花火
「できたよ」
「ありがとう、流華さん」
鏡に映った自分の姿を見て涼は礼を述べた。普段括っている黒髪は後頭部で結い上げられ、顔を動かすと涼しげな色の玉飾りの簪がしゃらりと鳴る。化粧を施され、普段よりも大人びている自分の顔が彼女を見つめ返していた。
「こんな浴衣をもっていたんだね」
「奇見さんにもらったのよ。去年着る機会がなかったから今年ようやくね」
涼が身に着けている浴衣は夜色の布地に、白に青を一滴溶かし込んだ色の菖蒲が咲き誇っているもの。それに合わせた色の帯を直しながら合点がいったというように流華は頷く。
「さすがは奇見。涼のことをよくわかっているね」
「一番長く付き合いがあるから」
短くもたくさんの思いが込められた言葉は、涼を呼びに来た声に飲まれ流華に届くことはなかった。
ひょいっと顔を出した夏音は浴衣姿に目を輝かせる。
「あら、髪の毛結いなおしてもらったの?」
「うん、奇見って見かけによらず器用だよね」
「自分のことには無頓着なんだけどね」
風に流してる髪は綺麗にまとめられ朝顔の飾りが着けてある。普段とは違う髪型を褒めてやれば、照れながらはやくっと手を引く。
「特等席に行く前に、屋台もまわるんだから!」
「わかってるわ」
ひかれるままに玄関へと向かえば、浴衣と合わせられた鼻緒の下駄が用意してあった。少し手間取りながら履き外へと出れば男二人の顔があがる。待ちくたびれていたということが表情にありありと浮かんでいた。
「おまたせ」
「あぁよく似合ってるね、涼」
「……」
黒一色の浴衣に一応梳いたらしい髪をまとめた奇見が微笑みながら褒める。対照的に氷与はなにもいわない。ほんのりと赤くなっている顔からして涼に見とれているようだ。
「氷与君?」
「涼が美人すぎるから見とれているんだねぇ……ひっひひ」
「……奇見さんうるさいです」
「さて、行こうか」
戸締りをするから先に行っていてくれと告げると、夏音が氷与と流華の手を引っ張っても走り出す。
引き戸に鍵をかけ振り返れば、奇見が手を差し出していた。
「お手をどうぞ?」
「ありがとう」
澄まし顔に噴出さないようにして、手を乗せればひやりと冷たい指が絡む。エスコートするように奇見は歩き出し、涼はその隣に並ぶ。
風に乗って祭りの華やかな音や匂いが漂ってきた。
「見れば見るほど、似合うねぇ」
「あんまり見られると穴があいてしまうわ」
「あいたら塞いたげるよぉ」
「どうやって?」
「知りたいのかい? ひっひひ……」
からころと下駄を鳴らし、提灯の灯りをめざし二人歩く。喧騒が徐々に大きくなり、鮮やかな色の洪水も涼の視界を満たしていった。
「涼、あっちはみちゃいけないよぉ」
「わかった」
「つらいねぇ……」
何がとは言わないが、奇見の案じるような視線に苦笑をこぼす。大丈夫だと告げながら、色とりどりの提灯の下をくぐった。
それだけで、別世界に入り込んだように色と匂いと音がわっと押し寄せる。一度深呼吸をしてそれを受け止めると、歩く速度を落とし屋台へと視線を向けた。
「晩御飯は食べてしまったしねぇ」
「甘いものが食べたいけど、せっかくしてもらった化粧が崩れてしまうのは嫌だわ」
「ふむ、その鮮やかな紅が落ちてしまうのは某ももったいないと思うよ。かき氷は……氷の坊ちゃんに出してもらう氷で作ったほうがおいしいしねぇ」
「綿あめだったらちぎって食べれば平気かしら?」
「指がべたべたになるから、おすすめはしないね」
かけられる挨拶に返事をしながら涼は悩む。
何か祭り特有のものを食べたい。が、繋いだ手をほどきたくなく化粧が崩れることも嫌なので、これだというものが見つからない。
「あぁ、涼。飴細工屋がきてるよ、あれなら平気そうだから買ってきてあげよう」
「え、でも」
「買ってくる間、涼のことを頼んだよ。流華」
そういってするりと手を放して奇見は飴細工の屋台へと向かってしまう。ほんの少しだけ表情を崩せば、いつの間にか隣にいた流華がコロコロと笑い声をあげた。
「流華さんは何かたべたの?」
「食べてはないけど見てきたよ」
ほらと差し出されたのは、赤いヨーヨー。彼女が手を動かすと水音ともに上下する。白い手にそれがとても似合っていて、眩しそうに目を細める。
「二人は?」
「射的や輪投げを楽しんでから、先に行ったよ」
「早いわね」
「夏音が氷与を連れまわしているみたいだよ。行く先々で元気すぎる二人組が屋台を荒らしていったっていう話を聞くくらいさ」
「荒らすとは、穏やかじゃないねぇ」
二つの飴細工を片手に奇見が二人の元へと戻ってきた。
丸っこい金魚の飴を流華に、赤い菊の形を美しい飴を涼に手渡し行こうかと促す。
