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猫と横浜  作者: のらしろ
第二部 結婚するぞ 〜起業編〜

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第43話 始まる改築と子どもたちの様子



 お披露目という名目の屋敷見学会と、それに続く鈴屋での華やかな(そしてちょっぴり生々しい)接待の翌日。

 二日酔いの頭を抱えながらも、俺の病院設立計画は猛スピードで動き出した。


 まずは、国(実質的には横浜市)からの屋敷の買い取り手続きだ。

 昨日の会議にわざわざ鍵を持参していた市の担当職員が、役所の窓口で満面の笑みで俺を迎えてくれた。


 書類にいくつかサインをし、俺の第二国立銀行の口座から、ぽんと三千円が引き出される。


「はい、確かに。これでこの洋館は、金田先生のものです」


 あっけないほど簡単に、権利書が俺の手に渡された。

 三千円。現在の価値で約六千万円。


 さすがに口座の残高はガクッと目減りしたが、俺の腹は据わっていた。

 何せ、連日押し寄せる「事情を抱えた外国人紳士たち」からふんだくっている(いや、正当な対価として頂いている)ボッタクリ治療費と、ユキたち孤児が頑張っているパン事業の売上がある。


 このペースなら、年内には口座の残高も元通りになるだろうという、謎の確信があった。

 買い取りが完了すると、休む間もなく改築工事のキックオフだ。


 俺は鈴屋さんが手配してくれた腕利きの職人たちと、横浜市の職員(なぜか今日もニコニコと立ち会っている)を連れて、再び山手の洋館へと向かった。

 現場での話し合いは、昨日の宴会の勢いをそのまま引き継いだように活気に満ちていた。


「一階のホールと、それに続く広いダイニングルームは、そのままで立派な待合室になりますね」


「二階は、間仕切りを入れて入院用の病室と、スタッフルーム、それに診察室にすりゃあいい」


 棟梁が図面を広げながら、威勢よく指示を飛ばす。


「問題は、先生の仰ってた『手術室』でさぁ。南向きの角部屋が良いってことで、一階と二階、どっちにしやす?」


「そうだな……」


 俺は少し考えた。


「一階と二階の南向き角部屋は、両方とも『何もない空間』として広めに取っておいてくれ。

 日当たりが一番良いからな。

 そして、一階のその角部屋を、床も壁も真っ白なタイルで張り直してほしい」


「タイル張りですか。水洗いできるように、ってことでさぁね。風呂場みたいなもんだ」


「ああ、そうだ。徹底的に清潔に保てる手術室にしたいんだ」


 実際には、本格的な外科手術が行われることは、今のところありそうにない。

 俺たちの主力兵器は、あくまでペニシリンの「注射」だからだ。


 メアリーさんは優秀な外科医だが、この時代の手術は感染症のリスクが異常に高い。

 ペニシリンがあるとはいえ、無菌室に近い環境が作れない限り、おいそれとメスは握らせられない。


 だが、形だけでも立派な手術室(オペ室)を用意しておくことは、病院の「ハク」をつける意味でも重要だ。


 一応、それらしい手術台や無影灯のようなものの調達は、オランダ商人のヨハンさんに注文を入れておいた。

 工事の槌音が響き始めた洋館を後にし、俺は自分の屋敷へと戻った。


 そこでは、相変わらず面倒な外国人患者たちが「ノー! 俺が先だ!」とわめき散らしている。


 俺はため息をつきながら、彼らの対応をメアリーさんと小泉ハナさんに任せた。

 二人の女医たちは、俺が法外な治療費を吹っ掛けている患者たちの相手をしながらも、空いた時間を見つけては、屋敷の離れでユキたち孤児の面倒を見てくれていた。


 俺が病院の準備に奔走し、このように暇な時間が取れなくなるのも、病院が開業するまでのわずかな期間だけだろう。

 実際にあの巨大な病院が開業すれば、横浜だけでなく、東京のお偉いさん方にも噂が知れ渡るはずだ。


 そうなれば、絶対に「紳士諸君」の治療を大量に抱え込むことになる。

 何せ、紳士諸君はみんな「そっちの遊び」がお好きだからな。


 今のうちに、子供たちの教育体制を固めておかなければならない。

 現在、俺が保護している孤児は、ユキを含めて総勢三十名近くにまで膨れ上がっていた。


 彼らには、三食の食事と温かい寝床、そしてパンの製造・販売に対する給金を支払っている。

 だが、それだけではもったいない。


 俺は、彼らの午後の時間を「勉強」に当てていた。

 小泉ハナさんが読み書きと計算を教え、メアリーさんとイルサさんが英語を教える。


 横浜という国際都市で生きていくなら、英語と算盤は最強の武器になるはずだ。


「よし、今日は『This is a pen』からだぞ!」


 離れを覗くと、イルサさんが黒板の前に立ち、子供たちが声を揃えて英語を復唱している。

 うん、立派な寺子屋だ。

 さらに、衛生管理も徹底させた。

 俺は毎日風呂に入るが、三十人全員が毎日入るには、今の屋敷の風呂は少し手狭だ。そこで、二、三日ごとにグループに分けて風呂に入れ、常に清潔な服を着せるようにした。


 見違えるように小綺麗になった子供たちは、パンの販売先である高級ホテルでも「可愛らしい」と評判が良いらしい。

 ユキがポツリと漏らした言葉が、俺の胸にチクリと刺さったことがある。


「先生……横浜には、私たちよりずっと苦労してる孤児がいっぱいいるんです」


 その悲しげな目を見て、俺は何も言えなかった。

 今の俺には、この三十人を養うのが限界だ。

 これ以上抱え込めば、俺の事業も、子供たちの生活も共倒れになる。


 聞かなかったことにするしかなかった。

 外国人居留地には立派な教会もあるのだから、孤児院でも作ってくれればいいと思うのだが、現実はそう甘くない。


 この明冶という過渡期の世相では、貧困層の救済は後回しにされているのが実情だ。


「俺は、俺にできることをやるだけだ」


 俺はそう自分に言い聞かせ、新しい病院の設計図に目を落とした。

 この病院が軌道に乗れば、もっと多くの人間を救えるかもしれない。

 いや、救ってみせる。


 俺の心の中で、冷めたハードボイルド探偵の魂と、熱血な病院経営者の魂が、奇妙に混ざり合って燃え上がっていた。


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