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第7話 長男夫婦の新居

第7話 長男夫婦の新居


古い家の引き渡しまで、残り三週間となった土曜日、美紀たちは拓也夫婦が購入する新居を見に行った。前夜まで降っていた雨は上がり、薄い雲の間から白い日差しが差している。美紀はクリーム色のブラウスに紺色のカーディガンを重ね、動きやすい黒いパンツと低いヒールの靴を選んだ。


朝食には、冷蔵庫に残っていた塩鮭とだし巻き卵、なめこと豆腐の味噌汁を用意した。修一は味噌汁へ七味唐辛子を振り、拓也は鮭の皮を皿の端へ残す。沙織は新居を見に行く前に服へ魚の匂いをつけたくないと言い、バナナを半分だけ食べた。


「お義母さん、十時には出られますよね?」


白いニットワンピースを着た沙織が、腕時計を見ながら尋ねた。髪は巻き直したばかりらしく、甘い香油の匂いが台所のだしの香りに混じっている。


「食器を洗ったら出られるわ」


「帰ってからでいいんじゃないですか?」


「汚れたまま置いておくと、魚の匂いが残るでしょう」


「でも、私たちが遅れたら、不動産会社の人に迷惑ですよ」


沙織はそう言いながら、自分が使ったコップを流し台へ置いた。拓也も空になった茶碗と皿を美紀の前へ重ね、先に玄関へ向かう。修一は新聞を折り畳み、食べ残した鮭をそのままテーブルへ残した。


「美紀、早くしろよ。お前の支度を待っているんだぞ」


「私はもう着替えているわ。食器を片づけているの」


「そんなもの、帰ってからやればいいだろう」


「さっき、沙織さんが服に魚の匂いがつくと言ったでしょう」


「お前は、どうでもいいことに時間をかけすぎるんだ」


修一は玄関へ行き、靴べらを使ったあと、床へ寝かせたまま外へ出た。美紀は四人分の食器を手早く洗い、魚焼きグリルへ重曹を振りかける。濡れた手をエプロンで拭き、冷めた自分の味噌汁を流し台の前で飲み干してから、鞄を持った。


新居は、古い家から車で四十分ほど離れた郊外に建っていた。最寄り駅から歩けば十五分ほどかかるが、周囲には新しい一戸建てが並び、少し離れた場所にはスーパーや保育園もある。道路脇の花壇には黄色いパンジーが植えられ、雨上がりの土から湿った匂いが漂っていた。


拓也が車を止めると、沙織は誰よりも早く降りた。薄い灰色の外壁と濃紺の屋根を見上げ、スマートフォンで何枚も写真を撮る。玄関前には、まだ誰も使っていない銀色の郵便受けが立っていた。


「やっぱり、写真で見るより大きい。拓也くん、ここが私たちの家になるんだよ」


「まだ決済が残っているけどな」


「でも、ローンの審査は通ったんでしょう?」


「通ったよ。母さんたちの金も入るし、もう大丈夫だって」


拓也は上着のポケットから鍵を出した。鍵を差し込む手つきは少しぎこちなかったが、扉が開くと、沙織は拍手をして中へ入る。新しい木材と接着剤、乾ききっていない壁紙の匂いが玄関へ満ちていた。


「お邪魔します、じゃなくて、ただいまって言うんですよね」


沙織は笑いながら白い靴を脱ぎ、玄関の中央へそろえて置いた。現在の家では脱ぎ散らかしているのに、新居では靴の向きまで丁寧に直している。美紀はその様子を見てから、自分の黒い靴を壁際へ寄せた。


不動産会社の担当者は、紺色のスーツを着た三



# 第7話 長男夫婦の新居


古い家の引き渡しまで三週間となった土曜日、美紀たちは拓也夫婦が購入する一戸建てを見に行った。朝からよく晴れていたが、風は冷たく、美紀は薄い藤色のセーターに紺色のスカートを合わせ、その上からベージュのコートを着た。修一は灰色のジャンパー、拓也は黒いパーカー、沙織は白いワンピースに薄桃色のカーディガンを重ねていた。


車で四十分ほど走ると、駅から少し離れた新興住宅地へ着いた。同じような色と形の家が並び、舗装された道の脇には植えられたばかりの街路樹が細い枝を伸ばしている。風に乗って、新しい木材と湿った土の匂いが漂ってきた。


