第四章 寂しいと青の濫觴か。悔しいと濁る万障だ。
「どうしても、バラバラのピースを澄み切れなくて。」
「僕は、錆び付いた輪郭に色を混ぜる。」
「奇麗なグラデーションに、自分を見つけられない。」
「暗い青を、探すばかりで…。」
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「ただいま。」
「誰か…居るの?」
「俺一人だよ。一人暮らし…君もだろ?」
「そう…だけど。」
玄関から、立ち竦んだまま此方へ来てくれない。無理強いすることもないだろうと、俺は彼女を置いたまま、中へ入っていった。
窓を開けて、冷たい風を取り込む。もう夜だ。心が熔けて優しさが込み上げてしまいそうな青に、涙が出そうで…。
カーテンを開けて、ちらっと少女を見たら、彼女は少し驚いたように、俺を見ていた。
「そんな顔も出来るんだ…。」
「どういう意味だよ…。」
「そのまま…それに…奇麗だね。」
「ん…?」
少女が玄関で靴を脱ぎ、此方へ向かってくる。絵具で着色された真っ白な服がふわりと夜風に揺れ、少し切なそうに瞳を濡らした、その情景。
「えっ…ちょっと…。」
「貴方の瞳…少し青いのね。」
「ええっと…。」
困って、彼女から目線を逸らす。少しの恥ずかしさと、気後れした感情の高鳴りに、言葉が行き詰った。そんな俺を、彼女は微笑んで見つめていた。
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「お邪魔します?」
「どうぞ。」
仮面を剝いだら人は、鮮やかな色彩に身を泳がせる。情熱的な赤色で不死鳥を臨む人。大海を旅する魚のように青く美しい人。闇のような紫で夜の魔法を魅せる人。いろんな色彩がこの世の中には溢れている。
「青い人が一番好き。」
「ん…?」
「なんだか包み込んでくれる感じがして、心が安らぐから…。」
「…俺はきっと真っ黒なんだろう?」
自嘲と凄惨なまでの悲痛さを含めた、その言い草に私は首を振った。ターコイズブルーの空色を持つ彼には、誰にも叶わない優しさがあると言うのに…。
「せっかくならご飯でも。」
「え…。」
「嫌なら別に。」
白いカーテンが波打って、夜の訪れを知らせる。電気を点けないまま、冷蔵庫の中を漁り始めた彼に、私は少し言い表せぬ漣を感じていた。
「食べられないものは?」
「え…っと、お肉とか。脂っこいものはちょっと。」
「ベジタリアン?」
「胃が弱いだけだよ…。」
床にぺたんと座って辺りを見渡す。何となく彼の言われるまま、家に来てしまったけど…。部屋の殺風景さと、清潔感のある配色の合わせ方。無骨なものは排除する。そのセンスに、私は心が惹かれたのを悟った。
「じゃあ…おかゆで良い?」
「うん。」
最初の印象とは裏腹に、冷めた雰囲気と気だるげなニュアンスの言葉選び。卵を割って、冷凍ご飯や調味料を鍋に放り、ぼんやりした表情でガスコンロの火を灯す。青い炎が、彼の横顔を照らし出し、私は真っ暗闇で一つの映画を見たように感じた。
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「はい…。」
「食べていいの?」
白い椅子、白いテーブル。ワンルームの片隅に置かれた一人用の空間に彼女を座らせて、俺は後ろに立った。目の前に湯気の立った鍋を置かれ、シュオは緊張したように俺を見ている。
「どうぞ。」
「ソラは食べないの?」
「まあ…今日は良いかな。」
後で何か…そう星屑でも食べればいいのさ。自嘲を込めて、窓から夜空を見上げたら、街の明かりであまり星が見えなかった。
「私が残したの食べていいよ?」
「残すの前提なんだ…。」
「うん。そんなに、食べれないから。」
「ふーん。」
壁に寄りかかって、少女の幼げな体躯をちらと見る。そんなものだろうか?
