せなかった一人として、清之助の名を残した。
三原の記録では、寺村から「重き身命」一名を求められ、三原が自分の名を正式回答へ記した経緯を抜き出した。回答を出しても、寺村方の受理も、水枝の恭順認定も返っていなかった。三原が切腹し、医師が死亡を確認した後、立会人が「秋水のごとし」と評したことは、運用の本文には移さなかった。
その評があったことは、完全記録に残る。
外へ持ち出す抄本に必要なのは、上位者が死ねば問題が終わるという形ではなかった。三原の死後も武装と若者の扱いは検分され、内部役目表の持出しが求められたこと。その場で久馬が止め、元信も止めようとして、制止に背き藤吉を斬ったことだった。
沙江は、三原の死の後で頁を閉じなかった。
三原主膳の死は、水枝の恭順認定を確定させなかった。
続く検分で、寺村方は内部役目表原本の持出しを求めた。久馬は拒んだ。片倉元信は原本を奪い返そうとし、久馬の制止に従わず刀を抜いた。吉田藤吉の左前腕を傷つけ、藤吉は数週間、任務へ戻れなくなった。藤吉は元信の詫びを拒み、水枝が治療、療養中の給養、後送の人馬と費えを負った。
元信が後に救護や道路の役を担ったことは、その後へ記した。傷害を償ったとも、藤吉に認められたとも書かなかった。
沙江は一行を加えた。
中止を命じる者を定めるだけでは足りない。制止を受ける者が従わず動いた時、誰が次に止めるかを、出立前に定める。
そこまで選び終えた時、久馬が書きつけの間へ入った。
父は完全記録の箱が開いていることを見ても、鍵を求めなかった。沙江が開いた箇所と目的を記した一枚を先に読んだ。
「清之助の名を外さなかったか」
「外しておりません」
「外へ持ち出す抄本だ」
「はい」
「清之助の名を、別の土地で人を動かすために使われるおそれはある」
「あります」
沙江は否定しなかった。
「ですが、損耗一名とすれば、帰る命に従った一人を帰せなかった事実が、数だけになります。氏名から次の者を選ぶための帳にはせず、何を担い、どの時に失い、誰が遺族へ返したかを一件として残します」
「三原様は」
「責任者が死を選んだ手本にはしておりません。死後にも処分が終わらず、その後の検分で傷害が起きたところまで続けました」
「元信の名も、藤吉殿の名も出すのだな」
「はい。元信様だけを失敗者にはしておりません。父上が制止し切れなかったこと、寺村殿が原本の持出しを命じたこと、藤吉様が傷を受け、赦していないことまで書きました」
久馬は運用抄本の案を初めから読んだ。
「水枝の恥を、海の向こうへ持って行かせることになる」
「成功したところだけを持たせれば、白井様と弦様が正しい方法を持っているように見えます」
沙江は、閉じた文箱の脇にある三つの包みを見た。
「清倫館を閉じたことも、清之助殿を帰せなかったことも、三原様の死で終わらなかったことも抜けば、水枝は初めから戻る役を知っていたことになります。別の場所で失敗が起きた時、使う者は、自分たちだけが誤ったと思います」
「失敗を持ち出せば、同じことを避けられるとは限らぬ」
「限りません。ですが、成功だけでは、止めるべき時を知る材料がありません」
久馬は抄本を閉じた。
「この箱へ何を残し、何を封じ、どこへ何を渡すか。最終に決める権限は、これまで私が持っていた」
「はい」
「前に鍵を渡した時、お前に認めたのは、必要な者へどの部分を見せるかという判断の一部だった。箱ごと渡すことも、全記録を公開することも許してはいない」
「承知しています」
「今日からは、その先もお前が決めろ」
沙江は父を見た。
鍵はすでに自分の手元にある。父が差し出したものはなかった。
「最終の選別も、ですか」
「そうだ」
「父上と異なる判断でも」
「異なったことを記せ。何を残し、何を封じ、どの部分を誰へ渡したか、自分の名で決め、その経過も記せ」
「すべてを外へ出すことではありませんね」
「違う。残すべきものを残し、閉じるべきものを閉じ、使う者へ必要な部分を渡す。その最後を決める権限だ」
「私が、岩井家の者だからですか」
「それなら、とうに渡している」
久馬は、沙江が作った運用抄本へ手を置いた。
「お前は、私が清之助を『ある輸送の者』にした時、完全記録を奪わず、遺族へ渡す一人分だけを作った。私の判断を破った事実も、自分の名で残した。今も、完全記録をそのまま外へ出さず、失敗を抜かぬ抄本にした」
「それが、父上の判断と違っても」
「違うから渡すのではない。違えた時に、違えたことを隠さず残せるからだ」