「ここです。角から三軒目の白い家」


沙織が助手席から身を乗り出した。拓也が車を止めた先には、淡いクリーム色の外壁と濃い茶色の屋根を持つ二階建ての家が建っている。玄関脇には小さな花壇があり、まだ何も植えられていない黒い土が見えていた。


「写真で見るより大きいな」


修一が車を降り、家を見上げた。自分が売った家の代金が使われるためか、最初から自分の家であるかのような口調だった。


「四LDKですからね。リビングも十八畳あるんですよ」


沙織は鞄から鍵を取り出した。まだ正式な引き渡し前だが、住宅会社の担当者が来るまで、外観を見て待つことになっていた。


「駐車場も二台分あります。今は一台しかないけど、将来もう一台買っても大丈夫です」


「車まで増やすつもりなの?」


美紀が尋ねると、沙織は白い靴の先についた土を気にしながら答えた。


「将来の話ですよ。子どもができたら、私も車が必要になるかもしれないでしょう?」


「その前に住宅ローンが始まるわ。車は維持費もかかるのよ」


「またお金の話ですか。今日は新しい家を見る日なんだから、もう少し楽しみません?」


拓也が困ったように笑い、沙織の肩へ手を置いた。美紀は口を閉じ、玄関脇の花壇へ目を向けた。家を買うことだけでなく、買ったあと何十年も暮らしを続けることまで考えるのが家計だと思ったが、沙織にとっては水を差す言葉にしか聞こえないらしい。


間もなく、紺色のスーツを着た住宅会社の担当者が到着した。手には間取り図と設備の説明書が入った黒い鞄を持っている。担当者が鍵を開けると、新しい建材とワックスの匂いが玄関から流れてきた。


「どうぞ、スリッパをお使いください。床は清掃済みですが、まだ少し木くずが残っているかもしれません」


「ありがとうございます」


美紀は五人分のスリッパを並べようとしたが、沙織と拓也は先に上がっていた。修一も靴を脱ぎ散らかしたまま中へ入り、美紀は玄関に残された三人分の靴を壁際へそろえた。


リビングには大きな南向きの窓があり、白い床へ午後の日差しが差し込んでいた。まだ家具が一つも置かれていないため、声を出すと広い部屋に反響する。沙織は窓際へ立ち、両腕を広げるようにして部屋を見回した。


「ここに白いソファを置いて、向こうの壁に七十五型のテレビを置くんです」


「四十二万円のソファか」


美紀が言うと、拓也は笑って首を振った。


「別の店で、少し安いのを見つけたよ。三十八万円」


「四万円しか違わないでしょう」


「でも、十年使えば一年で三万八千円だよ。安いじゃん」


「十年分のお金を、今払わなければならないのよ」


「一括ではないよ。分割にしたから」


美紀は担当者の前ではそれ以上言わず、窓の鍵を確かめた。サッシは新しく、軽い力で開いた。外から入った冷たい風がカーテンのない部屋を通り抜け、修一が首元を押さえた。


「寒いな。床暖房はないのか?」


「ついていませんが、リビングにはエアコンを設置する予定です」


担当者が答えると、沙織はすぐに口を挟んだ。


「一番大きい機種を買いました。自動でお掃除してくれるやつです」


「いくらだったの?」


美紀が尋ねると、拓也は天井を見上げた。


「工事費込みで三十万円くらいかな」


「それも分割なの?」


「家電は全部まとめて、五年払いにしたよ。月々なら大した金額じゃないから」


「冷蔵庫や洗濯機も買ったの?」


「もちろんです。古い家電を新築へ持ち込む人なんて、あまりいませんよ」


沙織は明るい声で答え、キッチンへ向かった。白い天板の対面式キッチンには、まだ保護用の透明なシートが貼られている。シンクの中には設備業者が落とした小さな木片が一つあり、美紀は指で拾ってポケットティッシュへ包んだ。


