怪談
「そういえば、涼さんはあんまり驚きませんよね」
氷与の唐突な言葉に涼は首をかしげた。
来訪した歓迎も兼ねた夕飯に使用した食器を洗いつつ、続きを促す。
「初対面のとき」
「あぁ、そういうことね」
短く告げられた言葉に納得がいったように微笑み、止めた手を再開させる。
氷与と一緒に食器の片づけをしていた夏音は説明を求めるように丸い目を向けてきた。言葉よりも雄弁に語っている視線に苦笑をこぼす。
「氷与君が言ったのは、みんなと初対面の時、正体を教えられても私が驚かないってことよ」
「そう」
「たしかに。涼は私が何かって説明をしても『あら、そうなのね』の一言でのほほんと受け止めちゃったわ」
「前から不思議に思ってた」
洗い終わった食器を氷与に、拭き終わった食器を夏音にと流れ作業を行いながら、涼は笑う。その表情には懐かしむ色が浮かんでいた。
目を細めるようにして笑い、シャツがぬれることも構わず自分の胸に手を当てる。
「一番最初の人が衝撃的だったからよ」
「衝撃的?」
「出会いも正体もびっくりしすぎゃってね。あの衝撃を上回ることがないから大して驚かずに受け止めているのかもしれないわ」
「拒絶されるのは嫌だけど、あまり驚かれないのも張り合いがない」
珍しくブスくれる氷与に思わず声を上げて笑う。なかなかおさめる事が出来ずにいれば、さらに膨れる氷与。それがおかしかったのか夏音も笑った。
「ごめんなさいね。あの人との出会いは本当に衝撃的だったの……よくも、わるくも、ね?」
笑いを引っ込め少し低い声で呟いた涼に興味をひかれたのか、二人がじぃっとねだるような眼差しを向けてきた。
残りの食器に手を伸ばしどうするか考えたとき、彼女は小さな物音を聞いた。
二人を見下ろすが、気づいた様子はない。
「……わかったわ」
くすりと小さく笑みをこぼして廊下のほうに視線を向け、小さくうなずくと彼女は話し始めた。
表情を消し、声は低く、口調は淡々と、まるで怖い話をするように。
「あれは私が小学生のころ。祖父母にねだってここに一人で泊まったの。その日はとても暑かった、クーラーをつけっぱなしでも夜中に喉が渇いて目が覚めるくらいに」
水切り桶の中で皿がぶつかり合う。水道からは水が流れ続ける。それらの音は涼が話し始めると小さくなった気がした。奇妙な空気が漂い始めたことに気付いた二人は、小さく体を揺らしつつ続きを待つ。
「台所は廊下を通ってすぐだったから、祖父母を起こさないようにして一人で」
涼の黒い目が廊下へと向けられ懐かしむように細められる。
ギィ……、と軋むような小さい音がした。
「月が出て明るいはずなのに廊下は真っ暗で、ぺたぺたと自分の足音だけが響いていた。まるで闇の中を歩いているような気分になったわ。二度と布団の中に戻れない気分にもなった。廊下の空気はぬるりと暑く湿っているのに、鳥肌が立って歯がカチカチなるほど恐ろしかった」
涼の声がさらに低くなる。ギィ……というさっきよりも大きな音がした。
夏音と氷与の目が同時に廊下へと向けられる。が、なにもいない。流華は居間でまどろんでいるので、こちらへ来ることはない。彼女が歩くときは独特の足音がするのだが、今はそれがない。
じゃあ、なんだという思いが二人の心に浮かびあがり、そっと身を寄せ合う。
気づかないのか、気づいていても指摘するつもりはないのか、涼は淡々と言葉を紡いでいく。
「それでもここは、おじいちゃんとおばあちゃんの家、怖いものなんて何もないと言い聞かせて台所についたわ。パチッと電気をつけて、少し暗かったけど昼間と変わらない風景があってほっとした」
すべて洗い終えた涼は手を拭きながら二人のほうに体ごと振り向く。うっすらと笑んではいるが、目に光はなく硝子球のようで、無表情と相まって彼女が人形のように見えた。
いつも朗らかに笑っている涼とは対照的なその姿に、二人は顔色を青くする。
涼の話は続く。
ギィ……ギィ……という音が徐々に近づいてきていた。
「コップを取り出して、蛇口をひねって水を注いだ。喉が渇いていたからごくごくとたくさん飲んだの。全部飲みきった後に、気付いたわ」
「き、気づく?」
「そう……誰かがに後ろにいるような気がしたの。気づいた理由はね、背後で呼吸音を聞いたの。ギィ……と廊下を歩く音もね」
ごくんとつばを飲み込む音が響く。夏音と氷与は涼の放つ雰囲気に飲まれて抱き合った。それでも、やめてと言えないのは自分たちから言い出したことだからだ。
「この家にいるのは私と祖父母だけだと思っていた。どっちかが、布団を抜け出した私の様子を見に来たんだと思って」