久馬は、運用抄本を沙江の前へ戻した。
「この抄本を外へ出すか、出すならどこまでか。お前が決めろ」
沙江は、選別の経過を記した一枚へ筆を加えた。
公へ引き渡す記録。旧藩の武具、米、道、監視、戸籍編製に関わる公の用へ出す部分。
水枝に封印する完全記録。氏名、判断の順、失敗、死亡、傷害、責任、証言と評価の区別を保つ原本。
白井主馬、戸ヶ崎弦が米国へ持ち出す運用抄本。帰還、中止、捜索、交代、損耗報告を外で用いるため、成功した手順と、その手順が必要になった失敗を選んだもの。
沙江は、運用抄本を外へ出すと決めた。
決定者として岩井沙江と記し、渡す相手と目的を書いた。久馬はその下へ署名しなかった。読み終えたことだけを、別の立会いの覚えへ残した。
完全記録を文箱へ戻した。沙江自身が蓋を閉じ、錠を掛ける。鍵は父へ返さず、帯の内へ納めた。
公へ引き渡す包みは、翌朝、受取の者へ渡された。受け取ったものと返すべきものをその場で照らし、渡した刻を双方に残した。完全記録の原本は一枚も含めなかった。
運用抄本は、白井と弦の出立する日まで岩井家に留めた。
出立の朝、白井は約した刻より早く岩井家へ来た。荷は多くなかった。学ぶために必要なものをすべて水枝から持って行くのではなく、向こうで得ることを前提に絞っていた。
弦は離れから自分の包みを持ってきた。
沙江は書きつけの間で、運用抄本の封を二人に改めさせた。完全記録ではないこと、初学教材でもないこと、外で実務へ用いるための抄本であることを告げる。
「清倫館を閉じた失敗から入っています」
沙江が言うと、白井は最初の頁を開いた。
「清之助殿のことも」
「氏名と役、帰る命に従っていたこと、帰せなかった事実まで記しました」
「三原様は」
「亡くなられたところで終えていません。その後、元信様が藤吉様を傷つけたところまで続きます」
白井は頁を戻さず、封を結び直した。
「承知しました」
「持ち出す先で写す時も、成功だけを抜かないでください」
「約します、とは申しません」
白井は答えた。
「向こうで使えぬところも、誤っていると分かるところもあるでしょう。ですが、削るなら、何をなぜ削ったかを残します」
「それで結構です」
沙江は受取の一枚を白井へ向けた。白井が署名した後、弦へ渡す。
弦は筆を取る前に、沙江を見た。
「沙江様。この抄本を、私が持って出てもよいのですか」
これまでなら、沙江は父を見るところだった。
見なかった。
「私が決めました」
弦は受取人として自分の名を書いた。
戸ヶ崎弦。
明治五年、公へ置かれた名だった。今度は、水枝の記録を外へ持ち出す者として記されている。
沙江は一枚を受け取り、記載を読み返した。
「弦殿」
弦の手が止まった。
沙江がその呼び方を用いたのは、初めてだった。
「はい、沙江様」
「この抄本には、水枝が正しかったとは書いてありません」
「はい」
「持って行かれる先でも、正しいものとして守らないでください。使えなければ改め、改めた理由を残してください」
「分かりました」
沙江は、戻ってくるよう求めなかった。
弦も、戻る約束をしなかった。
告げたのは、抄本の扱いだけだった。
白井と弦は運用抄本を荷の中へ入れず、白井が手に持った。岩井家の式台を下りると、二人は久馬と沙江へ一礼した。
弦は最後まで、沙江を「沙江様」と呼んだ。
沙江は門外へ出なかった。
白井と弦が城下を離れる道へ入るのを見届けると、書きつけの間へ戻った。出立の覚えに、二人の名、抄本を渡した刻、持ち出した者、分かる範囲の行き先を記した。
完全記録の文箱は、水枝に残っていた。
帯の内には、その鍵があった。
海の向こうから二人が持ち帰ったのは、異国の暮らしぶりではなかった。白井は、教える者と学ぶ者をどう組み、持ち場へ戻った後も続ける仕組みを見てきた。弦は英語そのものに加え、問い、答え、言い換え、実地を一つにつなぐ教え方を持ち帰った。運用抄本の余白には、向こうで直した箇所と理由が書き加えられていた。
明治二十年頃、その材料は水枝実学舎の三人の前へ開かれた。
「Returnは、帰る、戻るです」
弦が板へ綴ると、三人のうち、教師が同じ語を手元へ写した。
港湾と舟運に携わる者は、綴りより先に、その下へ描かれた海岸線と方角を見ていた。救護と地方の実務に携わる者は、出立と帰着を記す二つの欄を指で照らしている。
水枝実学舎に最初に集まった受講者は、その三人だけだった。
