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猫と横浜  作者: のらしろ
第二部 結婚するぞ 〜起業編〜

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第67話 社宅と店舗の確保




 結局、俺は浅野総一郎氏と安田善次郎氏に深く頭を下げてお礼を言い、本所の広大な屋敷を後にした。


 浅野氏は明日も東京で仕事があるらしく、新橋駅まで見送ってくれた後、そのまま別れた。


「一様、素晴らしい出会いでしたわね。あの安田様から、直接あのような優秀な方々をご紹介いただけるなんて」


 横浜行きの汽車の中で、結さんが少し興奮気味に微笑んだ。

 彼女も、昨日のドンチャン騒ぎからの、今日の日本経済の巨人との会談という落差に、すっかり当てられているようだ。


「ああ。これでようやく、俺の頭の中にある『製薬会社』と『製パン会社』の青図を、実際に形にして動かしてくれる実務部隊が揃った。……だが、結さん。一つ大きな問題がある」


「問題、ですか?」


 俺は腕を組んで、窓の外の景色を睨んだ。


「彼ら三人の『住まい』と『仕事場』をどうするかだ」


 書生といえば、主人の屋敷に住み込みで働きながら学ぶのがこの時代の常識だ。

 だが、俺の山手の病院(旧イタリア領事館)は、どう考えても若い独身男三人を住まわせる環境ではない。


 何せ、本館の二階には結さんをはじめ、明日香さん、イルサさん、メアリー先生に小泉ハナ先生、そして研究室にはゾフィア、テレサ、ソフィアという、総勢八名もの美女がひしめき合う『逆ハーレム屋敷』と化しているのだ。


 そこに、血気盛んな二十代前半のエリート青年三人を放り込む?

 冗談じゃない。

 風紀が乱れるどころの騒ぎではない。

 俺の(見せかけの)ハードボイルドな威厳も、あっという間に崩壊するだろう。


「彼らには『書生』としてではなく、れっきとした会社の『社員(経営幹部候補)』として来てもらうんだ。だから、病院の敷地外に、きちんとした『社宅』と『商会の事務所』を用意してやりたい」


 俺がそう言うと、結さんも深く頷いた。


「それは素晴らしいお考えですわ、一様。皆様も、その方が気兼ねなくお仕事に打ち込めるでしょう」


「ああ。だから、横浜に着いたら、休む間もなく物件探しだ」


 横浜駅(現在の桜木町駅)に到着するや否や、俺は結さんを病院へ帰し、そのまま真っ直ぐ万事解決のドラえもん……いや、鈴谷さんのもとへ走り込んだ。


「鈴谷さん! 大至急、相談がある!」


 帳場で算盤を弾いていた鈴谷さんは、俺の顔を見るなり驚いて顔を上げた。


「おや、先生。東京からお帰りでしたか。安田様とのお話は……」


「大成功だ。だが、明日から優秀な若者が三人、俺の会社で働くために横浜へやってくる。彼らの事務所兼社宅になるような、手頃な物件を知らないか?」


 俺が矢継ぎ早にまくし立てると、鈴谷さんは少し考え込んだ。


「事務所兼社宅、ですか。山手(居留地)で探すとなると、私どもの手には余りますが……」


「いや、山手じゃなくていい。商売の拠点にするなら、港に近い『関内』の周辺がいいと思っているんだ。あの辺りで、どこか空き家はないか?」


「関内周辺……それでしたら、大田町おおたまちのあたりに、いくつか空き店舗が出ていると聞いておりますよ」


 大田町。

 関内の中心部からほど近く、商業施設も多い好立地だ。


「よし、そこだ。……でも、どうやって買い取ればいい?」


「それなら、第二国立銀行の柳澤頭取にご相談されるのが一番確実でしょうな。あそこなら、大田町の物件の抵当権や売買情報も握っているはずです」


 またしても的確すぎるアドバイスだ。

 俺は鈴谷さんに礼を言うと、そのまま息つく暇もなく、第二国立銀行の横浜支店へと駆け込んだ。


「金田先生! いかがなされましたか、そんなに慌てて」


 いつも通り、俺の顔を見るなり柳澤頭取が奥の応接室から飛び出してきた。

 俺が東京での安田善次郎氏との会談の大成功と、三人のエリート社員を雇い入れること、そして彼らのための『商会(会社)』の拠点となる物件を大田町で探していることを伝えると、柳澤頭取はパッと顔を輝かせた。


「おお! ついに先生が本格的に会社を立ち上げられるのですね! それは我が銀行にとっても慶事ですぞ!」


 柳澤頭取は、すぐに部下に分厚い台帳を持ってこさせた。


「大田町で事務所兼社宅……ええ、ちょうど良い物件がございますよ。当行で抵当権を抑えている、大通りに面した立派な『和洋折衷の店舗(二階建て)』と、そのすぐ裏手にある『日本家屋』の二棟セットです。前の持ち主が事業に失敗しましてね。築浅で、とても状態が良いですよ」


 柳澤頭取が間取り図を広げながら、ニヤリと笑った。


「金田先生のことですから、今回も『即金』でよろしいですかな?」


「……いくらだ?」


 俺が恐る恐る尋ねると、柳澤頭取は指を二本立てた。


「二棟セットで、二千円(現在の価値で約四千万円)。これでも、当行からの破格の特別価格でございますよ」


 二千円。


 山手の元イタリア領事館(病院)を三千円で買ったのに比べれば安いが、それでもポンと出せる金額ではない。

 だが、俺の第一国立銀行と第二国立銀行の口座には、連日の「ボッタクリ梅毒治療」の売上と、子供たちのカレーパン特需のおかげで、まだ莫大な現金が唸っている。


 それに、俺の手元にはまだ、あの謎の猫が俺に押し付けてきた『三十万円(現在の価値で六十億円相当)の国債』が金庫の奥で眠っているのだ。資金ショートの心配は皆無だった。


「……買った」


 俺は即答し、その場で預金からの引き出し手続きを済ませた。

 大物買いが続いているが、俺の口座の残高はまだ半分を切ることはなかった。ボッタクリ経営の威力、恐るべしである。


「毎度ありがとうございます、金田先生! これで明日からでも、すぐに商会を開けますぞ!」


 柳澤頭取のホクホク顔に見送られ、俺は銀行を後にした。

 さあ、舞台は整った。

 明日は、いよいよ未来の日本経済を背負う若きエリートたちを迎え入れる日だ。



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