そして、私を意を決して振り返った。ゆっくりと涼の言葉が滑りおちた。
同時に二人を見つめていた黒い目が動き、背後へと注がれる。ぴたりと固定された視線、閉ざされた涼の口から続きは語られない。
二人を視線を交わし頷きあうと、振り返った。
同時に涼の言葉が放たれる。
「そこには……」
夏音と氷与が振り返った先には、ぼろぼろの黒い着物をまとった骸骨のような男がいた。
伸ばし放題の黒髪は絡まりあい、跳ねまくりまるで羽のように背中を覆っている。
顔半分を覆う前髪からは目をうかがうことはできず、三日月のような笑みを浮かべた口元からはのこぎりのような歯がのぞいていた。
骨のように白く細い両腕が伸び、それぞれが二人の肩へと乗せられる。
硬直して動けない二人へと顔を近づけた男は、奇妙な笑い声とともに言葉を発した。
「ひっひひひ……ひぃさしぶりだねぇ」
「真っ黒な、奇見さんがいたのよ」
いつもの朗らかな雰囲気に戻り、呑気な口調の涼の言葉を遮るようにして二人の口から絶叫が飛び出した。
その声に流華が飛んできたのは言うまでもない。
「ひっひひ、いやぁ、いい声だった」
「……奇見さん大丈夫?」
「なぁにが?」
「流華さんに、思いっきり背中叩かれたでしょ?」
「うーん、力が強くなっていたね。まだひりひりするよ」
涼と奇見は縁側に並んで腰かけていた。
あのあと、流華に何があったかを説明して二人は説教されたのだ。
涼はねだられたからと言い、奇見は自分の話をしていたから呼ばれたと思って説明をした。手加減をしなさいと、涼はでこぴん、奇見は頭に手が届かないので背中をたたかれた。鳩尾ではなかっただけましらしい。
夏音と氷与は流華にしがみついて涙目になっていた。
いつもと違う雰囲気と、突然の登場が相当怖かったらしい。三人そろって今日は寝ることになり、流華の左右にくっついて今頃夢の中だろう。
「良い月だ。涼と初めて会った時もきれいな月だったね……ひっひひ」
青白い光を投げかけてくる月を眩しそうに見つめ、涼はそうねとうなずく。そんな彼女に顔ごと視線を向けた奇見。前髪の隙間から青白と朱、二色の火の玉がちろりとのぞく。
「でぇも、涼は叫ばなかったね。それどころか、誰? と聞いてくるくらい肝が座っていた」
「あの時は、驚きすぎて呆然としていたし、反射的に口をついただけよ」
当時を思い出して恥ずかしくなったのか、つんとそっぽを向く涼。逸らされた視線を追いかけるように、奇見が顔を覗き込む。
「叫ばなかったから、某のほうが驚いたよ」
「ぽかーんとしてたわね」
「某の風体に驚かなかったのは、後にも先にも涼くらいだろうね」
「そうかしら」
近すぎる顔を片手で押しのけて視線を庭へと投げかける。それでも懲りずに青白い顔が覗き込んできた。にやっとした笑みは引っ込み、優しげな微笑みが口元に宿っている。
「うれしかったんだよ? 涼以外は某を見ると叫んだり、おびえたりする。某だと認知するとそれは引っ込むが、傷つくんだよねぇ」
「よく言うわ。驚かせたり、怖がらせたりするのが好きなくせに」
「よくわかっているね」
ひっひひと、独特の笑いをこぼしながら涼がいれた茶を飲む。ごくりと真っ白な喉が動いた。二色の目が動き、涼をとらえる。
「間に合ってよかったわ」
「待たせてしまったね。……某が来ないと、涼は夜の外出はできないから」
涼の表情がこわばる。本当によかったわと、小さく続けられた言葉に奇見が動く。手を伸ばし、細い肩を自分のほうへと抱き寄せた。
「いい知らせだ。一週間後の花火を見ることはできるよ」
風が吹き、奇見の前髪を揺らされ現れる二色の眼。が、それはすぐに隠されてしまう。ぽっと燃え尽きるように。
涼の表情に笑みが咲いた。
「本当に?」
喜びを隠しきれない震える声音は夜気を震わせて広がった。それをすべて受け止めるようにゆったりと頷いた奇見はただし、と続ける。
「某から絶対に離れてはいけないよ」
涼の小さな手に奇見の骨ばった指が絡み、真剣な声音が落とされる。
「連れて行かれてしまうからね……どこにとは言わないが」
「わかってる」
「ならいい、一週間後の花火が楽しみだ」
きゅっと手を握る指に力がこもる。その瞬間、涼の全身がぽうっと青く輝いた。
それに気づいて、涼はあらあらと笑う。
「忘れていたよ、これをするの」
「私も忘れていたわ」
「浴衣着るのを忘れないでおくれよ、某が贈ったね」
「はいはい、わかってるわ」
吐息が交わる距離で笑いあい、二人は同時に夜空のほうを向く。
「花火楽しみだわ」
星がちりばめられた空に、一週間後に咲くであろう大輪の花を思い描いた。




