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第六話(2)

「莉緒さんを大切にね。莉緒さんだけじゃない。あなたの心が動くひとを、大切にしてあげて。世の中の常識とか、そんなフィルターは関係なく、あなたの心が動き、選ぶひとを」

 真白の言葉は、今の俺には少々こたえた。

「それは……」

 わかっている。わかっているつもり、だった。

 俺なりに、大切にするために、弟を、妹を守ってきたのに。なんだか最近、わからなくなった。

 真白にそう言わせてしまう俺は、真白を大切にできていたろうか。

 なんだか、未熟過ぎた。人間として。

 俺と真白は、始業時間が近くなったのでそれぞれの教室へと散った。




 この日の午前中、三年生全体で進路相談が行われた。

 個別に呼び出されて面談。自分の番が来るまでは自習だ。

 教師の目が届かない教室で、クラスメイトたちは雑談や遊びに興じるのかと思いきや、進んで自習するものが多い。進学を意識させる話がここのところ増えたのもその理由の一つだろう。

 俺も二年までならぐうぐう寝ているところだが、今は悩みが尽きない。

 この上、進路でも俺を悩ませようというのか。

 俺にも、やりたいことが無い訳ではなかった。

 ただまあ、それはプロ野球選手になりたいと子供が夢見るのに近い内容であって、まあ順序立てていくなら、みんなと変わりばえのない進路になる。自分の学力に合わせて、入れる大学を選ぶ、そういったところだ。

 自分の順番の前のやつに、次お前だぞ、と呼ばれて進路指導室に向かう。

 結局、先日の進路調査票に書いた、進学の二文字を間に挟んで、五味渕先生と向かい合うこととなった。

「葉月、何か悩みはないか?」

「まあ、それなりにあるような、ないような」

 頬を人差し指で掻いて、虚空を見上げる。

「そうだよなあ」

 先生は俺の背景にあるアレコレを知っているから、指導に気を遣っているようだった。

「葉月の成績だと、大学に入るのは高望みしなければ、問題ない。ただ、お前はスイッチのオンオフが激しいから、そこを気をつけてくれないと、前提が崩れるからな」

 お前はやれば吸収できるんだから、もうちょっと、いやもっとがんばってほしいけどな、と五味渕先生は付け加えた。うん、俺伸びしろだけは自信あるよ。

「今の大学は幅広いから、入れる成績があるやつはどこかしらに滑り込める。だが、狙った大学があるとか、専門的に何か決まったことがやりたいなら、受験の準備をしっかりやるだとか、大学選びも真剣にやってほしいというのが、教師としての願いだ」

 そんな助言を聞きながら、俺は進路指導室をちらちらと見る。

 戸棚には大学個別の赤い背表紙の参考書が並ぶ。近場の大学や有名大学は年代を変えて数か年分。ファイリングされた分厚い資料は、ぎっちりと棚に押し込まれていた。

 振り返ってみれば、けして無駄に置いてある資料というわけではないという事がわかる。

「でな、生徒が大学に行きたいと言ったとする。ああそうか、じゃあこれくらいの成績を目指さなきゃだめだぞ、というのは教師としては簡単だ。でも指導っていうのは、そういうものじゃないと思う。生徒のみんなが、それぞれどうやって生きていきたいのか、成績の話だけでは、相談に乗れていることにはならないからな。俺らからすれば、お前はどうしたいんだって首を突っ込みたいんだよ。だからホレ、なにかないか」

 パスを寄越せというかのようなジェスチャーを見せる五味渕。

 俺は、その赤裸々な指導にほっぺたを引きつらせたけど、きらいじゃない。

 俺は一つの悩みを忘れて笑った。




「よーし、次の番のやつを呼んでくれ……しかし葉月にそんな夢があったとはなあ」

 十五分後、進路指導室を辞す際の五味渕先生の言葉だ。

 でかい声が廊下に響くので、俺は教師たるそのおっさんをはたいて黙らせようと思った。むろん実行していないが。

「別に夢ってほどではないです。頑張れば、大学の夏休みでかなえられそうなもんでしょ? じゃ、失礼します」

 結局、進路相談といえば、大学の名前をいくつかピックアップしただけで、俺の『やってみたいこと』の話に終始してしまった。

 教師って、あんなものなのだろうか。

 教室に戻ると、自習で静まっていた空気は、俺のいない間に少しほぐれて雑談するやつらもいた。クラスメイトの大半の面接が終わって、気が抜けたせいだろう。

 俺は次の順番のやつに声をかけて席に着こうとしたところで、小倉美帆に呼ばれた。

 呼ばれた、といっても声もなく、人差し指でトントン、と肩を叩かれただけ。

 彼女の隣には竹内丈生と、もう一人、あまり接点のない女子がいた。




「篠原千夏よ。久しぶり」

 その見慣れない女子は言った。見覚えはある。廊下でたまにすれ違うのだ。多分三年生。いや、この時間にうろうろしているからには、三年だろう。

「ええっと……」

 困惑した俺の表情を読み取ったのか、彼女は盛大に溜息をついた。

「そうよね、悪かったわ。あなたにとっては初対面も同じ、ってことね」

 篠原千夏は言った。ひょっとして同じ中学、いや同じ小学校だったのかも。

「場所を変えたいわ」

 彼女がそう言うと、小倉さんも、竹内までもが、異を唱えることなく彼女についていく。訳も判らず俺はついていった。

 授業をしていない化学室の丸椅子に、全員で座る。どこかしら、俺を取り囲むような椅子の配置。

 みんなの腰が落ち着くと、篠原千夏はひそめた声で口火を切った。

「私、真白の親友なの」

「あのね、篠原さん、真白会長の幼馴染なんですって」

 小倉さんが付け加える。

「幼馴染ってほどじゃないわ。小学校の低学年から、習い事が一緒で知り合ったの」

 どこまで付き合いを幼少期に遡れたら、幼馴染と定義してよいのか、そんな余計な思考を彼女は払いのけるように続ける。

「私、あなたにいろいろ聞かなきゃならない。葉月春詩、あなた真白と朝一緒だったんですって?」

 真白、完璧でとっつきにくいイメージの真白を、こうも気安く呼び捨てにできる篠原千夏は、間違いなく親しい間柄なのだろう。

「おう。体育祭の準備資料をまとめないといけないからな」

 俺の返答に、三人はため息を吐いた。

「オレは真白さんに少なからず同情するぜ」

「本当だよ、葉月くん。竹内君の言うとおりだよ」

 おとなしめの性格である小倉美帆にも、ゆったりとした語気はともかく、はっきりと否定されてしまった。俺と竹内、そして小倉さんとは二年の時に一緒のクラスになって以来の付き合いだ。

 竹内がその小倉さんに絶賛アピール中なのは周知の事実。修学旅行を経てなんとなく二人の空気が変わったのは感じていた。その後、時間がかかったが、二人は最近、一緒に帰ったりしている。あと、昼休みも二人で弁当を食べたりしていて……つまり俺は昼の弁当の友を取られたわけだが、どうやらうまくやっているようだ。

 篠原千夏が咳払いをした。

「あなたの真白に対する距離感、おかしいわよ」

 彼女は断じた。

「あなたと真白が別れたってなら仕方ないわ。でも、あなたは一体、真白のどこが好きだったの?」

 俺はその言葉に、沈黙しかなかった。

 だって、試しに付き合ってみないかと言われた。

 真白の魅力はだんだん理解できたし、大切にしようと思った。

「付き合うとか、好き合うとかって、ほら、こういう人たちみたいな感じよ?」

 千夏が竹内と美帆を指さす。

「オレたちサンプルかなんかかよ?」


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