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第21話 二通目の督促状

第21話 二通目の督促状


新居へ移って二か月目の住宅ローン引き落とし日、拓也は午前六時に目を覚ました。薄い青色のワイシャツへ腕を通し、寝室の机に置いたスマートフォンで銀行口座を確認する。画面に表示された残高は三万六千円で、十二万三千円の住宅ローンには到底足りなかった。


一回目の不足分を補うために借りた五万円は、修一から返してもらえないままだった。消費者金融への最初の返済、車のローン、家具と家電の分割払い、保険料が先に引き落とされ、今月の給与もほとんど残っていない。修一は定期預金の解約手続きが遅れていると言い続けたが、一円も拓也の口座へ入れなかった。


「沙織、起きて」


拓也が布団を揺らすと、沙織は白い掛け布団を頭までかぶった。枕元には使いかけの香油と、昨夜食べたチョコレートの包み紙が置かれている。室内には甘い花の匂いと、洗濯籠から漏れる生乾きの衣類の匂いが混じっていた。


「まだ早いですよ」


「今日、住宅ローンの引き落としなんだ」


「お義父さんから振り込まれました?」


「何も入っていない」


「また銀行の手続きが遅れているんじゃないですか?」


「二か月も定期預金を解約できない銀行なんてあると思う?」


拓也の声が大きくなると、沙織はようやく上半身を起こした。桃色の寝間着の胸元を整え、眠そうな目で拓也を見る。


「私に言われても困ります」


「沙織の口座に、いくらある?」


「私のお金を使うつもりですか?」


「家の住宅ローンだぞ」


「家の名義は拓也くんでしょう?」


「自分たちの家だって言って、母さんを追い出したじゃないか」


「あのときは、拓也くんも同意したでしょう。今になって私だけを責めないでください」


「責めているんじゃない。今月をどうするか聞いているんだ」


沙織は枕元のスマートフォンを取り、口座の残高を確認した。沙織は週に三日、知人の会社の事務作業を自宅で請け負っていたが、収入は月に七万円ほどだった。その金も化粧品、衣類、友人との外食代、通販の支払いに使われている。


「三万円くらいなら出せます」


「三万円だけ?」


「今月、春物のコートと靴の支払いがあるんです」


「住宅ローンより服が大事なのか?」


「もう買った物なんだから、支払わないわけにはいかないでしょう」


「住宅ローンだって、払わないわけにはいかないんだよ」


「お義父さんに言ってください。美紀さんがいなくても自分が支えるって、あれだけ胸を張っていたんですから」


拓也はネクタイを締める手を止めた。二階の廊下には、修一が夜中に食べたカップ麺の容器が置かれている。汁が少しこぼれ、白い床へ薄茶色の染みを作っていた。


一階へ降りると、修一が白い食卓で納豆を食べていた。茶色いセーターの袖を肘までまくり、炊飯器に残っていた冷たい御飯へ納豆を直接載せている。味噌汁も漬物もないため、口の中が粘るたびに缶入りの茶を飲んでいた。


「父さん、今日こそ金を入れてよ」


拓也が向かいへ座ると、修一は納豆を混ぜる手を止めなかった。


「朝から金の話をするな。飯がまずくなる」


「住宅ローンの引き落とし日なんだ。口座に九万円近く足りない」


「沙織さんの収入があるだろ」


「三万円しか出せないって」


「それなら残りは六万円だ。何とかなるだろ」


「父さんが出すって言ったんだよ」


「銀行の定期預金を解約している途中だと言っただろ」


「まだ終わらないの?」


「銀行が遅いんだ。俺に文句を言うな」


「どこの銀行? 俺も一緒に行くよ」


「定期は地方の支店で作った。ここでは手続きできないらしい」


「前は駅前の銀行へ行くと言っていたじゃないか」


「駅前の支店で相談して、地方へ書類を回してもらったんだ」


修一は納豆の容器を空にし、食卓へ置いた。言葉を重ねるたびに、手続きの場所や必要な日数が変わっていく。拓也は父親の顔を見たが、今ここで嘘だと認められたら住宅ローンを払う当てもなくなるため、それ以上追及できなかった。


