第三話(2)
「サトザクラっていう種類の桜なんだって」
莉緒が通ういつもの大学付属の病院。
その外来で受付した俺たちは、思春期外来の診察室に通された。
思春期外来っていうのは、この病院では心療内科の一部門らしいのだけど、つまるところ、莉緒の修学旅行事件以来の、心の部分の相談場所だ。俺が同席したのは、初めてのはずだ。
「花とかってさあ、人の気持ちを癒すじゃない? なんとなく私もね、仕事柄ちょっと調べたりね。ちなみにあの公園にあるのは関山っていう品種。もこもこしてボリューミィでかわいらしいでしょう?」
診察室で莉緒があいさつした相手は女性で、長谷川と名札にあった。
莉緒から世間話を振るくらい打ち解けている様子は、俺としてもうれしいものだった。あの事件以来、この人が担当してくれてたって、莉緒が紹介してくれた。うむ、どこかで会ったことがあるような。まあこの病院は初めてじゃないしな。
「じゃあ、莉緒くんはいつも通りで悪いけど、身体測定を受けて来てもらって」
長谷川医師は、隣に控えていた女性看護師にうなずくと、その看護師が莉緒を案内していった。莉緒も迷いがないので、診察室のレイアウトには慣れているのだろう。
「兄さん、あとでね」
小さく手を振る。そんな仕草を、周囲に対して隠そうともしない。莉緒はこの環境に対して、心を許しているのだ。看護師も顔見知りみたいだし、莉緒が心を許せるなら俺も安心だ。
俺と長谷川医師は、莉緒が診察室から出ていくのを見送る。
後ろ姿が消え、がちゃん、と手動のスライドドアが閉まる。少し重めの滑らかな扉は、防音もしっかりしていそうだ。
診療室は、白を基調にした清潔な部屋で、観葉植物が緑の色を少しだけ空間に色付けしていた。
パソコンや電子機器の類はなく、せいぜいタブレットくらいで、長谷川医師が脇に置いているのはノートとシャープペンシルだったけど、彼女はそれすら手にする様子はない。
陽の光が窓からふんだんに採り入れられていて、和室だったらごろんと行きたいところだ。
圧迫感のない、穏やかな空間だった。
「さて、ようやく会えたというべきかしら……でも、念のため、お名前を伺っていいかしら。ほら、カウンセリングは患者のプライベートなことを話すから、身元確認というか、相手を間違えないためね」
そう言いながら、彼女は白衣のポケットをあちこちまさぐって、ようやく内ポケットから一枚のカードを探り当てると、ああ、あったあった、なんて呟きながら、片手で差し出す。
それは名刺だった。
「私は長谷川結衣。歳はナイショ。この病院の心療内科と思春期外来の医師よ」
俺が名刺を受け取ると、長谷川医師は、ちゃっ、と小さなレンズの眼鏡を押し上げながらも、レンズ越しに強めの目線で俺を見据えていた。
雑に括っただけの長いポニーテールに、化粧っけのないが肌艶のよい医師は、もし学校の保健医だったら人気だろうな……って、やっぱり見覚えがあるな……。
「ああ、思い出した? うちの病院、青陵学園の保健医の派遣もしてるから。体育祭とか、たまにいるわよ。いやあ、君が莉緒君をお姫様抱っこしてきたのは、ハイライトだったぁねえ。いやあ、私立の学校ってすごいのね。あたし公立だったからさあ」
あはは、なんて笑いながら明るく説明してくれる。ようするに、莉緒はすごい大人の力で守られてきたのだ。なんだか、自分の力がちっぽけ過ぎて、恥ずかしくなる。
頭を掻きながら、長谷川医師の質問に立ち返って俺は答えた。
「葉月莉緒の兄で、葉月春詩、十八です」
「明快明快♪ ありがと」
長谷川医師は組んだ足を降ろして伸びをした。まるで猫だ。やっと会えたー、なんて俺を無視したような感動を表明している。
「さぁて……何から聞こっかな」
なにか舌なめずりしているようなセリフ。舌なめずりは、実際にはしてなかったけど。
「あなたにとって、弟くんは、莉緒くん? 莉緒ちゃん?」
その質問は、俺の胸を鋭くえぐった。
質問の意味を、俺が理解したと判断した長谷川医師は、それで十分と考えたのか、俺の答えを待たずに話をつづけた。
「うーん、そうね。ごめんなさい。ちょっと私の高揚感が突っ走りすぎたわ」
先生は、ひと呼吸おいてくれたので、俺も疑問というか、反撃をする余地ができた。
「そうですね。俺は今日、なんで呼ばれたんですかね。質問も意味不明です」
「ふんふん、そうくるかあ。噂通りだねえ」
いったい誰の噂だ。ちょっと俺は不機嫌になりかけていた。
「今日はね、まず、お礼というか賛辞を伝えるのが第一の理由」
つまりお褒めの言葉をもらえるというのか。そんなもの警戒心しか湧き出てこないのだが。
「君とは一度会いたいと思ってたんだよ」
彼女は腕組みをして、過去を振り返るように目を閉じた。
「よくぞ、あの子を守ってきたね」
再び目を開いた長谷川医師が口にした言葉は、端的だが俺にとって最高の誉め言葉だった。
「君たちご家族の心労は計り知れない。でも、私たちも当初から莉緒くんを診てきたからね。莉緒君くん回復ぶりは素直にうれしいのよ。そして、君が果たしてきた役割も知ってる……だから、家族である君に言うのはおかしいかもしれないけど伝えたい」
先生は微笑んだ。
「ありがとう」
最初の警戒心もどこへやら、俺は少し面映ゆくなって目線をそらした。長谷川医師の純粋な感謝の気持ちと表情は、しかしそこまでだった。
「それでね、いっちばん最初の質問に戻るわけよ」
俺は鼻白んだ。
俺にとって、莉緒ちゃんなのか、莉緒くんなのか。その質問に、胸がぞわぞわする。
「ね」
長谷川医師は肩を組んできて囁く。彼女の距離感は壊滅的だ。いや、これが彼女のカウンセリングの手法なのか? いや待て、俺は彼女の患者ではない。
「ね、あの子、最近女の子らしくなったと思わない?」
そんなことは……と、俺は目をそらす。
「うっそ、わかってるくせにぃ。すごいいじらしくて、お姉さん、きゅんときちゃう。ほんとにわかんないの? じゃあさ、この写真みて」
彼女は自分のスマホを取り出して、画像を開いた。彼女自身の自撮り写真だが、注目すべきは彼女と一緒に移っている少年……あれ? 莉緒だ。写した時期は、例の修学旅行直後の日付から、年月をまたぐように何枚も。
そこに映っている莉緒の姿は……。
あれれ? 今と比べて、少年っぽい。
最初は笑顔もない。冷たい表情だ。当たり前だ、あんなことがあった直後だ。
そのあと、徐々に表情が柔らかくなる。そんな莉緒は、美人の素質はあるって感じはするけど、今と比べるともう少し美少年寄りというか、男らしさもある。次々と先生はスマホの画面をスライドしていく。
そして、直近の写真を先生は画面に出した。
「もちろん、普通に成長した変化もあると思うけど……いまはね、女の子として、好きな人を意識してるの。不思議とそういうのは気持ちも影響するから」
スマホの画面に映るりおは、固いけど先生のスマホに向かって笑顔だった。これよりもっと素敵な笑顔ができることを、俺は知っている。
「ね? どう? どう思った?」