子どもではない。すでに自分の持ち場を持ち、学んだものを別の者へ渡す役を負える成人だった。
弦は東西南北を英語で読ませ、簡単な海図の見方を教えた。岸に沿って進む時、二つの目印をどの向きに見るか。風向きが変わり、予定した場所へ進めなくなった時、出発した地点へ戻るには何を記しておくか。距離や速さを難しい算式にせず、出た刻、進んだ向き、見えた陸の形を順に書かせた。
港湾と舟運の者が、描かれた舟を指した。
「行き先へ着けなかった時も、航海の記録へ入れるのですか」
「入れます」
「荷を届けず戻れば、失敗でしょう」
「届けられなかったことは残します。ですが、戻ったことを隠して、着いたことにはできません」
弦は、出立の欄と帰着の欄の間にある空所を示した。
「ここへ、戻ると決めた理由を書きます。風か、視界か、舟の損じか。誰が中止を命じたかもです」
「船頭が決めるものでは」
「船頭が動けなくなった時は、誰が決めますか」
相手は答えず、同じ欄を見直した。
教師は、英語の教材を声に出して読んだ。荷を受け取る、負傷者を運ぶ、道を見る、戻って報告する。弦は発音を直したが、単語だけを覚えさせなかった。二人一組で問いと返事をさせ、相手が聞き取れなければ、言い換えて伝えさせた。
「英語を話せれば、異国の者へ用を伝えられます」
弦は言った。
「ですが、誰へ報告するかが決まっていなければ、言葉が通じても用は止まります」
救護と地方実務の者には、傷の名を英語で言うより先に、負傷者の人数、動かしてよい者、先に戻す者を分けさせた。重い傷を見分ける診立ては篠の領分であり、弦は教えなかった。聞いた順に書き、分からないところを埋めず、次の者へ伝える手順を教えた。
白井は三人が学ぶ順を定めた。教師だけが英語を持ち帰らず、港湾の者にも救護の者にも同じ教材を読ませる。港湾の者だけが舟の扱いを担わず、ほかの二人にも出立と帰着を照らさせる。一人が来られない日に何を止め、何を別の日へ移すかも、始めから決めた。
持ち帰った方法は、水枝の人数と持ち場に合わせて使い直した。三人が同じ時間に揃わなければ、白井は欠けたまま先へ進めなかった。学んだ者には、自分の持ち場で誰へ何を教えたかを次に持ち寄らせた。
米国へ持ち出した運用抄本も、机上へ戻っていた。
清倫館を閉じた失敗。清之助を帰せなかったこと。三原の死で処分が終わらず、その後の検分で元信が藤吉を傷つけたこと。沙江が外へ出すと決めた箇所は削られていない。余白には、別の土地で使う時に改めるべき点が、白井と弦の名を分けて加えられていた。
弦は抄本を正しい答えとして読ませなかった。
「水枝で使えたから、海でも使えるとは限りません」
最初の頁を開き、三人へ向けた。
「水枝の道で足りなかったものが、舟にはあります。舟で使えたものが、救護の場で邪魔になることもあります。外す時は、理由を書いてください」
教師が尋ねた。
「残してはならないものもありますか」
「人を死へ向かわせるために使えるところです」
弦は頁をめくらなかった。
「その形に変わった時は、使うのを止めてください」
白井は三人分の学びを終える時期と、実地へ出す順を決めた。
「この三人が、最初の運用を自分の持ち場へ持ち帰るところまでは、水枝で見る」
弦はうなずいた。
「水枝の外へも、教えに出るつもりです」
沙江の名を、外へ教えに出る理由にはしなかった。
英語を教えられる。初歩の操船を教えられる。海へ出る前に、戻る条件を決めさせることもできる。水枝の外へ出る時、弦が持って行けるのはそれだった。
実地へ出る前日、元信は三人を、運用抄本の前へ座らせた。
「私が教えるのは、救護、道路、帰着の確認、損耗の記録です」
元信の腰に刀はなかった。後年の帯刀をどうしたかを、三人へ語ることもしなかった。
港湾と舟運の者が、抄本にある元信の名を見つけた。
「片倉先生が、制止に従わず人を斬ったとあります」
「先生はよせ。片倉でよい」
元信は抄本を引き寄せなかった。
「書かれているとおりだ。内部役目表を持ち出されると思い、久馬様の制止を聞かず、吉田藤吉殿の左前腕を斬った」
「その後、赦されたのですか」
「赦されていない」
三人の視線が元信へ集まった。
「藤吉殿から手紙も、伝言も、励ましもない。俺が道路や救護の役を担ったことで、傷が消えたことにもなっていない」
「では、なぜ教える側に」
「失敗した者の名を外せば、誰が止める命を聞かなかったかも消えるからだ」
元信は、自分の名の前後を指した。