「食器洗い乾燥機もついているんですよ。これなら、お義母さんの家事も楽になりますね」


沙織が引き出し式の食器洗い乾燥機を開けた。美紀は、その言葉の中に自分も家族の一員として含まれているように感じ、胸元のコートを少し緩めた。


「食器を入れる前に、食べ残しは落とさないといけないのよ」


「機械が洗ってくれるんだから、そのままでも大丈夫じゃないですか?」


「排水口が詰まるし、匂いも残るわ」


「そのあたりは、お義母さんに任せます。私は機械の使い方って苦手なので」


沙織は食器洗い乾燥機を閉じ、隣の収納を次々と開けた。美紀は何か言おうとしたが、新居で一緒に暮らすことを当然のように話しているのだから、今は細かな家事分担まで言わなくてもよいと考えた。


一階の廊下の奥には、六畳の和室があった。新しい畳から青い草の匂いが立ち、押し入れには真っ白な襖がついている。修一は部屋の中央に立ち、足で畳を軽く踏んだ。


「俺たちはここか。二人なら十分だな」


「布団を二組敷いたら、ほとんど何も置けないわよ」


美紀は押し入れを開けた。半分は布団を入れるための奥行きがあるが、残り半分には棚が取りつけられている。美紀の仕事の資料や本、修一の衣類、古い家から持ってくる荷物まで置くには足りなかった。


「物を捨てればいいだろう」


修一は窓を開け、庭を眺めた。


「庭に物置を置けば、俺の釣り道具は入れられるな」


「あなたの釣り道具は持ってくるの?」


「当たり前だ。まだ使える物を捨てる必要はない」


「私の本や裁縫箱は捨てろと言ったでしょう」


「本なんて図書館で読めるだろ。釣り道具は借りられない」


修一は当然のように言い、和室を出ていった。美紀は畳の縁を踏まないよう部屋を一周し、壁際へ小さな机を置けないか考えた。会社から資料を持ち帰る日もあるため、自分の作業場所は必要だった。


二階には、夫婦の寝室と洋室が二つあった。拓也夫婦は最も広い八畳の部屋を寝室にし、残る二部屋は沙織の衣装部屋と、将来の子ども部屋にするという。修一が空いている一室を使いたいと言うと、沙織は首を横に振った。


「そこは私の服を置く部屋です。今の家では収納が足りなくて、段ボールに入れたままなんですよ」


「服なら、寝室のクローゼットへ入るだろう」


「入りません。季節ごとに分けないと、しわになりますから」


「だったら、俺の服は和室へ置くか」


修一は美紀を見ることもなく言った。美紀は六畳の和室へ、さらに修一の衣類が増えることを頭の中で計算した。新居へ持っていけない物を一人で選び、処分しなければならない日々が待っている。


見学を終えたあと、五人は住宅会社の事務所へ移動した。応接室のテーブルには、温かいコーヒーと個包装の小さなクッキーが用意されている。美紀は朝食のあと何も食べていなかったため、バターの匂いがするクッキーを一枚だけ口へ入れた。


担当者は拓也の前へ、住宅ローンの返済予定表を置いた。借入期間は三十五年で、ボーナス払いは利用しない契約になっている。拓也の現在の収入でも審査には通ったが、毎月の返済額は十二万円を超えていた。


「こちらが毎月のお支払額になります。固定資産税や将来の修繕費は、別に準備していただく必要があります」


担当者が説明すると、沙織はコーヒーへ砂糖を二本入れた。銀色の小さなスプーンで何度もかき混ぜ、カップの底に当たる音を立てる。


「修繕費って、すぐには必要ないですよね?」


「新築ですから、数年間で大きな修繕が発生する可能性は低いでしょう。ただ、十年から十五年後には、外壁や屋根の工事が必要になることがあります」


「その頃には、拓也くんのお給料も上がっていますよ」


「そうなるよう頑張ります」


拓也は笑ったが、美紀は返済予定表の数字を指で追った。現在の返済額に固定資産税の積み立て、火災保険、光熱費、修繕費を加えれば、住居にかかる金額は毎月十五万円を超える。さらに、ソファや大型テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンの分割払いまで始まる。


