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猫と横浜  作者: のらしろ
第二部 結婚するぞ 〜起業編〜

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第74話 酒とクマと理不尽の夜


 その日の夜。

 大田町の金田商会の裏手にある、だだっ広い日本家屋の社宅。


 薄暗い裸電球の下で、三人の若きエリート社員(堀尾、吉村、山内)は、畳の上に座り込み、一升瓶を囲んで車座になっていた。


「……もう、ダメかもしれない」


 山内が、力なくスルメをかじりながら弱音を吐いた。

 目の下には立派なクマが住み着き、その顔からは徐々に生気が消え失せつつある。

 だが、彼らの目ヂカラだけは、妙にギラギラと燃え残っていた。


「おいおい、山内。弱音を吐くな。俺たちは社長の期待とボーナスを背負ってるんだぞ」


 慶應ボーイの堀尾が、自分のコップに酒を注ぎながら慰める。


「そうは言ってもよ……ホテルのカレーパンの注文は青天井だし、材料の仕入れと集金だけでもパンク寸前だ。そこに『製薬工場の用地探し』と『人材確保』だぞ? 俺たちの体は一つしかないんだぜ」


 早稲田の前身出身の吉村が、頭を掻きむしりながら吠えた。

 どうやってこの破滅的状況を打破するか。

 三人の優秀な頭脳が、一升瓶を囲んでフル回転を始める。


「……なぁ。アイツら、子供だが、一応『社員』になったんだよな」


 ふと、堀尾がポツリと呟いた。


「おい、あの子供らに……やらせるのか?」


 吉村が息を呑む。

 彼らの指す「子供」というのは、つい最近まで横浜の路地裏にたむろしていて、俺が保護した孤児たちのうち、この社宅の二階に一緒に住むようになった十二歳以上の男子のことだ。


「いくらなんでも、あの子たちに営業や集金みたいな『大人の仕事』をやらせるのは、人生経験がなさすぎて無理では……」


 山内が反論する。

 すると堀尾がぼそっと一言


「人生経験と言うなら、俺は書生しか知らないぞ」


 そう彼らエリートとして雇用はされたが、組織経営など経験していない。

 ただ、優れた経営者の側で書生をしていただけ、また、地頭の良さがある分、今どうにかなっているだけだ。

 堀尾の独り言名で無かったかのように吉村が続ける。


「だが、アイツらも立派な『金田商会の社員』だぞ。社長がいつも言ってるじゃないか。『宮仕えには理不尽はお友達』だってな。彼らにも、その精神を学ぶ必要がある」


 吉村が悪魔のような理屈を並べ立てる。

 流石に子供では無理だ、可哀想だという意見も出たが、アルコールが回った彼らの脳内では、「可哀想」という感情は早々に消え去り、「どうすれば彼ら(子供)に実務を押し付けられるか(できるかどうか)」という点に議論が集約されていった。


「よし、決まりだ。製パン事業に多少の停滞やクレームを招いても構わん。俺たちは、新たな人材確保と製薬工場の用地取得、そしてペニシリン安定化に大量に必要になるという『和紙』の手配に、手分けして当たる!」


 吉村が酒瓶をドンと畳に置いた。


「当然、製パン事業にはしわ寄せが来るが……俺たちに余裕ができるまで、子供たちに『矢面』に立ってもらう!」


 そう、クレーム対応だ。

 明日から、追加の受注は一切受け付けず、既存のホテルの集金すらも子供たちに任せてみることにしたのだ。


「明日の朝、最年長の俺が『社長の命令だ』と言って彼らに指示を出す。よし、これで今日の話し合いは終わりだ! 寝るぞ!」


 酒を飲みながらの話し合いだったこともあり、正直かなり乱暴な(そしてブラック企業も真っ青な)決断だったが、極限状態の彼らに他の選択肢はなかった。


 翌朝。

 二日酔いで頭を抱える吉村が、出勤前の孤児たち(十二歳以上)を商会の事務所に集めた。


「いいか、お前たち。今日からお前たちに、ホテルの『集金』に行ってもらう! それと、支配人が何を言ってきても、追加の注文は『現状では一切受け付けできない』と断固として説明するんだ。社長の命令だぞ!」


 吉村が(社長の威光を傘に着て)非情な指示を出すと、子供たちは「は、はいっ!」と怯えながらも元気よく飛び出していった。


 子供たちに仕事を押し付けた吉村は、その足で東京へと出向いた。

 彼の任務は、ペニシリンの安定化に不可欠な『和紙』の大量確保だ。

 東京の和紙問屋を何軒も当たるが、「急な依頼で、そんな大量の高品質な和紙は確保できない」と、若造の吉村はどこも相手にしてくれない。


 焦った吉村は、仕方なく実家のある埼玉の寄居町よりいまちまで足を伸ばすことにした。


「頼む、庄屋様! 金田病院の創薬事業のために、どうか和紙の製造所を紹介してくだせえ!」


 吉村は出身地の庄屋を尋ね、必死に状況を説明しながら、なんとか地元の製造所を紹介してもらうことに成功した。

 製造所の頑固親父との交渉も難航したが、吉村が手土産に持ってきた『金田商会特製・カレーパン』を親父の口にねじ込んだ瞬間、事態は急転した。


「な、なんだこのピリッとして美味いハイカラな食い物は!? よし、このパンをもう十個持ってくるなら、優先して和紙を回してやろう!」


 ……カレーパンの威力、恐るべし。


 後日、吉村がホクホク顔で大量の和紙の納入契約を取り付けて帰社すると、堀尾たちから「パンで買収したのかよ」とからかわれたが、吉村は「親父さんから『次も手土産頼むぞ』って言われたぜ」と胸を張った。見事にミッションコンプリートである。


 一方の堀尾は、人材確保に奔走していた。

 彼は母校である三田の大学(慶應義塾)を尋ね、先輩後輩構わず、手当たり次第にリクルートを掛けていった。


「金田商会は成長企業だ! 俺たちと一緒に、日本の医療と胃袋を牛耳らないか!」


 情熱的な(胡散臭い)勧誘の末、堀尾は二人の人材を見つけ出した。

 一人は、先輩の紹介で知り合った、大学を卒業できずに燻っていた重田半平(二十五歳)。もう一人は、在学中の非常に優秀な女学生、又野千代だった。


「時間のある限り、という約束で構いません! どうか手伝ってください!」


 堀尾の必死の説得により、なんとか二人のアルバイト(?)的な助っ人を勝ち取ることができた。これも、彼らにとっては大きな成果だった。


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