「今日、銀行から電話が来たら、何て言えばいい?」


「銀行側の手続きが遅れていると言えばいい」


「住宅ローンの銀行と、父さんの銀行は別だよ」


「銀行同士で確認させればいいだろ」


「そんなことをしてくれるわけないだろ」


「なら、美紀へ連絡しろ。あいつが約束を守れば済む話だ」


修一は椅子を引き、空の納豆容器も茶の缶も食卓へ残して立ち上がった。洗面所へ向かう途中、廊下の洗濯籠を足で押して端へ寄せる。籠からは修一の靴下が一つ落ちたが、拾わなかった。


午前十時、拓也のもとへ銀行から電話が入った。予想していた内容だったため、画面に表示された番号を見るだけで胃の奥が縮んだ。拓也は会社の非常階段へ移動し、冷たい手すりへ片手を置いて電話に出た。


「本日、住宅ローンのご返済日ですが、口座の残高が不足しております」


「分かっています。今日中に用意します」


「前回も残高不足となっておりますので、今後は前日までのご入金をお願いいたします」


「父の定期預金を解約しているんですが、銀行の手続きが遅れていて」


「申し訳ございませんが、ほかの金融機関のお手続きについて、当行ではお待ちすることができません」


「数日だけ待ってもらえませんか?」


「ご契約どおりにお支払いいただく必要がございます。入金予定日をお聞かせください」


「今日中です」


拓也は、用意できる当てがないまま答えた。電話を切ると、非常階段の窓から冷たい風が入り、ワイシャツの袖を揺らした。昼休み前なのに、空腹で胃が痛んだ。


沙織から三万円を振り込んでもらっても、まだ六万円ほど足りない。消費者金融の利用枠は残っていたが、先月借りた五万円も返済できていない。別の会社から借りることを考え、スマートフォンで申し込み画面を開いた。


勤務先、年収、住宅ローン、車のローン、他社からの借入額を入力する。借入額の欄へ五万円と記入すると、その数字だけが画面の中で太く見えた。父親の定期預金が解約されれば一度に返せると、何度も自分へ言い聞かせた。


しかし、申し込み後に届いたのは、希望どおりの金額を貸せないという通知だった。住宅ローンを組んだ直後であり、ほかの借入もあるため、審査を通過できなかった。拓也はスマートフォンをポケットへ入れ、会社の自動販売機で一番安い缶コーヒーを買った。


昼食は、前日の残りの冷たい焼きそばを保存容器へ入れて持ってきていた。麺は一つの塊になり、豚肉はほとんど入っていない。電子レンジで温めるとソースの匂いは戻ったが、端の麺は硬いままだった。


「佐伯さん、最近お弁当が変わりましたね」


隣の席の同僚が言った。同僚の弁当には、鶏肉の照り焼きと卵焼き、色のきれいなミニトマトが入っている。


「引っ越してから、妻と交代で作っているんだ」


拓也は容器の底へ張りついた麺を箸で剥がした。実際には沙織が作ったのではなく、昨夜自分が調理した残りだった。


「いいですね。家事を分けられると楽でしょう」


「まあね」


「以前のお弁当もおいしそうでしたけど、あれはお母さんでしたよね?」


「そうだよ」


「お母さん、今はお元気ですか?」


拓也は口の中の硬い麺を、缶コーヒーで流し込んだ。元気かどうかも知らない。美紀がどんな部屋へ住み、何を食べているのか、引っ越し後に一度も尋ねていなかった。


午後、沙織から住宅ローン口座へ三万円が振り込まれた。残高は六万円台になったが、引き落とし額には届かない。銀行へ約束した「今日中」の時間だけが過ぎていった。


夕方、新居の郵便受けには、厚い封筒が何通も届いていた。最初に目に入ったのは、住宅ローンを借りた銀行からの封書だった。表には赤い文字で「重要」と印刷されている。


拓也は玄関へも入らず、雨で湿った封筒を開けた。中には住宅ローン返済についての督促状が入っている。前回の遅延についても記され、速やかに不足額を入金するよう求められていた。


「二通目だ……」


一通目は最初の引き落としに失敗したあと届き、修一に見せる前に引き出しへしまった。今回は支払期限と連絡先が太い文字で印刷されている。拓也は紙を持ったまま、玄関の壁へ背中をつけた。