「家電の支払いは、毎月いくらになるの?」


美紀が尋ねると、拓也は鞄から家電量販店の契約書を取り出した。紙は一度丸めたのか、端にしわがついている。


「全部で月に三万二千円くらい。ソファが一万一千円だから、合わせても四万三千円だよ」


「住宅ローンと合わせれば、十五万円を超えるわ」


「でも母さんが、毎月十五万円を援助してくれるんだろ?」


「その十五万円は、住宅ローンだけに使うお金ではないのよ。食費や光熱費も含めて、生活が落ち着くまで支えるために出すの」


「同じことじゃん。母さんから十五万円が入るなら、俺たちの収入は別の支払いに回せるだろ」


拓也は簡単に言い、返済予定表を半分に折った。美紀は、その紙を折らないほうがよいと注意しようとしたが、言葉を飲み込んだ。銀行から渡された大切な書類を、拓也は飲食店のチラシのように扱っている。


「お義母さん、本当に毎月十五万円で間違いないですよね?」


沙織が確認した。口紅のついたコーヒーカップを両手で持ち、美紀の返事を待っている。


「ええ。拓也の収入が元へ戻り、二人だけで家計を支えられるようになるまでは、そのつもりよ」


「期間は決めないんですか?」


「今のところは決められないわ。まず一年続けて、そのあと家計を見直しましょう」


「一年だけでは困ります。家電の支払いは五年あるんですよ」


「家電を買うと決めたのは、あなたたちでしょう?」


「でも、お義母さんが援助してくれると聞いたから買ったんです」


「私が十五万円を出すからといって、十五万円分の買い物を増やしたら、生活は楽にならないわよ」


沙織はカップを受け皿へ置き、拓也へ視線を向けた。拓也は母親と妻の間で困ったように眉を下げたが、契約を見直そうとは言わなかった。


「母さん、せっかく新居を買うんだから、必要な物は最初にそろえたいんだよ」


「必要な物と、欲しい物は別でしょう」


「新しい家で家族みんなが気持ちよく暮らすためだよ。母さんだって、大きなテレビで映画を見られるじゃん」


「私はテレビをほとんど見ないわ」


「なら、沙織が喜ぶんだからいいだろ。嫁姑がうまくいくための金だと思ってよ」


拓也は冗談を言ったつもりなのか、笑いながらクッキーを口へ入れた。粉が黒いパーカーの胸元へ落ちたが、本人は気づいていない。美紀は指を伸ばしかけ、子どもの頃のように払ってやるのをやめた。


担当者は家族の会話へ口を挟まず、契約書類をそろえて待っていた。卓上には、土地と建物の価格、住宅ローンの金額、支払済みの頭金が記されている。頭金には、修一が家の売却代金から出す金と、美紀が長年貯めてきた預金が使われることになっていた。


「では、こちらの内容でお手続きを進めてよろしいでしょうか?」


担当者が尋ねると、拓也はすぐにうなずいた。


「お願いします」


「印鑑はお持ちですか?」


「はい。沙織、鞄から出して」


沙織は薄桃色の鞄を開け、朱肉と印鑑の入った小箱を取り出した。その下には家具店の見積書と、新しいカーテンの色見本が入っている。住宅ローンの返済予定表より、家具の資料のほうが丁寧に透明なファイルへ収められていた。


拓也が書類へ印鑑を押すたび、朱肉の赤い色が紙に残った。名義人の欄には、拓也一人の名前が記されている。美紀と修一の名前は、どこにもなかった。


「これで、本当に私たちの家になるんだね」


沙織が印影を見ながら言った。拓也は妻の肩を抱き、何度もうなずいた。


「やっと俺たちの家だ」


美紀は二人の向かいに座り、その言葉を聞いた。新居には自分たち夫婦も住むはずだが、沙織も拓也も「四人の家」とは言わなかった。修一は気づいていないのか、残ったクッキーを自分の上着のポケットへ入れていた。


契約を終えると、五人は近くの洋食店で昼食を取った。店内にはデミグラスソースと揚げ油の匂いが広がり、窓際の鉢植えには黄色い花が咲いている。沙織はチーズハンバーグ、拓也と修一は大盛りのカツカレーを注文し、美紀は日替わりの白身魚フライを選んだ。


「今日は、お義父さんが払ってくださるんですよね?」


料理が届く前に、沙織が尋ねた。修一は得意そうに財布を出したが、中には千円札が二枚しか入っていない。


「美紀、お前が立て替えておけ。家の売却代金が入ったら返す」


「今日の食事代くらい、自分で払えないの?」


「細かいことを言うな。めでたい日だろう」


修一は財布をしまい、水を飲んだ。沙織はすでにスマートフォンで新居の写真を見返し、支払いの話を聞いていないふりをしている。


料理が運ばれると、拓也はカツカレーを一口食べ、熱そうに息を吐いた。沙織はハンバーグから流れ出したチーズを撮影し、何枚も角度を変えている。美紀の白身魚フライは衣が厚く、添えられたキャベツには少し乾いたところがあった。