「原本の持出しを命じた者。止めようとした者。命に背いて動いた俺。傷を受けた藤吉殿。したことの順が要る。俺が後に何をしたかを褒めるためではない」
清之助の箇所では、指を止めなかった。
「新田清之助は、俺へ帰ることを教えるために死んだのではない。輸送の役を担い、退く命に従い、帰る列で死んだ。清之助の役と死は、清之助の名にある」
三人は答えなかった。
元信は実地の用を示した。
軽い救護の包みを、城下の外れから荷の受渡しに使う場所まで運ぶ。途中で道の傷みを見て、危険があれば先へ進まない。戦闘の稽古ではなく、日中に往復できる道を使う。包みの中身も、傷みが見て分かる布と空の容器だけだった。
「三人で出て、三人で戻る。だが、それだけでは出せない」
元信は出立の案を見た。
目的と通る道はある。受講者三人と元信の名も、先に書かれかけていた。
「戻る期限がない」
教師が筆を取ろうとした。
「待て」
元信が止めた。
「中止を命じる者も、未帰還の時に捜索を始める刻もない。交代する者、損耗を誰へ告げるかもだ」
「いま決めますか」
「俺が一人で埋めれば、また止める者と動く者が同じになる」
元信は三人を立たせなかった。
「このままでは出ない。久馬様へ持って行く」
翌朝、久馬は出立の案を受け取った。
すでに沙江へ、完全記録の最終判断権を渡している。机上にあるのは完全記録でも、その抄本を外へ出す決定でもなかった。三人を一度出し、一人も欠かさず戻すための、最初の出立名簿だった。
久馬は、先に書かれかけていた氏名を別紙で覆った。
最初に、戻る予定を書いた。
日が傾く前に、この場所へ帰着する。目的の場所へ着いていなくても、定めた刻に間に合わないと判断した時点で引き返す。
次に、中止を命じる者を決めた。
道の異常については、救護と地方実務に携わる受講者。舟運に関わる危険については、港湾と舟運に携わる受講者。双方の判断が分かれた時は、先へ進まない。
未帰還時に捜索を始める時を書いた。
帰着期限を過ぎても四人が戻らない時は、白井が未帰還を確認する。日没まで待たず、最後に通過を確かめられた場所から、あらかじめ定めた者を捜索へ出す。
交代者を記した。
荷を持つ者が続けられない時、または荷具の損耗で持ち方を替える時は、教師が代わる。教師が記録を続けられない時は、救護と地方実務の者が引き継ぐ。二人以上が動けない時は荷を置き、全員で戻る。
損耗を報告する相手を記した。
人の負傷、道具の破損、荷の不足、予定した道を通れなかった理由は、帰着後に白井へ報告する。元信は実地の経過を照らすが、自分一人で記録を閉じない。
五つを書き終えてから、久馬は覆っていた別紙を外した。
三人に名を名乗らせ、聞いたとおりに記した。最後に、同行して実地を見る者として片倉元信の名を記した。
出立の時、救護と地方実務の者が三人の人数を数えた。元信を含めて四人であることを、教師が数え直した。港湾と舟運の者は、帰着期限と、自分が中止を命じる条件を口にした。
四人は出た。
途中、狭い道へ荷車が入り、向こう側の様子を見通せない場所があった。港湾と舟運の者が止まるよう告げた。元信は先へ出ず、三人が止まったのを見て、自分もその場に留まった。
救護と地方実務の者は、荷車が退いても路肩の土が崩れていることを見た。通れないほどではなかったが、荷を持ったまま行き違えば、一人が端へ寄らねばならない。
「中止します」
四人は目的の場所へ進まなかった。
戻る途中、包みの紐が一本切れた。名簿に記されたとおり、教師が荷を持つ役へ代わった。切れた紐は捨てず、包みとともに持ち帰った。
帰着期限より前に四人が戻った。
最初に人数を照らした。次に、通れなかった場所、引き返した理由、交代した者、切れた紐を、白井へ報告した。負傷者なし。包みの不足なし。目的地へは未到達。捜索は開始せず。
元信は、その結果を成功とも失敗とも評さなかった。
運用抄本には、荷を届けられなかった事実と、四人が期限内に戻った事実が、同じ日の記録として加えられた。
実地を終えた後、港湾と舟運に携わる受講者は、自分の持ち場へ戻る支度をした。さらに別の港で、同じ実地教育へ用いるため、運用抄本一冊を受け取った。
完全記録ではなかった。
水枝の正しさを教える本でもなかった。
その日の中止、未到達、交代、損耗まで加えられた、実務に使う一冊だった。
受講者は抄本を包み、水枝を出た。
最初の頁には、人の名より先に「戻る予定日」と「中止を命じる者」が記されていた。




