14
わたしは同一班内の四人と相部屋だったが、エイコはそこにまで自分をねじ込んできた。
寝具をかかえて彼女がやってきたとき、わたしの他の三人の顔はこわばって、でも必死に作り笑いをして、
「じゃ、おまえでていってね」
とエイコにいわれた人は、わたしとすれ違うときに安堵のため息をついた。
そうして、二十四時間エイコといっしょの生活が始まった。
「親ってクソだよな。ってか大人ぜんぶがクソなんだよ」
彼女の話はたいていが誰かの否定とか悪口だった。
そうでなければ自分の武勇伝……何人と喧嘩して勝ったとか、そういう話だった。
「いい大人も、いると思うけど……」
ベッドに寝たままわたしはいった。
向かいのベッドのエイコは、いつもの悪そうな笑みを浮かべた。
「そりゃいるかもしれないけど、そういうやつはもはや大人じゃないんだよ。子供さ。体は大人だけど、ハートは子供なんだよ。ハートは」
やばい。この人がハートっていうたびに吹き出しそうになる。
しかもいい大人は体がでかいだけの子供なんだ。なんかニートみたいなのを想像してしまって、わたしの表情筋がやばい。
必死に堪えると、どうやらしかめっ面になるらしく、エイコが、
「ちひろ、いい顔になってきたねえー。ワルい顔だよそれ」
という。
「ま、まあ、うん、エイコに染まってきた……」
と苦しまぎれにいうわたし。
彼女は満足そうに話をつづける。
「……なんだろな。大人ってのはつまり、流されちゃってるやつらなんだよ。あたしのなかの定義ではね。で、強いやつってのは、流されないんだよ、大人でもね。そういう大人は、あたしも認めてやっていいかな」
オーナーの顔が頭に浮かんだ。
最後までわたしをかばってくれた彼……。
……エイコのいうことは、わたしとはちょっと、とくに言葉選びとかが違うけど、なんか……わかるところもあった。
「ちひろって親父ぶっころしたんだよな」
ある日、昼食時の食堂で彼女はいった。
どう考えてもこんなところでする話じゃないけど、まわりは誰もが気配を消してわたしたちの背景みたいに神妙に振る舞っていたので、わたしも問題なく「うん」といった。
「どうだった。殺したときの感じ。嫌いだったんだろ。スカッとしたか?」
「まぁ……うん」
嫌いとか憎いっていうのは、父親というより自分を縛っていた運命だった。
それを殺して自分を解放した……そんな感覚だった。
まぁ……『嫌いだったからぶっころしてスカッとした』で別にいいんだけど。
「刺した? 刺したんだよな? まさかおまえが殴って殺せるわけないもんな? ブスッといったんだ? 胸とか腹とかの肉を?」
「まぁ、そうだね」
わたし今、豚の生姜焼き食べてるのに、遠慮ないな……。
「殺したあとでちゃんと顔、殴ったか?」
「いや、さすがにそれは……」
「え、殴ったり蹴ったりしなかったの? いやまあ、素手とかで触れるのは嫌でも、こういう椅子使ってさ」
と彼女は自分の椅子を軽く叩いて、それから手を振り上げて、
「グワッシャ〜〜〜ッ! って。そうやって、死体でもいいから痛めつけたりしてやんないとさ、スカッとしないじゃん。プスッと刺しただけで終わりかよ。つまんねえ〜」
ひゃっひゃっひゃと笑うエイコ。
もう彼女のこのノリにも慣れてきたわたしが若干うんざりとしていると、
「なあー」
と突然顔を近づけてきた。
「マジで、やるときゃやんなきゃだめだよ。おまえの強さを示してやんなきゃさあ。敵はさあ、ちひろ……、全部、修復できないくらい、徹底的にぶっこわしてやらなきゃ……」
ふとしたときは幼くも見える彼女、
しかしそのときの笑みと、あぶなげな眼の輝きは、まともな人間のものではなかった。
足ががたっと震えた。
それを悟られたくなくて、もう会話は終わりでよかったのに、わたしは無理に言葉を返した。
「エ、エイコは……だれを殺したの」
「ん、知りたい?」
わたしは静かにうなずいた。
彼女は、わたしを試すようにじっと見つめて、
ふっと笑っていった。
「秘密」
「……」
わたしが何もいえずにいると、彼女は大声で豪快に笑って、「なあー、ちひろ、生姜焼き一口ちょうだい!」といってきた。
わたしがうなずくと、彼女はフォークでぶすっと刺して、それを口に運んだ。
*
夜中に目が覚めた。
そっとベッドからおりて、スリッパをはいた。
「ちひろ……? トイレか?」
エイコが眠たそうな声を出した。
「ごめん。おこしちゃった」
「いいよ。いっしょについてってやろうか」
「子供じゃないんだから」
わたしは笑った。
ひとりで部屋を出て、廊下を歩く。すり足気味に、慎重に。それでもコンクリートむき出しの壁は、かすかな音を反響させる。
突き当たりのトイレに着いた。
照明のスイッチをつけて、中に入った。
古いタイル張りのトイレだ。いくら掃除をしても染みついた臭いは消えないし、常に空気が湿っている感じがする。
エイコが、
「奥の個室はあたし専用なんだよ」
といっていたのを思い出した。
「そこが一番きれいだったからな。他のやつには使わせないようにしたんだ。あーでも、ちひろ、おまえは使っていいよ。ただしきれいに使えよ」
お言葉に甘えて、今回も使わせてもらうことにする。他の個室は冗談抜きに汚すぎるのだ。
「あたしはな」
エイコはこうもいっていた。
「学校いってたころからさ、奥の個室でしかウンコしなかったんだよ。そしてそこは他の誰にも使わせてなかったね。だってきったねえじゃん。他人のケツとかウンコとかさ。へっへっへ」
小さいほうもするだろうに、なんであわせて『トイレ』っていってくれなかったんだろう。その時わたし、まさにカレー食べてたのに。……わざとか。わざとだったのか。
「性格わるいよなぁ」
つぶやきながら、個室に入ろうと扉に手をかけた。
そのとき、一瞬、視界の隅をなにかが横切った。
ぞくりとした。
けれど、幽霊すらも倒してしまいそうなエイコの存在が、わたしに振り向く力を与えた。
タイル張りのトイレの隅。
そこに、うごめく真っ黒な影があった。
全身が冷えていく感覚に襲われた。
悲鳴もあげられずに、わたしはただそれを見ていた。
気がつくと、トイレの隅は、よく知ったタイル張りに戻っていた。
……寝ぼけていたのだろうか。
たしかに感じたはずの恐怖は、きれいに消えていた。
ただ、体の内側の寒気だけが残っていた。