「何をしているんですか。早く入ってください」


沙織が内側から扉を開けた。薄い緑色のセーターに白いロングスカートを合わせ、新しく買った室内履きを履いている。拓也が督促状を見せると、沙織は受け取らず、一歩後ろへ下がった。


「またですか?」


「またって、沙織も分かっていただろ」


「お義父さんは?」


「まだ帰っていないの?」


「今日は夕食はいらないって連絡が来ました」


「また女と会っているんじゃないだろうな」


「私に聞かれても知りませんよ」


「父さんの定期預金なんて、本当にあるのか?」


「ないなら困ります。私はもう三万円出しましたからね」


拓也は靴を脱ぎ、督促状を食卓へ置いた。そこには電気料金、家具の分割払い、クレジットカードの請求書も積まれている。電気料金は古い家のときより大幅に増え、大型テレビ、乾燥機能、広いリビングの暖房が数字になって表れていた。


「電気代、こんなにするの?」


拓也が請求書を広げると、沙織は室内履きの先を見た。


「新しい家は広いんだから、仕方ないでしょう」


「昼間も暖房をつけているの?」


「寒い家で仕事なんてできません」


「乾燥機も毎日使っているだろ」


「外に干したら、洗濯物が見えて貧乏くさいじゃないですか」


「誰がうちの洗濯物を見るんだよ」


「近所の人が見るでしょう」


「見栄のために電気代を払っている場合じゃないんだ」


「暖房を切れって言うんですか? せっかく新しい家を買ったのに、寒い部屋で厚着して暮らすなんて嫌です」


沙織は白い食器棚から金色の縁がついたカップを取り出し、インスタントコーヒーを作った。砂糖を二本入れ、冷蔵庫から新しい牛乳を出す。牛乳は高価な低温殺菌の商品で、安い物は味が薄いから嫌だと沙織が選んだものだった。


「沙織の収入だけでも、食費くらい払えないの?」


「七万円しかないんですよ。そこから化粧品や衣類の支払いもしています」


「今は服を買うのをやめればいいだろ」


「仕事のオンライン会議で着る服が必要です」


「画面には上半身しか映らないだろ。その白いスカートは必要ないじゃん」


「私のお金の使い方に口を出さないでください」


「住宅ローンを払えないのに、別々の金だと言っている場合か?」


「拓也くんの収入が少ないからでしょう。家を買う前は、お義母さんの十五万円があるから大丈夫だと言いましたよね?」


「母さんを追い出そうと言ったのは沙織だろ!」


拓也の声がリビングへ響いた。白い食器棚の中で、重ねた皿が小さく触れ合う。沙織はカップを持ったまま、拓也をにらんだ。


「拓也くんだって賛成したでしょう。今さら全部、私のせいにしないでください」


「俺は少し別に暮らせばいいと思っただけだ」


「お義母さんが毎月十五万円を止めるなんて、聞いていませんでした」


「住ませないのに金だけもらえると思うほうがおかしいだろ」


「息子への援助と同居は別だって言ったでしょう!」


二人は食卓を挟んで言い争った。テーブルには督促状、電気料金、家具の明細、通販の領収書が散らばり、冷めたコーヒーが書類の端へこぼれた。拭く人がいないため、茶色い染みはゆっくりと広がっていった。


拓也は美紀へ電話をかけた。一度目は呼び出し音のあとに留守番電話へ切り替わった。二度目も、三度目も、美紀は出なかった。


「母さん、電話に出てくれ。住宅ローンのことで話がある」


留守番電話へ吹き込んだが、折り返しはなかった。修一の携帯電話料金について、事務的な確認を送ったときには「本人に支払方法を変更するよう伝えてください」と返事が来た。家族の生活費や新居についての連絡には、一度も応じなかった。


拓也は何度も文字を打っては消した。「謝りたい」と書こうとしたが、沙織に頭を下げさせることになると思い、削除する。「一度会って話そう」と入力したが、美紀から家へは戻らないと言われるのが怖くて消した。


最後に、短い文章を送った。


「家族が困っているのに、見捨てるのか?」


送信したあと、拓也は既読がつくのを待った。五分たっても、十分たっても表示は変わらない。スマートフォンを伏せても、数分ごとに持ち上げて画面を確かめた。


その頃、美紀は会社の会議室で、翌月の再建計画について部下と話し合っていた。紺色のスーツの袖をまくり、赤字だった事業部の売上表へ修正を書き込んでいる。机には温かい緑茶と、昼に食べ残した小さな塩むすびが一つ置かれていた。


