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第六章 U.N.オーエンは、誰にも悟られなくて良い。

「だって、君はまるで僕を嫌ったように笑うんだ。」

「難しい、花束を抱えた勤勉な科学者みたいに。」


「会いたかったんだよ、君にずっと。」

「僕の感情を表現してくれた、大切な人に…。」


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 砂上に座る少女じみた自分を見つめている。降り注ぐ布切れと悲哀に満ちた、藍色の瞳。破られた鳥籠と空想は形にならない、デッサンのまま消える。

 吐き気がする。そんなに弱弱しくて、世界は生きていけない。霧散する、誰にも俺は、認められないまま死んでいく。

「…。」

 片方の腕を、もう片方の手で弱く握る。そんな仕草すら、まるで自分を守るよう羽で身体を抱きしめる、雛鳥みたいだと感じる。

 片翼しかない黒鳥は真っ白にも、真っ黒にもなれずに薄汚れた色のまま。

「苦しい…。」

 歯車が鳥籠を滑り落ちていく。その間隔が恐怖の象徴で、人生が早く終焉へと向かう事への安堵だった。


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 冷たい青色が、夜の時刻を少しずつ遅らせる。ソラは雑誌を手にしたまま、私は彼を見上げたまま、じっとお互いの瞳を探り合うように視線を交差した。

「…私が、絵を描き始めた…理由?」

「そう…。」

 いつから描いていたんだろう…思い出せないくらい昔…それは、まだ私のパパとママが、一緒に暮らしていた頃だったと思う。


「小さい頃から、保育園とか…絵を描く機会はあったと思うよ。何かを形にするのは、楽しかったから…その頃から絵は好きだったと思う。」

「うん…。」

「でも、ちゃんと描き始めたのは、小学校入ってからかな…ある日に夢で見た、向日葵畑と海に浮かぶ線路が忘れられなくて…。」

 クレヨンと絵具で色鮮やかに描いたけれど違った。

「私が描いた絵には、あの時見た物語が無かった。」

 そして何度も何度も描いて、夢喰いバグに夢を喰われないように。誠実さと理性と、希薄さが渦巻く、大人達の言葉と変わっていく景色に、夢が壊されないように…。

「ママは、絵描きになるなら、スクールに通いなさいって言ったけど、私は嫌だった。」

 パパは仕事が忙しくて、ママも仕事が忙しくて、利害の一致で一緒に住むことをやめた二人。私はママと暮らし始めたけど…。

「時間はいっぱいあったけど、有限じゃないから。私は私の世界が、表現できるまで必死で、絵を描き続けて、この心にある言葉がすべて、絵になるように…独学で勉強して…今もその途中かな。」

