第七話(6)
「ううん、よく知らない男の子だし。わたし、好きなひと、他にちゃんといるから」
りこはそう言うと、顔の前でごちそうさまと手を合わせて、祈るような瞳を見せた。
ゴクン!
熱いままのお茶を飲み下して、俺は悶えた。
「あらあら。いつか紹介してね」
「うん、いつかね」
のどの熱さが引いていくのを待って、俺は口を出した。
「別に、まだ彼氏ってわけじゃないんだろ」
「うん……」
りこの表情は、ほんの少しの笑顔と、あきらめを精一杯覆い隠そうとした儚さを浮かべていて、らしくなかった。なんというか、少し前の莉緒のように、切ない綺麗さがそこにはあった。
大きなため息を、密室となった保健室に吐き出していた。
「なあに、そんなに女医さんと面談するのが嫌だったの?」
「いや……貴重なご意見、待ってますよ、先生」
そう返す俺の隣で、理々香が腕組みして黙りこくっている。
さらにその隣。
「せんせい~。私も混ざっちゃいましたけど、ほんとによかった?」
「はいはい、柚羽くん。理々香くんと同じく莉緒くんの親友とあらば、オッケーでしょう」
というわけで、保健室には保健医の当番でやってきている心療内科医の長谷川結衣先生、桐原理々香、杉山柚羽、それから俺の四人がひざを突き合わせていた。
「まず、いまの莉緒くんって、どんな状況?」
俺は理々香を横目で見た。
理々香がじとっとした目で、俺に視線を投げ返してくる。
俺は反対の柚羽を見る。自分の出番じゃないと柚羽は手と首を振って発言を拒否。
「ああもう、分かったよ……」 「当然です、先輩がリオくんを大事にしないから」
セリフを思いっきりかぶせられた。
咳払いして俺は説明した。
「りおと、ケンカしたんだ。ここのところ、ほとんど話をしてない」
莉緒の気持ちがわからない。
そう付け加えた。
「本気で言ってるんですか?」
理々香があり得ない、という勢いで横から言うのを、長谷川先生が制した。
「どんなふうにケンカしたの。莉緒くんは、君になんて言った? どんなふうに怒ってた?」
「兄さんは分かってない、って。めずらしく怒鳴ってた。りおがあんなに声を上げるなんて……」
以前、理々香と柚羽に、莉緒と四条クンのことを語った時のように、俺は順を追って話した。
「それで? 莉緒くんが他の男の子を好きになっちゃったと思ってるの? だからお兄ちゃんはヤキモチ焼いてるわけ?」
長谷川先生らしいストレートな物言い。
「ふむふむ。それって……」 「嫉妬ですよねえ?」
柚羽が長谷川先生にかぶせる。
「あらら。こりゃあ、この二人がいるなら、私の相談は必要なかったかな!」
あはは! と長谷川先生は笑った。
自分が人に説明するために、状況を言葉にする。それを二度繰り返すだけで、自分でも恐ろしいほど、状況を言語化した自分自身に、理解が突きつけられる。
俺は四条クンに嫉妬しているのか。
「ざっと聞いても判断材料は出そろってるみたいだし、あとは君が自分の気持ちを認めて、どう決めるかじゃない?」
嫉妬と、そのもととなる気持ちを認めろと?
俺はいつの間にか、自分の膝の上にある手の、さらに先の保健室の床を眺めていた。
「ふ~む。君にもカウンセリングが必要みたいだ」
でもそれは次の機会に。そう言って、長谷川先生は俺だけを保健室の外へ促した。
「春詩くんは先に戻ってヨシ」
保健室の扉の外は、薄暗くがらんとした廊下が静まり返っていた。
「先輩は頑なすぎるんです」
戸口へと俺の両肩を押す長谷川先生の背後から、理々香の声が聞こえる。
『頑なな理由は、お兄ちゃんなら仕方ないよね』
長谷川先生は、そう俺の耳元に囁いて、保健室から送り出したのだった。
◆◇◆◇◆
葉月先輩が保健室からいなくなった後、私と柚羽は女子会のあらましを長谷川先生に話すことにした。
長谷川先生は、心療内科の担当医としてリオくんを診てきたという。おちゃらけた部分はあるけれど、葉月莉緒くんという個人に誠実に向き合っているのはわかった。
「そっか……莉緒くんは女の子であろうと決めたんだね」
それはあくまで、葉月先輩に対しての気持ちの上でのことだけど。
さすがだ。ずっとリオくんを診てきた長谷川先生は、私たちの説明ですっと状況を飲み込んでいたのだった。
彼女の口から漏れ出たセリフは、実にしみじみとした声だった。
「それで、君らは一生懸命、春詩くんの尻を叩いてるわけだね」
「んーっと、叩いているというか、リオくんのためだもんねえ? 理々香ちゃん?」
「そうね。先輩も、前はもっとどんと構えてたのに」
なんだかわからないが、私はいまの葉月先輩に不満なのだ。
「まあまあ、春詩くんもねえ。がんばってきたんだよ。ちょっとポイント回復のために、春詩くんを褒めておこっかな」
長谷川先生は女子だけ内緒ね。と、秘蔵のココアを入れてくれた。
三人で紙コップのココアを口にすると、先生は続けた。
「葉月兄妹は地方から転校してきたの。知ってた? まだ小学生でも微妙なお年頃を迎える年代には、前途多難だったみたい。それでも、無邪気に過ごせたのは兄さんのおかげだって、莉緒くんは言ってたわ。莉緒くんには、まあ修学旅行の事件はさておき、春詩くんが入院一歩手前のケガだらけになった事が、鮮烈に記憶に残ってるって話してたわ」
そういえば、先輩の手の甲には、何かの傷跡があったっけ。口に出したことは今までなかったけど、あれもそうなんだろうか。
「それだけじゃないのよ。目に見えないとこでもね。心療内科の人間として言えば、莉緒くんの心的負担をやわらげるために奮闘していたのは、お兄ちゃんなのよ」
そうか。そうなのだ。出会った頃の葉月先輩は、リオくんのことについては、どんと構えていて、こうと決めたらその意志を貫く強さを感じた。
いまは、うじうじしてカッコ悪い。
「そうなんですねぇ。リオくんがキスされてセンパイに女の子にされちゃったのも、そういう下地があったからなんですねぇ」
ん? 柚羽のセリフに私は我に返った。
「ナニソレ?」
長谷川先生は、大好物でも発見した猫みたいになっていた。




