第49話 パーティー
十月下旬。
空高く澄み渡る秋晴れの日、山手の元イタリア領事館——新たに生まれ変わった「金田病院」のグランドオープン、ならびに俺と池田結さんの婚約発表パーティーが、ついに幕を開けた。
ホールの周囲には紅白の陣幕が張り巡らされ、中央には鈴谷さんから借り受けた見事な松と紅葉の巨大盆栽が鎮座している。
急造とはいえ立派な白木のステージも設置され、なんちゃって和洋折衷の会場は、予想以上に華やかで堂々とした空気に包まれていた。
だが、何よりも俺を驚かせたのは、集まった顔ぶれの凄まじさだった。
「おお、金田先生! 本日はまことにおめでとうございます!」
「病院のご開院、そしてご婚約、重ね重ねお慶び申し上げますぞ!」
次々と馬車や人力車で乗り付けてくるのは、明冶の横浜、いや日本の歴史に名を刻むようなビッグネームばかりだった。
生糸貿易で巨万の富を築いた原善三郎氏、横浜の発展に尽力した茂木惣兵衛氏、製茶業のドンである大谷嘉兵衛氏、そして「高島易断」でも知られる実業家・高島嘉右衛門氏。
もちろん、俺の最初のパトロンであり最大の恩人である鈴谷の旦那も、満面の笑みで駆けつけてくれた。
さらに、俺の目を最も丸くさせたのは、忙しい合間を縫って、東京から鍋島侯爵ご夫妻がわざわざ「主賓」として足を運んでくださったことだ。
名代(代理人)ではなく、ご本人登場である。
これには横浜の財界人たちもどよめき、会場のボルテージは一気に最高潮に達した。
「先生、本日はお招きいただき感謝いたします。結、本当に良かったですね」
侯爵夫人が、結さんの手を取って優しく微笑む。
結さんは目に涙を浮かべながら、深く、深く頭を下げた。
「奥様……はい、一様のおかげで、私は再び生きる希望をいただきました」
「ええ、存じておりますよ。先生は、本当に不思議なお力をお持ちだ」
鍋島侯爵も、柔和な笑みを浮かべて俺に頷きかけた。
そして侯爵の傍らには、彼から直々に紹介された浅野氏(のちの浅野財閥創始者・浅野総一郎だろうか?)の姿もあった。
さらに、外国人居留地からは、オランダ商人のヨハンさんをはじめとする四、五人の貿易商たちも顔を揃え、会場は国際色豊かな熱気に包まれていた。
ホスト側である俺たちは、総出でおもてなしに奔走した。
俺と婚約者の結さんを筆頭に、アメリカ人女医のメアリーさん、済生学舎出の小泉ハナさん。
そして、今や立派な病院スタッフとして欠かせない存在となった、元高級娼婦の明日香さんとイルサさん。
美女五人を引き連れた俺の姿は、さぞかし列席者の目に奇異に、あるいは羨ましく映ったことだろう。
一方、裏方である厨房では、三十人近い孤児たちが戦場のような忙しさで立ち働いていた。
一流のシェフなどいない俺たちのパーティーの目玉は、彼らが懸命に作ってくれた手料理の数々だ。
大皿に山盛りにされた『鶏の唐揚げ』、熱々の『マカロニグラタン』、そして新鮮な野菜をたっぷり使った『ポテトサラダ』。
どれもこの時代の高級パーティーで出されるような洗練されたフランス料理ではない。
だが、一口食べた列席者たちの反応は、俺の予想を遥かに超えていた。
「おお!
この鶏肉の揚げ物、外はカリッとして中から肉汁が溢れ出す!
スパイスの効き具合が絶妙ですな!」
「こちらの白いとろみのある料理も素晴らしい。
チーズの焦げた香りがたまりません!」
どうやら、気取ったフルコースよりも、ジャンクでパンチの効いた「家庭料理」の強烈な旨味が、明冶のVIPたちの胃袋をガッチリと掴んだらしい。
だが、この日の真の主役は、他にいた。
ホールの片隅にうずたかく積まれた、子供たちが焼き上げた自家製パンの山。
その中でも、最近ホテルへの卸売りで大ヒットを飛ばしている新製品——『カレーパン』である。
「むむっ?
