↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
退屈な男は、あなたを許さない  作者: ゲント・カイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/11

第六章 名前を失う

食卓から肉が消え、次に白いパンが消えた。


 硬い黒パンと薄い豆のスープが、一日の食事になる。


 ユリウスは仕事を探すより酒場へ行く時間が増えた。


 セシリアはまだ働こうとした。


 だが雇われても長続きしない。


 ある宿屋では、主人が彼女を気に入ってくれた。


「昔のことは昔のことだ」


 そう言ってくれた。


 セシリアは初めて救われた気がした。


 しかし一週間後、主人から呼び出された。


「すまない」


 その言葉だけで分かった。


「また?」


「うちへ食材を入れている商会がな」


「アルフォンスが?」


「違う」


 主人は疲れた顔をした。


「グランフェルト家からは何も言われていない」


「ならどうして!」


「仕入れ先が嫌がるんだ。公爵家に悪く思われたくないと言っている」


「そんなの勝手でしょう!」


「そうだ。勝手だ」


 主人は首を振った。


「だから俺にもどうしようもない」


 セシリアは初めて、自分の敵がアルフォンス一人ではないのではないかと思った。


 だが、だからといって腹が満たされるわけではない。


 ある夕方、王都東部の細い道を歩いていると、年配の女に声をかけられた。


「仕事を探してるんだろう?」


「あります」


「あるようには見えないね」


 女の服装と化粧を見れば、どのような店の者かはすぐ分かった。


「お断りします」


「そうかい」


 女は追わなかった。


「腹が減ったら来な」


 三日後。


 セシリアは同じ道に立っていた。


 扉の前で何度も足が止まった。


 伯爵家の娘だった。


 未来の公爵夫人だった。


 舞踏会では自分の周囲に人垣ができた。


 それでも空腹は、過去の身分を食べさせてはくれない。


 中へ入った。


「名前は?」


 女に聞かれ、セシリアは答えかけた。


 セシリア・ローデンベルク。


 しかし、その名はもう自分のものではない気がした。


「セラ」


 咄嗟にそう言った。


「そうかい。じゃあセラ、こっちへおいで」


 その夜、何があったのかをユリウスへは話さなかった。


 夜更けに帰り、机に硬貨を置いた。


「どこで手に入れた」


「仕事よ」


「何の」


「聞かないで」


 ユリウスは黙った。


 翌朝、硬貨の半分が消えていた。


「使ったの?」


「食べ物を買った」


 酒の匂いがした。


 セシリアは彼を見つめた。


「分かっているのでしょう」


「何を」


「このお金がどういうお金か」


「知るか」


 その瞬間、自分の中で何かが崩れる音を聞いたような気がした。


 この男は、自分を愛していると言った。


 アルフォンスより自分を幸せにすると言った。


 その男が、自分が身体を売って得た金で酒を飲んでいる。


 そして自分は、そんな男との子をアルフォンスに押しつけようとしていた。


 初めて、その事実を別の角度から見た。


 もし成功していたら。


 アルフォンスは何も知らずに子供を抱いていただろう。


 名前を考えたかもしれない。


 歩き始めれば喜び、病気になれば眠らず看病したかもしれない。


 自分はそれを横で見ていたのだろうか。


 セシリアは吐き気を覚えた。


 けれど、今さら何を悔いても戻らない。


 その日の夕方も店へ向かった。


「セラ」


 呼ばれて振り返る。


 もう誰もセシリア様とは呼ばなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。