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第五話(5)

 葉月先輩が私の手を振り払って中庭に歩いていく。

 場がざわついた。

 表情の死んだ先輩は、ちょっとした悪役だ。すっかり藤原先輩のポジションじゃないか。

「あれ、葉月先輩でしょ?」 「え、なんか怖い先輩って噂の?」

 一、二年に広がる先輩への認識が、ちょっと気の毒になってきた。

 気づいた四条くんが立ちふさがった。それはヒロインを守る王道の主人公みたいな姿で、周囲は色めき立った。

「葉月を今はそっとしておいてください。葉月が……いえ、莉緒が嫌がってます」

「りおが……嫌がる?」

 先輩がリオくんの顔を見ようと、四条くんをよける。その視線を再び遮る四条くん。

 彼は、先輩を退けようと手で押す。ただ軽く押しただけに見えた。が、先輩は力なく、尻もちをついた。

「行こう、莉緒」

 リオくんの手を引いて、四条くんがその場を去っていく。

 ひとまずは、これでいいのかもしれない。

「あ……」

 四条くんに手を引かれていくリオくんが、息を漏らした。お兄さんの姿に困惑してなお、掛ける言葉が見つからないでいる様子だった。




 放課後、私は生徒会の用事を済ませて、リオくんの部活終わりを教室で待つ。

 ほんとはこまごま用事があったんだけど、使い物にならない葉月先輩を生徒会メンバーに見せて、これの原因を取り除いてきます、と言ったら早上がりを許してもらえた。

 窓の外は夕暮れ。黒々とした雲に夕日の色彩が混ざる。雨でも降るんだろうか。

 スマホが振動して、私は画面をタップした。

「もしもし、母さん?」

 画面の表示は母からの着信だと告げていた。

『ね、今夜もリオくん泊まるんでしょ?』

 用件の前に、放課後の娘をねぎらってから言って欲しいんだけど。

「うん、そのつもりでいたけど、いいよね?」

『いいわよう、もちろん。私にもそういう時期があったわー。あんなきれいな友達はいなかったけど。夕食は予定通りごちそうだからって、リオくんに伝えてね。それから、ご家族に挨拶したいから、あとで電話番号教えてほしいって、伝えておいて』

「ああ、そのことだけど、リオくんのお兄さんに家の電話番号伝えたから、後で電話あるかも……ちょっと立て込んでて、リオくんのお母さんには、まだ伝わってないかもだけど」

 先輩のあの様子では、連絡ができているとは思えなかった。一応、それを言い出したのは先輩だ。葉月家の方も、やっぱりお母様があいさつしたい、ということらしかった。

『そう……あら、家の電話が鳴ってるから切るわね。ひょっとしたらリオくんのお母様かもしれないわね』

 通話を終了させると同時に、教室の戸が開いた。

「理々香、お待たせ」

 部活を終えたリオくんだ。

「うん、部活お疲れさま。帰ろっか」

 私たちは階段を降りて昇降口に向かう。

 少し天気が悪くなりつつあった。

 夕日の色は黒い雲に塗りつぶされて、いつもの夕刻より暗かった。

 靴を履き替え、校門坂を足早に降りていく。

「ね、昼休みに四条くんとなに話してたの?」

「あの、ね。僕が暗い顔をしてたのを見かねたみたいで、四条が、一緒に弁当食べようって。連れ出してくれて。それでいろいろ話して、励ましてくれて……おかしなことを言って笑わせてくれたりしてね」

 それで中庭にいたのか。しかも「四条」と呼び捨てする仲にまで。恐るべし、イケメンのコミュ力。四条くんがリオくんの手を引いて中庭に連れ出す姿は、あちこちで目撃されて噂になっていた。リオくんも断れなかったのだろう。四条くん、減点。

 一方、悪の権化、葉月兄からリオくんを守ったヒーローの噂は高まるばかりだ。先輩お気の毒。

「ねえ、リオくんは四条くんのことが好き?」

「……え?……あ、違う! 違うよ?」

 私の質問の意味を悟って否定する。四条は友達。そうリオくんは強調した。

「あいつはそう思ってないかもしれないよ?」

 リオくんは私の考えを否定はせずに押し黙る。いけない、あまりリオくんに強く言うと、彼は(もう私の中では彼女って言ったほうがしっくりくるのだけど)自分の考えを引っ込めてしまう。

「違う……よ?」

 リオくんは、もう一度否定した。

「僕は……」

 私が強く言ってしまった言葉に負けないように、リオくんが話してくれようとしたそのとき、ボタ、ボタ、ボタッ、と大きな雨粒が落ち始めた。

 住宅地を抜ける家までの道のりは、雨を遮るものもない。

 私はリオくんの手を掴んで走った。

 ほどなく、前触れのようだった大粒の雨粒は、滝のように勢いよく降りだした。

 昔はこんな雨の降り方はしなかった、なんて父さんは言うけど、とにかく天気予報は当たってほしい。雨予報はもっと深夜のはず。

 水気がみるみる制服の生地を貫通して、肌に冷たさを伝えてくる。

 上着も、シャツも、下着も濡れて鳥肌が立った。

 張り付く冷たい生地、リオくんの手だけがあたたかい。

 息を切らせながら走り続けて、わが家の玄関の軒先に逃げ込む。

 荒げた吐息が、私たちの唇を濡らしていた。

 手をつないだまま、私たちは見つめあいながら呼吸が収まるのを待ったのだった。


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