この揚げたパンの中に包まれている、黄金色のペーストは……!」
一口かじった大物実業家が、目をひん剥いて声を上げた。
スパイシーで奥深いカレーの香りが、会場中にフワリと広がる。
「こ、これは美味い!
舌がピリリと痺れるが、後から強烈な旨味が押し寄せてくるぞ!」
「オー!
カリーのパンですか!
イギリスでも食べたことがない、ファンタスティックな味です!」
日本人実業家も外国人商人も、こぞってカレーパンに群がった。
令和の時代でも愛されるそのジャンクな魅力は、明冶二十年のエリートたちの味覚をも見事に制圧したのだ。
「先生、このカレーパンとやら、ぜひ我が社が経営する食堂でも出させていただけないだろうか!」
「いやいや、うちのホテルでももっと数を増やしていただきたい!」
俺の周りには、カレーパン片手に商談を持ちかけてくる紳士たちの人だかりができていた。
……俺、病院長なんだけどな。
まあいい。これでユキたち孤児の給金もさらに弾んでやれる。
宴もたけなわとなった頃、俺は密かに用意していた『特別な手土産』を取り出した。
名刺交換の文化がまだ一般的ではないこの時代、俺は日本人の超VIP——鍋島侯爵をはじめとする財界の重鎮、先着九名様限定で、贈り物を用意していたのだ。
それは、俺が長野のオークションで手に入れたアンティーク万年筆と、懐古園のバザーで箱買いした、国鉄(令和の時代ではJRだが)放出品の『鉄道員用・懐中時計』のセットである。
「これは……!
なんという精巧な作りの時計だ!
それに、この筆記具の滑らかな書き心地たるや……!」
手土産を受け取った重鎮たちは、息を呑んで驚喜した。
当然だ。昭和の国鉄クオリティで作られた狂いのない懐中時計と、現代の技術で作られた滑らかな万年筆である。
明冶の人間からすれば、魔法の道具に等しい。
「金田先生!
ぜひこれと同じものを、追加で十個ほど売っていただけないか!
言い値で買うぞ!」
興奮した実業家が詰め寄ってくる。
俺は丁重に、そしてハードボイルドな(つもりで)作り笑いを浮かべながら首を振った。
「申し訳ありません。
これは、私の海外の親から『家宝』として手渡されたものでして。
これからの日本を背負って立つ、強い絆を結びたいと願う限られた方にだけお渡しするようにと、厳命されているのです。
二度と入手は不可能です」
俺がもっともらしい嘘(設定)を並べ立てると、彼らは「おお……」と感嘆の声を漏らし、手土産をさらに愛おしそうに胸に抱いた。
同じものを俺自身も愛用しているため、これで俺と彼らは「選ばれし九人」の仲間入りというわけだ。
こうして、唐揚げとカレーパン、そして未来の懐中時計が乱れ飛んだ狂騒のパーティーは、大盛況のうちに幕を閉じた。
俺は、病院の開業を華々しく宣言し、結さんとの婚約を正式に発表し、さらにこの時代の日本のトップエリートたちと強固なコネクションを築き上げることに成功したのである。
「お疲れ様でした、一様。
素晴らしいお披露目でしたわね」
客が帰り静まり返ったホールで、結さんが俺の腕にそっと手を添えた。
「ああ。これでもう、後戻りはできないな」
俺は、彼女の肩を抱き寄せながら、窓の外に広がる横浜の夜景を見つめた。
もぐりの医者から、本格的な病院経営者へ。
そして、俺の頭の中にある「未来の医学知識」を使って、この世界の病魔と戦う『創薬事業』への挑戦が、いよいよ始まろうとしていた。




