第三話 サトザクラと長谷川結衣 (1)
俺たち三年一組の教室は、校門前の坂と、昇降口からグラウンドへの通り道がよく見える。
どこかのクラスが体育みたいで、体操服姿の男子たちがぞろぞろグラウンドに集まり始めていた。
男どもに興味はなかったが、
「葉月!」
莉緒がいるなら話は別だ。
さわやかイケメン、四条クンが莉緒に声をかけている。
「朝、一緒にいたのって、お兄さん?」
「うん、そうだよ」
教室の窓のほぼ真下を通過するタイミング。二人がそんな話をしていたのは聞こえた。さすがにそのあとは聞き取れない。
イケメンくんか……。
体操着の、長袖の上着を羽織る莉緒。少し大きめの上着で体の線を隠しているけど、ちょっと最近それも限界がきている。線の細さと、柔らかそうな肩の丸さ、何より胸のふくらみは、気をつけの姿勢をすると主張するようになった。
莉緒の身体のことは、なんとなく周知されてしまったから、過敏に隠す必要はないのだけど、いらぬ刺激は避けたい。
俺は気が気でない。ほら、授業が始まって、二人ずつペアになって柔軟体操だなんて、そんな指示を出すなよ。莉緒たちの体育教師は誰だよ。
「葉月」
ぺこん、と出席簿でたたかれた。
「お前は体育じゃなくて俺の授業を聞いてくれ」
五味渕に嘆かれる。教室のみんなが笑った。一服の清涼剤になれてなによりだ。しかし、すまない先生。俺には兄としての務めがあるんだ。
ほんと、窓際の席でよかった。
莉緒のペアになっているのは四条クンみたいだ。
遠目だけど、こんなときの俺の視力は二・〇だよ。
莉緒がぺたんと地面に座って、その背中を四条クンが押している。
優しく押せよ、男子が力任せになんてダメだかんな。
そこへ、きゃあきゃあと姦しい女子の体操着の集団がランニングで通りかかった。
「あれ、四条くんと葉月くんじゃない?」 「すっごい理想的なカップリング!」
「どっちが受け?」 「なによそのBL脳」 「いいじゃんー」
「普通に考えたら葉月受け」 「なるほど、四条受けで意表を突くか……」
姦しいのが下を通過していった。体育館から校門を通って指定コースをランニングのパターンかな。
っていうか、うちの学校は腐女子がそんなにいるのか。
「四条くーん」 「葉月くーん」
普通に声援を送る女子もいて、なんかほっとする。
呼ばれた二人も手を振り返しているので、俺も手を振っておいた。
ぺこん。
「葉月、そろそろ黒板を見てくれ」
次はさすがにクスクスと、教室の笑いも控えめ。
「うぃす」
俺は決意表明がわりに、窓のカーテンを閉めた。
首は黒板のほうに向いたけど、頭の中はグラウンドの様子でいっぱいだ。
いや、もう三年だし、ちゃんと勉強しなきゃいけないんだけどな。ほんとの話。
背中を押したり押されたり、手を引っ張りあったり、背中合わせに互いを持ち上げたり。
ペアを組んで、イケメンの巧みなコミュ力で打ち解けて、俺の知らないところで二人の登下校が始まり、いつしか二人は……。
莉緒は学園祭のときに、自分は男だから、って丸尾くんを振ったけど、ほんとのところは、よくわからないって言っていた。ひょっとしたら、普通の女の子みたいに、ああいうイケメンを好きになっちゃうことだって、あるのかもしれない。
問題は、相手が莉緒のことを好きになってくれるかどうか。
あんなに綺麗でかわいい莉緒だ。けど、間違いなく医学的に男。莉緒の心が、女の子になることを選んでも、どうしようもない事実。
ちゃんと、莉緒のことを好きになってくれるやつが……いや、やっぱり男とは限らない、相手が女の子で、莉緒が男として好きになるってパターンもある。
どっちにしろ、莉緒のことをちゃんと大切にしてくれるだろうか。
そのとき、俺は……。
あの画像を再び流出させた犯人は、いまだわかっていない。修学旅行のとき、俺にメッセージを送ってきたのと同じだ。誰が、どのようにして行ったか、わからずじまい。
あの画像を見て、面白半分に莉緒を持ち上げている男子なんて、俺は許せない。
いかん。自分の気持ちが暗い方向に行くのを、俺は改めた。
こういうときは授業だ、授業に集中しよう。
そうは思えど、中身はさっぱり入ってこなかった。ごめん、先生。
その日の放課後、俺は教室を出るところで待ち伏せにあった。
「葉月先輩。今日は何も言わずに、リオくんに付き合ってください」
俺が廊下に出ると、桐原理々香が仁王立ちで立ちふさがった。
「センパイが休むって、真白会長には伝えてありますから」
杉山柚羽もぬかりない。
「ご、ごめんね、兄さん」
カバンを手にして帰り支度も万端の莉緒が、上目遣いに俺を見る。上目遣いっていうのは、いうなれば、叱られるのを恐れて縮こまった子供が、首をすくめたまま様子を窺っている姿だ。あまり、そんな風にさせたくはない。
「別に、俺もそのつもりだったから……何でも言っていいんだぞ」
「うん」
なんだか嬉しそうな莉緒を隣に、俺は昇降口を出た。理々香と柚羽がひらひらと手を振っている。
道すがら莉緒に聞いたところによると、いいから帰りがけに俺をとっ捕まえて、一緒に行ってもらえ、ということになったらしい。
「今日は何で俺なんだ?」
「カウンセリングの先生が、会いたいって……」
最近、ハキハキ喋ることが多くなった莉緒が、今日はずいぶん引っ込み思案だ。まあ、誰にだって言いにくいことだったり、そうでないことだったり、いろいろあるだろうからいいのだけど。
ちょっと時間が早かったので、駅近くまで歩く。バス通りではなく、住宅地を抜けてショートカット。
春の陽が心地よい。
近道をするつもりで、でも適当に歩いたから、知らない道をこっちかな、なんて二人で相談しながら歩くのは楽しかった。
「そういえば兄さん、僕らが体育のとき、教室から手を振ってたでしょ」
気づいてたのか。ういやつ。
「先生に叱られても知らないから」
くすくすと莉緒が笑う。この笑顔があれば、五味渕にいくら怒られてもへっちゃらだ。
その笑顔に対して、俺の中で湧き立つ気持ちが、どうにもわからない。
途中、小さな公園に遅咲きの桜が花びらを舞い散らせていて、俺たちはゆっくり見上げた。
そういえば、『ういやつ』って、愛いやつって書くんだよな。
「へえ、あの辺歩いてきたのかあ。よかったじゃない。ちょうど見頃だったでしょ。私のアパート、その辺なんだよね」