「常務、そろそろ休憩にしませんか?」


水野部長が声をかけた。美紀は時計を見て、資料を閉じる。


「そうね。もう七時を過ぎていたのね」


「今日はここまでにしましょう。続きは明日の午前中でも間に合います」


「分かったわ。皆さんも帰ってください」


美紀はスマートフォンを確認した。拓也からの着信が七件、留守番電話が一件、メッセージが一件届いている。画面を開くと、「家族が困っているのに、見捨てるのか?」という文字が表示された。


美紀は返信欄へ指を置いた。追い出された日に古い家の鍵を返していたこと、六畳の和室を沙織の服で埋められたこと、自分の一千万円を誰も口にしなかったことが順番に浮かんだ。家族ではなく他人だと決めたのは、美紀ではなかった。


美紀は何も入力せず、画面を閉じた。鞄へスマートフォンを入れ、塩むすびを包んでいた布を畳む。家へ帰れば、自分一人分の豆腐と白菜が冷蔵庫にあり、昨夜作った味噌汁も残っている。


「常務、駅までご一緒しますか?」


水野が尋ねた。


「ええ。途中でスーパーへ寄りたいから、商店街までお願い」


「今日は何を作るんです?」


「湯豆腐にしようと思っているの。一人だから、食べたい物を簡単に作るわ」


「寒い夜にはちょうどいいですね」


二人は会社を出た。外の空気は冷たく、近くの飲食店から焼いた魚とだしの匂いが漂っている。美紀のスマートフォンは鞄の中でもう一度震えたが、取り出さなかった。


その夜、新居へ戻った修一は、督促状を見ても顔色を変えなかった。茶色いジャンパーから煙草と女性用の香水を漂わせ、コンビニで買った缶ビールを冷蔵庫へ入れる。拓也から定期預金について問い詰められると、銀行の担当者が休んでいると新しい言い訳をした。


「担当者が休みなら、別の人に頼めばいいだろ」


「昔から付き合いのある担当者でなければ、解約できないんだ」


「定期預金の通帳を見せてよ」


「俺を泥棒扱いするのか?」


「見せてくれたら信じるよ」


「親を疑うような息子に、金は出せない」


修一は話を打ち切り、缶ビールを持って二階へ上がった。拓也は追いかけようとしたが、玄関の呼び鈴が鳴ったため足を止める。沙織が応答すると、郵便局員が書留を持って立っていた。


封筒の差出人は、美紀が相談した法律事務所だった。受取人には、家の名義人である拓也の名前が記されている。拓也は印鑑を押し、重みのある封筒を受け取った。


リビングへ戻って開封すると、中には内容証明郵便の控えが入っていた。住宅取得資金として美紀が拠出した一千万円について、新居の一階和室を美紀の居室として提供するという条件が履行されていないことが記されている。期限までに居住条件を履行するか、一千万円を返還するよう求める通知だった。


「一千万円を、返せ……?」


拓也の手から、一枚目の紙が食卓へ落ちた。沙織が拾い、何度も同じ箇所を読む。金色の縁がついたカップからコーヒーがこぼれ、督促状の上へ新しい染みを作った。


「そんな条件、私は知りません」


「でも、ここに俺の署名と印鑑がある」


「拓也くん、何に署名したんですか?」


「住宅会社で渡された書類だと思う。母さんから一千万円を受け取るために必要だと言われて……」


「内容を読まなかったんですか?」


「あのときは、契約書が何十枚もあったんだよ」


「では、お義母さんを和室に住ませれば、返さなくていいんですよね?」


沙織はすぐに和室のほうを見た。そこには衣装ケース、コート、バッグ、未開封の通販の箱が積み上がっている。美紀の布団一組を敷く場所さえ残っていなかった。


「今さら母さんが戻ると思うか?」


拓也は食卓の書類を見た。二通目の住宅ローン督促状、電気料金、家具の分割払い、カードの請求書、その上に一千万円の返還通知が重なっている。美紀へ送った「家族が困っている」というメッセージには、まだ返信がなかった。


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