第53話 反響
東京大学医学部でのデモンストレーションから数週間。
俺が予想した通り、いや、予想を遥かに超えるスピードで、『田中製造所製・暗視野顕微鏡』の噂は、日本の医学界を飛び越え、世界中の細菌学研究者の間に嵐のような反響を巻き起こしていた。
「染色せずに、生きたままの細菌を鮮明に観察できる顕微鏡だと!?」
「極東のアジアの小国で、そんな魔法のような光学機器が開発されたというのか!」
欧米の権威ある学者たちは、最初こそ「イエローモンキーのホラ話だ」と鼻で笑っていたらしい。
だが、東京大学の教授陣が実際に使用し、その驚異的な性能を裏付けるレポートを海外の学会誌に寄稿し始めると、彼らの態度は一変した。
特に、パスツールやコッホといった細菌学の巨人たちが鎬を削るヨーロッパの研究所からは、「実物を見せろ!」「今すぐ一台送れ!」という問い合わせが、田中製造所に殺到し始めたのだ。
「先生! 大変なことになりました!」
ある日の午後、田中社長が血相を変えて横浜の金田病院に飛び込んできた。
手には、何やら立派な封筒が握りしめられている。
「どうしたんですか、社長。そんなに慌てて」
「こ、これを見てください! ドイツのベルリン大学からです!」
田中社長が震える手で差し出した封筒には、確かにドイツ語の宛名が記されていた。
俺が中身を改めると、それはなんと、ベルリン大学の細菌学研究所からの『公式な招待状』だった。
「ベルリン大学……コッホ研究所か!」
俺は息を呑んだ。
ロベルト・コッホ。
結核菌やコレラ菌を発見し、のちにノーベル生理学・医学賞を受賞する、近代細菌学の開祖の一人だ。
そのコッホの研究所で、現在めざましい活躍を見せている日本人研究者がいる。
「これ、差出人は……北里柴三郎氏ですね」
小泉ハナさんが、招待状の末尾にあるサインを見て声を上げた。
そうだ。のちに「日本の細菌学の父」と呼ばれ、ペスト菌を発見し、破傷風の血清療法を確立する偉人、北里柴三郎。
彼が今、コッホの下で研究に没頭している最中なのだ。
「北里先生が、ご自身の研究のために、どうしてもこの『暗視野顕微鏡』の実物を見たいと仰っているのです!
しかも、開発者である私を直接ベルリンに招待したいと!」
「おお……それは凄い!」
俺は田中社長の手を固く握った。
これは、日本のモノづくりが世界トップの頭脳に認められた瞬間だ。
「ですが、先生。
私は顕微鏡の『構造』は作れても、医学的な説明や、先生がこの顕微鏡で発見されたあの『悪魔』のこと、そしてあの薬のことは、到底ドイツの偉い学者先生たちに説明できません」
田中社長は困り果てた顔で俺を見た。
「どうか、先生も一緒にベルリンへ同行していただけないでしょうか!」
「……俺が、ですか?」
俺は絶句した。
横浜の病院経営だけでも手一杯なのに、ドイツへ洋行だと?
この時代、ヨーロッパへの船旅は、片道だけで一ヶ月半から二ヶ月はかかる。
向こうでの滞在期間や帰りを含めれば、優に四ヶ月は病院を留守にすることになるのだ。
「一様……」
結さんが不安そうに俺の袖を引く。
「これは、避けて通れない道かもしれませんわ」
メアリーさんが、青い瞳を真剣に輝かせて言った。
「ミスター・カネダ。
私と小泉先生で書き上げた『梅毒の病原菌とペニシリンの効果』についての論文は、ほぼ完成しています。
ですが、極東の無名の病院から郵送するだけでは、世界は信じないでしょう。
あのコッホ研究所で、直接この顕微鏡を使って証明して見せる……これ以上の『発表の場』はありませんわ!」
確かにメアリーさんの言う通りだ。
ペニシリンの存在を世界に知らしめ、多くの命を救うためには、細菌学のメッカであるドイツで、その効果を実証するのが一番手っ取り早い。
「……よし。腹を括ろう」
俺は決断した。
それに、ただドイツへ行って顕微鏡のプレゼンをするだけじゃない。
俺にはもう一つ、重大なミッションがあった。
「ヨハンさんから聞いた、ヨーロッパで不遇をかこっている優秀な『女性研究者』たち。彼女たちを直接面接して、この横浜にスカウトしてくる絶好のチャンスでもあるからな」
そうと決まれば、行動は早い。
俺は病院の留守を、明日香さんとイルサさん、そして小泉ハナさんに任せることにした。
日本人患者の対応は小泉さんが、孤児たちのパン事業と病院の日常業務は明日香さんとイルサさんがいれば十分に回る。
相変わらず態度がデカい外国人患者(ボッタクリ要員)については、
「院長不在のため、さらに特別割増料金(通常の三十倍)を頂戴します」という張り紙を出して、数を絞り込むことにした。
「同行者は、俺と田中社長。
それから、通訳兼、論文の発表者としてメアリーさんに来てもらう」
「オー! 私、久しぶりのヨーロッパよ!」
「一様……」
結さんが、少し寂しそうに俯いた。
無理もない。
婚約したばかりで、四ヶ月も離れ離れになるのだ。
「結さんも、一緒に行こう」
「えっ!?」
「鍋島侯爵夫人にお願いして、同行の許可をもらおう。結さんは俺の婚約者だ。
ヨーロッパの社交界でも、きっと役に立ってくれるはずだ」
俺がそう言うと、結さんの顔がパッと明るくなった。
「はいっ!
喜んでお供いたしますわ、一様!」
こうして、一行の顔ぶれが決まった。
俺、結さん、メアリーさん、そして田中社長の四人だ。
渡航費は一人あたり約四百円。四人で千六百円(現在の価値で約三千万円超)。
田中社長の分は大学(コッホ研究所)からの招待なので向こう持ちだが、俺たち三人の分は自腹だ。
だが、ボッタクリ治療費で潤沢な資金を持つ俺の口座なら、痛くも痒くもない。
十一月下旬。
本格的な冬が到来する前に、俺たちは横浜港から、ヨーロッパへ向けて出航する客船に乗り込んだ。
見送りに来てくれた明日香さん、イルサさん、小泉ハナさん、そしてユキたち孤児に手を振る。
「しっかり留守を頼むぞ! ユキ、カレーパンの売上、落とすなよ!」
「はい、先生! 行ってらっしゃい!」
汽笛が鳴り響き、船がゆっくりと岸壁を離れていく。
俺の人生初の(設定上は南米帰りだが)海外出張、ヨーロッパ洋行の旅が始まった。
待っていろ、コッホ。待っていろ、北里柴三郎。
未来の医学知識と、日本の職人魂を武器に、世界の歴史を少しだけ早回ししてやる。




