第68話 設立準備と支度金
翌日の午前中。
横浜駅(現在の桜木町駅)のプラットホームに、浅野総一郎氏に連れられた三人の若者が降り立った。
昨日、安田善次郎氏の屋敷で紹介された堀尾茂助(慶應義塾出身)と吉村茂助(東京専門学校出身)の二人に加え、原善三郎氏からの紹介でやってきた、和仏法律学校(のちの法政大学)出身の青年がもう一人。
「金田先生! 本日からお世話になります!」
三人は、俺の顔を見るなり、ピシッと直立不動で頭を下げた。
彼らの目は、新しい時代を切り開く野心と、未知の事業(俺のボッタクリ病院の裏側)への期待でギラギラと輝いている。
「よく来てくれた。俺が金田だ。さあ、まずは山手の屋敷(病院)の方へ案内しよう」
俺は浅野氏にも深く礼を言い、三人を連れて丘の上の金田病院へと向かった。
道中、俺は彼らを「書生」としてではなく、俺がこれから立ち上げる会社の「正規の社員(経営陣候補)」として迎え入れることを伝え、雇用条件の話し合いに入った。
「君たちには、俺の『商会』の経営陣として働いてもらう。だから、その身分に見合うだけの給金を保証しよう」
俺が提示した条件は、三人一律で『月給十五円(現在の価値で約三十万円)』。
さらに、会社の利益に応じた『成果報酬』を支給し、住居として『社宅』を無償で提供するという、この時代の新入社員としては破格の好待遇だった。
「月給十五円……! それに成果報酬まで!?」
三人は顔を見合わせ、信じられないというように息を呑んだ。
浅野氏も、俺のあまりの優遇ぶりに目を丸くしていたが、すぐに「いやあ、彼らも果報者ですな!」と自分のことのように喜んでくれた。
「もちろん、結果を出せなければクビだ。だが、君たちの実務能力にはそれだけの価値があると見込んでいる。俺の方針は『任せられることはどんどん任せる』だ」
俺がハードボイルドに(のつもりで)言い切ると、三人は「必ずご期待に応えます!」と力強く宣言した。
話がまとまったところで、俺たちは病院の応接室から歩いて、昨日買い取ったばかりの関内・大田町の物件へと向かった。
正直に言おう。
俺自身、この物件の『内覧』を一度もしていない。
柳澤頭取の「当行の太鼓判です」という言葉を100%信用して、間取り図を見ただけで即金二千円を払ったのだ。もしこれがボロ屋だったら、第二国立銀行との取引は即刻打ち切ってやる、と内心ヒヤヒヤしながら大田町の通りを歩いていた。
「……ここだ」
俺が立ち止まった先には、見事な建物が建っていた。
大通りに面した、レンガ造りと木造が組み合わさったような『和洋折衷』の立派な二階建ての店舗。
築浅というだけあって、外壁も新しく、ガラス窓もピカピカに磨かれている。
令和の時代なら、横浜のレトロな観光スポットとしてインスタ映えしそうなオシャレな外観だった。
「おお! これが私たちの『商会』ですか!」
三人の青年たちが、目を輝かせて店舗を見上げる。
俺はホッと胸を撫で下ろした。柳澤頭取、疑って悪かった。あんたは最高のビジネスパートナーだ。
「そうだ。君たちはここを拠点にして、商会を開いてもらう」
俺は鍵を開け、彼らを店舗の中へと案内した。
「扱う商品は、うちの研究所で作られる『ペニシリン』などの新しい薬類。それと、今ホテルに卸している横浜名物の『カレーパン』をはじめとするパン類の販売管理だ」
薬とパン。
全く毛色の違う二つの商品を同時に扱うと言われ、三人は一瞬キョトンとした顔をした。
だが、すぐに慶應ボーイの堀尾が「多角経営ですね! 面白い!」と身を乗り出してきた。
「店舗の裏手には、立派な日本家屋がある。そこが君たちの『社宅』だ。まずはそこへ行って、住環境を整えてくれ」
俺は彼らを店舗の裏口から日本家屋へと案内した。
こちらも十分な広さがあり、男三人が共同生活を送るにはもったいないほどの立派な造りだった。
「荷解きと掃除が終わったら、山手の病院まで報告に来てくれ」
俺はそう言って、懐から一圓札の束を取り出し、彼らの手に握らせた。
「これは『支度金』の十円(現在の価値で約二十万円)だ。この金で、君たちの住まいと商会の事務所に必要なものを整えてくれ」
俺はあえて細かい指示は出さず、ただ「支度金」として渡しただけだ。
これは、彼らの『最初のテスト』でもあった。
与えられた予算をどう使い、どのように事務所と生活基盤を立ち上げるのか。その使い道とその後の処理(報告)を見て、彼らの実務能力と経営感覚を測ろうという腹積もりだった。
「かしこまりました、社長! 必ずや、立派な商会の拠点を立ち上げてみせます!」
三人は、十円札を握りしめ、顔を紅潮させて敬礼した。
俺は彼らの頼もしい背中を見送ると、再び関内の街を歩き出した。
「よし。これで『実働部隊』の拠点はできた。あとは……」
俺は、第二国立銀行の立派な石造りの建物を見上げた。
「金田商会」の正式な設立と、資金のやり取りをするための『口座』を作らなければならない。
俺の起業家としての忙しい一日は、まだまだ終わらない。




