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猫と横浜  作者: のらしろ
第二部 結婚するぞ 〜起業編〜

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第51話 大発見



「だ、大発見ですよ!」


 静かな創薬研究室に、小泉ハナさんの絶叫が響き渡った。

 普段は冷静沈着な済生学舎出のエリート女医が、接眼レンズから顔を上げ、両手で口を覆いながら震えている。


 隣ではメアリーさんも、青い瞳を見開き、信じられないものを見るような目で俺と顕微鏡を交互に見つめていた。


「オー、マイ、ゴッド……。

 ミスター・カネダ、これは夢じゃないわよね?

 あの透明な悪魔が、私たちの目の前で……」


「夢じゃないさ。

 これが現実だ」


 俺は腕を組み、得意げに頷いた。

 よくよく考えてみれば、俺の中では「梅毒の原因はスピロヘータ(梅毒トレポネーマ)」であり、「ペニシリンがそれに効く」というのは、令和の時代では中学校の保健体育の教科書にも載っているような常識だった。


 だが、この明冶二十年(パラレルワールドの明冶だが)を生きる彼女たちにとって、それは文字通り『神の領域』に属する謎だったのだ。

 これまで俺は、ペニシリンを使って多くの患者を治療してきた。

 彼女たちも、その驚異的な治癒効果は目の当たりにしている。


 だが、俺は一度も彼女たちに『スピロヘータそのもの』を見せたことはなかった。

 なぜなら、俺の持っている令和のオーパーツ『デジタル顕微鏡(AI補正付き)』を彼女たちに見せるわけにはいかなかったからだ。


 「何ですかこの光るモニターは!?」


「なぜ勝手に細菌に赤いマーキングがつくんですか!?」


 と大騒ぎになるのは目に見えている。


 だからこそ、俺はこの時代で調達できる最高の技術——田中製造所の職人技——を駆使して、この『暗視野顕微鏡』を作らせたのだ。

 これなら、不自然なオーパーツを隠したまま、生きたスピロヘータの姿を堂々と彼女たちに観察させることができる。


 そして今、彼女たちは初めて「敵の姿」をその目に焼き付け、さらに俺たちが作り出した「武器ペニシリン」が、いかにして敵を殲滅するのかというメカニズムを、科学的な事実として目撃したのである。


「一様……これ、本当に私たちが論文にして発表してもよろしいのですか!?」


「ああ。

 俺は医者でも学者でもないからな。

 正規の資格を持つ君たち二人の連名で発表するのが筋だろう」


 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせ、信じられないというように首を横に振った。


「こんな世界的な大発見の功績を、私たちが横取りするような真似はできません!」


「そうよ、ミスター・カネダ!

 これはあなたが……」


 うん、そう来ると思っていた。

 真面目な彼女たちのことだ、俺の発明カンニングだけどを自分たちの手柄にするなど、到底受け入れられないだろう。


 だが、俺には俺の都合がある。

 俺が表舞台に出れば、「どうやってその知識を得たのか」と世界中の学者から質問攻めに遭い、いずれボロが出るのは火を見るより明らかだ。


「よし、ちょっと出かけよう。二人とも、準備してくれ」


 俺は二人を連れて、横浜の病院を後にした。

 向かう先は、東京・渋谷の松濤にある鍋島侯爵邸だ。

 俺の最大のパトロンであり、政治的・社会的な後ろ盾である鍋島侯爵夫人に、この途方もない大発見をどう世に出すべきか相談するためである。


 汽車と人力車を乗り継ぎ、静閑な松濤の屋敷に到着すると、侯爵夫人は突然の訪問にもかかわらず、快く俺たちを茶室へ通してくれた。


「先生、本日はどのようなご用件で?

