第41話 どこに作る
明冶政府からの正式な許可も下り、いよいよ本格的な病院設立に向けて動き出すことになった。
するとどうだ。
横浜の財界人たちが、まるで獲物を見つけたハイエナ……いや、バーゲンセールの主婦のように、前のめりで俺の病院設立の手伝いを申し出てきたのだ。
「金田先生! 病院の建設費用なら、我が第二国立銀行が全面的に融資いたしますぞ!」
「いやいや、先生! 我が商会が最新の医療器具をヨーロッパから取り寄せましょう!」
「待て待て、まずは土地だ! 良い物件の心当たりがある!」
彼らのこの熱気たるや、尋常ではない。
どうしてここまで俺の病院に期待しているんだよ……。
いや、理由はわかっている。
梅毒だ。
梅毒が怖いのだ。
この時代、不治の病と恐れられた梅毒の特効薬を持つ俺は、彼らにとって文字通り「命の恩人」になり得る存在だからだ。
皆、立派な紳士諸君ばかりだが、その辺りはお盛んのようで、いつ自分が病魔に冒されるか戦々恐々としているに違いない。
彼らにとって俺の病院は、いざという時の『駆け込み寺』なのだ。
そんなわけで、真夏の八月。
俺は横浜港を代表するあの高級ホテルのラウンジで、財界の重鎮たちと「病院をどこに作るか」という重要な会議を開くことになった。
令和の夏なら、こんな重装備の紳士服を着て会議なんて、クーラーがガンガンに効いていないと熱中症で倒れるレベルだ。
だが、この時代の夏は違う。
ホテルの大きな窓を開け放てば、海からの心地よい風が吹き抜けていく。アスファルトの照り返しもないせいか、十分に涼しく過ごせるのだ。
冷たい飲み物ではなく、温かな香り高い紅茶を傾けながらの優雅な会議となった。
「さて、先生。病院の場所ですが、やはり港に近く、交通の便が良い『関内』はいかがでしょう?」
口火を切ったのは、恰幅の良い貿易商だった。
関内か。
確かに外国人の居留地もあり、患者(特に俺がボッタクリ価格をふっかけている欧米の船乗りたち)を集めるには絶好の立地かもしれない。
だが、俺は首を横に振った。
「いえ、関内は賑やかすぎます。
病の治療、特に入院患者の療養を考えると、もっと静かで空気のきれいな場所が良い。
俺の希望としては、今住んでいる屋敷の近く……『山手』の丘の上が良いと考えています」
俺がそう提案すると、重鎮たちは顔を見合わせ、深く頷いた。
「なるほど。
山手ですか。
確かにあそこなら、静養にはうってつけですな」
すかさず、第二国立銀行の柳澤頭取が身を乗り出してきた。
彼の手には、何やら分厚い書類の束が握られている。情報収集の早さは、さすが銀行のトップといったところか。
「先生、山手でよろしいのでしたら、実を言うと、とっておきの情報がございましてね」
柳澤頭取は、ニヤリと得意げな笑みを浮かべた。
「先生のお屋敷のすぐ近くに、元・イタリアの領事館が置かれていた広大な洋館があるのです。
現在は空き家となっておりまして、実は横浜市が買い取って別の用途に使おうという話が進みかけていたのですが……」
俺の目が光った。
元・領事館の洋館!
それも、今の俺の屋敷のすぐ近く!
立地としては最高じゃないか。
「その話、俺が買い取ることはできませんか?」
俺が食い気味に尋ねると、柳澤頭取は満足げに頷いた。
「ええ、もちろん可能です。
市が買い取る直前でしたから、先生が『言い値』で買い取ると仰るなら、話はすぐにまとまるでしょう。ただ……」
「ただ?」
「お値段が、三千円ほどになりますが」
三千円。
現在の価値に換算すれば、約六千万円というところか。
俺が今住んでいる屋敷を買った時の、約二倍の価格だ。
だが、元領事館で、敷地面積も建物の規模も今の屋敷の倍近くあると考えれば、決して高すぎる買い物ではない。
何より、連日押し寄せるボッタクリ価格の外国人患者たちのおかげで、俺の口座には十分すぎるほどの資金がプールされている。
「買いましょう。
三千円、即金で払います」
俺が即答すると、会議室にどよめきが走った。
「おお! さすがは金田先生! 決断が早い!」
「三千円をぽんと出せるとは、大したお方だ!」
重鎮たちは口々に俺を褒めそやす。
彼らにしてみれば、これで自分たちの『駆け込み寺』の設立が決定したのだから、嬉しいに違いない。
かくして、会議はその場であっさりと「場所」と「建物」まで決まってしまった。
「よし、善は急げだ。先生、これから皆でその洋館の下見に行きませんか?」
鈴谷さんの提案で、会議の参加者全員がぞろぞろとホテルを出て、山手の丘の上にある病院開業予定の屋敷へと向かうことになった。
なんだか、大名行列みたいな物々しい見学会である。
馬車に揺られながら、俺はふと疑問に思った。
「柳澤頭取、市の買い取り予定だった物件なのに、今日すぐ中に入れるんですか?」
俺の問いに、柳澤頭取は隣に座っていた地味なスーツの男を指差した。
「ええ。
実は本日の会議には、横浜市の方からも担当者を出席させておりまして。
彼がすでに、屋敷の鍵を持ってきております」
「……へえ」
俺は呆れてため息をついた。
市が買い取る予定だった物件の鍵を、まだ買ってもいない俺たちの下見のために、わざわざ市の職員が持参して会議に参加していたというのだ。
どんだけ裏で話がついてるんだよ!
役所まで巻き込んでの、このVIP待遇。
俺の病院への期待値が高すぎて、なんだか背筋が寒くなってきた。
まあいい。
とにかく、これで俺の病院設立の第一歩は、想像以上にデカく、そして確実なものとして踏み出されたのだ。
いざ、元イタリア領事館のお屋敷へ!




