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第七話(4)

 桐原理々香、高校二年生。私がこの歳になって、男子と手をつなぐなんて。そんなことがいまだかつてあっただろうか。

 正直なところ記憶を遡っても思い当たらない。たぶん、遠く幼稚園くらいまで遡らないと……あ、リオくんは男子なのだった。こういう認識から外れるあたり、やっぱりリオくんは私らの頭の中で自然と女子という扱いになっているのだ。

 先日の急な雨の中、私が自ら手を引いたリオくんの手と、いま私を引っ張る先輩の手は、やっぱり違う。私の手より大きくてごつっとした手が、私の手を包んで力強い。

 先輩は、本部テントで私を椅子に座らせると保健委員を探した。保健委員の女子は救急箱を持って来てはくれたものの、どうしたらいいかわからないみたいだ。まあ、実際にケガの手当てをしたことなんてないのかもしれない。

「すまん理々香、いいか?」

 こくんと、私は頷き返す。

 葉月先輩は体操服の長ズボンの裾を膝までめくり上げた。

「痛っ」

 思わず声が出る。すでに乾き始めた傷に布地が張り付いていたようだ。

 私の膝は、一部分だけ打ち身で青くなっている。そのすぐ横の、皮がめくれて血が出ている部分がどちらかというと痛みの元だ。

 保健委員の女子が痛そうな顔をした。痛いのは私なんだけど。

 葉月先輩は、もうその女子をあてにしていない。救急箱を開いて、用品を見繕っている。

 ピンセットと脱脂綿と消毒液を並べる。

「手馴れてますね」

「男って擦り傷とかいくらでもするだろ? 自分の手当てとか、莉緒とりこのケガを手当てしたり……ケガはりこが多かったな」

 先輩は、しみるぞ、と宣言。

 ペットボトルの清潔な水で傷口を洗う。

 私は声を出す代わりに目を見開いた。

 傷口に汚れが残っていないかを、先輩はのぞき込んで確認すると、次に、たっぷり消毒液のしみた脱脂綿をつまんだピンセットで、傷をちょんちょんと消毒した。

 ちっちゃい傷なのに、なんて痛いんだ。

「先輩、痛いです。優しくしてください」

「しみるって言ったろ」

「予告されたって痛いですよ」

「しっかり傷の汚れを落としたほうが治りも早いし、きれいに治るから」

情報源(ソース)は?」

「俺とりこの人体実験」

 なるほど。この兄妹のうち、リオくんはウカツなケガはしなさそうだ。

 消毒を終えると、傷にあてる用品を先輩は探した。目当てのものが無いらしく、仕方ない、と滅菌ガーゼを当てて医療用テープを貼って押さえてくれた。

「ガーゼは傷に引っ付くから、風呂に入るとき濡らしてふやかしてから剥がすといいぞ。どうせ傷を綺麗にして何回か手当てしないといけないから」

 それも実体験なのだろうか。

「はい」

「ほかに痛いとこないか?」

 そう聞かれて、私は左手をぐーぱーとしていた。先輩に握られたのとは反対の手だ。転んだ時に地面に手を突いたのだが、痺れているのかな?

 その動作を見た先輩は、照れもへったくれもなく私の左手を掴んだ。

「いたた」

 痺れた手が、握られると痛みを発して体の持ち主である私に異常を知らせる。

「打撲かな……湿布しとこう」

 先輩は器用に、手の動きと形に合わせて湿布に切れ込みを入れると、これもテープで上手に固定してくれた。

「ほんと、馴れてますね」

「ん。自分に貼るよりやりやすい」

 褒めてるんだけど、先輩は謙遜も増長もせず、淡々と手当をこなしていた。本当に手馴れているのだ。

 と、私が目線を上げると、先輩の肩の向こうにリオくんの姿があった。

「理々香、だいじょうぶ?……」

 リオくんの目が、私の手に触れる先輩の手を見たような気がした。

「リオくん、ありがとう。大丈夫だよ」

 私はテープを貼り終えた先輩の手を振り払うように、リオくんに手を振った。

「よしいいぞ理々香、あとで保健の先生に診てもらえよ」

 葉月先輩は、自分の膝を両手で叩いて立ち上がる。なんだか動作がいちいちおじさん臭い。

「いやー、あれなら必要ないわね。春詩くん、上手じょうず」

 そこへ、唐突な横槍が入った。

 白衣姿の女性。白衣の下はデニムとシャツのラフな格好。白衣のポケットには眼鏡を差し入れていた。

 先輩を名前呼びするあたり、ずいぶん親密にみえる。

「長谷川……先生」

 先輩がそう呼ぶと、私にも記憶が想起された。日常的に青陵学園には契約している総合病院から保健医が派遣されている。そんな学校の仕組みは実行委員でもやらないと知ることもなかっただろう。

 実行委員会のミーティングでは、日曜日の体育祭にも当番の医師が常駐するということだった。

 想起されたのはそれだけではない。そういえば、この長いポニーテールの女性、昨年先輩がリオくんを保健室に担ぎ込んだ時にいたのではなかろうか。

「やあ、こんにちは。莉緒くん、春詩くん、あと、君は何子ちゃん?」

 その保健医は私に向き直って姿勢を少しだけ正すと名乗った。

「私は長谷川結衣、歳はナイショ。ある時は総合病院心療内科勤務、ある時は青陵学園保健医。しかしてその実体は頼れるみんなのお姉さんなのよ」

 ちょっと、リアルに聞くと恥ずかしいコミカルな名乗りを聞いて、自分が一瞬、何か張り合わないといけない気になっていたのを、私は鎮めた。

「桐原理々香、二年。生徒会役員で今日は体育祭実行委員の一人です。リオくんとはお友達で、先輩とはその呼び方の通り、『ただの』先輩後輩の間柄です」

 私はちょっぴり、ただの、に力を込めた。私の目はこの女性を見ていても、そのセリフはもちろんリオくんに向けてのものだ。

「ふんふん、ふむふむ、ほうほう」

 長谷川先生は、私の顔を右から左から、角度を変えて観察する。

「三角関係はあり得ない、と親友に対する宣言かな?」

 心療内科の医師って、こうも人のことを見透かせるだろうか。私は先輩に目線をやった。

 先輩は肩をすくめる。

「あはは。年の功ってやつね。カマかけただけだから」

 長谷川先生は、楽しそうに笑った。

「あの、長谷川先生、僕はこれで」

 リオくんは、この場で一番目上であるこの女性に挨拶して、先輩にはちらりと目線をやっただけですませると、黄組のテントに戻っていった。

 途中で、四条君がリオくんを出迎えてテントに引き返していく姿が見えた。

 長谷川先生は、何か面白いものを見てしまった、というように笑っていた。私には少なくともそう見えた。失礼ながら、ちょっといやらしい笑みだ。このたった数分だが、この先生の性格をそういうふうに見て取ったのだった。


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