 病院の方は順調と伺っておりますが」


 侯爵夫人は、優雅にお茶を点てながら微笑む。


「ええ、病院は順調です。

 ですが今日は、医学の歴史をひっくり返すようなご相談がありまして」


 俺は単刀直入に切り出し、持参した暗視野顕微鏡の仕組みと、それによって梅毒の病原菌スピロヘータを発見し、俺たちのペニシリンがそれを死滅させることを科学的に証明できたと説明した。


 流石の侯爵夫人も、お茶を点てる手をピタリと止め、驚愕の表情を浮かべた。


「……それは、真でございますか。あの不治の病の正体が……」


「はい。小泉先生もメアリー先生も、その目で確認しております」


 俺が促すと、二人の女医も力強く頷いた。


「奥様、間違いございません。

 一様が作らせたあの顕微鏡は、世界の医学界の常識を覆す大発明です!」


「そして、あの薬の効果も……奇跡ではなく、科学的な事実として証明されましたわ」


 侯爵夫人は深くため息をつき、俺の顔をまじまじと見つめた。


「先生。あなたは一体、何者なのですか?

 そのような知識を、どうやって……」


 来た。核心を突く質問だ。

 俺は事前に用意していた「苦しい言い訳」を、さも真実であるかのように語り始めた。


「以前もお話ししましたが、俺の育った南米の奥地(架空の設定であるコロンビア)には、特別な方法で作り出された液体を体内に入れることで、人に悪さをする『悪魔』を退治するという民間療法がありました」


「悪魔、ですか……」


「はい。現地のシャーマンはそう呼んでいました。

 ですが、俺はその後、大学で細菌学の基礎を少しだけ齧る機会がありましてね。

 シャーマンの言う『悪魔』とは、実は目に見えない『細菌』のことではないかと推測したのです」


 俺は熱弁を振るう。

 もちろん、コロンビアのシャーマンがペニシリンを作っていたなんて大嘘だし、俺が通っていたのは三流私大の文学部(しかも中退ギリギリでハードボイルド研究会入り浸り)だが、そんなことは誰にもわからない。


「日本に帰国後、どうしてもその細菌の正体を確かめたくて、横浜で密かに研究を始めました。

 ですが、当時の顕微鏡ではどうしても見えない。

 そこで、光の当て方を工夫すれば見えるのではないかと考え、田中製造所の技術力をお借りして、あの新しい顕微鏡を作っていただいたのです」


 俺は、どこまで本気にしてもらえるかヒヤヒヤしながら説明を終えた。

 かなり苦しい言い訳だが、今のところ「オーパーツ」の存在は隠し通せているし、田中製造所という実在の企業を巻き込んだことで、物語ウソにリアリティは持たせられたはずだ。


 侯爵夫人は、しばらく黙考していた。

 そして、ふぅと小さく息を吐くと、俺に鋭い視線を向けた。


「先生のおっしゃる『南米のシャーマン』のお話は……いささか荒唐無稽に聞こえますわね」


 ドキッ。

 やはり見透かされているのか?


「ですが」


 侯爵夫人は、扇子をパチンと鳴らして微笑んだ。


「結果として、先生が病の正体を暴き、治療法を確立された事実は動きません。

 それがシャーマンの教えであれ何であれ、多くの命が救われるのですから」


 俺はホッと胸をなでおろした。

 どうやら、細かいツッコミは入れずに飲み込んでくれるらしい。

 さすがは伊達に侯爵家の奥方をやっていない。太っ腹だ。


「それで、先生。

 この大発見を、どのようになさるおつもりで?」


「俺は表に出たくありません。

 メアリー先生と小泉先生の連名で、学術論文として発表していただきたいのです」


 俺がそう念を押すと、侯爵夫人は呆れたように苦笑した。


「相変わらず、無欲な方ですね。

 よろしいでしょう。

 お二人の先生方も、先生のご意志を汲んで差し上げなさい。

 ……ただし」


 侯爵夫人の目が、キラリと光った。


「発表するとなれば、世界中の学者が注目します。

 隙のない、完璧な資料を準備なさいませ。

 日本の、そして先生の威信に関わることですわよ」


 こうして、俺たちは侯爵夫人という最強のスポンサーから「論文発表のお墨付き」と「強烈なプレッシャー」を頂戴し、横浜へと帰還することになったのである。




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