第六話 真白の雪(1)
大型連休も残すところあと三日。
莉緒は長い休みのなかほどに、わが家に帰ってきた。桐原理々香と、杉山柚羽を伴って。
俺は世話になった理々香に礼を言い、母さんは彼女たちに、家の人に渡して、と手土産を持たせた。
うちの母さんは、儀礼的にも心情的にも、よくよく彼女たちに礼を言い、一緒になってひとしきりお茶を楽しんだあと台所に引っ込んだ。
それまで和やかなムードだったが、一転、理々香と柚羽は厳しい目線を俺に向ける。
莉緒は座敷のテーブルの端の席で正座したまま黙りこくっている。
「葉月先輩」
こういう時、いや、大概において柚羽は語らず理々香が前面に出る。だがそれでいて柚羽は他人任せではない。それどころか、突如鋭い切れ味の言葉を持ち出す。
二人は、莉緒のいい友人だ。
俺は二人を前に身構えた。
「……今日は何も言いません。けど、リオくんを、もっと大事にしてください」
「う、うん」
二人はそれきり、今日は帰ります、と立ち上がって、本当に帰ってしまった。
親でありわが家の主人代理である母さんが辞したところで、用事が済んだとばかりに。
うん、まあそれは構わない。その通りだし、俺は莉緒の兄貴で、彼女らとべったり長話する仲ではないからな。
莉緒がバス停まで見送りに行った。バスの時間まで小一時間あるから、ゆっくり話はできるだろうが、二人は本当にそれだけで帰ってしまった。
「莉緒にはいい友達ができたのねえ」
玄関で、俺と一緒にみんなを見送った母さんは言った。
「で、あんたはあの子たちを怒らせることでもしたのかしらね」
う……。そういわれると耳が痛い。
そのあと居間には、りこも二階から降りてきて、片づけずにそのまま家族でお茶をしながら莉緒の帰りを待った。
バスが出たであろう時刻の数分後に、莉緒が玄関を開ける音がする。
ただいま、という声。
りこが立ち上がり、玄関にすたすたと歩いていくと、莉緒を出迎えて、お帰り、と莉緒の手を取り、莉緒を見つめ、そしてそっと抱きしめた。
「りお兄、すごい久しぶりな気がする」
「うん……りこ……お母さん、兄さん。心配かけて、ごめんなさい」
「莉緒、おかえり」
母さんが遠慮がちに莉緒の肩を撫でるので、俺は莉緒の背中を押した。すると莉緒が母さんを抱きしめる。
母さんもうれしそうだ。よかった。
それから、莉緒は俺の方を向いて、ちょっと目を伏せた。
「兄さん、ただいま」
「うん、おかえり」
そういうと莉緒はくるりと背を向ける。なんだか、一度伏せた目が俺の方を向くことはなかったような。気のせいなのか。
ともかく、わが家に莉緒が帰ってきたのだった。
◆◇◆◇◆
連休明けの初日。
俺はいつもより一本早いバスに乗り、校門坂を登っていた。
朝の気配が強い。
坂道を登る生徒の人影はない。
校門を抜けると、朝練をしている部の活気が少し伝わるが、昇降口に入るとまた静けさが戻る。
職員室に寄り、鞄を教室に置いて、生徒会室へ。
引き戸の取っ手に手をかけると、引っ掛かりもなく、がらりと戸は開いた。
「おはよう春詩くん。早いのね」
生徒会長の席から、いつもの穏やかな笑顔が、俺を出迎えてくれた。
薄暗かった廊下に、生徒会室の窓が取り込む朝の薄い日明かりが差し込んだ。
「おはよう、真白」
予想はしていた。真白がいることは。
いつも彼女が一番早く来る。一番遅くまで残っている。無論、そうでないこともあるけれど。ただこの時間に、扉に鍵がかかっていなかったとわかった瞬間、小さな胸の痛みと同時に、予想は現実となって姿を見せた。
真白の存在を意識しながら、俺は生徒会室での自分の机に仕上げるべき書類を揃えると、席について仕事に取り掛かる。
少し作業に集中し始めたころ。
「ねえ」
真白の声を聴いた気がした。
それは静かな空気に鈴の音が鳴ったくらいの、不自然にも自然な音のようで、一瞬無意識に聞き流しそうな綺麗な声だった。
俺が、はっと顔を上げると、彼女はこちらを見るでもなく言った。
「こうして二人でいるの、久しぶりね」
手をとめて、俺は真白をはっきりと見た。
「そうだな」
真白は手をとめず、書類に目を落としたまま続ける。
「莉緒さん、家出してたんですって?」
なんだか、少し痛いところを突く話題が出たので、俺は抗議するように次の書類をめくる。だって、莉緒とはまだまともに話せていない。
会話を始めた真白の視線を、そのとき初めて感じたが、俺はすでに次の紙面に目を落としていた。
「桐原さんから聞いたの」
「仲、いいんだな」
皮肉ではなく、真白にいい友人がいるのはいいことだと思う。理々香は後輩だけど、いいやつだ。
「ええ。桐原さん、いい子ね。彼女、すごく莉緒さんのこと心配してたわ」
「そうだな。莉緒にとっても、いい友人だと思う」
「莉緒にとって『も』?」
彼女は少し俺の言葉に疑問を持ったようだ。
俺も少し疑問だった。
「違うのか?」
その言葉が、一歩飛躍してしまったのに気づいて言い足す。
「真白にとっても、理々香はいい友人なんだと思ったから。違うのか?」
真白はあっけにとられたような顔をした。
二人して手をとめ、顔を見合う。
「ありがとう。あなたは、すごく大切な気付きを与えてくれるのね」
「ってことは、気づいてなかったのか。理々香を大切にしろよ」
「そうね……であれば、あなたもそうよ」