「早く食べなよ。」
「うん。」
レンゲを手に、あふあふと少し掬ったおかゆを冷まし、口に運ぶ。その様子を、薄暗い部屋で見ながら、俺はなんだか優しい気持ちが溢れた気がして、思わず笑みを浮かべた。
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暗闇は嫌いだ。恐怖が募る、知らなくていいことが頭にリフレインされる。呼吸は激しくなり、爪を剥いでも肌を嚙み千切っても、俺の心は鎮まらない。
「大丈夫?」
温かいご飯を食べたからだ。胃がグルグルして、視界も回る。床に座り込んだら彼女も隣に座ってきた。
「冷や汗出てる。体調が悪いの?」
「いや…。」
蹲っていたが、心配したような声に惹かれて、顔を少し上げた。シュオの瞳がすっと心に入る。吐き気が収まって、苦しいことに耐えた安堵から、途切れがちの呼吸を溢した。
「もう、大丈夫…。」
「そっか。」
深くは突っ込まない。少女の逸らした視線に居心地の良さを感じた。
「真夜中が好きなの。透明度の高い風は冷たくて、星々がワルツを踊り出す。」
「へぇ…。」
ぐったりとベットの淵に靠れる。俺の様子を、ちらりと見たシュオは、立ち上がってカーテンが靡く、窓の向こうを見つめた。
「この手が描くのは、均衡を保つ天秤座。そして、双子座のカストルとポルックス。」
「瞳の色を連星とする。愛らしい君は、有限の保護色を求めるだろう。」
俺は若干、ふらついている身体を立て直すと、少女に寄りかかって、その肌を撫で上げた。
「詩人だとは思わなかった。」
「違うよ、俺は…。言葉を操る芸術家じゃない。」
上質な質感に溺れたように、首筋へ口づけようとしたら、少女が嫌そうに俺から離れた。
「良いだろ?」
「あんまり良くない。」
機嫌を損ねてしまったようだ。それもそうかと、降参を示すように、両手をひらひら振ったら、シュオが訝しそうに首を傾げていた。
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星空は、有限の湖で造られている。バイオレットの花々が鬱蒼と、ピアニストを奏でる様相は、まるで一瞬の光景だ。
体調が悪そうに寄りかかってきた青年を押しのけ、私は夜風に当たって、涼むよう促した。
「そう言うのは…要らないんだよ。」
「じゃあ、何が良いの?」
吟声を渡るクジラか、将又臆病に夜を拒む真白のウサギか。出会ったばかりなのに、連想する単語は美しいものばかりだ。
「君は絵を描くんだよな?」
「そう…。」
この手が絵筆を掴めるようになった、その日から私は心のすべてを、目に貼り色彩の限りを、絵に込めてきた。それだけが、私の世界だった。
「何か見せて?」
「うん。良い…けど?」
スケッチブックを取り出す。青年は首の辺りで括った髪を邪魔そうに払って、白い椅子に腰かけた。
大きな葉を付けた、水を欲さない観葉植物が銀河の星々を吸い、キラキラと輝いている。
「はい。」
「…ヴェルメイユの世界。物理法則が損なわれ、失った王国を求める貧乏人。」
「捉え方が学者。」
「煩いなぁ。この男は、金の雨に討たれ、心を病みながらも、砕けた宝石で愛する人を描いてる。」
「…。」
きっと、この人も自分の世界を象徴する、何か色彩を持っているのだろう。けれど、私には妖精たちが降らせた祝福の雨に見える、この金色の絵画も。彼には、絶望に瀕した青年が救済を求める絵に見える。
「そうなんだね…。」
「え…ああ。」
この人を象る物は何だろう?小説、歴史、音楽、踊り、洋裁、化学、哲学、物理、この世にある表現の全て…数多の色彩に彼はどう近似されたのか…。
「教えて欲しい…な。」
「何を…?」
顰めた表情。なぜ、ソラという名の青年に、ここまで探求心を抱くのか?少し考えた末に、今出せた答えは、私が寂しさを感じているから…。という答えだけだった…。
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「ん…。眠い。」
「ああ…。いいよ、そこのベッドで寝ても。気にしなければ。」
「う…ん。」
眠気が襲い掛かる。ふぁっと欠伸をしたら、ソラは困ったような顔をしてから、ベッドを指さした。
「でも、貴方はどこで寝るの?」
「え…床?」
「それは良くないと思う。」
私は立ち上がると、画材道具の入ったトートバックを手に持った。
「自分のベットで寝るから大丈夫。」
「いや…。でも。」
「…?」
何か言いかけて、ソラは頭を振った。違うとでも言いたげに。けれど、私が玄関へと向かうと、後ろから来て、ドアを開けてくれた。
「まあ、隣の部屋だから…良いか。気を付けなよ、君ちょっと危なっかしい。」
「そう?」
私が首をかしげると、満天の星空が広がる空模様に視線を移してから、彼が言った。
「幾つなのか知らないけど、俺に付いてきちゃうくらいだし。」
「…私のこと何歳だと思ってるの?」
「え…十三歳くらい?」
私はそんなに、子どもに見えるのだろうか…。
「高一…十七歳だよ…。」
「…は?」
ソラの黒色に青色絵具を、少しだけ浸したような奇麗なスピカの瞳が驚きに見開かれる。
「え…ちっさくね?」
「…黙った方がいいと思う。」
逆に、彼は十三歳の子を真夜中まで引き留めて…うん…倫理観が欠如しているのかもしれない…。
「君も気を付けた方が良いと思う。」
「うん?」
隣人が犯罪者になるのは…ちょっと…。
「まあ…どっちにせよ、危ないから気を付けろよ。」
「そうする。」
見上げた空から、星屑のユートピアに設営された天体観測所の、優しい笑い声が聞こえてくる。絵筆を取って、キャンバスに描き込んだら、この夜はどんな情景になるだろう?ワクワクする感情、早く絵画で世界を綴りたい。
「じゃあ…またね。」
「ああ。」
私は彼に背を向けると、アパートの鍵を取り出し、ドアを開けて中へ入っていったのだった。




