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猫と横浜  作者: のらしろ
第二部 結婚するぞ 〜起業編〜

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第52話 発表



「……呆れたお方ですわね、一様は」


 帰りの汽車の中で、結さんが小さくため息をつきながら微笑んだ。


「世界的な大発見の栄誉を、あっさりとメアリー先生と小泉先生に譲ってしまうなんて。侯爵夫人も仰っていましたが、本当に無欲でいらっしゃる」


 無欲なんじゃない。単にボロを出したくないだけなんだが。

 俺は内心で冷や汗をかきながら、窓の外の景色に目をやった。


「俺はただの病院経営者でいいんだよ。

 それに、今の時代、日本人の男が一人で大発見を発表するより、アメリカの正規医師資格を持つメアリーさんと、日本の最新医学を学んだ小泉ハナさんの『国際的な共同研究』という形にした方が、世界も納得しやすいだろう?」


「まあ、それは一理ありますわね」


 結さんは納得したように頷いた。

 実際、俺が表舞台に立てば、「南米のシャーマンから教わった」というトンデモ設定を世界中の学者に説明して回る羽目になる。

 そんな針のむしろはご免だ。


 横浜の病院に戻ると、俺はすぐに田中製造所の田中大吉社長に電報を打ち、再び東京・京橋の工場へと足を運んだ。

 今回は、ただの顕微鏡の発注ではない。

 この『暗視野顕微鏡』という画期的な発明を、いかにして世界の学術界に知らしめるかという「発表の戦略」を練るためだ。


 田中製造所の応接室で、俺は田中社長と向かい合った。


「金田先生。

 あの顕微鏡で、例の細菌は確認できましたか?」


「ええ、社長。完璧でした。

 先生の技術力のおかげで、ついにあの『透明な悪魔スピロヘータ』の姿を捉えることができました」


 俺がそう報告すると、田中社長はホッと胸を撫で下ろすと同時に、技術者としての誇らしげな笑みを浮かべた。


「それで、社長。

 今日はお相談があるんです」


「ご相談、ですか?」


 俺は身を乗り出し、声を潜めた。


「この顕微鏡は、今後の世界の細菌学研究において、絶対に欠かせないツールになります。

 ただ、俺たちのような市井の人間がいくら『見えた!』と叫んでも、権威ある学者は信じないでしょう。

 そこで……」


 俺は、田中製造所がこれまでにも革新的な発明品を世に出してきた実績(からくり儀右衛門こと初代・田中久重の万年時計など)に目をつけた。


「御社のコネクションを使って、この顕微鏡のデモンストレーションを、然るべき研究機関……例えば、東京大学の医学部などでやっていただけないでしょうか?」


「東京大学で、ですか」


 田中社長は腕を組んで考え込んだ。


「ええ。そして、その際に一つだけ、学者先生方に強調して伝えてほしいんです。『この顕微鏡は、面倒な染色(色付け)を一切することなく、生きたままの細菌を観察できる』と。

 これを聞けば、細菌学の最前線にいる研究者なら、どれほど画期的なことか絶対に理解するはずです」


 この時代、細菌を観察するためには、サンプルに色素を染み込ませる「染色」という工程が不可欠だった。

 しかし、それを行うと細菌は死んでしまうため、生きた状態の動きや、ペニシリンなどへの反応をリアルタイムで観察することは不可能だったのだ。


 『染色なしで、生きたまま見える』


 この一言が、学者たちにとってどれほどのキラーフレーズになるか、俺には(百科事典の知識で)痛いほどわかっていた。


「なるほど……。

 染色不要で、生きたまま。

 それは確かに、研究者にとって喉から手が出るほど欲しい機能でしょうな」


 田中社長は深く頷いた。


「わかりました、金田先生。

 実は、東京大学の医学部には、我が社の製品を懇意にしてくださっている教授がおりましてね。

 ちょうど先生が追加発注された二台目の顕微鏡が完成間近ですので、それを持ってデモンストレーションに伺いましょう」


「頼みます、社長!」


 俺は深々と頭を下げた。

 これで、学術界へのアプローチは田中社長に丸投げ……いや、お任せできる。


 数日後。


 俺が病院で、相変わらず態度がデカい外国人患者の相手(ボッタクリ治療)をしていると、田中社長から興奮冷めやらぬ電報が届いた。


『トウダイニテ デモンストレーション ダイセイコウ キョウジュ キョウガクセリ』


 やった!

 俺はガッツポーズをした。


 後日、田中社長から直接聞いた話によれば、デモンストレーションは凄まじい反響だったらしい。


 東京大学の教授陣は、最初こそ「民間の町工場が作った顕微鏡など」と高を括っていたそうだが、いざ暗視野顕微鏡を覗き込み、染色されていない生きた細菌の鮮明な姿を見た瞬間、言葉を失ったという。


「先生、教授のあの驚いた顔といったらありませんでしたよ!

 『これは魔法か!?』と叫んでおられました」


 田中社長は、その時の様子を嬉しそうに語ってくれた。

 そして、その場ですぐに商談がまとまったという。

 俺が田中製造所に支払った第一号機の開発費用は二百円。社長はこれに、俺への特許使用料(研究資金プール分)と製造所の利益を乗せて、「三百円」という価格を提示した。

 現在の価値にして約六百万円。


 決して安くはないが、大学の教授は「安すぎる!」と言って、その場ですぐに一台(俺が発注していた二台目)の購入契約を結んだそうだ。


「しかも、来年度の予算が下り次第、医学部全体で『あと少なくとも五台は買いたい』と仰っていましたよ」


「おお、それは素晴らしい!」


 俺は田中社長の手を固く握った。

 この東京大学での購入実績は、瞬く間に日本中の、いや、世界中の医学界に知れ渡るはずだ。


「社長!

 急いで海外の特許申請の手配をお願いします!

 ドイツ、アメリカ、フランス、イギリスの各国にです!」


「ええ、もうすでに準備を進めております。

 先生のおかげで、我が製造所も世界に名乗りを上げられそうです」


 これで、田中製造所も莫大な利益を得るだろうし、俺の研究資金プールも潤沢になる。

 何より、俺の「オーパーツ顕微鏡」を隠しながら、ペニシリンの効果を科学的に証明するための「目」が、世界的に認知されたのだ。

 準備は整った。


 あとは、メアリーさんと小泉ハナさんに執筆させている「梅毒の病原菌の発見と、ペニシリンによる治療効果」の共同論文を、この暗視野顕微鏡のセンセーションに乗せて、世界に叩きつけるだけだ。


「待っていろよ、世界の医学界。極東の小さな病院から、歴史を変える特大の花火を打ち上げてやる」


 俺は、病院の窓から横浜の港を見下ろし、不敵に(ハードボイルドっぽく)笑った。



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