 ママは絵ばかり描いて、高校も通信制を選んだ私に時間を掛けることを…やめちゃった。

「シュオは…目標とかあるのか?」

「自分だけの画廊かな…今は、学生向けの大会とか、SNSに投稿して、お客さん集め。」

「凄いな…。」

 絵を一生描き続けるには、お金も必要だし、それにはお客さんが居なきゃ集まらない。

「趣味にするとか…そういう選択肢は…?」

「うーん…でも、私の人生って一回しかない。」

 それ以外に興味を持ったことがない。

「バイトしたり、別の仕事もお金足りなかったら、するかもだけど。今は親の扶養。」

「意外と…現実的だな。」

 驚いたように、ソラが私をじっと見てくる。私のことを何だと思っているのか…でも、彼から見たら高校生なんて、まだ子どもかもしれない。

「ソラは?」

「え…?」

「私より年上…だよね?大学生とか専門学生?」

「え…っと…。」

 歯切れ悪くソラが言いよどむ。

「大学三年…。すぐ近くの国立大だけど…。」

「そうなんだ。」

「俺…何してるんだろ…分からない。」

「…?」

 首を傾げると、ソラが初めて見る表情で、困ったような笑みを浮かべていたのだった。


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「シュオ…。」

 独りきりになった部屋で、ベッドに横たわる。スマホのチャットには、少女の連絡先が記載されていた。

「…。」

 あまりに眩しい。輝かしすぎて、俺は今何処にいて何をしてるのか、分からなくなってくる。でも、最初に手を伸ばした時から、彼女の存在を求めていた。

「あ…。」

 おやすみとメッセージ付きのスタンプ。羊が夢を見ているような、可愛らしい絵柄に何を返せばいいかと一瞬躊躇う。

 スタンプを返そうかと考えたが、既に眠っていたら可哀そうだと思い、リアクションだけを返した。

「…。」

 卑屈に凝り固まった、頭を抱えながら、ぼんやりと外界の景色を探る。U.N.オーエンは、カフカの蝶を鎖で縛って、暗がりに蟲の繭を作った。

 ああ、楽しい嬉しい悲しいと言う感情は、心の淵でドロドロとした液体になるばかり。芸術へは昇華しないで、苦しさが募るのだ。

「Ich bin im Gefängnis....」

 スマホが発光し、思わず身を起こす。シュオから返信が来たと思ったが、それは家族からの通知で…。

「…っ。」

 少しでも心が現実に立ち返れば、現実の方から俺を蝕んでくる。スマホを枕に投げつけようとして、手を止めると、ぼんやり窓の外。

 青く澄んだ、夜更けのバラードに耳を澄まして、ただ俺は泣いたのだった。


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 物語を綴るように、描き出す世界を決める。曇り空、晴れ空、虹の架かる優しい空、大切な人を失っても青く輝き続ける空…。

「…。」

 思い出した向日葵より、今の私の心に咲く花を描きたい。その花に似合う橙色の夕焼けと、風の気持ちよさ、流れるハミングの一音まで。

「世界に響く奇麗な情景。その凡てを…。」

 まだ、知らない旅がある。経験では語れない感情がある。意味を知り得ることのない、現象でも色彩はその形を象る。

「秋桜…風車…黄金色の穂…中央の太陽が照らす。」

 長すぎた歴史より、今の一瞬を残したい。その物語の中央に、飛び立つ鳥、眠る羊、雑草が生い茂り、掻き分けたら誰かが立っていた。

「…。」

 目を見開いて、色付いたキャンバスを見つめる。孤独に佇む青年の陰に、斑な模様と病的な青さを発見して驚いてしまう。

「ソラ…。」

 秋桜が揺れる、夕陽が照らす、中央で此方を見る。そんな絵の世界に、私は見惚れながら、完成した作品を背に、開け放たれた窓から青く輝く朝の空を、見上げて微笑んだのだった。


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 雑踏をふらふらと歩く。今日の講義は午後からだから…もう少し、大学の外に居ても良いだろう。

 朝から人と関わりたくなくて、スマホも電源を切った。フードを目深に被って、ノートや教科書が入ったカバンを、守るように抱きしめて歩く。

 ぶわっと風が吹いて、ふと此処がシュオを始めて見た公園だと気が付いた。

「…。」

 ベンチに座って、じっと人々を観察する。長身の男はカジュアルな格好で茶系統の組み合わせだ。犬の散歩をしている。

 ふわりとした髪が印象的な女性は、白いカーディガンに淡い緑色のワンピースを重ねて着ている。

「違うな…。」

 あの日、見たシュオはコスモスの花を、そのまま着こなしたような、可憐な絵描きの姿だった。

「俺は何がしたいんだろ…。」

 そんなの、自分でも分からない。じっと世界を見つめたところで、何が好きなのかだって、胸を張って言える程の…シュオにとって絵画みたいな。

 そんな、自分の核みたいなものは持ち合わせていない。大学生にもなって、俺は俺が分かってない…。

「はぁ…。」

 宙ぶらりんな感覚と感情を、どこかに収めたいけどどこにも収まらない。物語だったら、俺はきっと脇役なんだろう…。


 そう、この心にあるU.N.オーエンは、誰にも悟られなくて良い…鴉は死んでいくのだから…。

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