「特等席ってどこなの?」
「行ってからのお楽しみさ」
もらった飴の花弁をそっと唇で挟みながら問いかければ、あきれと笑いを含んだ返事が返される。流華の目がジッと赤い菊飴に注がれ、次に奇見へと向けられた。大変だねぇというつぶやきに、奇見はひっひひといつものように笑い、そんな二人の様子に涼は首をかしげる。
「流華さん、水瀬さんの所に声はかけてきたの?」
「きたよ。ギャーギャー文句を言われたけど、水ぶっかけて黙らせてきたさ」
「かわいそうに」
「あまり泣かせないほうがいいよぉ」
「私は好き勝手していたいからいいんだよ」
そんな他愛ない会話をし、飴細工を口の中で溶かしながら歩く。特等席とはどこなのだろうと思いながら、二人の案内のもと涼は進む。
三人と同じ方向に進む人々が増えてきた。その方向に花火を見るいい場所があるのだろう。
「あっ……」
「危ないよ、涼」
ドンとぶつかられよろめく体を奇見が支えた。人の流れが混雑になり、歩くスピードも必然的に緩まる。花火に間に合うだろうかと、眉をひそめているとくいっと腕を引かれた。
「なに?」
「こっちだよ」
反対の手も流華にとられる。二人は涼を捕まえたまま、するりと人の間をすり抜けていく。ぶつからないように気を付けて、はぐれないようにしながら涼は導かれるままに進んでいく。
「わっ!?」
唐突に人ごみから抜け出たので、驚きの声を上げた。人の流れていく道とは異なり、木々の生い茂る暗い道へと入っていく。
花火が始まる前に特等席へと向かうためか、急ぎ足で歩かされる。
「近道をするのさ」
「涼は人酔いをするだろう? 花火は少し遠くなってしまうけど、静かに見れる場所があるんだ」
「だからって、こんなところを通っていくの?」
整備されていない地面がむき出しの道を歩けば、小石や砂が下駄の中へと入ってくる。その不快感に顔を顰めれば、奇見が涼のほうを振り向きにやっと笑った。
「それなら、こうしようか」
「わっ!?」
ズイッと距離を詰められ、視点が一気に高くなる。奇見に抱え上げられた気づいた時には、既に彼は走りだしていた。ひょろりとした体躯だが涼を抱えて走ることは造作もないらしい。
対する涼は突然のことにどう反応していいかわからず、固まる。
「さぁ、ついた」
「あ、涼たちきたー!」
「遅かったですね」
「人ごみに揉まれかけたのよ、ちょうど間に合ったみたいだね」
暗い道から出たその先には夏音と氷与がいた。二人は屋台で買ったものをせっせと口に運びながら、こっちと手招きをする。
涼が抱え上げらていることに対しては何も言わない。真っ赤になっているからだ。
「き、奇見さん降ろして」
「うーん? このままのほうが見やすと思うよぉ」
「で、でも」
人が少ないと言ってもまったくいないというわけではない。ちらほらと見物客がいるのだ、さすがに抱えられままだと恥ずかしい。そう訴えても奇見は聞く耳すら持たない。
三人に助けを求める視線を向けても、夜空を見上げていて気づく様子もなかった。
「ひっひひ、観念しなよ」
「あとでひっぱたいてやる」
涼の小さな決意の言葉は、ヒュルルルと花火が夜空へと打ち上げられ大輪の花を咲かせる音によって飲まれた。
夜空一面を彩る花火は鮮やかな赤。それを囲むように小さな花火がいくつも打ち上げられていく。
流星を模した金銀の花火がさっと流れていき、堂々と咲き誇る大輪の花火、小さな花火は無数に打ち上げられ花束のように見えた。
「綺麗……」
「見事だね」
小さな呟きを拾い上げた奇見にうなずき返し、無数の花火を見つめ続ける。
すいっと流華が手を上げれば水の金魚がふわりと宙を舞い、夏音が指を鳴らせば心地の良い風が吹き始めた。氷与が柏手を打つと氷の結晶が現れ、花火の色を反射する。
「これが、特等席さ」
「ほかの人に気付かれない?」
「某がいるからね」
その言葉に視線をめぐらせれば、涼たちの周囲からは人の姿が消えていた。ならば安心だとホッとする。
水の金魚が氷で作られた水草の間を縫うように泳ぎながら花火に染まり様々な色になり、涼しい風は髪と簪を揺らし、祭りのにぎやかな音を届ける。
そして夜空には大輪の花火が。
「今後も世話になるからね」
「これだけじゃ、お礼にならないけど」
「涼さんにだけ特別に見せられる光景です」
「気に入ったかい?」
四人の言葉に涼は花火に負けないくらい美しい笑みを浮かべた。
「もちろんよ。ありがとう」
楽しげな風物詩達の化身に囲まれ涼は思いをはせる。
今年の夏もにぎやかで楽しく過ごせるだろうと。
それにこたえるように、一際大きな花火が咲き誇った。
全六話、お付き合いいただきありがとうございました!