「お義母さん、毎月の振込日は二十五日でいいですか?」


沙織がハンバーグを切りながら尋ねた。美紀はタルタルソースの蓋を開け、魚フライの端へ少しだけつけた。


「拓也の給料日は二十五日でしょう? 私からの振込は月末でもいいんじゃない?」


「二十五日のほうが、まとめてお金を振り分けられるので便利です」


「分かったわ。二十五日に十五万円ね」


「自動振込にしてもらえると助かります。毎月お願いするのも悪いですから」


沙織はそう言ったが、口調に遠慮はなかった。美紀が十五万円を出すことは、すでに家計の一部として組み込まれている。礼を言われる前に、振込日と方法まで決められていった。


「母さん、助かるよ。俺の給料が戻ったら、少しずつ返すから」


拓也が言った。美紀は、返済ではなく援助のつもりだったため、曖昧にうなずいた。息子が仕事を立て直し、夫婦二人で住宅ローンを払えるようになれば、それで十分だと考えていた。


「家族なんだから、返すとか言わなくていい」


修一がカツを頬張りながら言った。


「美紀は取締役で、金には困っていない。俺も家を売った。親が子どもを助けるのは当たり前だろう」


「お義父さん、ありがとうございます」


沙織は修一にだけ頭を下げた。美紀の口座から毎月十五万円が振り込まれることには、改めて礼を言わなかった。


食事を終え、会計を済ませたのは美紀だった。修一は店の外で煙草を吸い、拓也夫婦は駐車場で新居の鍵を眺めている。財布に戻したレシートには、五人分の昼食代が印字されていた。


帰宅後、美紀は台所の机へ家計簿を広げた。朝に洗ったはずの流し台には、修一が使ったコーヒーカップと、沙織が食べたヨーグルトの容器が残っている。冷蔵庫の中では、朝に焼いたアジの開きが保存容器に入ったまま冷えていた。


美紀は老眼鏡をかけ、家計簿の新しいページに「拓也 毎月二十五日 十五万円」と書いた。その下には、新居へ移ったあとの食費、光熱費、通信費の予想額も並べる。古い帳面には味噌汁の染みが薄く残り、何度も消した鉛筆の跡で紙が黒ずんでいた。


ソファ、大型テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンの分割払いだけで、月四万円を超える。住宅ローンは十二万円以上あり、固定資産税や将来の修繕費も必要になる。美紀が毎月十五万円を出しても、拓也夫婦がこれまでと同じように金を使えば、余裕のある生活にはならない。


「一年で見直すのよ」


美紀は家計簿の余白へ小さく書いた。しかし、すでに五年払いの買い物をした沙織は、一年後に援助を減らされては困ると言っていた。自分が十五万円を出すことで、二人を助けるのではなく、さらに高い買い物をさせているのではないかという考えが、美紀の手を止めた。


居間から拓也夫婦の話し声が聞こえた。沙織はカーテンを特注品にしたいと言い、拓也は母親の援助があるから大丈夫だと答えている。修一は二人の話に加わり、庭へ物置を置く場所を勝手に決めていた。


美紀は家計簿を閉じ、冷蔵庫からアジの開きを取り出した。冷たい身を箸でほぐし、残った御飯へ載せ、熱い番茶を注ぐ。魚の塩気が茶に溶け、湯気と一緒に焼いた皮の匂いが立った。


新居は拓也の名義であり、ローンを返すのも拓也だった。それでも頭金と毎月の援助を出し、四人分の家事を続ける自分にも、あの家で暮らす場所はあるはずだった。美紀はそう考えながら、柔らかくなったアジの身と御飯を口へ運んだ。


食べ終わった茶碗を洗い、翌朝の米を研いだ。二階からは、白いソファと大型テレビをどこへ置くか相談する声が聞こえている。六畳の和室へ美紀の机を置けるかどうかは、誰も話題にしなかった。


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